第38話 天狗
バチン、バチンと音が鳴る。
透明な結界に落ちてくる雷の音だ。
時折天狗の重い拳もぶつかってくるが、
今のところ結界が破られることはない。
「桃間さん、大丈夫?」
土御門に背を撫でられ、俺はどうにか体を起こした。
「ああ、起き上がれはするな……あんたら陰陽師のなんかすげー力で怪我とか直せたりしねーの?」
「そういった術はないわ」
「そりゃ残念だ」
げほげほと咳き込みながら、俺は震える呼吸を落ち着かせようと必死に深呼吸した。
「この結界、頑丈なんだな」
「ええ、どんな攻撃も無効可するわ。ただこちらからも何もできないし、時間には制限がある。あと十分ももたないわね」
「そうか……にしても、土御門さんも引きずり込まれてたんだな」
「いいえ、私は自らこっちへ来たの」
そう言って土御門は制服の内側にあるポケットからお札を一枚取り出した。
「この、入界の札でね」
「入界の札……?」
俺はそれをまじまじと見る。墨で書かれた文字は何と書いてあるかわからず、ところどころに朱色で模様のようなものが描かれている。
「大天狗が作るお札でね、これがなければ私たち人間は自らこの世界へは入ることはできないの。誰一人ね」
「へぇ……」
「そしてこのお札はね…………高いのよ! 一枚いくらすると思う!? 三万円よ!? このお札を使ったからには貴方を無駄死になんてさせないわ!!」
ギリギリと奥歯を噛む少女に、俺は口元を引きつらせる。今までにどれだけの修羅場を乗り越えてきたらこう育つのだろうか。現代の陰陽師ってもしかしてブラック企業の社畜?
「桃間さんが戦力にならないことはわかったわ」
「急にひどいな。……いや、正にその通りだけど」
「三匹の神獣はまだ召喚できるのかしら? 直接の打撃にはならなくても、目くらましにはなると思う」
「ああ、多分出せる」
俺はポケットから煙草を取り出すと、すぐに火を点けて煙を吐き出した。もう一度体を手に入れた三匹は嬉しそうに俺の周りを駆け回った。
「……悪いな、子どもの前で煙草吸って」
「いいわよ、それがあなたの力の使い方なんでしょ」
そう言いつつも、土御門はぎゅっと眉間に皺を寄せながら袖で鼻と口を覆った。
「とにかく今は、桃間さんの体を休ませつつ鬼が復帰するのを待つわよ」
「復帰……そうだ鬼村!」
慌てて俺は辺りを見回した。鬼村が倒れた地点には誰もいない。結界に向けて攻撃を続けていた天狗が、何かに気づいたように振り返った。
「……ぅらああああっ!!!!」
──ドン!!!!!
という鈍い衝撃音が響いた。
鬼村が天狗に向かって金棒を振り下ろしたらしい。
「美鬼ちゃん起きたの?」
天狗は軽快な声でそう言ったが、金棒を受け止めた両腕からは血が噴き出ている。痛みは感じないのか?
「天ぁ……ちょっと調子に乗りすぎじゃん? 何してんのあんた」
「何って強くなったオレを見てほしかっただけだよ!」
あっけらかんとした物言い。
まだ人間の姿だった鬼村がみるみるうちに全身を赤に染めていく。
大角がメキメキと生えると鬼村は天狗を睨みつけ、大きな牙を剥き出しにした。
「ガキみたいなこと……してんじゃねーよ!!」
鬼村の右足が、天狗を蹴り飛ばした。
天狗は数十メートル向こうまで吹き飛ばされたが、途中で羽を動かし空中へと羽ばたいた。
「美鬼ちゃんそーやってすぐオレのことガキ扱いするー! オレずっと美鬼ちゃんのこと見てたしずっと美鬼ちゃんのこと好きだったのに! なんで? このおっさんがいいの? なんで??」
天狗が両手を空に向けると、雷が一斉にいくつも落ちてきた。降り注ぐ雷撃に結界の周りで轟音が鳴り響く。しかし鬼村は動くこともなくその場に立ったまま、雷の向こうの天狗を見つめていた。雷が鬼村に当たる様子はなかった。
「……あたしが決めた人のことあーだこーだ言ってるとこがダサいんだよ、わかる?」
「わかんない! だってオレより弱ぇー奴と美鬼ちゃんが一緒にいるのむかつくもん! でもオレだって美鬼ちゃんより弱いから……見直してもらえるように、ちゃんと強くなったよ! どう!?」
天狗はそう言うと地面に向かって拳を叩き付けた。突如地割れを起こし、亀裂が入る。その衝撃が鬼村へと伝わった。鬼村は吹き飛ばされないようその場に踏ん張っている。
と、同時に俺達を覆っていた結界も消滅していった。
「思っていたよりもあの天狗強いわね。このままここにいるのは危険かもしれないわ、今の内に出ましょう桃間さん」
「で、出るって?」
「あの戦いはあいつらだけでやっていればいいわ。私たちは盤上界へ戻るの」
土御門が俺に手を差し伸べる。
だが、
俺はその手を取れずにいた。
──確かに俺はここにいる中で一番弱いし足手まといだ。あの戦いに入っていけるだけの力はない。あいつらで決着をつけてくれればそれでいいとも思う。でも、決着ってなんだ?
