第33話 隠してないの
土曜日の学校は静かで好きだ。
まあ静かと言っても耳を澄ませば遠くの音楽室の方から吹奏楽部の連中が楽器を吹いているのが聞こえたり、体育館で部活をしているバスケの音が聞こえたり、さらには外からもテニス部のパコンパコンというあのボールを打つ音が聞こえてきたりはするが……
と、音を気にしだすと急に静かに感じられなくなる。
「──集中力切れたか」
うんと伸びをして首をぐるりと回した。
化学準備室には俺一人。
少し先の単元の教材研究を兼ねて教科書に目を向けつつ、デスクに積んである参考書を時々手探りで取っては要所を確認したり、ネットに何かいい教材が上がってないかと検索したりしていた。
うちの高校は進学校と言える程の偏差値ではない。が、だからこそわからない奴を置いていくわけにもいかない。
「俺ら教師はただ知識を押し付けるんじゃなくて導くのが仕事、ってね~……あ」
ふと目に入ったコピー機。そういえば新しいコピー用紙を取りに行かなくてはいけなかった。事務室に。
「………」
いつ行くべきか、しばらく考えて俺は立ち上がった。
「山上さんいないといいな」
──と、呟いたのが間違いだったんだろう。
長い廊下を抜け階段を降りていき、事務室の扉をノックすると聞こえてきたのはあの凛とした声。俺はため息を吐きそうになるのを手で押さえ、扉を開けた。
「……すみません、コピー用紙もらってってもいいです?」
すぐそこでデスクにつき、事務仕事をしていた山上さんが俺を見た。そしてすぐさま立ち上がり、奥の棚へと向かって行く。
「箱でいいですか?」
「お願いします」
ガタガタと音が聞こえ、ストックしていたコピー用紙を箱ごと抱えると山上さんはこっちへ戻ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「それで桃間先生、いつ靴はお買い求めに?」
「うぐっ」
痛いところを突かれ、俺は唇を噛んだ。うっかり後ずさってしまった為、足元でスリッパの擦れる音が鳴る。
「……そ、そのうちー、ですねぇ……」
「いつもそう言ってますが」
「すみません……」
「毎週土曜お仕事に精を出して頑張ってらっしゃるのは知っていますが、日曜は家で休まれているのでしょう。買いに行かれては?」
「……ごもっとも」
コピー用紙の箱を受け取り、重さのせいか俺の肩が落ち込んだ。
「あの時も鬼村さんと靴を買いに行っていたのではなかったですか」
「あの時? ああ、あの時……」
鬼村と初めて街へ出た時の話だ。
「買おうと思ってたんですよ。でもあんたら妖怪さんたちが邪魔してきた上、鬼村に殺されそうになって靴は買えずじまいですよ」
──そうだ、あの日俺は靴を買いに行ったはずなのに街で山神や魑魅魍魎に襲われ、挙句の果てには俺を助けようとした鬼村の手によって、気絶させられ……気づけば自分の部屋だった。
「あいつに振り回されてたらそのうちほんとに死にそうなんですよねぇ……」
「あの鬼娘に殺されることはないのでは? 鬼は桃間の一族を殺せないんですから」
山上さんは表情一つ変えずにそう言った。
「あいつも言ってましたけど、殺せないって何ですか? 現に俺はあいつにぶっ飛ばされて死にかけたわけで……」
「死んでないじゃないですか」
「え? いや、死んではいないですけど……」
「並みの人間であれば、死んでいたかと」
「………」
並みの人間なら死んでたのかよ……。
でも言われてみると確かに、俺はあの時気絶しただけだった。全身の痛みは翌日まであったが、骨が折れたわけでもない。……鬼が俺を殺せないってのは、本当なんだろうか。
山上さんは俺の背後にある扉を見つめ、それからまた俺に視線を移した。
「最古の鬼が封印された話はしたでしょう」
「え? ああ、はあ。鬼の頭だか腕だかをぶった切ってそれぞれ封印した……でしたっけ」
「ええ。その封印によって、全ての鬼はあなたの一族を手にかけることはできなくなったのです。確か封印には桃太郎以外の人間が関わっていたかと……」
「人間?」
言われて頭に浮かんだのはあの少女だ。陰陽師と言ってた。時代的にも多分陰陽師はすでにいたんだろうし……そういう封印とかってのもできそうだよな。鬼の封印については桃間の蔵から持ってきた日記には特に書いてなかった。まだ蔵に何かある可能性はあるにしても……もしかすると、これ関係の話ってあの子に話を聞けばわかったりするのか……?
