第62話 カフェバイト
「ええー、先生今日休み~? あたしバイトなんだけどー」
──日曜の午前中、まだ布団の上で転がってるセンセーを見てあたしはため息を吐いた。
バイトに行く前にセンセーに行ってきますを言いに来たんだけど、いつもなら着替えて煙草吸ってたりするはずがこんな時間になってもゴロゴロしてるからあたしは今日が『お休み』だってことに気が付いた。
「おう、頑張って働いてこい。俺は一人で休みを満喫する」
「やだやだーあたしも今日休みにしたい~。デートしようよデート」
「急に休んだらバイト先が困るだろうが! ぐだぐだ言ってねぇでとっとと行け!」
センセーの身体を掴んでガクガク揺らしてたら怒ったのかセンセーは急に布団から起き上がって怒鳴ってきた。あたしはもう一回ため息を吐いた。
「あーもー最悪~。シフト交換してって言われた時に断っとけばよかったぁ~」
「何時までなんだよ」
「今日は八時まで~。あ、じゃあ終わった後遊びに行く?」
「んな時間から遊ぶな高校生」
「ケチ」
むっとしたけれど、諦めて肩を落とした。無理にバイト休んだってセンセーは怒るし、無理にデート連れてってもどうせ嫌そーな顔するし。別にいーよ。バイトから帰ってきたらセンセーの部屋に入り浸ればいいだけじゃんね。
「あーあつまんない。んじゃあたし行ってくるね」
「おー」
センセーはそう返事するとひらひらとあたしに手を振ってまた布団に転がっちゃった。暑くてやんなるからってずっとゴロゴロしてんのどうかと思うんだけど~。
仕方なし、あたしは昨日買ったばっかのキャスケットを被ってセンセーの部屋を後にした。
***
日曜昼のバイトは結構忙しい。うちのカフェは料理も結構凝ってるからランチに来る人が多くてまあまあある席が全部埋まっちゃう感じ。今日は社員の人間もバイトの人間もそれなりにいるから回らないことはないけど。ピーク過ぎた頃には社員はともかくバイトはちょっとお疲れ顔。
「鬼村さん、コレ裏から出してきてくれる?」
「はーい」
店長、一番平気そうなあたしに声をかけたのかな。二つ返事であたしはいろいろ在庫を置いてる奥の部屋に入っていった。
ちょっと重めの袋を二つほど持って戻ってくる。それを店長のところに持っていくと「ありがとう」と笑顔を向けられた。髭面のバツイチ店長、歳はセンセーより上だったっけ? 店長目当てにくるお客さんもいるからまあまあ見た目がいいってことなのかも。センセーも髭生えたらイケオジってのになんのかな。……だらしない無精ひげしか想像つかないけど。
「鬼村さん三上君戻ってきたから休憩入って良いよ」
「はーい」
あたしはタイムカードを切ると更衣室でエプロンを外して、ロッカーの中に置いてある財布を取ってまた戻ってくる。カウンター越しに店長の前に立った。
「カフェモカミックスサンドイッチフルーツプリンタルトお願いしまーす」
「カフェモカとミックスサンドとフルーツタルトね」
店長が復唱すると休憩から戻ってきた三上くんが隣で食べ物をケースから出して、店長がカフェモカを入れてくれた。これがあたしの今日のお昼。ほんとは三倍くらい食べたいとこだけどびっくりされても困るし。
「六番テーブルで食べまーす」
「オッケー」
一番奥の席にすたすたと歩いて行けば、もうほとんどお客さんのいない店内をぐるっと見渡した。人がいなくなると寂しく見える。静かな方が好きって人もいるけど、あたしはあんま静かなの嫌かな。つまんないじゃん。それに──
さっきあたしが休憩に入った途端に、追加注文をしに行った男がコーヒー片手にこっちへと歩いてきた。なんでか元の席に戻ろうとしないで一直線にあたしがいる席へとやってくる。
「ここいい?」
いいわけないし「は?」って返そうかと思ったけどあんま最初から喧嘩腰ってのもお店に迷惑かけんのかなと思って黙って目の前の男を見上げた。
「この前来た時も君のこと見かけたんだけどさ、可愛いなって思って」
勝手に目の前の席に座ると男はべらべらと喋り始めた。奥のカウンターの方から店長が心配そうにこっちを見てるのが見えた。
人少なくなった途端に寄ってくる男ほんと無理すぎ。
ここでバイトし始めてからナンパされるのはもう六回目くらい。人間の世界をうろついて声かけられるってのは別によくある話なんだけど、同じ場所に留まることってなかったからかそこまで頻繁じゃなかった。けど今は頻繁。めんどくさ。可愛いとか綺麗とか言ってくれんのはまあ良いけど、でもそれ別にお前の為にやってるわけじゃねーしって言いたくなる。