天狗の攻撃は容赦ない。
もし鬼村を倒せば、次はまた俺に攻撃が向いてくるだろう。
でも鬼村を倒すって?
もしも鬼村が天狗を倒したとしても、妖怪は死ぬことがないから天狗もまたいつか復活するんだろう。
だが鬼村はどうだ。
鬼は──
「………」
「桃間さん!」
「……うちの生徒を、置いていけない」
カラカラに乾いた喉に入ってくる空気が痛い。
***
天狗の攻撃の手は止まなかった。鬼村は防戦一方で、どう見ても押されている。鬼村の方が強かったんじゃなかったのか、何故天狗が急に強くなったのか。
俺は少しでも天狗の気を散らそうと三匹をあいつの元へけしかけた。周りでちょこまかと攻撃され続けてはあいつも参るはずだ。そう思うものの、攻撃スピードは落ちない。
「オレ、決めた! 桃野郎は弱っちぃから、いつでも殺せる! だからまずは美鬼ちゃんだ!」
「……っ、はあ? 何言ってんの?」
「美鬼ちゃんを殺したら、ぜーんぶ上手くいく!」
にかっ、と笑う表情。
口元だけで、目から上はお面で隠されている為何もわからないが、
ひどく楽しそうな様子だけは伝わった。
「美鬼ちゃんがオレ以外の奴を選ぶくらいなら、オレが美鬼ちゃんを殺して一生オレだけのものにする!」
「!」
「あーよかった、美鬼ちゃんが鬼でよかった! 大事な大事な命、オレがもらえばいーんだ!」
嬉しそうな声に──俺は息を呑んだ。
「……クズね」
隣にいる土御門が吐き捨てるように言った。
──果たして本当にそうなんだろうか。
妖怪だからなのか?
あの、おかしな思考回路は。
俺はここ一か月程の、狗谷木を思い返す。
最初は確かに俺に攻撃してきたような奴だった。すぐにまた襲い掛かってくるんじゃないだろうかと不安で一時は授業で顔を合わせる度に監視するように見ていたこともある。
けど、学校に馴染んでくると回りの生徒たちと何ら変わりない、あいつも普通の男子高校生に見えた。
授業を受けて、楽しそうにクラスメイト達と会話して、部活に行って、笑っているのを何度も見たことがある。
俺が見ていたのは全部仮面で、これが本当の姿なのか。
「……天! 何馬鹿なこと言ってんの!?」
鬼村の声が聞こえた。表情は、少し焦ったようなものだった。
あいつも知らない狗谷木がそこにいるってことなんだろうか。
──きらりと何かが反射した。
「……!」
はっとして、声を振り絞る。
「鬼村ぁ!! そいつに一発ぶちかませ!!」
「! センセ?」
「土御門さん、鬼村の攻撃が入った瞬間にあの変な力で拘束してくれ」
「でも、やったところですぐに破って抜け出すわよ!」
「それでもいい!」
鬼村がギロリと天狗を睨みつけると、金棒で思い切り天狗の顔を殴った。
あいつの顔についていた面が剥がれ、吹き飛んでいく。
土御門がお札を突き出し、拘束の技を放った。札は大きな針と糸へと変形し、糸が狗谷木の体をぐるぐると縛ると地面へと縫い付けた。
それと同時に俺は巨大化した猿に乗り勢いよく空中へ投げ出される。
俺の体を包むようにして雉の風が覆った。
――どすんっ、と音を立てて俺は拘束された天狗の上に跨る。
お面の剥がれた狗谷木の顔半分は、真っ黒に塗りつぶされたようにそこには何もなかった。こいつが人間じゃないことを改めて知る。
拘束されている狗谷木はじたばた動こうとしたが、俺はそいつの上で刀を握った。
「はんっ! 殺そうってのか、桃間先生よぉ!?」
天狗があざけるようにそう言った。
「それがありゃなんだってできるよなァ! 命に終わりが無ぇ俺だって消えてなくなんだろ!?」
高らかな笑い。
俺はぎりっと歯を食いしばった。
刀を持つ手に力を入れる。
──刃先を、天狗へと向けた。
「……教師が生徒を殺すわけねーだろバーカ」
