第45話 刀は使えない
「たっだいまぁ~、打ち上げちょー楽しかっ……あれ」
センセーの部屋のドアを開けてすぐ、あたしはぼろぼろの靴があることに気が付いた。これ多分、買ったばっかの上靴じゃなかったっけ。
「センセぇー?」
部屋の中を進んでく。いつもなら「ただいまじゃないだろ」ってすぐに文句が聞こえてきそうなもんなのに。そういえばドアに鍵がかかってなかった。
「……?」
奥まで行って、ようやく中の様子がわかった。センセーは火の点いてない煙草をくわえたまま、壁にもたれて座ってた。テレビは点いていないのにぼんやり真っ暗な画面を見つめてる。と、ふいにあたしを見上げた。
「……鬼村か。打ち上げ、終わったのか」
「うん。……センセー顔色悪いよ、どしたの?」
センセーの前にしゃがみ込んで、顔を覗き込む。センセーの虚ろな目だけがあたしを見た。元気ないのかな、と思って頭をそっと撫でてみた。いつもなら手で払ったりしそうなもんなのに今日はだんまり。嫌な予感がした。
「もしかして、何かに襲われた?」
「……ああ、俺の背より数倍ある大男と、大ムカデだ」
「ええ、何それ。そんな妖怪いたかな」
ちょっとだけ考えたけど、それっぽい姿は頭に思い浮かばない。センセーは口にくわえてた煙草を取ると、そのまま手をだらりと床に置いた。
「でも、切ったら狐だった」
「狐? ……あ、化け狐かぁ」
納得した。大男も大ムカデも、化け狐の変化だったわけだ。でも一匹で? 脅威になる程の変化になるかな?
センセーはしばらくだんまりだったけど、それから長いため息を吐いた。眉間に皺をぎゅーって寄せて。
「もう、刀は使いたくない」
「ええ? どしたの。刀はセンセーの身を守るものじゃん。お供三匹と護身用のそれがあるから……」
「護身用? 切れ味が良すぎて簡単に腕一つ切り落とせるあれが護身用?」
ははは、ってセンセーは乾いた笑い声を上げた。
「俺はただの高校教師だぞ。これまで命のやりとりなんてしたことのないただの平凡な人間だ。動物の死骸が道端に落ちているのを見るのでさえ忌避したくなるし、葬式に出ればやるせない気持ちに心臓が締め付けられることもある。だから、死にしろ、戦いにしろ、そんなものは永遠に非日常だ」
「今はもう日常だよ」
あたしが答えたら、センセーは沈んだような目で見て……瞼を下ろした。
しばらくの間黙り込んでたけど、乾いた唇がそっと開いて「そうだよなぁ」って呟いた。
「……もう、これが日常か。でも切った相手にあんな目で見られるのは……ちょっと、きついな」
「大丈夫?」
「大丈夫なわけねーだろ」
大きなため息。
あたしは今日の戦いを見てないからわかんないけど……結構、精神的にきてるっぽい。こんなに弱り切ったセンセー見るの初めてかも。疲れてるセンセーはしょっちゅう見るけど。
「……元気ないならぎゅってしてあげよっか?」
「いらねーよ馬鹿」
「ほんとに?」
あたしが訊いたら、うっすらセンセーの目が開いた。
──ほんとに?
だって、めっちゃ不安そうじゃん。
怖い怖いって、子どもみたいな目が言ってるよ。
ほんとにぎゅーしなくていいわけ?
