第44話 切れ味の良い
「てなわけでー! うちのクラスは総合四位でしたー!」
体育委員の声に、教室が騒がしくなった。優勝を目指していたわけではなかったが、運良くというか、一部俺のおかげというか、思ったよりも結果が良かったわけだ。だが結果どうこうよりも生徒たちはすでに打ち上げの話で盛り上がっている。
「このあと打ち上げ予約するけど、どこがいいー!?」
「もんじゃ!」
「焼肉がいーんだけど」
「どっちも臭くなるじゃん、もっと他にないの~?」
「テキトーにカラオケでよくね!?」
話し声笑い声によって教室の喧騒がピークに達しようとした時、端のパイプ椅子に座っていた俺は立ち上がった。
「うるせーぞ、そういう相談は終わってからにしろ。とりあえずホームルームやるから」
「桃間先生も打ち上げ来る!?」
何故か目を輝かせる男子生徒からの質問に「行かねぇよ」とぴしゃりと答えた。生徒と違って仕事あるっての。
「えー、センセー来ないの~?」
鬼村の声が教室の奥から聞こえたが、俺は無視してホームルームを始めた。来週の予定について、配らなきゃいけないプリント、その他諸々の連絡事項を伝えた上で──打ち上げで店に迷惑をかけるなよと念押しした。
「お前らが騒ぎ起こしてたらすぐ店まで行くからな!」
「ええ~うちら信用されてなさすぎじゃん?」
「せっかく桃間先生運動できてかっこいーとか思ったのにぃ~」
何故か女子からブーイングが起こった。俺はかっこいいなんて言われたところでお前らの成績を上げたりしないからな、なんて言おうものなら更に女子たちの俺の評価は落ちるのだろう。身勝手な奴らめ。
「じゃ、さっさと打ち上げ行ってこい。掃除はちゃんとしていけよ」
そう言うと俺は挨拶もそこそこに教室を出ていった。
鬼村が追いかけてくる様子はない。あいつ今日掃除当番か。となると後で俺を呼びに来るのはあいつだろうなぁ。
「………」
無意識にあいつのことを考えている自分を無かったことにするつもりで二、三度咳払いした。
***
「センセーほんとに行かないの?」
掃除が終わったあとで職員室に俺を呼びに来たのはやはり鬼村だった。掃除後の点検が終わり、他の生徒たちは帰っていく。
「行くわけねーだろ、こっちは仕事だぞ。そういう遊びは生徒だけで行くもんだろうが」
「えーそうだけどさぁ~……てかセンセー行かないならあたしも行かなくてよくない?」
「………」
俺は廊下をちらりと見た。こいつと仲の良い女子二人がそこに座り込んで喋っている。大方このあとの打ち上げに鬼村と一緒に行こうと待っているんだろう。
「あいつら待ってんだろ」
「え~」
「……お前も今は女子高生やってんだから、少しは満喫したっていいんじゃないのか? そもそも二年から転入してきたんだ、女子高生でいられる時間もそう長くないだろ」
こいつの年齢を考えれば二年弱などという時間はあっという間に過ぎ去るに違いない。そう思うと、少しでも楽しい思い出になる方がいいんじゃないかと考えてしまう。例えここへやってきた理由が俺目的だったとしても、だ。
「でもセンセ──」
「ミキ~、早く行こ~!」
鬼村が何かを言いかけた時、廊下から名前を呼ぶ声がした。鬼村を待っている二人のうち片方の、緒方だ。
「愛結が打ち上げの前にドラコス見に行きたいってゆーからぁ~」
「凛菜が言ったんでしょ。駅前のマシキヨでクーポン使いたいって」
「あー待たせてごめーん、今行く!」
鬼村は緒方と佐嶋に対して声をかけると、今一度俺を見た。
「じゃあ、遊びに行ってくる」
「おう」
「センセ、おうちで待っててね?」
「お前、何時まで遊んでるつもりなんだ。俺より早く家に帰れよ」
「ええー」
不貞腐れたような表情をすると鬼村は教室を出て行った。
「ミキは~、なんか見たいのあるぅ?」
「あたし新しい下着欲しいかも」
「あは、勝負下着~??」
緒方と鬼村の会話が廊下に響き渡った。──そういう話をでかい声でするな。デリカシーを装備しろ。思わず頭を抱えたくなったが、代わりにあの中で一番常識人であろう佐嶋が二人を抑えてくれるよう心の中で祈った。