天狗が右耳につけている耳飾りを、刀で砕き壊した。
パリンッ……と割れた途端、ガラスの破片のようなものが辺りに飛び散った──と思うと燃え盛るように真っ赤な火柱のようなものが立ち上った。
「!?」
俺は驚き慌ててそれを見上げたが……すぐに空気中に溶けるように消えてしまった。
その後天狗の鬼気迫るような表情が、徐々に和らいでいく。
「あ、れ……桃間先生? オレ……」
「やっと起きたかよ、狗谷木」
名前を呼んでやると狗谷木の口元はみるみるうちに歪んでいった。
それを見て俺は思わず笑ってしまう。
目があるとこに何もねーから、泣いてんのかわかんねーよ。
***
狗谷木は戦うのをやめた。
今は力なくその場に座り込み、拾ったお面を顔にはめ込んでいる。
「センセー、何を壊したの?」
近くへ寄ってきた鬼村が訊いた。地面に体を投げ出すようにして座っている俺は、狗谷木の顔を指差す。
「狗谷木の右耳に、なんかやたらとチカチカしてるピアスがあって。鬱陶しいなと思ってたんだけど……嫌な感じがして壊してみたんだよ」
「ピアス?」
鬼村はそう言うと思い出すように視線を左上へ彷徨わせ、「ああ」と呟いた。
「そういえば見慣れないピアスしてた。いっつも左にしかしてないのに」
「でも壊した途端砂みたいに消えてったんだよな」
俺がそう言うと、ようやくここまで辿り着いた土御門が膝に手を付いて呼吸を整えて言った。
「……と、桃間さんが壊したものは、妖力の結晶体かもしれないわ」
「結晶体?」
「妖の力を封じ込めたものよ」
俺は鬼村と顔を見合わせる。すると鬼村は「ああー」と声を上げた。
「あれ? 昔々のお守りみたいなやつじゃん」
「お守り?」
「こう、自分の力を石にしてなんかあったら助けるからねーって仲良い子とか、あとは稀に人間とかにあげんの。もらった方はピンチになった時にそのお守り効果で危ない状況から助かったり、何かしらいいこと起きたり? みたいな。ほんとちょっとしたお守りだよ」
「へぇ……?」
「貴女にとってはちょっとした、かもしれないけれど人間からしたら少し様子が違うわ」
土御門はそう言うと、恐る恐ると言った様子で天狗に近づいた。まだ警戒しているんだろう。
「結晶体は小さければそこまで影響を及ぼさないけれど、強い妖力が封じ込められている場合ほとんど妖力を持たない人間にとっては劇物となることがあるわ」
「劇物?」
「突然凶暴な性格になったり、普段とは違う行動を取ったりして事件や事故を起こしたり、または急激な心臓発作によって死亡したりするわ」
「そんなやべーもんなのかよ。……俺はお守りなんていらないからな」
鬼村を睨みつけると「あげるつもりないけど?」と鬼村は首を傾げた。
「さっき鬼が言っていたように結晶体を妖が人間に渡すなんていうのは大昔の話よ。最近じゃ人間が持ってるなんてことほとんど聞かないわ。先祖から受け継がれている、ってことは稀にあるけれど」
「でも狗谷木は人間じゃないだろ、天狗だ」
「そう……天狗。妖力も相当なもののはず。その力を遥かに上回る程の妖力の結晶体だった、と言えなくもないわ。妖怪に影響する程のものなんて、聞いたこともないけれど。──ねぇ桃間さん、貴方本当にそのピアス壊したの?」
土御門に聞かれて「はい?」とつい言ってしまう。
「壊したよ、さらさらーって消えてったからもうどこにも無いけどな」
「消えたとしても妖力の痕跡ぐらい残るわ。それなのに……何も見えない。一体どの妖の力だったのかも今じゃ何もわからないわよ。天狗の貴方、一体どの妖怪からそれをもらったの?」
天狗はしばらく黙っていたが、頭をガシガシと掻いて答えた。
「変な笠被ったやつに会ってよぉー……強くなれるからこの耳飾りをどうだって」
