第120話 祈りの果て
何もない空間が広がっている。
身体の重みも一切感じない夢のような感覚の中に俺は立っている。
目の前には、俺の祖先である男。
今までにも何度も俺の夢の中に侵入してきては振り回してきたそいつが、尊大な態度でそこに胡坐を掻いていた。
『お前の目にも見えていただろう、間違った、悪しき者たちやそやつらの住み着いた世が邪気に塗れ、ひどく淀んだ色をしていたのを。邪や厄の蔓延る世は汚らわしい。私はそれを全てが透き通った世界に、より良い未来にしようとしていただけだ。他のどの為政者にも成し得ないが、私が神になればできた』
「んなもん、誰が支持するっつーんだよ」
俺は腕を組み、未だ諦めの色を見せない男を見つめた。
「お前が話してくれたことは引っかかるとこが多すぎて理解しがたいけどよ、なんて言うか……多分、自然災害も起きない、邪な考えを持つ人間もいない、とかそういう綺麗な世の中を作るって話だろ? 全てをお前が管理するみたいな世界、管理される側からしたらたまったもんじゃねぇよ。大体なぁ、人間ってのはどんな災害が起きたって苦虫噛み潰しながらその不幸を踏み台にして生きてくもんなんだよ。災害だけじゃなくて、困ったことが起きるからそれに対処する為に脳みそ使って考えるんだろ。考えなくていい世界なんてのは、馬鹿になるだけなんじゃねーの?」
「完璧に導く者さえいれば、そんなことは些細な問題だろう」
「些細ねぇ。お前がやろうとしてたのは、よちよち歩きの赤ん坊の通る道を小石一つない舗装されたものにするみたいなことだろ。人間にしろ動物にしろ、障害ってのはあった方が成長するんだよ」
桃間正義は、表情を強張らせたまま俺を見つめていた。何を考えてるかはわからないが、俺は肩をすくめて見せる。
「……ま、世界を作るとかそんな尊大な話、俺には到底理解できねーよ。俺は目の前の仕事をこなして生活して、そんでじいさんになってく未来しかわかんねーからな」
『……私の血を受け継いでいるはずなのに、ただの人間くさい男よ』
「お前と違ってただの人間なんだよ、こっちは」
苛立ちから俺は大きなため息が出る。目の前の男の方は、息をしているようには見えない。
『私はお前から全ての力を奪った。本当にただの人間と成り下がったわけだ。さてあの鬼はどうするだろうな』
「どういう意味だよ」
『それにしてもお前の名は、一樹、か。私にはあの桃の木たちを良き力にすることは叶わなかったが、受け継いでいった子孫が大きな農園へと変えていった。お前もまた、これからの世を育む一の樹となるのやもしれん』
「……?」
『がしかし、これからの世は難儀だろう。今までとは変わり果ててしまい、これまでの世とも形は違う。私にはこの先の未来は把握できん』
「あのなぁー……」
俺は呆れかえり数秒目を閉じた。再度開けた視界には、俺の次の言葉をじっと待つようにしているそいつがいる。
「未来なんてもん、誰もわかって動いてねーよ。俺達は今まで通り、これから何が起こるかもわかんないまま、手探りで生きてくんだよ。それが生きるってことだろ」
俺がそう言うと男は──正義は随分と可笑しそうに笑った。初めて見た少年のような表情に、俺は一瞬狼狽える。だがすぐに、また元の人を見下すような笑みへと戻った。
『……ふん、まあ良い。私は少々疲れた。今まで一度も眠るということをしていなかったからな。この世に敗北を突きつけられた以上は、目を閉じるとしよう』
立ち上がった男の身体がゆっくりと空気に溶けていく。
身体が透け、表情も見えなくなった頃、消えかかった声が響いた。
『それにしても、力あるものだったはずの私が、最後は木っ端な妖怪に食われて命を終えてしまったか。私を恨むお前からしたら……良いザマだっただろう』
悔しさのような、
諦めのような、
笑いを含んだ声がそこで途切れた。
「……お前は俺が恨んでるとか勝手に思ってるけどよ、別に恨んでねーっつの。お前のおかげでこの世界が守られてたってのは、確かだろ」
──返事は無い。もう消えたんだ。
妙に気恥しくなり、俺は頭を掻いた。
「ちゃんと言ってやりゃ良かったのかな」
***
夢というものは、それらしい区切りが来ると自動的に覚めるものと思っていた。のだけれども……
「……なんで俺一人でここに取り残されてんだよ」
真っ白い何もない空間。
声が反響しない為、広いのか狭いのかもわからない。
どうやって起きればいいのかと思い、とにかく壁にぶち当たるまで走ってみることにした──が、全然辿り着かない。飛び上がって天井に手が届かないかと確認する。それも無理。この地面は壊れやしないか、強く踏み鳴らすも何も起きず。
「あーもー何なんだよっ!」
『あっはっはっは、元気だなぁ桃間一樹』
もう一つ知らない声が聞こえてきて、俺はびくりと肩を震わせた。男のような、女のような声。知り合いではない。
『いやぁ、とうとう世界がひっくり返ってしまったね。覆水盆に返らずってやつだ』
「何の話だ?」
『何の話? もちろん君たちが生きる世界の話に決まってるじゃないか』
声はさも前からの知り合いかのように語り掛けてくる。
『表と裏の関係にあった二つの世界が、ゆっくりゆっくりと揺れ、そしてピークに達してしまった結果ごちゃまぜになったわけだ』
「表と裏……鬼村だけが言ってる話かと思ってたが。あんたもか」
『あの子にそう言ったのが私だったからかもしれないねぇ』