「……ミキ、今の絶対桃間に聞こえてるって。もうちょっと恥じらい持った方がウケるよきっと、だってオッサンじゃん」
──前言撤回。俺は廊下に出るとピシャリと教室の扉を閉めた。
***
今日はどの部活も原則休みだ。その為早くに仕事を終えて帰っていく先生も多い。俺もなるべく早く帰りたいもんだと思いながら、少しずつ人が減っていく職員室で仕事をしていた。時計を確認する。なんだかんだでもう短針は七を通り過ぎたところだ。時間が経つのは早い。
椅子の背もたれに体を預けてうんと伸びをしていると、背中が叩かれた。
「桃間先生、まーだ仕事してんですか?」
河原先生は自分の席に着くと、呆れたようにため息を吐いてみせた。
「あー、もう少しで終わるんで」
「そんなこと言ってぇ、みんな帰っちゃいましたよ?」
「え?」
と、辺りを見回す。さっきまで何人かはいたと思ったのに、今は誰一人いない。フロア全ての電気がついているのがやけに物悲しい。
「……?」
「ほらほら、もう僕たちも帰っちゃいましょ! 守衛さんもきっと怒ってますよ~」
「あ、ああ……」
急な出来事に頭がついていかないものの、俺は帰り支度を始めた。河原先生はもう準備が済んでいるのか俺の横に立って律儀に待っている。
「……先に帰っても大丈夫ですよ」
「え~、いいじゃないですか一緒に帰りましょうよ~」
俺が荷物を持ったのを確認すると、河原先生は俺の先を歩いた。ガラガラと音を立て、職員室の扉を開ける。そして明かりを全て消した。
「桃間先生は熱心ですね~、こんな時間までお仕事なんて!」
「あ、あー……そう、ですか?」
階段を降りて行く河原先生の後頭部を見つめながら、何か違和感を感じた。ふと左腕に着けている時計を確認する。
──もう八時を回ってる?
「それにしても桃間先生は案外不用心だ。ちょっと真似ただけで信じちゃうなんて。
まあそこが、人間の愚かで可愛いところなのかな」
「……お前、河原先生じゃないだろ」
俺は次の階段を踏みしめる前に、ポケットの中の煙草を取り出した。と、同時に、河原先生が振り返った。
──目を真っ赤に充血させた、河原先生の見た目をした何かが。
『馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ! 簡単に騙された! ここを安全地帯だと思い込んでいた! 山の神とやらはお前を守ってはくれないぞ!』
河原先生だったものは内側から何かがぶちぶちと皮膚を突き破り、その正体を現した。
俺はそいつを見下ろしていたはずが、今や上を見上げている。
大きな大きな大男が、
俺を見下ろし手で押しつぶそうとしてきた。
「なっ……!」
慌てて飛び退いたものの、床に思い切り体を打ち付け擦れた皮膚は摩擦による熱が走った。痛みを堪えながら敵の方を見ると、大男はゆっくりとこちらを振り返る。
「 待 ぁ て ぇ ~ 」
「くそっ……!」
三匹を召喚する為慌てて煙草をくわえたが、肝心のライターが見つからない。どのポケットを探っても、無い。
「……!!」
もう一度大きな手が大きく振りかぶった。壁を突き破り、床を叩き壊し、瓦礫だらけのその場所で俺はあっちこっちへと逃げ惑った。逃げることしかできないが、相手の図体は大きく動きものろい。これなら校内を走り回っている間にライターを見つけられるはずだ。
「リュックの中、は……無い!? くそ、職員室か!? それとも準備室!?」
記憶には無いが、無意識にどちらかのデスクの上に置いてしまったのかもしれない。一旦上に戻るか? 中央階段は先程の大男の攻撃で崩れ、もう登れそうに無い。西階段を使うしかない。
「今日はやたらと運動させられるなちくしょう──!!」
大きな体で這い回ってくる敵の攻撃を気にしながら廊下を奥まで突っ走り、西階段までどうにか辿り着く。ここからなら準備室の方が近い。が、鍵を開ける手間を考えれば、職員室一択か……!?
