第42話 神か妖怪かあるいは
「──っ、ぉご、げほっ!!」
「大丈夫大丈夫だからね~」
「かはっ……おぇぇ──っ!」
体中に蔓延する煙のせいで呼吸が浅くなり、吐き気を催す。水ではないのにまるで溺れるような感覚に俺は喉を掻き毟ろうとした──が、この悪魔のようににこやかな笑顔を浮かべる医師(妖怪)によって俺の両手は封じられる。
俺は今一体何をされてるんだ。
このまま殺されるのか?
鬼村は何故俺を助けない?
死んだら困るんじゃねーのかよ。
視界の端が煙る。多分、目の端から煙が漏れ出ているんだろう。明らかに俺の中に納まる量の煙ではなかった。あの看護師は一体なんの妖怪だったんだ?
「……はい、もう終わりだよ」
尼野先生の声が聞こえたと同時に、俺の呼吸は急激に楽になった。涙が滲む視界には、先ほど煙となっていた看護師が、元の姿に戻ってそこに立っている。
「センセ……っ」
鬼村が俺の横に座り込んで顔を覗き込んで来た。──少しばかり、泣きそうな顔をしてる。
「大丈夫だった?」
「……大丈夫かって言われると、大丈夫ではねーけど……」
弱い呼吸をしていると、鬼村の手が俺の胸を撫でた。幾度かそうされていると、呼吸が正常に戻っていく気がする。
尼野先生は「少しそこで休んでてね」と言うと看護師と共に奥へいなくなってしまった。
「さっきのあれ……なんだったんだ。ほんとに検査か……?」
「検査だとは思うけどー……あたしもあんなことされたことないからびっくりしちゃったな」
「大体、あの看護師……なんの妖怪だよ」
「煙羅煙羅だね」
「えんらえんら……?」
「んー、煙の妖怪かな」
煙の妖怪。確かに体が一瞬にして煙になった。毎日煙草吸ってるわけだから煙を肺に入れるくらいどうってことないが……今のは全身を煙が流れていった。多分細い血管に至るまで、だ。吐き気を感じたのは今にして思えば胃カメラの時と似たようなもの……なんだろうか。さらに胃の内部以外にも普段人に触られるようなところじゃない場所を這って回られるような感覚は思い出しただけでも背筋が震える。
「……センセ、こないだも気持ち悪かった?」
鬼村の要領を得ない問いに、俺は言葉が出なかった。こないだ?
「──桃間さん桃間さん、いやぁこれはすごい! 面白いものを見せてもらった!」
尼野先生のやたらと明るい声が聞こえ、俺はいくらか回復した体を起こした。鬼村は立ち上がったかと思うと、俺のいるベッドに腰かけている。
「いやーレントゲンと違うから写真なんかはないんだけどね? ちょっと説明させてもらうよ」
「はあ……」
「ああそうか、まずは彼女について説明しようか」
そう言うと尼野先生は隣に立つ看護師をちらりと見てから言った。
「彼女は煙羅煙羅の煙道早羅ちゃん。煙道さんって呼んでね」
「エンドウさん……?」
「煙の道で煙道さん。彼女は煙になって体の内部に入ることで桃間さんのどこがどう悪いのかや、どんなふうに体を制御しているのかを視てくれたんだ」
「そんなことができるんですか。……待ってください、じゃあ俺が煙草の煙で召喚できる三匹も、俺の体の中を見れるってことですか? 風邪引いた時とかどこが悪いとか……」
つい浮かんできた疑問が口をついて出てしまった。が、煙道さんはゆっくりと首を傾げた。
「知識があって視るのと視ないのじゃ、違うわ。あなた、レントゲン写真見て何かわかるの?」
「……いえ、わかりません」
「そうよねぇ」
柔らかい物言いだが、かなりきついことを言われたように感じる。俺は自分の浅はかさを恥じた。そこへ割って入るように尼野先生が口を開いた。
「彼女は視たものを煙によって再現してくれるからとても助かってるよ。それじゃまず、天狗と戦って体が不調と言ってたねぇ。これはどうやら内臓の損傷、といったことではなくてね。まあ、いわゆる障りってやつだね」
