第123話 新たな日常
退院後、学校へ出勤した俺を待っていたのは戸惑いと不安と好奇心に溢れた質問攻めだった。一応教頭と校長には、対妖情報機関の深山さんの名刺を渡しておいた。入院してる間に来てくれた深山さんから「何かあれば私どもの方でもお話などできますから」と言われたからだ。
俺が刀を使って最古の鬼を攻撃したところはどうやら全国に向けて電波に乗っちまったらしい。あれって銃刀法違反とかそういうのになるんじゃねーのかな、と心配してはいるものの……あの刀が消えた以上、罪に問われるのかどうなのか。さすがにこの辺は守ってくれよ、御大層な機関さんよ。
地震による影響としては、校舎の一部にヒビが入ったりしている為修繕が終わるまではそこの教室は使えないってことと、あとは壊れた備品の整理と新に仕入れるのに結構手間取るってことか。……化学実験室なんかは見るに堪えなかったな。割れたガラスの片付けにどれだけ時間がかかるやら。実験器具揃えるのにもかなり金がいるし……まとめて揃えるのは厳しいからどうしたもんだか。当分は授業のやり方も一部変えないといけなさそうだ。
一応目途としては一週間で片付けをどうにかして、徐々に授業を再開してくらしい。生徒たちは自宅待機になってるが……早めに学校来られるようにしてやらないとな。暇だろ。下手に時間ありすぎると非行に走るなんつー面倒なこともあるし、繁華街への巡回なんてこともしなきゃいけなくなるのは勘弁だ。さっさと元の生活リズムに戻してやらんと。
──職員室の自分の机の片付けを終え、隣を見る。元々片付いていた為地震の影響なんてほとんどない河原先生の机に少々苛立ちすら覚えた。そして、あの時聞こえた声を思い出す。
『──だから言ったでしょ、僕が絶対食べるって』
あの人は、何百年と執着したものを手に入れられたんだろうか。
でも、桃の力と鬼の力が相殺し合って……って言ってたからあれはもう中身がスッカラカンであの人が食べたかったものではなかったんじゃ。
……なんて、本人に聞かないとわからない話だな。俺には桃間の力ってのはもう残ってないわけだし、命を狙われることも多分ないんだろう。もう会うことも、ないか。
校内の清掃と、落ちて割れた蛍光灯の交換なんかをして、その日の仕事は終えた。当たり前だが、今日は校内を歩き回るのに久々に靴を履いた。前に買ったばっかでボロボロになったあの上靴。スリッパじゃさすがに硝子の上歩けないからな。……長らく借りたままになってたスリッパも、これを機に返さないとか。
いつもは電車で通勤しているものの、今日はバスで行かねばならなかった俺は帰りのバスの中から復興に明け暮れる街並みを見ていた。その中に一瞬、『居酒屋 花川柳』が見えた。店の玄関に張られていた『お休みします』の紙は、取れてしまったのか無くなっていた。
***
──夜、煙草を吸いながらベランダから叉々山の街並みを見下ろした。いつもなら明るいはずだが、今日は明かりはそこまで目立たない。それに伴って随分と静かな気がして、俺はもう一度ため息と共に煙を吐いた。……隣には、にこにことしながら手すりに腕を置いて頬杖をついている鬼村。
「煙草臭いだろ、中入ってろ馬鹿」
「一緒にいたいからいいのー」
笑みを崩さない鬼村を見て、俺はむすっとした表情を返す。ポケットに突っ込んでいる左手はぎゅっと拳を握った。
「……鬼は、災厄の象徴……だったわけだろ。今やお前らはそういうのとは無縁になったってことでいいんだよな」
「えー? ああー……なんかね。そんな感じっぽい」
「軽いな」
「まあ言っても他の妖怪とあんま変わんなくなったんじゃん? 鬼っていう妖怪になった! みたいな?」
「それってどういう妖怪なんだよ」
「んー、力がちょー強い!」
「………」
あまりにも頭の悪そうな返答に俺は項垂れた。もっと何かないのか。
「えーセンセってばすごい馬鹿にした顔してくるじゃん」
「馬鹿にしてんだよ」