「じゃあお前は鬼村が言ってた神様ってやつか」
『そうそうそうだとも! 自己紹介の手間が省けて助かるなぁ』
のらりくらりとした喋り方……どうにも苦手な奴の気配がする。
『君は早く現実に戻ってあの鬼の子といちゃつきたいかもしれないけど、まずお話をと思ってね』
「いちゃっ……勝手なこと言うな!」
『なんだい別に怒らなくてもいいだろう。まず大事な点が一つ、<鬼の災厄>は全て消え去った』
「……消え、去った?」
『実は君たちが最古の鬼と呼んでいたものは正しい状態で管理がされていなかったのさ。その為に保管していた事象、記憶、災厄、魂といったものがごちゃまぜになってまるで一つの生命体かのようになってしまったんだね。そして先ほどの戦いでそれはあの桃太郎くんによって全て吸収され、そして、互いの力によってなんと互いの効果を打ち消してしまったわけだ。鬼から派生した分離体にも影響して、君の愛するあの子の災厄も今は消えてなくなったってわけ。
君と彼女が交わることで起きるとんでもない災厄という問題は、解決したわけだ』
「そんな都合のいいこと……あんのかよ」
『いやぁ本当に都合がよかったね。めでたしめでたし! ──とはならないのが世の常だろ』
「!」
やたらと芝居めいた声は、こほんと一つ咳をするとまた話し始めた。
『災厄自体はこれからも生まれる。最古の鬼が封印されていたところでいろんな自然災害や事故や事件、様々なものがこの世には起こっていただろう? そういうものだ。君の愛する鬼が直接何かを引き起こすことはなくなったにせよ、今後この世界で何かが起こることは大なり小なり必然だ」
「それは、そうだろうけど」
「そして私たちが危惧していることは、この世界が終わらなくなってしまったこと、だ」
「……?」
「一つ君にだけ教えてあげるとね、この世界はもう何度も何度も同じ時を巡っている。地球が生まれ、微生物が生まれ、多くの生命を育み、人間が文明を持ち、多くの戦争によって領土を広げ、様々な種の痛ましい歴史を繰り返し、そして栄えた。君たちが暮らしている<現在>も、すでにこれまでに起きている<過去>だ』
「……ループした世界、ってことなのか?」
『そう! とも言い難いのが今回の世界。ちょっとばかしのミスでこの世界は揺れてしまってね。今までの世界とは違う部分が多いんだよ。例えば君が今住んでいる叉々山市というものは過去にはなくて、丘山県というのも以前は岡山県だった。地名なんかは元の言葉と同じ音のようで意味が違ってたりするんだよ』
「そう、なのか……?」
『そして一番の違う点が、君たちが言う<妖怪>が意識や形を持ってしまったこと、そして世界が混ざってしまったことだ』
──突然、目の前に大きな手が浮かび上がった。
その手は俺の頭上で水を掻き混ぜるみたいにゆっくりと動くと、俺は立っている場所がぐらついてよろけた。
「うわっ」
『妖怪、怪奇現象、都市伝説、なんでもいいけれど、そういったものはあくまで自然現象に留まっていた。これまではね。今までにも「妖怪がこんな形をしている」と人間がお遊びで形作ったりもしたけれど、それでもこれまでは命を与えるまでに至らなかった。でも今回は違う、ただの自然現象であった彼らには形や意識が与えられ、そして生き始めた。今までに無いことが起きた。全て、世界が揺れてしまったせいで。……そして世界は混ざってしまった』
真っ白な空間だったものが、大きな手が掻き混ぜるにつれて色が変わっていく。そして俺の足元には街が広がる様子が見えた。これは、俺達が住んでる叉々山市か。
──空には天狗や羽を持つ妖怪が、更には龍のようなものが飛んでいる。
──遠くに見える海には、真っ黒な海坊主が海面から顔を出してる様子が見えた。
──人間の住む町に、たくさんの妖怪がいる。
『不思議な光景だろう、私も見たことがない。こんなにも混沌とした世界で、さあ君たちはどうやって生きていく? 何を壊す? 何を作り上げる? ルールの定まっていないこれらを誰がどうまとめていく? 混乱はすぐそこだ。これまでのどの時点かで世界が終わってしまっていれば、こうはならなかった。君はこれを見てどう思う?』
大きな手に、
俺の背を撫でられたような気がした。
俺は街を見つめ、息を呑む。
たくさんの人間と
たくさんの妖怪。
彼らは今何をしているのか。
……大地震によって崩れかけていた建物から、人の子を連れて出てきた布のような妖怪が見えた。地震から逃れた人々を、山猫たちが人間と共に避難場所へと誘導している。化け狐たちが街の警官の指示で信号に化けて交通整理を手伝っていた──。
他にも様々な形で妖怪と人間が関わっているのが見えた。目についたのは良い部分だけだったかもしれない、きっと見えないところで人間妖怪双方が悪さをしている面もあるのだと思う。だとしても、俺には今見えたものだけで、十分だ。
「神様とやらが思ってるよりも俺たち人間や、あいつら妖怪、なんとかやってけるだろ。生き物っつーのは淘汰されてくだけじゃなくて……柔軟に生き方を変えていけるものだからな」
『良い答えだ、桃間一樹。計算上浮かび上がった者に過ぎないが、私が選んだだけある。……さあ、兎にも角にも、君と鬼の子は晴れて自由だ! 祈りの果てにできた道を進むが良いさ! そして新たな世界とやらを私達に見せておくれ』
今度こそ、夢は終わった。
見えていたもの全てが消え去り、
俺は静かに現実へと意識を取り戻した──。




