第39話 動けぬ夜に
転外界から俺達が戻る際、鬼村は「このバカはとりあえずおじさんのところに連れてって頭冷やしてもらうから」と狗谷木の首根っこを掴んで引きずるように消えてしまった。おじさんというのは、狗谷木の親代わりの天狗のことだという。土御門はというと、「今回のことは上に報告するわね、戦いのことも、結晶体のことも含めてよ」と大きなため息を吐きながら俺に言った。
「──悪いな、助けてもらって」
戻ってきてからの第一声を放った俺に対して土御門は首を振った。
「私はほとんど何もしていないわ。でもあたしも一発ぐらい天狗に攻撃を当てたかったわね。日頃の恨みを晴らすためにも」
「日頃の恨み、って……」
「さっきも言ったかもしれないけれど、私たち人間は転外界への出入りができないの。入界の札がないとね」
「大天狗が作ってる、って言ってたやつか?」
俺が訊くと、土御門はこくりと頷いた。そして校門に寄り掛かり腕を組んでいる。
「私たち陰陽師や対妖情報機関の職員は定期的に開かれる天狗会へ参加しているのだけれど、そこでは各地の危険な場所についてや、妖と人間の関わり、そして様々な事例についての今後の安全性の協議をするの。様々な意見交換が行われたあとで……最後に最高位の大天狗たちが作ったお札の即売会が始まるのよ」
「お札の即売会」
「入界の札と、そして結界の札はその中でも高額な部類よ。結界はさっき使ったものと同じで、全ての攻撃を無効化する優れたお札だけれど時間は短いわ。入界の札に至っては、一枚につき一往復! しかも一枚三万円!! こっちが人間だからって足元見て!! これじゃあ調査の度に気軽に使うなんてこともできないじゃない!」
それを聞きながら俺は思い出していた。以前『対山神戦』のことで調査に来た時のことを。俺から執拗に情報を引き出そうとしていたのは……もしかするとこの入界の札ってのを使いたくないからか……?
「そういうわけだから、貴方があんな目に遭っていなければわざわざコレを使ってまで転外界なんかに行ってなかったのよ!」
「それは……悪いな」
「悪いと思うなら三万円払ってくれるかしら!?」
「いや……それはちょっと……」
いきなり三万円払え、と言われてもそのお札が実際に三万するのかもわからないし、ここで小学生に三万円渡す大人という構図を誰かに見られようものなら何を噂されるかわかったもんじゃない。
「まあ、今度お礼させてくれ。今回はほんと助かったから」
「ふん、お礼なんていいわ! …………あ、いや、そうね……とりあえずすぐにとは言わずともいつかお礼してもらうのもありかもしれないわ」
「?」
拒否した傍から何やらぶつぶつと言い始めた土御門だったが、校門に寄り掛かっていた体を起こすと俺の前に立った。
「とにかく、今日はこれで帰らせてもらうわ。あなたは……病院にでも行くことね」
「あ、ああ……そうだな。って、いやこれ医者に診てもらうのはどうなんだ……? 殴られたわけだし、なんかいろいろ疑われそうな気も……」
「何をぶつくさと言っているのかしら?」
「あーいや、気にしないでくれ。……それじゃあ気をつけて帰れよ」
「全く、子ども扱いしないでちょうだい」
「実際子どもだろ……」
俺の言葉を無視するように、土御門は颯爽と行ってしまった。その小さな背が見えなくなるまで見つめ、幼い子供が無事に帰れるかを少し案じながら「まあ、俺よりも自分の身守れそうだし大丈夫か」とすぐに駅の方へと歩き出した。
***
「ただいまぁ~」
──玄関の扉が開き鬼村の声が聞こえた。暗闇の中スマホで時間を確認すればもう夜の十時を回っていた。
「あーつっかれたぁ~」
ドサ、と音を立てて鬼村が俺の横に寝転ぶ。布団で寝ていた俺の横にだ。
「おい、何寝てんだ」
「だって疲れた~。おじさんめっちゃ怒ってた~。説教急に始まるしあたし帰りそびれるし~」
