第121話 退院
最古の鬼や力と身体を得た桃間正義による被害は様々な場所で起きていた。大地震による地割れや地盤沈下、建物の崩壊、そして身を隠していた妖怪たちの露呈など……。
しかしこれらは起こることとして前もって周知されていたようだった。
豪鬼さんや、その他にも現存する幾らかの鬼たちが災害が起きるよりも前から鬼ヶ島の様子を確認していたらしい。そして近く最古の鬼が体を再構築し復活させる際には広範囲への影響を及ぼすことを天狗へ伝えていたのだと。その甲斐あって災害が起きた際妖怪だけでなく人間の避難誘導や救助といったことが円滑に行えたのだ、と。
豪鬼さんは元々鬼ヶ島へ直接来て共に戦おうとしていたらしいが、奥さんの屠鬼さんに他の地を守るよう引き留められたのだという。……俺達だけであれがどうにかできると信じていただとかなんとか。それを聞いた時は「いや信じられても」と思ったが……結果として、豪鬼さんたちが他の妖怪たちや人々を守ることができたのなら、それで良かったと思う。
今回の災害で負傷者が多く出たことは免れなかったが、その後の治療には傷を治せる妖怪も手を貸してくれているらしく想定以上の混乱は起きていないようだ。
ちなみにまだ混乱の最中ゆえに上手く進んではいないらしいが、写真館の二条さんとのっぺらぼうの助けによって今後変化の不得意な妖怪たちへ『人間社会で暮らす為の姿の斡旋』をしていくらしい。また山猫調査会や狐狸狢界変サービスとやらも妖怪たちが人間社会でやっていく為の生活支援を始めるとかなんとか。
ともかく、今回の盤上界と転外界が混ざり合った現象、そして鬼や桃太郎による暴走までをひっくるめて<転盤の奇禍>と呼ばれることなんかを──俺は病院のベッドの上で様々な人間から代わる代わる聞いた。
***
戦いの後、俺は意識を失って病院に運ばれベッドの上で二日ほど寝ていたらしい。その後丸一日検査やら何やらを終え、めでたく退院することとなった。
退院の手続きをしていると後ろから看護師さんに声をかけられた。よくよく見れば、それは煙羅煙羅の煙道さんだった。──それから彼女の後ろをついて行った俺は、何度か来たあの診察室へと足を踏み入れた。
「やあやあ桃間さん、随分と顔色が良くなったみたいだね」
明るい声でそう出迎えたのはアマビコの尼野先生だ。慌ただしい病院の中で、この診察室の中は今まで通り別世界のように静か──かと思えば、部屋の中で内線電話の音が響いた。さも当たり前かのように煙道さんが受話器を取っている。
「こっそり借り暮らしだった私らも今じゃ他の医師や看護師たち同様に院内で駆け回ってる次第だよ、ははは」
「あ、はは……」
災害の後は病院は一時混乱状態だったという。人間だけではなく、妖怪ですら病院へ担ぎこまれる様だったと。尼野先生も迷ってはいられずに対応に加わったんだとか。
「私は人間相手の医者じゃないからね、ほとんどは妖怪を診たわけだけど……それでも、軽傷の人間の応急処置なんかは僕と早羅ちゃんでやったよ。ちょっぴり治りが早くなるおまじないなんかも添えてね」
ぱちんとウインクをする尼野先生。そのおまじないとやらは詳しく教えてはくれなかったが……悪いものではないだろうことはわかる。
「ああそうだそうだ、桃間先生に話しておきたいことがあってね」
「話しておきたいこと?」
俺が首を傾げると、尼野先生は内線の受話器を置いた煙道さんを手招きして近くに立たせた。どうやら煙道さんもこれから話す内容がわかったようだ。
「実はねぇ、早羅ちゃんは少し前に旅行に行っていたんだけれど」
そう話し始めて、俺はふと思い出した。二度目にここへ診察に来た時だからもう三ヶ月前のことになるだろうか、あの日は尼野先生の傍らに煙道さんはいなくて、『彼女は今旅行中』とだけ聞いていたんだ。
「実は北界道にまで行っててね、コロポックルさんを帰しに行ってて」
「コロポックル?」