やっぱり今日、打ち上げなんて行かなきゃよかったかな。
これからは
ずっとあたしが
センセーのこと守って──
「──これが日常なんだってんなら、俺がどうにかしねーとだろ」
沈んでた目が、諦めたように細くなってあたしを見る。
口元がうっすら笑った。
「……センセ、思ってたより強いんじゃん」
「はあ?」
──その時、あたしのスマホが鳴った。
「あれ、電話だー」
「はあー……俺はシャワー入って来るから自分の部屋帰れよ」
そう言うと先生は立ち上がった。あたしは着替えを持ってお風呂場に行くセンセーの後ろ姿を見つめてたけど「見てねーでさっさと帰れ!」って言葉で仕方なく部屋を出た。
未だになり続けるスマホの画面を操作して、外廊下で受話ボタンを押す。
「はいはーい」
『んもー美鬼さん出るの遅いですよう、切っちゃうところでした!』
聴こえてきたのは、獏の夢子ちゃんの声。相変わらず声が元気。
「ごめんって」
『前に言ってた件ですが、再来週の土曜辺りにはお伺いできますよぉ~♪』
「マジ? ありがとねー」
そういえば夢子ちゃんにセンセーの夢見てもらうんだったっけ。あーでも今は……先にこっちの方が大事かも。
「ねー夢子ちゃんさぁ、かまいたちの知り合いこの辺にいない?」
『この辺……丘山にですか? 別に知り合いって程じゃないですけどぉ~、めんどくさいおじさんならいますよぉ』
「めんどくさい? 気難しいみたいな?」
『あーまあー……美鬼さんなら大丈夫じゃないですかね、強いし。長いものには巻かれるタイプですよ多分』
「ふぅ~ん」
『かまいたちに用事なんて、何かあったんですか? 美鬼さん得物変えるんです? 愛用はあのでっかい金棒ですよねぇ?』
「そう~、あれが一番しっくりくるんだよね~鬼だし」
『鬼だし(笑)』
「何笑ってんの?」
やたらおかしそうな声がスマホの向こう側から聞こえてきて、この子のツボよくわかんないな~と思った。
「センセーの刀がさぁ、めっちゃ切れるから怖いって言ってて~」
『え、切れなくしたいってことですか? 噂には聞いてますけどヤバイ刀ですよね? どうやって刃こぼれさせるんだろ』
「じゃなくてさぁ」
ちょっとあたしが考えたことを説明すると、夢子ちゃんは『ああ~』と納得したみたいな声を上げた。
『なるほどぉいいじゃないですか! これで私もうっかり切られる心配もなくなるってわけですね~』
「うっかりで切る程センセーも馬鹿じゃないと思うんだけど」
『おおっとごめんなさい。そういえば美鬼さんは桃間の人間にゾッコンなんでしたよねぇ。私は取って食べようなんて考えちゃいないので安心してください!』
「心配なんてしてないよ、強くなりたがる獏なんて聞いたことないし」
『それもそうかも~! 私ら獏はただの食いしん坊なんで~!』
あっははははと大きな笑い声に、あたしはスマホから耳を遠ざけた。ひとしきり笑い声が止んだところで、夢子ちゃんが話し出す。
『それじゃあ、桃間の肉ではなく桃間の夢をぺろりと味見しに再来週お伺いしますね♪ ではでは~!』
──あっという間に通話が切れる。こっちの反応も待たずに。まあいつものことだし夢子ちゃんの話が終わったら即終了なとこ別に嫌いじゃない。
あたしはくるっと体の向きを変えてセンセーの部屋のドアを開けた。シャワーの音が聞こえる方に歩いて行って、そこで、ぴたりと止まる。
──ガラッ
「センセー! 明日刀の鞘作ってもらいに行こ!」
お風呂場の扉を開けたら、センセーはめっちゃ驚いた顔してた。
「ばっかやろ……! 開けんなっつってんだろ!!」
そう言ってせっかく開けた扉閉められちゃった。ちぇっ。
「──って、鞘……?」
扉越しに聞こえてきた声に「うん、鞘」って答えた。
「鞘があればさぁ、相手を切っちゃう心配もなくなっちゃうじゃん?」
「そうか、いいアイデアだな」
「だから明日さっそく行ってこよ! 善は急げって言うでしょ?」
「ちっ、わかったよ。つーかお前は俺がシャワー入ってる時くらい黙って待ってられねーのか!」
「待ってらんな~い。開けてい? ぎゅーしたくなっちゃった」
「いいわけないだろ!?」
センセーは怒ってもう話さなくなっちゃった。
あたしは仕方なし、壁に背中をくっつけてそこに座り込む。
ぎゅーしたくなっちゃったのはほんとだよ。
だってセンセー、力はあっても、ただの人間で、こっちの世界のことなーんにも知らなかったじゃん。
できれば関わり合いたくないみたいの、透けて見えてたし。
なのにさぁー、
『──これが日常なんだってんなら、俺がどうにかしねーとだろ』
あんなふうに言われると
少し期待しちゃうよね。
「そうやっていつかあたしにも近づいてくれるかなって」
──シャワーから上がったセンセーが扉を開けてまた叫ぶのを期待して、あたしはそこで待つことにした。だってあの筋肉と骨って感じの身体、もっかい見たいじゃん?




