第119話 桃より生まれし
──私が何を目的としてこの世に生み落とされたのかは知っていた。
球体状のこの世界が、何をきっかけにかは知らないが『これまでには無かった変容』を遂げるであろうことを、外の者たちは危惧した。その変容を留め、私という逆位相を作り、それによって異常を無かったことにしようとしたのだ。
……などと言っても、伝わるわけもないが。
桃と言う世界を救う果実は、荒波を鎮める為に外の者たちによりもたらされた。
“厄除け”
“子孫繁栄”
“延命長寿”
さらには、
“不具合・欠陥の発見”
“その原因の特定、除去、正常化”
“再庫内部の反転、不整理による叫びの無音化”
全ては
桃が川を流れ、
海に染み出し、
世界を巡ることで、
神々の望む元の世界に戻るはずだった。
だが、あいつらは何でもかんでも詰め込みすぎたのだ。
桃には私という意識が宿った。
それはただの特効薬ではなく、生物へと変貌した。
川を流れる私は恐ろしくなった。
この桃が海へ着く頃にはこの体である果実は水流による摩耗でバラバラになるのではないのか。痛みは感じないだろうか。私の意識は分散化されるのか。であれば私というものは一体何になるのか。得体の知れない恐怖が襲い掛かり、私は助けを求めた。
私の声はたまたま通りがかった人間へ届いた。口も無く音を発することもできない私の声を聴いた──もしくは感じ取ったのだ、その人間もまた世界の変容の影響を受けた者だったのだろう。その人間は私を持ち帰った。だが、それからどうしていいかは私も人間もわからなかった。その人間の夫である男は、「桃は古より不老不死になる食べ物とされる、さっそく食べよう」と妻へ持ちかけたが、妻は首を縦には振らなかった。私が拒絶の意思を示したからだ。
この身を食われれば、私は一体どうなるのか。考えるのも恐ろしかった。どうすれば私は私のままいられるのか。どうすれば自由の効く体を得られるのか。日に日に熟し、柔く脆くなっていく身に恐れを抱きながら、私は賭けに出ることにした。
この身を食わせたのだ。
毎晩、毎晩、眠る女と男に私を食べるよう語り掛けた。
それが人間の意識に入り込むことができると知った最初のきっかけだった。
数日経ってほとんど腐りかけた頃、私は朦朧とする意識の中──人間に食われた。
痛みは感じなかった。その身に痛覚というものはなかったからだ。だがこの身が切り刻まれていく様子や、口の中へ運ばれる様子、肉壁の中を流れて消化される様子はありありと私の意識に刻まれた。そしてその後、女と男は桃による“子孫繁栄”の効果を宿し営みを行った。私がそうするよう示したのだ、半分強制ではあった。そして数日の後に、女の腹の中に私の意識は再度構築された。
待っていられない私は十月十日も経たずに腹の中で成長し、そして産まれた。元が人間ではない私は、成長も早かった。もちろんそれは異常ではあったが、その夫婦には長らく子が無かった為「神の子かもしれぬ息子を、誰にも取られてはならぬ」と口外しなかった。住んでいた場所も村から外れた場所だった為、気づかれにくかったことだろう。
器を手に入れた私は、まるで快活な人間のように振る舞いながらもこれからどう生きるべきかと悩んだ。しかし、目指すべき道は最初から決まっていたのだ。人間の目を手に入れた私には、災いや妖のあるところがはっきりと見えた。そして私の中には『世を救う為の様々な力』が施されていた。それにより、私は夫婦が世話になっている村や、その近辺で続く不作を助けてやることにしたのだ。そしてすぐにわかった、その原因が鬼であることを。
鬼は至る所にいた。
鬼といっても、そこらにいたのは小さくほとんど目につかないものだ。それらは災いをもたらしては去っていく、そういうものだった。それらを日々斬って回っていた私だったが、いつしかそれも面倒に思うようになった。いすぎるのだ。それに、鬼は斬っても消滅するわけではない。災厄というものは繰り返し繰り返し、その地を襲うものなのだ。自然災害にしろ、飢饉にしろ、疫病にしろ。しかし私は自分の力に自信を持っていた、だから、大元を断つことにしたのだ。
そもそもそういう目的だったのだろう、鬼の元を辿ろうとするとすぐにどこへ行けばいいのかがわかった。離れた場所にある山の上だ。
私は「世を守る為鬼退治へ行く」とこの身を作った夫婦に言った。夫婦は私が手を離れることを甚く惜しんだが、了承した。私としてはそう長く育てられた覚えもない為、夫婦には情というものは然程抱いていなかった。旅の道中の食べ物など渡されたが、私の身体は栄養を欲してはいなかった為、無駄な荷物とも思った。
鬼のいる山へ向かう途中、倒れた犬を見つけた。
息はしていなかった。
身体は冷たかったが、魂はまだそこにあった。
