第29話 父、来校。
──月曜、最初の授業。
教科書を読み上げていた俺は鐘の音でハッとさせられた。終了時間が迫っていることに気づいていなかったのだ。区切りのいいところまで、と思っていたものの仕方なく教科書を閉じて日直に号令をかけさせる。
三組での授業の時はいつも狗谷木の動向を伺っているが、今日もあいつは他の生徒たち同様眠そうにしながらも授業を受けていた。教室を出ていく俺を気にする様子もなく、俺も素知らぬフリして教室の戸を閉めた。
一昨日あいつらに俺が聞いたことの回答は得られなかった。端的に言えば、あっちの世界もこちらとほとんど変わらないのだという。もちろん高層ビルなんかは立っていないが、普通に家もあるらしく(ただ家を持たずに自然に住む妖怪も多くいる)、俺が思っているようなおどろおどろしい世界ではないようだ。ならば、俺が見ている世界はなんなのか。
空気に色がついたように見えるのはその時々で、ずっと同じ色でもないし濃かったり薄かったりする。なんというか──毒ガスでもまかれているような感覚なのだ。そう考えてみると、向こう側に引っ張られる時に感じる眩暈もその毒ガス効果ってところなんだろうか。
そんなことを考えながら辿り着いた職員室の扉をガラリと開ける。中にいた数人の先生方が何やら談笑していた。俺は一旦授業道具をデスクに置いて椅子に腰かけた。……と、そこへ教頭がやってきた。
「桃間先生、次は授業入ってませんよね? 少しお話いいですか」
──お話?
「え、ええどうぞどうぞ。何かありました?」
「ああいえ、ここでではなくて……」
ちらり、と教頭が目配せをする。俺もそちらを見た。職員室から続く、校長室の扉が見える。
「校長と三人で少しお話を」
「……え」
俺は慌てて椅子から立ち上がった。なんだ、校長と教頭と話す内容って。
まさか。
──冷や汗をかきながら入った校長室内で、校長はため息まじりに俺に言った。
「土曜に、二年四組の女子生徒とお好み焼き屋に行ったそうですね」
「……! いや、そ、れはですね……!」
「しかもお酒も置いてあるお店に」
「………」
口の中がカラカラに乾いていくのを感じた。
女子生徒と、って鬼村だろ。てか、鬼村だけじゃなくて狗谷木もいたんだが!?
「桃間先生、土曜のことだけじゃなくて別の日に同じ生徒と出かけていた話も聞いているんですよ」
教頭が横から更に刺してくる。
待ってくれ、違うんだ、弁解させてほしい! とも、言えず。
俺はひたすらにこの場をどうすればいいのか混乱する頭で考えた。
「桃間先生……とても真面目な方なのでどうかこれが嘘であってほしいんですよこっちも。でもねぇ、写真まで撮られてちゃ」
「写真!?」
「面白がって撮った生徒がいるんですよ。後ろ姿ですけどね? 桃間先生にも見えなくもないというか……」
校長がそう言うと、教頭が画像をノートパソコンで見せてきた。いや確かにこれは俺。
「あー……と、その、ですねぇ……」
続きの言葉は考えていない。
それどころか突然覆い被さってきた失職の恐怖ゆえか具合が悪くなってきた。
眩暈がする。
気持ち悪……
「……い?」
俺は、校長と教頭の後ろに現れた──真っ赤な肌と二本の角を持つ大男に目が釘付けになった。
──あれは鬼!?
おい、
おいおいおいここで急に襲われんのかよ。
いや、校長と教頭も一緒に引っ張られてきてるってやばいだろ……!!