「笠を被った?」
土御門はそう繰り返すと、考えるように口元に手を当てた。
「深く被ってたから、顔は見てねーの。なんかイマイチ妖怪なんだか人間なんだかよくわかんねーやつで。そのあともちょくちょく会ってた気はするんだけど……とにかくあいつが誰なのかはよくわかんね」
天狗は大きくため息を吐くと項垂れるようにした。
「心当たりはあるのか?」
俺が訊くと、土御門は首を振った。鬼村も見てみるが肩を竦めている。
「……それなら、とりあえず済んだことにして帰るか」
俺は立ち上がる時に「いてて……」と腹を押さえた。こいつに殴られたところが痛む。多分しばらくは痛いだろう。──内臓に損傷が無いといいけど。
「か、帰るって先生、オレのこと怒んねーの!? それに、美鬼ちゃんも!」
天狗が情けない声でそう言った。
俺は振り返りざまに睨みつけ、ため息を吐いた。
「……狗谷木ぃ」
「な、なんだよ」
「知らねー奴から物なんてもらうな! 不審者かもしれねぇだろ!!」
「!?」
「大体世の中にゃタダでいいもんくれる大人なんてのはいねーんだよ! もっとリスクを考えろ! 体を大事に!!」
「そ、そんなこと言ったってオレ、このまま先生に負けんの悔しくって……もっと強くなりゃ美鬼ちゃんだってこっち向いてくれると思って!!」
段々と鼻声になっていくが、こいつのどこに鼻があるのかちょっと不思議に思った。仮面のその長い鼻は果たして鼻として機能しているのか。
「……なのにオレ、美鬼ちゃんに攻撃しちゃった。そんなつもりなかったのに。どんどん頭わけわかんなくなって……オレ、こんなんじゃ美鬼ちゃんに嫌われる……」
唇を噛み涙をこらえるかのような天狗の前に、鬼村はしゃがみ込んだ。
「天」
「……み、美鬼ちゃ」
鬼村の手が、天狗の頭へぽんと置かれた。それからよしよしと撫でている。
「あたし天のこと好きだよ?」
「……え?」
「いっつもあたしの後ろにくっついてさー、美鬼ちゃん美鬼ちゃんって、弟みたいに思ってた」
「弟ぉ?」
「うん」
鬼村の言葉に、天狗はがっくりと肩を落としている。だが鬼村は頭を撫でるのを止めずに言った。
「家族みたいなもんだからさ、これからもずっと一緒じゃん?」
「……一緒?」
「そー。あんたのことずーっと忘れもしないし、たまになら遊んだりしよーよ。今は……まあセンセー優先だけどさ~」
「……うっ、オレぇ……」
がばっ!! ──と、天狗は鬼村に抱き着いた。鬼村は少し驚いた様子だったが、諦めたように天狗の背中へと手を回しぽんぽんと叩いた。
「仕方ないなー天は」
「うわあああああん」
「子どもなんだからさー」
「子どもじゃないいぃぃ」
「てかなんで急にあたしのクラス遊びに来なくなったわけ? 最初はウザいほど来てたじゃん」
「それは……『あんまり会いに行きすぎると飽きられるぞ』ってクラスの奴にアドバイスされたからでぇー!」
「あーそなの。頑張ってたのね~」
「美鬼ちゃん好き~~~!!!!!」
涙声で鬼村にしがみつく様子を……俺は、少し複雑な心境で見つめている。するとこっちに気が付いたように天狗が俺の方へ顔を向けた。
「……オレ、美鬼ちゃんのこと桃間先生に取られたけど」
「取ってないぞ」
「でも先生は美鬼ちゃんとこうやってぎゅーできないだろ!! 今んとこオレの方が勝ちだから!!!!!」
そう言うと天狗は何故か勝ち誇ったように舌を出して見せてきた。一瞬苛立ちのようなものを覚えたが、俺はその感情を表に出さないようにする。
──こうして、いくつか疑問が残るものの俺達は戦いに決着をつけた。そしてできればこの週末でこのボロボロの体が少しでも回復しますように、と俺は心の中で祈っていた。