私には“延命長寿”の力が備わっていた。それは──この世を離れようとしていた犬の魂を繋ぎ直し、永遠の命を与えることができた。「可哀想」などといった気持ちは持ち合わせていなかった。命は循環するもの、死に倒れた生き物は自然に任せるしかない。だが、私は鬼退治を目的に歩いていた。私の家来となるものが欲しかったのだ。できれば私の意のままに動くような、そんな存在が。
再度この世へと意識を取り戻した犬は、匂いを嗅ぎ取って私の懐にある食べ物を欲しがった。食べ物を必要としない私はそれを犬にくれてやる代わりに、全てを私に捧ぐよう言った。犬は、ただの腹を空かせた犬だった。後のことなど微塵も考えなかったのだろう。たかが黍団子一つで全ての権限を私に譲った。
その後も、山へ近づくにつれて行き倒れた猿や雉に遭遇した。そやつらも犬と同じように命を繋ぎ止め、黍団子を与えた。いとも簡単に手駒が手に入り、私は上機嫌になった。考えてもみればそうだった、私は全ての力を有した存在であるのだ。生きとし生けるもの全てが、私を必要とし、首を垂れるものなのだと。鬼のいる山へ向かう間に、この先私に待ち受けるものが何なのかを考えた。
──山の頂上へと着き、大きく窪んだ真ん中には、まるで赤子が泣くように身を丸めて叫ぶ鬼がいた。大きな体で何かを守るようにうずくまっている。
本来ここは音もなくこの大穴も誰にも感知できないはずだった。
私はそれを知っている。
これは、秘匿された庫であったのだ。
あの鬼そのものが。
「……今はただその身の内にある災厄を撒き散らすだけの存在よ」
ここへ至るまでに立ち寄った村々は、この鬼の悲鳴と共に起きる瘴気によって疫病が蔓延し、人間たちは死んでいた。それは私がいた辺りの村まで及んでいたのだろう、あの消えない鬼たちはそれが理由だったのだ。
そして家来の三匹たちを使い、いざ鬼を倒してしまおうと思った時。
刀で切り落とした鬼の一部と共に、零れ落ちた記憶を垣間見た。
──光り輝く砂粒のようなものは、記憶の像を映していた。
それも、見たことのない世界の、だ。
一瞬の間に、その小さな記憶の欠片たちを見つめながら私は悟った。
これは、未来の記憶なのだと。
私は知っている。
この鬼そのものが秘匿されていたはずの庫であると。
この中には、
全ての記憶が詰め込まれているのだ。
災害、災厄、飢饉、疫病、偶発的な、人為的な、全ての事象。
それらは使いようだ。
どう扱えば不利益ではなく最大限の利益とできるか。
私は胸が高鳴った。
今この瞬間、私だけがこの先の未来を知ることができるのだと。
そこからは只管にそれを切った。
切って、
切って、
両手で抱えきれないほどの記憶を見た。
これは永遠の財となる。
そして後の功績となる。
私は記憶を正しく使って、鬼だけではなく、世に蔓延る悪しき妖怪たちを全て取り払うことができる。
私が是正する。
この世の全てを。
いわば、それは、神になるということだ。
「私は、この世の神になれる」
高揚した。
がしかし、まだ早い。
人間と違うとはいえど、この身は人間によって作られたもの。
神とは程遠い。
神足るには力を蓄える必要がある。
──私はその場で鬼を滅せずに封印することとした。とはいえ消す力はあれど封じる力の無かった私は『陰陽師』と呼ばれる者たちの力を使うことにしたのだ。何、力の使い方さえわかればどうということはない。陰陽師たちの封印の儀を覚えた私は、鬼の両腕の入った箱を持ち帰った。これで両腕の分は時を構わずに記憶を手に入れることができた。
力をどう蓄えるかは村に帰ってからしばし思案した。外の者たちが私を生み落とす際に桃と言う形を取ったことを考えると、自分で育てた桃に力が備わるかとも思ったが……上手くはいかなかった。がしかし、気まぐれに作った人間の子から私と同じ力を感じるとわかったのだ。私は子孫を多く作り、彼らから力を吸収し、得ることに決めた。
人間の養育にはたくさんの食糧や、そして金がかかる。しかしこれは些細な問題だった。私には鬼から得た未来の記憶があった為だ。その記憶を頼りにどこに田を作れば良いか、どこへ行けば山菜などの自生する植物や肉付きの良い獣に出会えるか、どこに砂金の取れる河口があるか。全てがわかっていた。ただ、それらには少しのずれがあった。その未来の記憶は、この変容した世界では少しの違いがあったのだ。だが、気にする程でもない。私はそれらの記憶を使って桃間を繁栄させていったのだ。
この身が朽ちる前には、刀の中に身を潜めることとした。力を蓄え、新たな身体を手に入れるまでの辛抱だった。長い時を要するが、構うことはない。その後世界を掌握することを考えれば、僅かな時間だ。
子々孫々へは刀と共に鬼の腕の入った箱も揃えて守るように伝えた。そして夢という無意識下に入り込み、私は桃間の血を増やし続け、記憶により必要なものも全て与えた。現代で言えばそう、当たるものを教えたりしたのだ。馬券や事業などがそうだ。桃間は桃間の血を守る限りは飢えに苦しむことはないのだ。これほどまでに手厚く世話を焼いてやっているのだ、誰も祖先を恨もうとは思うまいて。
──お前を除いて。