気配を察知したのか、校長と教頭が振り返り……壮絶なまでの悲鳴を上げた。慌てて逃げようとする教頭がすぐ近くの職員室へ通じるドアへ手を伸ばした。だが、鬼の巨体がぐらりと動き、太い腕で教頭の動きを制止する。
『……待て、人間』
──鬼が口を開いた。
「……は、はひ?」
目の前の真っ赤な腕に恐れおののきながらも、教頭は鬼に返事をした。いや、反射的に言っただけかもしれない。校長は腰が抜けたのか椅子に座り込んでいた。
『己は、<鬼村ミキ>の父親だ』
「ちっ、ちちおや……」
父親とはなんだったか頭で思い出せない様子の教頭と、ぽかんとして口を開いたままの校長。彼らの代わりに俺が話しかけた。
「お、鬼村ミキのお父様……ですか。初めまして」
『お前が桃間一樹だな。話は聞いている』
鬼は僅かにこちらへ体を向けた。彼からしたらこの校長室は狭く、動きにくいのかもしれない。若干猫背にも見える。
「お、お父様が今日はどうしてこっちへ?」
俺はひきつる笑顔でそう訊いた。鬼はしばらく俺を見ていたが、フンと鼻を鳴らすとその大きくて太い人差し指を俺にずいっと向けた。
『──今まで反対していたが、認めてやる』
「え……?」
『あいつはお前でなければいけないと言った。己は反対した。だがもうそれは良い』
「良い、ってのは……」
『お前たちが子を成すのを認めてやろう』
ギリギリと歯が軋む音が鬼の方から聞こえた。認めてねーだろそれ。というか、
「いや、俺が認めてないですよ! 大体俺は呪いで……」
『呪い?』
「あ……っと、その……子どもは、作れなくて、ですね……」
『それは一体誰がかけた呪いだ』
「え? それは……」
──わからない。誰がかけた呪いだ?
桃間が代々夢に見る……神様のお告げで聞かされてきた『呪い』の話。誰が桃間を呪う程恨んでる? 恨むとしたら、鬼だろう。……でもこいつの様子からすると、鬼じゃない……?
『──とにかく己は認めた。お前は己の娘を守らなくてはならない』
「いや……現状守るってか俺の方が守られてるわけで……」
『己の娘を守れない程弱いのか、忌々しい血の流れる人間め』
「………」
俺は口を閉ざした。
もう何も言わない方が良い。
ぎりぎりと鳴らしていた音を止めると、鬼は大きな顔を俺に近づけた。
『己は行く。お前がどんな人間かは、また追って探るとしよう。それまで精々生きることだ』
最後に俺を睨みつけ、鬼はゆっくりと薄れて消えてしまった。
「………」
俺は鬼がいた場所を静かに見つめていたが、ふいに緊張が解れて倒れ掛かり……どうにか足を踏ん張った。
「はあ……あ、教頭に校長! 大丈夫ですか!?」
慌てて放心状態の二人に駆け寄る。二人とも長いこと目の焦点が合っていなかったが……しばらくして教頭が俺に顔を向けるとおかしなことを言い始めた。
「──事情はわかりました」
「…………はい?」
「鬼村さんと桃間先生は家同士の話し合いの元、すでに婚約が決まっているんですね」
「……!?」
何を言っているのかわからない。俺が口をぱくぱくさせていると、校長が話に入ってきた。
「とはいえ、桃間先生は教師で、鬼村さんは現在この学校の生徒ですから……校内ではなるべく慎むようにお願いしますよ。いくら今後結婚が決まっているとはいえ、校内の風紀を乱すのはよくありません。桃間先生も、ご自身の立場を理解してください」
「え、はあ、それはもちろん……?」
「では、この話はもう終わりです。業務に戻ってくださって大丈夫ですよ、桃間先生」
校長のにこやかな笑みに追い出されるようにして、俺は職員室へと戻った。
「……今何が起こったんだ?」
***
──静まり返っていた校内がざわつき始める。午前の授業が終わり、生徒たちが待ってましたと言わんばかりに教室から出てきたのだ。
鐘が鳴るより少し早くに授業を終えていた俺はうるさくなる廊下に思わず顔をしかめた。と、その時後ろから走ってくる足音が聞こえる。廊下を走るな、と定型文を言う為振り返ろうとすると
──どんっ
「うわっ」
腰に鬼村が抱き着いてきた。
「ねーお父さん来たんだけど~」
「その前に離せ馬鹿!」
「なんか家に一回帰ってこいとか言われて~~」
「無視すんな!!」
俺が慌てて引っぺがそうとするも、全く動かない。それを俺達の横を通り過ぎていく他の生徒たちが見ては何かコソコソと喋っていた。
「鬼村ァ! お前、俺の首飛ばしたいのかよ!?」
