第61話 再診
『──では現在神社への侵入・窃盗が相次いでおり』
『──付近では地域の見回りを強化しているとのこと』
『歴史ある法具を狙った犯行か──』
『犯人はその数も含め、今だ特定できておりません』
──テレビから流れる音を聞きつつ、ワイシャツに袖を通す。ネクタイを締め、左腕に時計を身に着けた。時刻は朝の八時半を過ぎた。夏真っ盛りの現在、ジャージはもうさすがに羽織るのは暑いので洗濯したあと鴨居に引っかけたハンガーから下ろしてすらいない。必要なものが揃っているかの確認をして、台所に置きっぱなしの煙草とライターを取りに行った。
「センセー、あたし先に出ちゃうからね~」
鬼村の声が玄関から響く。
「先にってなんだ、勝手に行けよ」
「えー、いってらっしゃいのチューしてほしいかと思って来たのに」
「いらねっつの!」
俺が吠えると鬼村はつまらなさそうな声で「ちぇー」と言ってから玄関扉を開けた。
「じゃ、いってきまーす♪」
バタン、とドアが閉まる。俺はそれを聞いてほっと胸を撫で下ろした。
──夏休みが始まった。
テストでバタついていた学校も、すべての日程を終え今じゃ生徒たちはパラダイスってわけだ。一部生徒は補習で地獄を見ているようだが。そしてその一部生徒というものに……どうやら鬼村は入らなかったようだ。夏休みに入ってから毎日バイトや遊びに明け暮れている。いや、実際にその二つだけなのかは俺にはわからない。俺が仕事をしている間のことは何も知らないからな。
夏休みと言えど仕事はある。が、授業がなくある程度好きに時間のやりくりができるのが長期休みのいいところだ。もちろん今日も出勤するが、午前は別の用事がある。
……まあ、別に遊びに行くってわけじゃないんだけど。
***
「いやあ至って健康そのもの、さすが桃間さんだ」
ほっほっと笑う男を前に、俺は少し肩の力が抜けた。疫病の予言をすると言われる妖怪アマビコであり、医者の真似事のようなことをしているこの尼野という男は俺の身体をじっと見つめるなりうんうんと確認するように頷いた。
──学校へと通勤する前に反対方向への電車に乗った俺はこの尼野先生がいる病院へとやってきていた。鬼村と来た時同様、診察室の札すらかかっていない扉を開ける。途中病院の職員の誰かに声を掛けられやしないかとひやひやしていたものの、誰からも声を掛けられることなくここまで辿り着けた為緊張していた俺は安堵した。
診察室へやってきてから尼野先生は俺の身体へ探るように手を当て、数分もしないうちに診察は終わった。どうやら先日化け狐に襲われた際の負傷は、すでに治っているようだった。
「──今回もあの煙で全身視られるのかと思ったんですけど、違うんですね」
「君の身体の構造は大体把握しているからね。外からでも多少は調べられるさ。ま、あれは精密検査ってとこだね。それに毎回早羅ちゃん頼みじゃ私も申し訳ないさ。それに彼女は今旅行中だ」
妖怪も旅行に行くのかと考えながら、にこにこと笑う尼野先生に俺はふとあることを思い出して目を細めた。
「そういや……前にここで診てもらった時にはもう、鬼村の妖力ってのが俺の身体ん中にあったんですよね?」
「うん?」
「あいつ、俺を守る為だとかなんとかって大量に妖力を流したって。まあ確かにそのおかげでこないだは助かったんですけど」
「ああー……」
尼野先生はぐるりと目玉を動かすと、目を瞑った。
「そうだね。その時から物凄い質量の妖力があることはわかってはいたけれど。だから聞いただろう? この鬼さんは奥さん? って。深い間柄でもない人間にここまでする妖怪なんていないし、ましてやそれを受け入れる人間だっていやしないよ」
「……それは、妖力の流し方の話ですか」
「ええ?」
少し驚いたような顔をすると、尼野先生はにやにやと笑った。
「僅かずつでも数日かければあの程度の妖力、身体に手を当てるなりして渡すことはできると思うけど、もしかすると君、短い時間で妖力を体に流されたのかい? そりゃあもう言い訳できないじゃないか。やっぱりあの鬼さんは君の──」
「ああいや! その! やっぱ何でもないです!」
「ええ~?」
にたにたと笑う尼野先生から隠れるように俺は顔を逸らした。
くそ、やっぱ口移し以外の方法で妖力を流すやり方があるんじゃねぇかよ……。
俺はため息をついて頭を抱えた。
「……ふふ、恥ずかしがってるけどねぇ桃間さん。あの鬼さんも随分君のことが心配だったってことだよ」
「?」
「急いでどうにかしたかったってのはまあそれとしても、そもそもあれほどまでに妖力を渡せばあの強い鬼さんだってかなり消耗するはずなんだよ」
「え? ……時間が経てば渡した分の妖力って元に戻るんじゃないんですか? 妖怪は弱っても時間で回復するみたいなことをあいつに聞いたことありますけど」
「うんー……時間が経てば、ねぇ」
尼野先生は顎を撫でると、苦笑いをした。俺は嫌な予感を肌で感じつつも、次の言葉が出てくるのを静かに待つ。