あたしが美しく見えるようにするのはあたしの『本質』で、それはもっと言えばセンセーの為で──
「……センセ?」
今ちょうど入店してきた背格好が、ううん、くすぐったい甘い桃の香りがセンセーだってすぐにわからせた。
あたしは反射的に立ち上がる。
センセーは少しカウンターの中を伺うようにして、それからコーヒーを頼んでた。出来上がるのをそこで立ったまま待ってて、で、やっぱり少し何か探すような素振りをして、で、
「……!」
こっちを見て、ちょっと目を丸くしたかと思うとどこかほっとしたような顔してた。
あたしは慌てて食べ物とカップの載ったトレーを持ってセンセーに近づいていった。
「ね、どしたの? なんで来たの? バイト先教えたっけ?」
「……担任なんだから届け出見て知っとるわ」
小声でそれだけ言うと店長からコーヒーを受け取ってセンセーはカウンターから少し離れた席に座った。鞄の中から本を取り出して読もうとしてる。あたしも同じ席にトレーを置いて座った。
「店長ー! あたしやっぱ二番テーブルで食べまーす!」
ナンパを振り切って知り合いと座るってわかったのか、店長はちょっと安心したような顔して片手で丸の形を作って返事をした。
「ね、ね、センセーなんで来てくれたの?」
「………」
「あたしね、今休憩。もしかして休憩狙って来たの?」
「ちげーよ」
「お昼食べた? サンドイッチ半分あげよっか。あーん♡」
「やめろっつの!」
恥ずかしそうに顔をしかめて、センセーがあたしを見る。
それがなんだかすっごく、嬉しい。
その時さっきのナンパ男があたしたちの横を通り過ぎて帰ろうとした。あたしはちょっと大きい声で声を掛ける。
「ごめんねー! あたし恋人いるからお客さんと一生付き合えなさそ~。もう声かけなくていいよ!」
あたしが言ったのを聞いて、センセーはコーヒーを吹き出しそうになってた。ナンパ男の方はすごく気まずそうにそそくさと帰ってく。あたしは一息つくとサンドイッチを口に入れた。
「……何、お前、ナンパされてたの?」
「うん。さっき」
「………」
「えー心配してくれた感じ? うれし~」
「そりゃまあ心配くらいするだろ。教師として……」
「教師として~??」
あはは、と笑い声を上げる。センセーはなんか気まずそうに咳払いをして、また本を開いた。カバーがかかってて何の本かわかんない。漫画? 小説? 仕事の本? あたしはカフェモカを飲みながらセンセーを見つめる。じーっと。ずっとずっと見てたいくらい。
「……何」
あたしの視線が気になったのか、センセーは恥ずかしそうにこっちを見た。あたしはカップを口から離してにこっと笑いかけてあげる。そうしたらセンセーは……やっぱり恥ずかしそうに顔を赤らめて、そっぽを向いた。
なーんだ。
センセーやっぱ
あたしのこと好きじゃん。
嬉しくなって頬杖をつく。
楽しみにしてたフルーツプリンタルトに手を付けるのも忘れて、センセーを見つめる。
近くにいると、センセーに染み付いた煙草の匂いが鼻をつく。
あー今すっごく穏やかな気持ち。
そっか
静かな場所でも、センセーがいるならいいのかも。
ずっとこのまま、
ずっと二人きり、
このまま世界が終わってもあたしはいいやって思っちゃうな。
***
──結局センセーはあたしがバイト終わるまでお店にいてくれた。
着替えてお店の外に出たら、センセーは近くのガードレールに腰かけてぼーっとしてた。で、あたしに気づくと立ち上がって歩き始める。あたしを置いて。……かと思うと、ついてきてるか気になったのかこっちを振り返った。
「……えへへ♡」
小走りでセンセーの横に並ぶ。
「ねーねー今日何の本読んでたの~」
「別になんでもいいだろ」
「せっかく休みなのにお仕事の本読んでたとか~?」
「いろいろだよ。最近読めてないのとか。……つーかカフェに入り浸るのってめちゃくちゃ居心地悪いな。店に悪い気がして何杯もコーヒー頼んじまったよ」
「えー全然気にしないでオープンからラストまで勉強してる大学生とか仕事してる人とかいるよ?」
「そいつらの神経が俺にはわからん。つーか腹いっぱいだよ。夕飯いらねーなこれ」
「帰ったら作ってあげよーと思ってたのに~。いらないの?」
「お前が食うなら作ればいいだろ」
「あたしはセンセーの為に作ってんの~」
渡ろうと思ってた横断歩道が赤になって、あたしたちは立ち止まる。普段から交通量の多い道路をたくさんの車が通っていった。
「ねーセンセーこのあと……」
一瞬、センセーが二重に見えた。頭がふらつく。
あれ?