「さわり……?」
「天狗の妖力に当てられた、ってことだね。君の体を巡っている妖力のバランスが崩れて疲労がなかなか抜けないってこと。でも同じ部位に鬼の妖力も感じるんだけど、これは君の?」
尼野先生の目が、鬼村へと向く。鬼村はきょとんとした顔をしていたが、ふと理解したように手を叩いた。
「あたしあたし。センセーがあんまりお腹痛そうだったからよしよーしって撫でてあげて、あたしの力分けてあげたの」
「そうか、それで少しは抵抗できてたってわけだねぇ」
「……天狗の妖力は害になんのに、こいつの妖力はそうじゃないのか?」
俺の疑問に、尼野先生は大きく口を開けて笑った。一瞬、その大きな口がクチバシに見えた気がして俺はしばし瞬きをした。
「気の持ちよう、って感じだよ。攻撃の為に使うのか、癒しの為に使うのか。君たち人間の手だってそうじゃないの?」
「え?」
「殴れば相手を傷つけるし、優しく触れれば相手を癒すだろうに」
「………」
なるほどそうか、とすぐには頷けないがそういうことにしておく。
「ともかくそういうことなら毎日この子に妖力を分けてもらうのが一番手っ取り早いんじゃないのかなぁ。ああ、もしできるならその天狗に回復を手伝ってもらう方が早いよ。天狗の妖力が悪さしてるんだ、打ち消す為には本人がやってくれる方がいい。どう? 仲直りはできてる?」
「仲直りって……できてますけど、毎日アイツに体触らせろってことですか。男に体べたべた触られんのはちょっと」
「あらそう。まあ奥さんがいるならそっちの方がいいよねぇ」
「奥さん?」
同じ言葉を繰り返す。そして嫌な予感がしてちらりと視線をずらした。
「──うん、あたしいるから全然オッケー♪」
「お前奥さんっての否定しろ!!」
「おやぁ? この鬼さん、桃間さんの奥さんじゃないのかい? 鬼を妻になんてどうかしてるとは思ったけれども」
「ちょっとおじさん! どうかしてるってどゆこと!?」
鬼村は怒ったように立ち上がったが「大丈夫だ、お前はどうかしてるよ」と俺は呟いた。
「ともかく、天狗の打撃で受けた傷自体はもう回復しているし体内の妖力が消えるのを待つだけだよ」
「回復してる? あんだけ重い攻撃食らったのに、そんな早く治るもんなんですか?」
「あはははは、普通そんな早く治るわけないじゃないか」
尼野先生はまた笑った。それからじろり、と俺の目を見る。
「いやあすごいすごい。ほんとにすごいよ桃間さん。大抵の傷ならすぐ治る。ひどい致命傷でない限りは重傷になることもない。とにかくとびきり頑丈な体ってわけだ。鬼にも匹敵するね! 風邪もめったに引かないんじゃないかい? 病気になったこともないだろう。君の体はダイヤモンド並みに硬くて、SP並みにウイルスの侵入を見逃さないってわけさ!」
「ええ……?」
「体の中を巡る君の妖力は人間とは言えないくらいに濃く、量も多くてね。早羅ちゃんもさっきドン引きしてたよ! 『あれは神か妖怪じゃないんですか?』ってね。いやあおもしろいおもしろい! それでだ」
尼野先生は腰かけていた椅子から立ち上がると──俺の両肩を鷲掴みした。
「君の心臓は、その力全てを制御する中枢だ。これを食べれば確かにとても強い力を手に入れられるだろう」
尼野先生──いや、妖怪アマビコの目がぎょろりとする。
「『桃間を食べれば強くなる』はただの噂なんかじゃなく、事実だったってわけだ。今や君は私からすれば芳醇な香りが立ち上り甘い果汁が滴る甘美な桃だ。知れば誰もが食べたがる。誰もが喉から手が出るほどに、いや、君の喉へ手を突っ込むほどに欲しがるだろう」
ぎょろぎょろ、と左右に目玉が動くと瞼が閉じられ──尼野先生はゆっくりと目を開けた。
「とはいえ、それは制御できたらの話だ」
俺から離れると元いた椅子にすとんと腰を下ろし、尼野先生はデスクに頬杖をついた。