「──ですから、桃間先生はどれだけあの鬼娘に苦しめられても死なないと思いますが」
「ちょっと待ってくださいよ何物騒なこと言ってるんですか!」
「ですが……気絶した、のであればやはり少しおかしいですね。鬼の攻撃自体が桃間へ届かないものと認識していましたが」
「はい? どういうことです?」
「………」
山上さんは、また俺の背後の扉を見つめた。
目を細め──それから瞬きせずに俺を見る。
「……もしかすると、事はすでに起きているのかもしれません」
***
「あーもーやっとバイト終わった~」
バイト先の店舗が入っているビルを出て、あたしはすぐにセンセーにメッセージを打った。
『もう仕事終わった?』
『家にいる?』
……けど、待っても返事はこない。
時間を確認したけど、今は夕方五時。よく休みの日もこんだけ仕事するよね~。さーてさっさと電車に乗って学校までお迎えに行ってあげよ~と思ったら……
「……鬼村さん!」
後ろから声をかけられた。バイト先の先輩だ。
「なんですか?」
「ごめんね、さっき確認するの忘れちゃって! 明日ってバイト出れない?」
「明日? 明日かぁー」
うーん、と考える素振りをする。
明日は別に用事はない。別にないけどー……しいて言うならセンセーを困らせて遊びたいかな?
「お願い! 他の子たち風邪でダウンしちゃってて、鬼村ちゃんにしか頼めないの~!」
「あー、そーゆー? んじゃ仕方ないかぁ~」
人間はすぐ風邪とか病気とかになるからほんと弱いよねぇ。可哀想なくらい。
「ほんと!? じゃあ明日よろしくね! 時間は今日と同じでいいから~!」
先輩はそう言うとまた店へと戻っていった。あたしはにこやかに手を振って先輩の姿が見えなくなるのを待つ。可愛らしい先輩。ちょっとドジなとこあってミスも多いけど、人柄でなんとかなってるって感じ。人間ってそういうの得だよねぇ。力がなくても、なんとかなる。
電車の時間を調べて、駅まで行って、ほんのちょっと揺られてるうちに学校近くの駅まで着く。今のバイト先マジで便利なんだよね。学校からも家からも近いから~最高過ぎ。
「今日はセンセーと一緒に帰って~、それで一緒にスーパーで食材買ったりなんかしちゃったりして~……あれ? めっちゃ新婚さんっぽくない? あは、ウケる~。絶対センセーもあたしのこと惚れ直すじゃん」
気分は爆上げ。
明日バイトになったのは鬱だけど、今夜センセーといっぱいイチャイチャしよ~とか思ったら全然元気出てきた。我ながらチョロいじゃん。
「学校ん中で待ってたらセンセー怒るかな~。とりあえずどっか……」
一人で喋ってたその時、学校の校門が見えてきた辺りで──何かが飛んできた。
「んー?」
飛ばされたものを思わずキャッチする。なんだろコレ、妖力固めて作った……矢っぽい。
「貴女の妖気……大きすぎるわ。それで隠しているつもり?」
高い声が聞こえた。
校門の前に小さい女の子が立ってる。なんかその子がこの矢を打ってきた……のかな。
「先日見た天狗の方が、上手く人間に成りすましていたわよ!」
「天狗の……あー、天のことー?」
なんか知らないけど、この女の子、天のこと知ってるっぽい。
でもあたしはこの子と知り合いじゃない。
なら。
「なんであたしが隠してないか教えてあげよっか」
「──隠れる必要ないくらい、強いからだよん♡」
手を伸ばしてあっち側から金棒を引きずり出す。
そしてそのまんま、金棒の先で目の前の空間を破った。
「おチビちゃん、殺気丸出しだとこっちもやる気出ちゃうなー」
「遊ぶのにぴったりな場所、作ってあげるね」
破いた空間から滲むみたいに
じわじわと世界が変わり始める。
お札を手にあたしを睨む女の子を、
優しくこっちへ引き込んであげた──。