「──鬼村!」
センセーがあたしの名前を呼んで、手首を掴んだ。
そこで意識がはっきりする。
「……え?」
「大丈夫か!?」
「え、うん。大丈夫だけど」
必死そうなセンセーの顔。
なんでそんな顔してんのかわかんなくて、あたしは瞬きをした。
「朝からバイトで疲れたのか? 具合悪いんじゃないのか?」
「えー別に疲れるとかないし。具合悪いとか感じないけど」
「本当か?」
なんでか信じてくれないセンセー。
あたしの手首を握る手にも、ちょっと力が入ってる。
「……どしたの?」
「どうしたって……心配、してるんだろ」
「何で?」
「何で、って……お前が俺に妖力渡してばっかで弱ってんじゃないのかって……」
「弱る? 別にあたし全然元気だけど」
うん、全然元気。
今から走ってくる車止めろって言われても止めれるし、道路叩き割れって言われたら全然やれる。自分の力を確認するようにあたしは掴まれてない方の手をぎゅっと握ったり開いたりした。
「……何ともないのか?」
「うん」
「そうか」
ようやく信じてくれたのか、センセーはあたしの手を放した。もっと握ってても良かったんだけどな。
「もしかしてー、なんかあたしのこと心配してて、今日来てくれた感じ?」
「それは……まあ、そんなとこか」
「ええ~!? あたしてっきりバイトしてるあたしが見たくて来たとかこのあとデートする為に来てくれたのかと思ってたのにー!」
「はあ? お前のバイト姿なんてどうでもいいしこの後はさっさと帰るだけだ」
「やだやだデート行こうよ~。なんかもうちょっと行った先にラブホあるみたいだしさぁ~」
「このっ、馬鹿!! んなとこ絶対行くかよ!!」
横断歩道が青信号に変わった途端、センセーはあたしを置いて歩き出した。後ろから見たってわかるくらい、耳を真っ赤にさせて。あんまり可愛いから、あたしはセンセーに追い付くとその腕にぎゅっと抱き着いた。
「もーセンセってば可愛い~♡」
「ぎゃっ! やめろ! 誰に見られてっかわかんねーんだぞ!」
「平気だもーん。てか見てくれた方がいいじゃん。外堀ってのは埋めておいた方がお城を攻めやすいって昔から知ってることじゃん? あたしはそんなことしなくても城ぐらい落とせるけど」
「冗談なのかマジなのかわかんねーのやめろ」
「あ。てかあたしの力が弱くなってるかもって心配なら~……力ちょっとだけ戻してくれてもいいよ? ちゅーする?」
「~~~~~~~しない!!!!!!!!!!!」
「あははは!」
顔を真っ赤にしたセンセーは全然あたしのこと見てくれなくて嫌そうにそっぽ向いてたけど、それでも腕を振り払おうとはしなくて。
あたしはそれに甘えてそのままセンセーの手に指を絡ませた。
ぎゅって手を握っても返してはくれなかったけど……
この手から伝わる感覚は、あたしを拒んでないってわかる。
「あー、あたし今めっちゃ幸せかも」
「はあ?」
「だってセンセーがあの日あたしに──」
──ごぽごぽっ
水音みたいのが、耳の奥から聞こえた。
違うかも
身体の中?
「……鬼村?」
センセーが、
あたしの顔を覗き込んでる。
「おい、大丈夫か?」
不思議そうな顔。
それを見つめて、
耳を澄ました。
もう何も聞こえない。
「うん、だいじょーぶ」
あたしがそう返事をしたら、センセーはほっとした顔をした。
うん。
大丈夫。
少し──大事なことを思い出しただけ。