「なぁに、どれだけ美味しそうだと言ったって私は君を食べようとなんてしないよ。そんな力よりも自分の身の方が大事だもの。──だからその刀はしまってね」
そう言われ、俺は止めていた息をようやく吐きだした。
きつく握り締める両手の中には、先祖から受け継いだ刀。
傍に立つ鬼村は血管の浮き出る手をゴキゴキと鳴らしていた。
「……本質を知って尚、君を食べようと考える妖怪なんてのは、一握りなんじゃないのかなぁ」
「どういうことですか」
「うん。君、『これを食べたらすごく強くなるんだよ』って目の前に出された食べ物が棘でいっぱいだったらどうする?」
「………」
「ああもちろん素手でそのまま食べるんだ。道具を使って棘をそぎ落としたり調理するなんてことできないよ。……食べる?」
「食べません」
「そうだろう、私も食べないよ。口の中が痛くなるのは目に見えてるし、どうにか腹に収めたって消化するまでに何日も苦しむことになりそうじゃないか。さらにはそのせいで命を落とすなんてことも有り得るよね。……君たち人間や鬼と違って我々は死なないけれど。また形を取り戻した時痛みも同時に取り戻すんじゃやってらんないね。いつか消化できるかもしれないけれど……それが一体いつになるか見当もつかない」
尼野先生はスゥー……と、細く長いため息を吐いた。俺も同様に、少しだけ早まっている鼓動を落ち着かせる為に深呼吸をした。
「君の心臓はそういうものだ。あまりにも妖力が強大で私らのような力の多くない妖怪たちにとっては劇薬だ」
「……はあ」
「とはいえ、劇薬だとわかるのは今日みたいに体の中を探った時くらいだ。妖怪なら君を一目見ただけで噂の桃間の人間であることはわかるから、取って食べてやろうっていう奴はいくらでも出てくるだろうが……半端な妖怪にはおすすめできないなぁ。こりゃ反対の噂でも流した方が良さそうだ」
「反対の噂?」
俺が訊くと、尼野先生は「ふぅん」と考えるような声を上げ、顎のあたりを撫でた。
「桃間を食べれば体が爆発して一生復活できないぞ~、とかどうかなぁ。復活できないって文言は妖怪にはかなり効くからね。みんな鬼の二の舞にはなりたくないんだ」
この話題は鬼村が嫌な気はしないだろうかと様子を伺ったが、表情は読み取れなかった。諦めてまた前を向く。
「──とまあその辺のことは私に任せておくれ。妖怪が医者なんてやってるくらいだ、元より慈善事業は嫌いじゃないんだよ。桃間さんは他に気になるところはあったかい? 今なら何でも答えられるよ」
「気になるところか……」
俺はしばらくの間頭の中でこれまでのことを思い起こしてみた。せっかく自分の身体を調べてもらったんだ。何か聞けることがあれば──
「ねーうちのセンセー呪いのせいで全然勃たないらしいんだけど-、そーゆーのもわかんの?」
突然の鬼村の発言に、俺は体を硬直させてしまった。
「……おいやめろ」
「呪い??」
「そー。なんかね、EDなんだって」
「鬼村!!」
「あ~……」
尼野先生は少し体勢を変えると腕を組んで、首を傾げた。
「そうそう、そうだったね。桃間さんね、ちょっと可哀想なことになってるよ。人間は生殖行為でしか子孫を残せないのにねぇ。あ、今は人工の手段があるか」
真面目に取り合われ、俺は両手で顔を覆う。恥ずかしいことこの上ない。いや、この場に俺一人ならまだいい。なんでこいつがいる時に。
「残念ながら男性器が勃起しないっていうのと、あとはー……無精子症だね」
「無精子症ってなに~?」
「桃間さんが出したものじゃ子ども作れないってこと」
ため息を吐いた。
子どもが作れないから、じゃない。
……羞恥心からだ。
「ねぇそれも呪い? それともセンセー自体が原因?」
「鬼村ァ……」
俺は今すぐにでもこいつを呪いたい気持ちで呼んだ。が、気にする様子はない。尼野先生も淡々と話を進めている。本人を置いといてこいつらよぉ……。