「え? 何で?」
「ここは学校! お前は生徒で俺は教師!!」
「あーはいはいはいわかったって」
ぱっ、と手を広げるように離すと鬼村は唇を尖らせた。俺はもう一度抱き着かれないようにとすぐさま距離を取る。
「ねーだからあたし帰んなきゃなのー」
「はあ? どこに」
「家ー」
鬼にも家ってあるんだな、と思いながらも俺は早足で化学準備室を目指した。
「だから週末行かなきゃで~。センセーとデートできなくなっちゃった」
「そんな約束してないだろ」
「休み明け学校行くの忘れてたらごめーん」
「はあ!?」
何を言ってるんだ、と思いつつポケットの中から鍵を探す。家の鍵やらライターやらでごちゃごちゃになった中から引き当てると、ようやく準備室の鍵を開けた。
「ちゃんと休み明けまでには戻ってこい」
「向こうにいるとこっちの時間の感覚忘れちゃうからさぁ」
「?」
ドアを開けると鬼村は何故か俺の席へと座った。俺は持っていた授業の教科書類をデスクの上に置き、そのままそこに立って腕を組んで見下ろした。どけ、と目で伝えているつもりだが鬼村に効果は無い。
「ね、センセーもお父さんと会ったんでしょ?」
「……ああ、会ったよ。すげーでかいなあの鬼……」
「普通じゃん? てかてか、急にお前たちのことを認める! だから一度帰ってこい! とか言っちゃって。それだけでさっさと帰ってったんだよ~意味わかんなくない?」
「何か理由があるんじゃないのか?」
「さあ~、何にもわかんない。けどこれで学校でもいちゃいちゃできるようになったんでしょ? 他の先生たちにも伝わったっぽいじゃん」
「いちゃいちゃはできねーんだよ今までもこれからも!」
「ケチ」
「ケチじゃねぇ! ……と、そうだ」
俺はこいつに訊こうと思っていたことを思い出した。
「俺が教頭と校長と話をしてたところであの鬼……お前の父親が出てきたんだけど、『認めてやる』とかいろいろ言ってそのあといなくなって、で教頭と校長がわけわからんこと言い出して……」
「わけわからんことー?」
「二人の事情はわかりました、とか……なんか勝手に納得して解放されたんだよ。鬼が出てくるまでは生徒を誑かした淫行教師を見る目で俺のこと見てたのによ……」
「やだ、センセーってば淫行教師だったの? ここでえっちなことしちゃう?」
「しない!!!」
「声でっか。唾飛ぶっての」
「……なんで急に、こっちの都合の良いように話が進んだんだ?」
鬼村は俺の椅子に座ったままその場でくるくると回り始めた。
「あっちの世界はー……人間にとって理解の外側」
「……理解の、外側?」
「理解できないことを、人間は嫌がる。根本的に」
「……?」
「だから事実を捻じ曲げて、勝手に理解した気になる」
ゆっくりと椅子の回転が遅くなり、鬼村が俺の方を向いて止まった。
「なんだよそれ、フツー見たまんま信じるだろ。だってあんなでかい鬼……一瞬で忘れられるわけ」
「もちろん忘れない人もいるよ? センセーとか、他にも普段からあたしらみたいのと関わってる人間とかさぁ~。でも大抵のなーんも知らない人間は、鬼とか妖怪なんて見たら頭パンクしちゃうって」
「………」
「人間はあたしたちが関わろうとすれば、拒絶反応を起こすんだよ」
鬼村の言っていることは、時間が経つにつれてわかってきた気がする。こいつがこの高校に通うようになった理由も、こいつが俺と出会う一週間前から転校してきてた、ってのも……ここの人間たちが『事実を捻じ曲げて、勝手に理解した』ってことなのかもしれない。いや、結局どうやったのかは謎だけど。制服とか教科書とかいつ用意したんだ。
「はーあ、なんか疲れちゃった。慰めてセンセ~」
「昼飯食えばいいだろ」
「それ慰めになんなぁ~い。……あ、そだ」
「?」
鬼村は何か思いついたように椅子から立ち上がると、少し離れてスカートの裾を両手で摘まんだ。
「週末あたしが帰ってー、
センセーがあたしのこと忘れちゃわないように~
今度自撮り画像送ってあげるね。
おかずにでも使って♡」
そう言って、スカートの裾を徐々に上げ始めた。
ふっくらとした太ももが露わになっていき、下着が見えそうになる…………
「──だーっ!! もう、お前準備室出入り禁止!!!」
「え~~」
俺は鬼村の腕をぐいっと掴むと準備室の外へと放り出した。
画像なんて送られて来たら即消去してやる。
──絶対使うかよ馬鹿ヤロー……!!!