「鬼の強さ馬鹿にしちゃダメだかんね~。全然他の妖怪より強いし~、人間相手だって基本的には何十人って束になったって勝てないんだから」
「そんな強かったのか、お前」
俺が目を細めると、鬼村は唇を突き出して「だから強いって言ってんじゃん!」と怒った。
「だから~、そんな強いあたしらができることって言ったら~……その力を使って守ること」
「守る?」
「暴れて壊して更地にしたってイイコト一個もないじゃん。あたしやうちのお父さんやお母さんはそーゆー風に考えるよ。あーあ、これからもっともっと鬼を祀る場所が増えてくれれば神様にも近くなれると思うんだけどな~」
「……神様ねぇ。スケールがでかくて俺にはわからん話だよ」
「センセーにもわかる話しよっか」
「ん?」
「あたしはセンセーが大好き。だから、いつでもプロポーズ待ってるよん♪」
鬼村は俺に向けてちゅっと音を立てると、満足気に笑みを浮かべた。それを見て、俺はため息を吐く。
「……なんだそれ」
「真剣に言ってんの~」
「つーかお前の『桃間への執着』も消えた今、俺に固執する理由なんてあんのかよ」
「はー? 何センセー修学旅行辺りからいっぱい戦い過ぎて記憶すっぽ抜けた? それとも老化?」
「は!?」
「ホテル前で言ったじゃんあたし、あたしの存在意義は『一樹』だって。あたしはこの先だってずっとずーっと一樹と一緒じゃなきゃヤダ。この恋心も、一樹相手じゃないと成り立たない。一樹が死ぬまでずっと一緒にいたい」
「~~っ、大体! 妖怪が人間にも当たり前に見えるようになった今、妖怪をどう扱うかって国が躍起になってる最中だぞ。結婚だとかなんとか言ってる場合じゃなくて、ごたごたしてる中でお前ができることっつーのはだなぁ……」
「あたしにできること?」
「……残りの学校生活、しっかり卒業まで高校生するってことだよ」
「ええ~! めんどくさ!」
「お前が始めたことだろうが!」
俺が吠えると、鬼村はその場にしゃがみ込んで「も~みんなして学校行けってさぁ〜」とめんどくさそうに呟いた。風に靡いた髪が揺れて、Tシャツの襟ぐりから覗くうなじが見える。俺は目を逸らした。
「……卒業したら」
「んー?」
「ただし卒業したら、そっからは好きにしろ」
目は合わせない。
言葉はちゃんとはっきりと紡いだ。
鬼村の表情は見ない。
……が、なかなか返事が聞こえてこなくて、俺はちらりと隣の様子を窺った。鬼村はきょとんとした顔で俺を見上げている。
「…………卒業したら夜這いオッケーってこと?」
「そっ、ういう話じゃない!」
「ええ~? センセーもっとわかりやすく説明しなよ~。授業もたまにくどくどしててわかりにくいよ? まず結論からはっきりさせたら?」
「うっせぇ! 授業は丁寧に説明してんだろうが!!」
吠えると全身が強張った。吸っていた煙草が小さくなり、しゃがみ込んで置いてある灰皿の上で火の点いた先端を潰した。鬼村と同じ目線になる。今度は胸元が目に入ってどうにも頭の中がかき乱される。が、振り払って鬼村の目を見つめた。
「……お前は、こういうのいらねーのかもしれねーけど、こっちが嫌だから形式として受け取っておけよ」
「形式??」
右のポケットに手を突っ込み、そこから小さい箱を取り出す。
これが一体何なのかわかっちゃいなさそうな顔をしている鬼村の前へ、差し出した。
妙に演技臭くて恥ずかしくなるが、箱を開けて、中身を鬼村に向ける。
箱の中心に埋め込まれているのは、至ってシンプルな指輪。
──内側に名前の彫り込まれた、婚約指輪。
鬼村はそれを不思議な物でも見るように見つめていた。
「前に、指輪とか興味ないみたいなこと言ってたからいらねーだろうけど……」
「あ、そっかそういやそんなこと言ったっけ。……んー、あたしはさ。もう一樹から『名前』っていうすっごい大事なもんもらったわけ。それってあたしの一生を縛るもんだから、今更こんなちっぽけなもので証になるとか思わなくてー……でも」
「……?」
