第43話 ようやく
腹のあたりがじんわりと温かい。
眠りから醒めて目を開けたと同時にアラームが鳴った。音の出どころはどこかと手で探ろうとしていると、アラームの音が止む。
「……おはよ、センセ♡」
横を見れば鬼村がにこりと笑って身体を横たえている。片方の手は俺のスマホを握り、もう片方の手は俺の腹の上に置かれたまま。
──病院で俺の身体の『治療方法』を教えられてから今日で二度目の朝を迎える。鬼は眠らなくてもいいらしく、俺に二日も続けて夜通し妖力を流していたことになるが……疲れはしないのだろうかと少し心配になる。あと、寝ている俺に何かしでかしてやいないかということももちろん心配だ。
「おはよう、もう大丈夫だ。ありがとうな」
「あれー今日は素直だね。昨日の朝なんて起きた瞬間テンパってバタバタしてたのに」
「昨日は顔が近かったんだよ! 顔が!」
身体を起こすと伸びをした。だいぶ軽い気がする。こいつのおかげなんだろう。昨日まであった痛みやだるさはもうない。立ち上がって体を捻ると腰がゴキゴキと鳴った。
「ねーセンセー」
「ん?」
「センセーは今日出るの?」
「んー……」
俺は生返事をしてテーブルの上の煙草を拾い上げると換気扇の下へと向かった。
「さあなー、まあ一応準備はしてあるけど」
そう答えて、煙草の先に火を点ける。深く吸い込むと、換気扇へ向けて煙を吐き出した。
今日は金曜日、いつもと違って一日授業はない。その代わり少々面倒な日だ。
「……上下ジャージで行っていいからラクだけどな~」
***
「桃間先生、ようやく準備されたんですか」
職員玄関の窓口がガラリと開いて、中から山上さんが顔を覗かせた。目線は今しがた俺が鞄から出したものに向いている。
「いやあー……さすがに今日スリッパでいると生徒から文句言われますから」
「私も文句は再三言ってきたつもりですが」
「あはは……」
苦笑いしながらも、俺は外靴から新品の運動靴に履き替えた。
今日はうちの高校の体育祭だ。もちろん生徒たちの為の行事ではあるものの、担任や副担任を助っ人として使うことも認められている。俺も残念ながら二年四組の担任である為、助っ人に駆り出される可能性はゼロじゃない。
「とりあえず体育祭の前に体調戻ってよかった」
履いた靴の先でトントンと床を蹴る。ジャージ姿は身軽でいい。毎日これで出勤したいところなんだけどなぁ。
「桃間先生おはようございま~す!」
後ろから声をかけられ、振り返る。振り返らなくてもわかってはいたが、河原先生だった。彼もまたジャージ姿。俺のより少しデザインがお洒落なやつだ。
「河原先生ってどっかのクラス担当してましたっけ?」
「いやー、一年二組の副担の代わりにって頼まれちゃって~。なんか浅見先生出張らしいんですよ」
「運動好きなんだから丁度いいじゃないですか、趣味はジム通いでしたよね?」
「いやあそれが僕球技はてんでダメで……あ、山上さんおはようございま~す♪」
ちょうど窓口を閉めようとしていた山上さんへ、河原先生はにこやかに挨拶をした。山上さんは眉をひそめて「おはようございます」と返すとぴしゃりと窓を閉めた。
「ツンケンした女の人って可愛いですよね~」
「なんですかそれ」
「あ、鬼村ちゃんは僕相手だと結構ツンケンしてますよ? もー尖りまくり!」
「どうでもいいです」
河原先生の女好きを改めて目の前にし俺はため息を吐いた。この人ほんとに仕事しに来てんのか?