「~~っ、靴擦れしてる足で走んのきついんだよ!」
足の痛みだけではない、擦れたり打ったりしたせいで全身が痛い。ただ今は痛みなんて気にしてられなかった。職員室までとにかく走り抜ける。
見えてきた『職員室』の札に安堵し、俺は急いで戸を開けた。電気はついていないが外の月明かりでどうにか見える。自分のデスクまで行く間に、背後では職員室の入り口付近が大きな音と共に破壊された。振り返っていられない、デスクの上にライターは……あった!
一瞬後ろを確認する。が、破壊されたその場所からぬっと姿を見せたものに、俺は思わず硬直してしまった。
「……っ、さっきは、大男だっただろ……!」
今俺の目に映るのは、大きな、ムカデ。何十本と並ぶ足がそれぞれ意思を持つようにうねっていた。
「……あっ」
焦った俺の手がライターにぶつかり、遠くへ飛んで行ってしまった。
「待っ……!!」
ライターを拾いに行こうとしたものの、大ムカデは職員室中のデスクをなぎ倒しながらこっちへやってくる。その津波のような状況に俺は慌てて奥へと走った。
どうする、もうライターを拾うのは無理だ。
どうやって逃げ出す。
学校外へとにかく出ればいいのか?
でも、あの大ムカデの姿じゃさっきよりも移動速度が速い。
障害物があるおかげで今どうにか逃げられてる状況だ。
どうする。
どうすりゃ……
職員室を出て廊下を走りながら、俺は痛みを感じるほどに奥歯を噛み締めた。
「や、るしか、ねーだろ……!」
障害物の無くなった廊下を、大ムカデはもうスピードで追いかけてきた。俺は振り返りざまに覚悟を決めて意識を集中し、具現化した刀を握る。
大ムカデが体を大きく起き上がらせ、俺に向かって突進してきたその時だ。
「……っだあああああ!!」
スパンッ──と、ムカデの一部が刀によって切れた。ぼとりと落ちたのは、頭部だ。しかしそれと同時に……甲高い獣のような鳴き声が廊下中に響いた。
「!?」
頭部が切られた大ムカデはそこにどさりと体を横たえると一瞬にして──五匹の狐に姿を変えた。
「……狐?」
俺が肩で息をしていると、辺りは急に学校ではなく外の見知らぬ場所へと変わっていく。いや、知らない場所じゃない。木が生い茂っていてわかりにくいが、多分学校の裏手辺りだ。風向きのおかげか遠くで電車の走る音が聞こえ、木々の向こうにわずかに遠くのビル群が見えた。
五匹の狐は何かを囲うようにしている……よく見ると、一匹の狐がうずくまってそこにいた。かと思うとむくりと起き上がりこちらを見ている。
「……?」
起き上がった狐の口元には、
前足が一本咥えられていた。
三本足になった狐の周りを囲うようにして……六匹の狐は林の奥へと走り去っていく。
「………」
呼吸が早くなる。
──ざわめく葉擦れの音が、俺を急き立てている気がする。
呼吸が早くなる。
──虫の姿なら切っても罪悪感がないと思っていたのか?
呼吸が早くなる。
──前足の綺麗な断面が、脳裏に染み付いて離れない。
呼吸が、
「はっ、はっ、はっ……………うぷ」
尻もちをついて見えたのは、切り傷や泥でぼろぼろになった上靴だった。