鬼村は箱の中から指輪を摘まみ上げると、それをアパートの中から漏れる光に翳して見ている。
「なんか、思ったより嬉しいかも」
「………」
「あれ? こーゆーのって男の方から指輪嵌めてくれるんじゃなかったっけ?」
「……っ、わ、わかってるっつの!!」
鬼村が持つ指輪を受け取り、落とさないように慎重に持つ。
尖った凶器みてーな長い爪にうんざりしつつも左手を握ると、俺よりも随分と華奢で心臓が跳ね上がった。
「……わ、指輪ぴったりじゃん。サイズどうしたの?」
「………」
「なんで黙ってんの。もしかして寝てる間に測ったとか?」
「………」
「だからなんで黙んの」
無視を決め込んだ俺に呆れた様子で鬼村はため息を吐いたが、指輪を嵌めた状態の左手をまた明かりに翳した。こいつの好みは多分ド派手なのだろうが、指輪をどうしたらいいとかはわからなかったから、ほんと、小さい石の付いたシンプルなものにしたんだ。気に入るかどうかは、知らねーけど、ほんと、ただの形式だし……俺の身勝手な気持ちにケリ付ける為と言うか何というか……。
「……ねぇ」
鬼村は指輪を見つめたまま、何度か瞬きをした。
「なんかさ、存在意義とか、一樹が桃間の血を引いてることだとか……あたしってば今まで『絶対的なもの』しか意味がないと思ってたのかも。正直今一樹は桃間の力なんて無いわけじゃん? 好きな気持ちはもちろん一生変わんないつもりだけど、それでもなんかいろいろあやふやで……だけどこの指輪見たらわかっちゃったかも」
「何が、わかったんだ?」
「人間みたいに、これからは『あたしが信じたいものの為に生きることができる』ってこと」
柔らかい笑みは、
どこかあどけなくて、
俺がずっと欲していたもののように思えた。
突っ込んでいた左手をポケットから出して、鬼村の左手を握った。
「信じたいもの、が、変わっちまわないといいんだけどな」
「えー?」
「……俺以外の奴を好きになってどっか行っちまう可能性もある、かもだろ」
「あはは、何急に。あたしが浮気するかもとか思ってる感じ?」
「………」
「まあそれも可能性としてはあるかもっていうか~??」
「………」
「ちょっと、怒ってんの? センセーいっつも仏頂面だから表情の変化わかりづらいかんね?」
「………」
「ねぇー」
鬼村の左手が、俺の左手を握る。
指輪同士がぶつかって、硬い音を鳴らした。
「……あたし、これからもセンセーのこといっぱい振り回しちゃうよ」
「はあ?」
「だからさぁ、センセーも……一樹も、あたしのこといっぱい振り回してよ」
「振り回し方なんて、知らん」
「女性経験ない上に恋愛下手だもんね~」
「うっせ!!」
そう言い放ったけれど、
目の前の表情を見たら眉間の皺も緩んでしまう。
嫌だな、こんな恋心なんてのに感情が左右されるの。
あっという間に自分ってものを見失いそうになる。
左手を優しく握り直して、そっと持ち上げた。
「……卒業したら、先生と生徒はもうやめだからな」
熱伝導で少し温かくなった指輪に、唇を軽く押し当てた──。
が、急に俺の左手が引っ張られる。
倒れそうになって慌てて掴んだのは、柔らかい……
「おい! こら! 何やってんだ!!」
「だってぇ、センセーがあんまり可愛いことするからぁ~。やっぱ結婚とか省略して子作りから始めちゃってもいいかなって。布団行く?」
「行かん!」
「ほらぁ、センセーのおかげであたしの胸すっごくドキドキしてる~。ね?」
「ね、じゃねーんだよ! 離せ!」
「や~んセンセーってば顔真っ赤ぁ~。もしかして勃っちゃった? このままおっぱい揉んでもいいよ?」
「こ、んの…………馬鹿力ァ!!」
近所迷惑すぎる程の響く声。
身体を休めていたであろう雉が飛んできて叫び声を上げた。
犬と猿はベランダ下から何か言っている。
三匹を宥めつつ、俺はべたべたと体に纏わりつく美鬼をあしらいながら部屋の中へと入っていった。
また一段と騒がしくなるであろう日常を想って──。