聞いたことのあるような単語が出てきて俺は復唱した。妖怪みたいなものだっただろうか。
「小さな神様や精霊……とでも呼べばいいのかな。掌に乗るくらいの小さな身体を持つ方なんだけれどね、実は桃間さんに三十年以上くっついてたらしくて」
「……は?」
突拍子もないことを言われ、俺は一瞬思考が停止する。尼野先生も困ったようにぽりぽりと頭を掻いていた。隣の煙道さんだけが落ち着いていて呆れたようにふうと一息吐いている。
「え、俺に小人がくっついてたんですか? 三十年も??」
「いやぁ気づかなくてもおかしくないさ。彼らは隠れるのが上手いらしいし、僕ら妖怪だって見つけるのが難しいようなんだ。まあ、悪さをしていたわけではなくてどうやら君のことを見守っていたみたいだから怒らないであげてよ」
「見守っていた?」
──話を聞くと、そのコロポックルとやらは俺が産まれた場所辺りに住んでいたらしい。記憶は薄いが、俺は幼い頃北界道に住んでいた。桃間を勘当された俺の父さんは、母さんの親戚筋がいる北界道へ行き働き口をもらってそこで夫婦で暮らしていたんだと。かなりド田舎で暮らしてたって後から聞いたけど……その辺りに住んでたのがコロポックルってことか。
「何でも、そのコロポックルさんたちが暮らしていた土地にはその頃いろんな妖怪が増えてきてたらしくてね、好き勝手暴れ回る奴らもいて困ってたんだとか。そこに桃間さんご夫婦がやってきたんだけど……桃間さんのほら、邪を寄せ付けない気のおかげでね、暴れてた妖怪たちが尻尾を撒いてどこかへ逃げて行ったんだとさ。それでコロポックルさんたちは平穏な生活を再び手に入れたんだって」
「そりゃ随分な偶然ですね、こっちは特別何かしたわけでもないのに」
「それから恩を感じたコロポックルさんたちは陰から桃間さんご一家を見守るようになったらしいよ。たまには気づかれないようにいろいろ生活の手助けもしてたんだとか。それでどうにも桃間さんが他のご家族とは何か違うということに気づいたらしくって。引っ越す時にも、そのうちのひとりがついてきてまで桃間さんを見守ってたんだってさ。君が危険そうな妖怪に狙われてた時も、見つからないよう手引きをしていたようだよ」
「ええ……」
全くもって身に覚えのない話をされ、困惑する。俺はそんなに長い間本当に守られてたってのか?
「ああでも、一つ謝りたいことがあるってそのコロポックルさん言ってたらしいね」
「謝りたい?」
俺が訝し気な声を上げると、尼野先生の隣に立つ煙道さんが口を開いた。
「……桃間さん、しばらくの間花粉症だったことがおありでは?」
「え…………はい」
突然花粉症の話題を出されて、俺はぽかんとした。が、煙道さんは気にせずに続ける。
「コロポックルの方は桃間さんについて丘山へ来られてからはひのきの木を寝床にしていたようなのです。丘山は杉よりもひのきの生産量が多いですから、多くあるその中から良い木を見つけたのでしょう。そしてそのひのきの花粉を纏ったコロポックルの方が近くにいた為……どうやら、花粉症になってしまったらしいとお聞きしました」
「は!? え……待てよ、丘山に来たのはここ数年の話だから、花粉症になり始めたのと確かに重なるぞ。何だよ俺が花粉症になった原因ってそいつのせいなのかよ……」
「桃間の丈夫な体でも、常時近距離にある花粉には耐えられなかったんですね。──そして今年に入り、鬼村さんが桃間さんの何らかの封印を解いた際にその衝撃で桃間さんから弾き飛ばされたようで」
「だから花粉症も治ったってか!?」
「……まあまあ桃間さん。さっきも言ったけれど、怒らないであげてね」
再度尼野先生に釘を刺され、俺は引き攣る口元をどうにか抑えると「……はい」と返事をした。その時また内線の電話がかかってきた。煙道さんは落ち着いた様子で受話器を取りに行く。それを目の端で捉えつつ、尼野先生が話し出した。