「呪い……かどうかはわからないけれど。何らかの力が加わって実際とは違う状態にされてるみたいだよ」
「ねー体ん中覗いたんなら誰がかけてる呪いとかわかんないの? あたし呪いかけてる奴ぶっ飛ばしに行きたいんだけど」
「桃間さんの中で感知できたのは桃間さん自身の妖力と、他には天狗と君のだけだ。それ以外には何もなかった。だから呪いと断言はできないなぁ」
「ええ~……??」
鬼村は困惑したような顔で俺を見てきた。確かに妙だとは思う。何らかの力が加わってるわけだから、俺の体を変化させてる奴がいることには違いない。のに、呪いとは違う? 疑問はあるが……
「──ちょっといいかい、桃間さん」
「はい?」
「この鬼さんほんとに恋人じゃないの?」
いらぬ疑いをかけられ、絞りだすような声で「違います」と答える他なかった。
「そうかぁ、ほんとに恋人じゃないのかぁ。でもじゃあなんで……」
「?」
「いやあこれ聞くの野暮だろうなぁ」
薄ら笑いで尼野先生は椅子から立ち上がった。
「さあさ、お帰り。うちじゃ診るだけでお薬は出ないけれど、治し方は教えたからね」
そう言って元来たドアへと向かうよう促された。
「あ、えっと……支払いは」
「支払い?」
訊き返したものの、尼野先生は優しく笑った。
「いいやいいや、ここでは君たちが使うお金を受け取ったりはしていないんだ。妖怪同士でそんなもののやりとりをしたってねぇ。それに支払いはしてもらっているよ」
「え?」
「君の面白い身体を知ることができたのだから、十分価値あるものを受け取った」
──ガラララ、と扉が開いた。その先には、外が見える。
「それじゃあ桃間さん、鬼さん、気を付けて帰ってね」
尼野先生が言うと、その後ろで煙道さんが頭を下げた。
俺達は外へと足を踏み出した。
地面を踏みしめ、振り返る。
「……ここ、病院の玄関前?」
「もう時間遅いから外に繋げてくれたんじゃん?」
じゃあ、夜にあの医者の診察室へ行きたい時はどこから行くんだ、という疑問は湧いてきたが口には出さずに呑み込む。とにかく今日は心底疲れた。今はさっさと家へ帰って眠りにつきたい。
「ってことでさぁセンセ」
「……ん?」
「今日からセンセーの体調が良くなるまで、あたしが添い寝してあげるね♪」
──しばしの間思考が一時停止した。何故そうなる、と声を出したかったがふと思い出す。そうか、俺の体にある障りだかってのを治す為にこいつが妖力をどうこうって……?
「いいこいいこ~ってお腹ぽんぽんしながら寝かせてあげるから~」
「……その言い方はやめろ」
「普段あたしのこと子ども扱いしてくる仕返しだし♪」
楽し気に笑って鬼村は俺の先を歩いて行った。
実際、今はそれしかこの体調の悪さを治す方法はないんだろう。頼るしかない。それにしても、この体が頑丈だなんて驚いたな。確かに風邪も病気もほとんどしたことはない、けど……。
でも、とびきり健康体とは自分では思えない。
「──健康だってんなら大学の頃から感じてるこの体の重さと、目の下のクマは何だってんだって話だよなぁ」
でかいため息を吐いていると、鬼村の手が俺の袖を引っ張った。
「センセーはやくはやく、帰って一緒に寝ないと良くなんないよ~」
「………」
「あー、その顔。『すっごくやだけど体を治すためだから仕方ない』とか思ってる顔じゃん。わかるからね?」
「……薬出してもらう方がまだ良かったよ」
「アマビコってー、確か絵を描いて貼っといたら病気になんないとか治るとかー……そんなんだったっけ?」
「じゃあ尼野先生の顔を紙に描けってことか? どっちの顔だ、妖怪の方か……?」
「センセー絵下手そ~」
「っ、おま、見てもいねーくせに!」
「下手なんだぁ~」
──けらけらと可笑しそうな笑い声が夜道に響き渡った。