「私たち妖怪は自然の力で動く存在、と思ってくれていい。だから力が弱ってもね、木や土、火や水、それに風、そういった世界を構成するのに必要なものから力を得て、また元の身体へと戻っていく。……けどねぇ、それにはどうしたって時間がかかるんだ。確かに時間が経てば回復するよ。でもどのくらいの時間を必要とするか、桃間さんにはわかるかい?」
「え……数日、一週間、とかですか?」
「いいや、月単位、早くても数週間だ」
──飲み込もうとした唾が、口の中に溜まっていくのを感じた。
「自然から力を吸収するのには途方もない時間がかかる。もしも早めることができるとするならば……鬼さんが回復するために森や田畑が急激に萎れ、潤沢だった川の水が枯渇し、多くの自然は無に帰すんじゃないかな」
「なっ……」
「私みたいに力を多く必要としない妖怪は回復にも時間はそうかからないけどね。だから今の鬼さんはなかなか回復しきらない妖力を惜しげもなく君に与えてる状態だ。とすれば……今の鬼さんはもしかすると元の半分ほどの力しか出せないんじゃないかなと私は思うよ」
「………」
「とは言っても鬼の妖力なんていうのは私たちとは比べものにならないしね。半分になったところで並の妖怪には勝てっこないよ」
はっはっは、と尼野先生は大口を開けて笑ったが俺はそれを黙って見ていることしかできなかった。
──深い間柄でもない人間にここまでする妖怪なんていないし、ましてやそれを受け入れる人間だっていやしないよ。
これを知っていたら、俺は受け入れていたのか。
いや待て、最初に俺の身体の中に流した妖力が半分だったとして。
じゃあこないだ『減った分』としてさらに入れたなら鬼村は──
「……まあまあ桃間さん、そんな暗い顔しないで。鬼さんもきっと自信があるからこんなことしたんでしょうに。ほら、強いでしょあの子」
「そりゃあ……まあ、そうですね」
「心配するようなことじゃあないのかもしれないよ。何より君は実際助けられたんだろう? それならありがたく頼っておけば──」
「いや、それじゃだめだ」
言葉を遮る。
俺は膝の上でぎゅっと拳を握り、床を見つめた。
「あいつを弱らせることになるなら尚更……俺は、俺が強くならないと。自分の身は自分で守ります」
「ほう……」
「……でもどうしたらいいもんか」
はあ、と大きなため息を吐く。
あいつに頼ってばっかじゃいけない、自分でもどうにかしないと、それはわかってるけれど具体的な解決策は浮かばない。今から剣道でも習いにいくのか。仕事しながらそんな時間が取れるのか? ましてやスポーツとしてではなく、相手を倒しにいく覚悟で臨まなければいけないっていうのに。
焦りが全身を駆け抜けていく。
「──短期集中講座ってのはどうかな?」
顔を上げると、尼野先生がにこやかにそう俺に提案した。
「……何ですかその中高生向けの試験対策みたいなネーミングは」
「いやぁそのままの意味だよ。今は夏休み期間なんだろう? ちょうどいい機会なんじゃないかい。こっちへ少しお邪魔してくればいいさ」
「こっち?」
首を傾げる。俺の視界に広がるのは病院の診察室──だが、そういやここは俺達の住む側の世界ではない『あっち側』だ。
「こちらだと君たちの住む世界とは少し時間の流れが違っていてねぇ。まあうっかりすると『浦島太郎』になる可能性があるんだけど」
「は?」
「なに、大丈夫さ。橋渡し役も、講師役も、知り合い経由で適任を探しておくよ」
俺は疑問符を頭に浮かべつつも、「ありがとうございます」と小さく礼を言った。一体その短期集中講座っていうのがどんなものなのか想像もつかないが──それが俺を成長させられるっていうんなら藁にも縋る思いだ。少しでも、現状を変えられるなら……。
「ところで、今日は鬼さんと一緒じゃないんだねぇ」
「ああ、あいつは遊びに行ってて。今夏休みなんでやりたい放題ですよ」
「はっはっはっは! やりたい放題! いいねぇ、鬼らしい」
「鬼らしいですか」
「豪鬼さんなんか昔は豪快に飲んでは暴れ、その奥さんの屠鬼さんも家畜を殺して回っては人間たちを震え上がらせていたそうだよ」
「そりゃ震え上がるでしょうよ……。あいつもそんなだったんですか」
「あの鬼さんねぇ……私もそんなによくは知らないんだけど……」
尼野先生は「うーん」と唸ると、首を傾げた。
「あの鬼さん、一番鬼さんらしくないからねぇ」
「……?」
その時後ろで診察室のドアをノックする音が聞こえた。
「おやおや、どうやら患者さんだ。それじゃ桃間さん、そのうち連絡をするからね」
「あ、はい」
挨拶もそこそこに俺は早く出勤しないとと思いながら診察室を出た。が、ノックをした何者かとはすれ違うことはなかった。出ればそこは──最寄りの駅構内のトイレ前だった。
「随分便利な扉だよ全く」
急な場面転換に驚きつつも俺は何もなかったかのように振る舞い、改札を目指した──。