「早羅ちゃんがコロポックルさんと話ができたのは本当にたまたまだったけれど、それで僕たち妖怪にも一筋の光っていうのが見えたよ」
「どういうことですか?」
「彼らはね、私たちとは違って元々現象ではないんだ。でも人間でもない。肉体を持った神様……とでも言えばいいのかな。彼らの生き方に学ぶべきところがありそうだなって。
私たちは、本来肉体を持たない。動物が生まれ持った妖力の増幅によって妖怪へと変わる場合も、元々の肉体は徐々に老いて消滅していくんだ。腐敗した肉体は自然へと帰り、そしてまた新たな妖怪たちの糧となる。
……そして、そんな私たちに今回の<転盤の奇禍>と呼ばれる事件によって完全に『肉体』というものが備わってしまったわけだ。動物や人間に近くなったわけだね。何故そうなかったかはもちろん説明なんてつかないけれど……成ってしまった以上は、私たちはそう生きていくしかなさそうだ。そして多分、この命というものは大事にしなければいけないのだろうね」
尼野先生の説明に、俺は数秒止めていた息を静かに吐き出した。
「……死んだら、すべての妖怪たちも元には戻れないってことですか」
「それはどうなんだろうなぁ。死んでみないとわからないところだけど。……でもきっと、死を迎えればまた土に還り、そして新たな現象の糧となるに違いないさ。同じ意識を持っているかはわからないけれど、私が死んでも、誰かが存在を覚えていてくれさえすれば……きっとまたどこかでアマビコが生まれるのかもね。
私たち妖怪は恐怖や、畏れ、敬い、
──様々な人間たちの想いから生まれるものだから」
「………」
何と言えばいいのかわからずに、俺は少しだけ浮いていた腰をすとんと椅子の上に下ろした。
世界は変わった。
妖怪が突然現れてパニックになる人間も多いことだろう。
けど、
それと同じくらい……戸惑いを隠せない妖怪たちも、いるってことだ。
「──先生」
「ん? ああどうぞ」
何かに気が付いたように診察室の扉へ視線を向けた煙道さんに、尼野先生も気が付いたように扉へ声を掛けた。扉が開き、入ってきたのは……
「センセー! 退院とか言ってたのに全然病院から出てこないから探したじゃん!」
「あ、え、鬼村?」
鬼村は診察室へ入ってくると煙道さんが用意した椅子を受け取って俺の隣へとぴったりくっつくように座った。
「センセー身体診てもらったのー?」
「いや別に」
「おっとそうだった、せっかくだし診せてもらおうと思っていたんだよ! あれから何か変わったことは無いかい?」
「変わったこと……」
戦いにより全身は痛いが、変わったことという程ではない。それ以外となると……
「ああ、妖力を一切感じなくなりました。あいつ……桃間正義が俺の中の力を全部吸収したとか言ってたから、それででしょうけど」
あいつが言っていたことを、俺は簡単に説明した。尼野先生は興味深そうに「ふんふん」と相槌を打ちながら聞いている。隣の鬼村もだ。
「なるほどなるほど……じゃあ、桃間さんの勃起不全と無精子症は全部桃太郎のせいだった、ってわけかぁ。妖力の流れをストップさせて、新たな子を作らせずに桃間さんに全ての力を集約させ、最終的には桃太郎がその体を乗っ取ってやろうって魂胆だった、と」
「……無精子症はわかるとして、EDになる必要性ってのはあったんですか」
「そもそも勃たないならヤル気だって起きないじゃない! 下手に望みを抱かせないようにしたんじゃない? 仏心的な」
「どこが仏心だ!」
間髪入れないツッコミに、尼野先生は可笑しそうに笑い声を上げる。隣の鬼村はつまらなさそうに唇を尖らせていた。なんだその表情は。そう思いつつも、俺はふと思い至り「あ」と声を上げた。
「……すみません、あと気になることが一つあって」
「うん?」
「いや、その……桃間は元々破邪の力だかってので妖怪から攻撃されることはない、とか聞いたんですけど、俺は普通に攻撃されてましたよね。あれって何だったんだと思って」
俺の質問に、尼野先生はもったいつけるように顎髭に触れた。