「桃間先生は~、球技得意です?」
職員室に向かいながら河原先生が俺に訊いた。
「中高はバスケ部でしたよ。大学ではフットサルとか遊びがてら顔出してましたね」
「えーめっちゃ運動するじゃないですか~。今はやらないんですか?」
「全然やりませんよ。今日体動くかも微妙です」
「もういい歳ですもんねぇ」
「それはあんたもだろ」
嫌味な男だと思いつつ、辿り着いた職員室の扉を開けた。
***
去年は担任も副担任も受け持っていなかった為、体育祭の日はそう忙しくもなかった。だが今年は手伝いでタイムテーブルを作り、体育委員の生徒とやりとりすることもあった。今日に至ってはうちのクラスの生徒に引っ張り出されることとなる。
事の発端は朝のホームルームの時生徒たちから──
「桃間先生はサッカーできんのー?」
「少しな、期待するのはやめろ」
「じゃあバレーは~?」
「昔体育でやったのが最後」
「ねーバスケ! バスケは!?」
──などと質問攻めに遭い、
今、
まさに体育館で、
新品の運動靴のせいで靴擦れを起こしそうになっている。
「桃間先生パース!」
「パスすんじゃねぇお前がいれろバカ!」
「先生入れて~!!」
「お前ら自分たちでどうにかしろよ!?」
体育祭は自分が入っている部活の種目には出られない。その為今俺が出ているバスケの試合には現役バスケ部はいない。それが救いだったか、俺はどうにか相手チームの妨害をくぐりながらシュートすると、ボールはゴールへすとんと入っていった。
バスケをするのなんて何年ぶり……いや、もう十年以上ぶりだろう。体がどうにか悲鳴を上げないのは、ここ最近の人ならざるものたちとの戦闘のおかげか。
「センセぇ~!!」
試合が終わってすぐ、鬼村が駆け寄ってきた。他のクラスメイトたちと一緒に試合の応援に来ていたらしい。
「すごいね! めっちゃ上手いじゃん!? センセーがあんなに動けるなんて知らなかった~!」
「はいはい、でもバスケの助っ人はもうできないからなー。そういうルールだ」
助っ人教師は、1種目につき1回のみ利用可能である。これでおしまい、と思った俺は痛む足を気にしつつ職員室へ戻ろうとした。いや、その前に保健室で絆創膏をもらっていこう。
「鬼村は自分の試合まだか」
「あたしは次の次~。このあと男バレの試合やってから~」
男子バレーの試合も、うちのクラスだろう。試合があるなら全部見てから行く方がいいか。俺、担任だもんな。
「ほら、鬼村はあっち戻れ。俺といたって仕方ないだろ」
「えーセンセーと一緒にいる方がいい」
「俺は一旦保健室行ってくるから、ちゃんと応援してなさい」
「はーい」
鬼村の後ろ姿を見送ると、俺は体育館を後にしようとした。……が、体育館のもう半分の面の方から男子生徒が走ってくる。うちのクラスの大戸だ。このあとバレーの試合に出るはずだが。
「どうした?」
「松原の奴がなんか足ひねったとか言っててさー、桃間先生出てくんない?」
……助っ人教師のルールは、1種目につき1回のみ可能。俺はまだバレーには出ていない。靴擦れが気になりつつも、俺は諦めてバレーのコートへと向かった。
「松原には保健室行くように言っとけー」
「やった! みんなー、桃間先生出てくれるってー!!」
俺の参戦に生徒たちが沸き立つ。お前ら、いつも俺の授業のことぐちぐち言ってんの知ってんだからな。こういう時だけテンション上げやがって。……そう思いつつも、楽しげな生徒の様子にはつい笑みが浮かんでしまう。きっとこれが思い出になるんだろ。楽しめよ、少年少女。
──と、おっさんじみたことを思っていると視界に入ってきたのは……河原先生だった。どうやら相手チームの助っ人をするらしい。
「……あれぇ、桃間先生じゃないですか~!」
ネット越しに俺に手を振る河原先生。応援に来ている女子たちから何故か「きゃあ」という声が上がる。河原先生がネットに近づいてきた為、俺もそこへ足を運んだ。
「いやー生徒につかまっちゃいまして、助っ人参加ですよ~」
「球技苦手とか言ってませんでした?」
「すっごく苦手で~す」
「まあいいんじゃないですか、生徒が頑張ればいいわけだし」
「えー、でも桃間先生が相手なら僕頑張りますよ! 負けたくないですからね!」
「何だそれ」
審判を担当している生徒から、そろそろ試合を始める合図があった。俺はうちのチームの生徒に聞いて、指定位置に立つ。相手チームの応援をしている女子たちの甲高い声が響いた。どうやら河原先生を応援しているらしい。と、それと同じくらいの声量で鬼村の声が聞こえてきた。
「センセー! 河原の顔面にボール叩き込んじゃえ~!」
どういう応援だ、一年女子から睨まれてるぞ。
試合が始まり、相手チームからのサーブが俺の方へ飛んできた。よっ、とレシーブすると、上手く他の生徒へボールが繋がっていき、ボールは相手コートへと入った。相手チームの生徒がボールを拾う。さらにそれを繋ぎ、ボールは河原先生の元へ──
思いもよらぬ方向へふっ飛んでいくボールを見て俺は悟った。
──河原先生、本当に球技苦手なんだな。
一年女子生徒たちの落胆の声と共に、男子バレーの試合は俺のクラスが勝ち取った。




