第30話 ただいまおうち
──砂利道を歩く。
──土手を下りて川を飛び越えて。
──青々と茂った林を歩く。
「ん~っ、なーんもないなー」
うんと伸びをして、コリをほぐすみたいに頭をぐるって回した。
ここは人間のいる場所から見たら『あっち側』で、あたしの生まれた場所。こないだセンセーと天が言ってたのはー……『転外界』だっけ? 何がどうしたらそんな呼ばれ方すんのかはあたしにはわかんないけど、空気の匂いはこっちの方が好きかな。濁ってなくて。
あたしから見たら人間のいる世界の方があっち側、なわけだけど。あっちは人間がいっぱい増えてそのせいなのか鼻が曲がりそうになる時がある。人間自体の匂いが混ざってるのもあるし、香水とか機械とかいろんな匂いが混ざってんのもある。まー香水くらいあたしもつけるけど。
「あんれぇ、美鬼ちゃん帰ってきたんかぁ?」
声が聞こえた方を振り返ると、山菜でも取ってきたのか籠を背負った一つ目のおばちゃんがそこにいた。
「しばらく見んかったけどぉ」
「ちょっと出かけてたのー」
「そうかいそうかい、三十年だか四十年だか家空けてたってぇ? 豪鬼さんのでーれーしょげた姿ぁ、あたしゃ初めて見たぁよ」
「お父さん? しょげてたの? えーウケるね」
一つ目のおばちゃんは籠を「よっこいせ」と下ろすと、中からいくつか手に取った。
「家さ帰んなら、屠鬼さんに持ってきーや」
「ありがとー。お母さん喜ぶよ」
「美鬼ちゃん、体に気ぃつけーよ」
一つ目のおばさんは大きな目を閉じてにっこり笑うと、また籠を背負って行ってしまった。
「体に気をつけて、ね」
この『人間みたいな挨拶』をここらへんに住んでる妖怪たちはよくする。あたしたち鬼に対してだけ、だけれど。
死という概念の無い妖怪が自分の“命”を大事にするなんてことありえない。でも、鬼が次々に減っていったことで鬼たちだけじゃなくて他の妖怪たちも恐怖を感じた。
いつか終わりを迎える日が来てもおかしくないのか、って。
「ま、人間だってみんなその場限りの命なわけだし~。何を今さらって感じだけど」
──あたしの命は、生まれた時から一つだ。
***
林を抜けると、小さな茅葺き屋根がぽつんと見えた。あれがうち。いかにも昔話ってのに出てきそうな見た目してて、多分センセーが見たらびっくりすんじゃないかな。でも、びっくりすんのは多分入ってから。
「ただいまぁー」
中に入ると、入り口すぐ傍に置いてあるのは冷蔵庫、炊飯器。
「あら、おかえり美鬼」
割烹着を着た肌の黒い一つ角の鬼──あたしのお母さんが出迎えてくれた。手に持ってるのはお玉。何か料理してたみたい。
家の外観はびっくりするほど古いけど、中は昭和時代の家って感じの作りになってる。あれ、でも新しめのオーブンレンジも置いてあんじゃん。最近買ったのかな。
「お母さんこれー、おばちゃんからもらった」
「あらあら、あとでお礼しにいかないと」
お母さんはあたしから山菜を受け取ると「今日は煮物追加ね」と微笑んだ。
ほら、別にフツーでしょ。
おかしいとこはあるかもしんないけどさぁ、妖怪の住んでる世界だって、人間の世界だって、似たようなもん。
「……お父さんは?」
「お父さんねぇ、今お魚釣りに行ってて」
「ええ?」
「裏の鼬山さんが連れてっちゃったのよ。あら、そういえば美鬼は学校に通ってるんじゃなかったの? いいの?」
「今日お休み。土曜だから」
「あらーそうなの」
お母さんは「土曜、土曜ねぇ」と呟きながらコンロの方に行っちゃった。あたしは台所を背にして居間の方に目を向ける。テレビでっか。
「ねー、これテレビ見れんの?」
「うーん、時々ねぇ」
「へぇー」
あたしは小さなちゃぶ台の上に置いてあるリモコンを取って電源を付けてみた。番組表を見てみる、けど真っ暗でわからない。戻ってチャンネルを変えて見れば、やたらと古い番組が映ったり昨日やってた番組が映ったりした。
この世界は人間の世界と微妙に繋がってる。でもこっちは時間の流れ方がちょっとおかしくて、時々ずれた時代と繋がっちゃうこともあるんだ。ま、わけわかんないのがこっちって思ってくれたらそれでいいと思う。
「あ、お母さんごめーん。お土産何も買ってこなかった」
「あらいいのよ。急だったんでしょ?」
「そー、なんかこないだお父さんが来て~」
「お父さんね、もう限界だったみたいよ」
くすくすと笑いながら、お母さんが麦茶の入ったコップとクッキーを並べたお皿を持ってきた。
「あなたがお父さんと喧嘩してここを離れて三十年くらい経ったでしょう。お父さんもしばらくは怒ってて顔も見たくないなんて言ってたんだけどね? でも寂しくなっちゃったんでしょうね。美鬼を連れ戻しに行く、って言ってきかなくて」
「はー? 連れ戻しに来てたらあたし怒ってたよ」
「ふふ、そうよねぇ。それでやっとあなたから連絡が来て会えたと思ったら人間の学校に行く、なんて」
「ねーお父さんめっちゃ怒ってたよ。会ったって言っても報告して岩ぶん投げられて即逃げたから会ったうちに入んないし」