「ふむ。桃太郎亡き今、これは推測にしかすぎないけれど……体を乗っ取る為にその効果を桃間さんにだけ与えなかったんじゃないかな」
「ええ? じゃあ……」
じゃあ、何だ。
幼い頃に鬼村と会ってからの俺は妖怪からは認知されなくなってたからいいものの、それまでに万が一攻撃されることがあれば死んでたかもしれないってことだよな。桃間正義の知らないところで俺が死んでたら体を乗っ取る計画は失敗するわけだし……じいちゃんの夢に出てきて狂ったように俺を探してたのもそれならまあ納得、だけど……。
「…………生きてて良かった」
「ええ~? あはは、もしかして殺されてたかもとか思ったのかい?」
「まあ、そりゃあ」
「前に言ったじゃない、桃間さんの体はすこぶる頑丈って。だからその辺の妖怪に攻撃されたところで致命傷にはなかなかならなかったと思うよ。まあ苦しみはしたかもしれないけれど」
「………」
「でもそういう危機から守ってくれたのがコロポックルさんたちなんだから感謝しないとねぇ!」
あっはっはっは、と尼野先生は大口を開けて笑う。俺の口角はさすがにつられて上がることはなかった。
「いやぁー、そして結果的には桃間さんを乗っ取ることもせず、桃太郎はせっせと貯めた妖力を自分のものにすることもできず、最古の鬼と共に共倒れした……と」
「可哀想な奴ですね」
「可哀想かい? 桃間さんは優しいねぇ、殺されかけたっていうのに。とにかく、最古の鬼は苦しみから解放されてハッピーエンド、諸悪の根源の桃太郎は消え去ってハッピーエンドってところだね」
「ハッピーエンドって……」
「ああそれに、桃間さんもちゃんと自分自身を取り戻せてハッピーエンド、だ」
尼野先生の視線が下を向いた。自分自身、が何を指すのかすぐに理解したものの俺は下手に反応することはできない。隣ににやにやと腹立たしい表情でこっちを見てる奴がいるからだ。
「……ともかく、俺はもうただの人間で、三匹を召喚するだとか、戦うだとかってことはできなくなったんですよね」
「うーんそうだねぇ……私から見ても今の桃間さんは普通の何の力も持たない人間だ。だから、新たに何かはできないだろうね」
「……?」
尼野先生がにこりと笑う。隣にいる鬼村も、何やら含んだように笑っていた。
「さあ、もうお帰り。私は他に診なきゃいけない患者がまだまだいるからね。元気な君たちは、君たちのすべきことをしなさい」
「あ……はい」
すべきこと、と言われて仕事のことをふと思い出した。そういや修学旅行の途中で抜けてきたんだった。校長や教頭、他の先生方にどう説明すべきか考えると頭が痛い。
俺と鬼村は立ち上がると、尼野先生と奥にいる煙道さんに頭を下げて診察室の扉を開けた。今回は普通に病院の廊下へと続いている。診察室を出た時、すれ違ったように誰かが入っていった気がした。
「すみませ~ん、すぐ診てもらえます? 明日には出勤したくて~」
「おや珍しい、河童の患者さんだ」
──えっ?
振り返る。が、ゆっくりと扉は閉まっていった。診察室の中に誰が入っていったのかは、わからなかった。
「センセーどしたん?」
「え、ああ……いや、何でもない」
「てかねーあたしアパート戻ったらバイト先に制服返しに行かなきゃでー」
「なんだ、やめるのか?」
「まあちょっとーやめるしかないかぁみたいな?」
病院から歩き、最寄りの駅まで着くと俺達はバスに乗った。電車は一部区間が地震の影響で線路が歪み、運行できないようだった。でもそれも、鬼村の話ではすぐに解消されるだろうという話だ。「復興作業には今や人間だけじゃなくって妖怪も加われるんだからね」と、鬼村はどこか得意そうに言った。
──いつもよりも時間がかかりながらも帰ってきたアパートの前には、興奮したように走り回る犬と、泣きながら俺の名を呼ぶ猿と、恭しく頭を下げる雉が待っていた。鞘の中に消えたはずの、温かい肉体を持ちながら。