帰宅後あまりの疲労に布団から起き上がれなくなっていた俺は、もうこいつに怒る気力もない。諦めて天井を見つめながらズキズキと痛む胃を摩った。
「そりゃ親御さんも怒るだろ。あんなことしでかして。……というか、お前に至っては殺されるところだったんだぞ」
「センセーもじゃん何言ってんの?」
鬼村の声が俺の方を向いた。顔をこちらに向けてるようだ。耳がくすぐったい。
「センセー、天にお腹殴られたんでしょ? だいじょぶ?」
「だいじょばねーよ、痛ぇわ」
俺がそう言いながら腹を摩っていると、鬼村の手が重なった。俺の手を退けるようにして──胃の辺りを撫でている。
「……ここ?」
「………」
「痛いの痛いのとんでけー」
「お前なぁ……」
やめろ、という気にはなれなかった。なんとなく心地良かったから。服越しに感じる鬼村の手は温かく、幼い頃横になっていた俺に母親が優しく布団の上から撫でてくれた時のことを思い出させる。でも、兄弟の多かった俺は風邪の時でさえ母親が付きっきりで看病してくれるなんてことはなかった。
「……あたしが小さい時はねぇ、大きな怪我をした時なんかはお父さんやお母さんがこうして摩ってくれて、妖力を分けてくれたのー」
「妖力を?」
「怪我したり死にかける時って、妖力がすっごく減っちゃってる状態なのねー。だからそれを補う為に、妖力を分けてくれる。元気な時だと力ってすぐ湧いてくるんだけどね~」
「………」
「そんでー、こうして妖力が増えてくとー……ちょっと元気になるのー。痛いのとか、収まってる気がするーみたいな?」
妖力が増える──という感覚は俺にはわからなかった。そもそも、自分の妖力なんてものを感じたことが今までになかったのだから。けど、痛みは少しだけ和らいでいる気がする。だから──
「……ありがとな、鬼村」
お礼を口にすると、少しだけ眠くなってきた。シャワーに入るのは明日にしよう。今はとにかく、休息を取りたい。
「センセー、そこは鬼村じゃなくって『美鬼』って言ってくれないとさぁー」
「……はあ?」
「名前呼んでくれる方が嬉しいのー」
「………」
名前を呼ぶくらいどうってことない。けど、呼んだらなんか負けな気がする。
「………」
「……センセ?」
「………」
「あーちょっとセンセー寝ちゃうじゃん! ねーねー名前~呼んでよ名前~~」
「……うるせぇな」
さっきまで腹と全身の痛みで寝がえりも打てなかったのが、今ようやく落ち着いて眠りにつけそうなんだ。邪魔をするな、邪魔を。
鬼村を放って目を瞑ると、俺は少しずつ意識を手放していった。
「……センセー、ねぇセンセーってばぁ」
「………」
「……寝ちゃったの? つまんない」
「………」
「もしかして、あたしがセンセーって呼ぶから、だめなのかな」
「……?」
衣擦れの音が聞こえた。鬼村が体勢を変えたのかもしれない。
俺の腹を撫でていた手が、頬を摩った。
「あたしたち、死んじゃわなくてよかったね」
──静かな声が、俺の耳に届いた。
「今回は天だったからなんとかなった……と思うんだけど、全然知らない強い奴にめっちゃ攻撃されたらさーあたしらどうなるかわかんないじゃーん」
──少しだけ困ったような、何とも言い難い声色。
「だからさー、このままもしどっちかが死んじゃうとか嫌すぎるし。やっぱちゃんとしときたいなって思うんだよね」
──ちゃんとするってなんだ?
俺は不思議に思って、重たい瞼を開けようとした。
「一樹、好きだよ」
──柔らかい感触が、俺の唇を覆った。
驚いて、目を見開く。暗がりの中で小さく笑う鬼村の顔が見えた。
「最近ようやくわかったんだ、あたし、一樹と初めて会った百五十年前のこと……あれは一目惚れだったんだって」
……百五十年前?
わけがわからず俺は訊き返そうとした。
そんな昔に俺が生きてるわけないだろ、何言ってんだ。
そう声に出したいのに。
「……っ!? ~~~~!!」
──ふっくらとした唇が俺の乾いた唇と再度接触し、
ぬるりとした熱いものが俺の声を攫っていった──。