「そのあと後悔してたのよ? もっと冷静に話せてれば、って」
「ふぅん……?」
お母さんは向かい側に腰を下ろした。あたしはお皿の上のクッキーを取って食べてみた。おいし。お母さんが作ったのかな。
「だからね、お母さん言ってあげたの。認めてあげないと、もう一生美鬼に会えないかもしれませんよって」
「……それでこないだ認めるとか言い出したの?」
「そうよ、良かったわねぇ美鬼」
「まーよかったのかな? わかんないけど」
ぽりぽりと音を立ててクッキーを食べてると、お母さんも一つクッキーを口に入れた。そして口元を緩ませると幸せそうに「美味しいわねぇ」と言っていた。
「これ作ったの?」
「いいえ~もらいものよ」
「えーどこから」
「お母さんが時々働いてるところのパートさんからよぉ」
お母さんが働いてる場所、ってのがあたしはわかんなかったけど。もしかすると人間に化けて働きに行ってるのかもしれない。何の仕事してるんだろ。
「それで美鬼、ずーっと片思いしていた方とは会えたの?」
そう聞かれると頭の中にセンセーの顔が浮かんできた。あたしはつい頬を緩ませる。
「うん、ちょーかっこよくなってた」
「あらまあ」
「なんかね、学校の先生やってんの」
「そうなの。なら結構お堅いひとなんじゃない?」
「そーだねー。あたしが何しても全然てこでも動かないって感じ。なんでかなー、あたしこれでも見た目には自信あんのに」
あたしのぼやきにお母さんは笑っていた。むっとしてあたしはクッキーをもう一個つまむ。
「見た目だけで選ぶような人間じゃなくってよかったじゃないの」
「えー?」
「あなたの芯がどうかってのが大事なんでしょう?」
「芯ねぇ~。……それってどうやって伝えんの? むずくない? 好きって言えば解決する?」
「解決しないんじゃないかしら」
「えー!」
「一緒にいて、ちょっとずつわかっていくものなのよ」
「……お母さんむずかしーこと言うね~。まるで人間みたい」
「あなたも十分人間みたいじゃない」
くすくす、と笑うとお母さんは立ち上がってまた台所へ行ってしまった。あたしはテレビに目を向けて、昨日の番組を見つめた。展開は知ってるからあまり面白くない。
その時、物音がして玄関からお父さんが入ってきた。
「あらおかえりなさい」
お母さんの声かけにお父さんは頷いて、釣ってきた(もしくは手で取ってきた?)であろう魚を渡してた。それからあたしの方を見て──
「美鬼……?」
「あ、おかえりお父さん」
あたしが声をかけると、
大きな大きな赤鬼は
急に涙を浮かべておいおいと泣きだした。
***
薄暗くなり始めた頃、ちゃぶ台の上にはお母さんが作ったご飯やおかずにお味噌汁、それに焼き魚が並べられた。こんなに早い時間にご飯食べるの久しぶり。
「いただきまーす」
あたしが手を合わせてご飯を食べ始めると、お父さんがあたしのすぐそばにコップを置いた。
「ほれ、飲め」
「なにこれー?」
「鼬山さんとこからもらった、日本酒だ」
そう言われてあたしはコップを手に取った。しばらく眺めて、匂いを嗅ぐ。うん、お酒だ。
「あたしいーや」
「な、なんでだ? 好きだっただろう」
「んーでも今あたし女子高生なんだよね~。お酒とか飲んじゃだめってゆーか」
「そんなもの、人間の決めた価値観だろう。お前に関係ない」
「えーだめだよ。人間の中で暮らしてんだから人間とおんなじようにしないと」
あたしの言葉にお父さんはむすっとしていたけれど、すぐに「そうだな」と言ってお酒の入ったコップを回収した。なんだ、やけに素直じゃん。
「お母さん、なんかお父さん変わった?」
「変わったわよ~。あなたがいない間にとーっても」
「昔だったらすぐ怒るしすぐ物飛んできたじゃん」
「あなたたちの親子喧嘩は大変だったわよねぇ……そのせいで山崩れが起きたり」
「ちょ、ちょっとやめてよ。恥ずかしいなぁ」
随分前のことを持ち出されて、あたしは顔が熱くなった。その時は子どもだったの。今のあたしはもっと大人だから。
「お父さんねぇ、最近推しってのができたらしくって」
「は? 何それ」
「屠鬼、いらんことを言うんじゃない」
「よく向こうに一人で行くのよ~」
「こら、屠鬼」
お父さんは恥ずかしいのか赤い顔をもっと赤くして眉間に皺を寄せてた。そんなお父さんあたしは見たことなくて思わず目を丸くしちゃう。なに推しって。アイドルとか?
ここを離れてたのは三十年だけど、三十年ってこんなに変わるんだなぁー……。
ってよりは、
すごく人間に近くなってる……かな。
この違和感はあたしだけが感じるものなのか、それともみんな感じてるものなのかはわかんないけど。
でも別に楽しく生きてるならそれでいっか。
今は少しだけセンセーのこと忘れて親子水入らずってゆーのを楽しもっかな。
……帰ったらいっぱいセンセーに遊んでもらうけど♪
──あたしのいない部屋で、センセーがくしゃみをしてそうな気がした。




