第118話 瓦解
──静まり返った中、中心にいる男を誰もが見つめる。
「お前たちに夢を見せていたのは私だ。自らの価値を理解させ、祖先を尊び、そして私がその身や感情を手中に収めやすいようにしていた。いわば、言いなりになるように、だ」
やけに優し気な声でそいつは言った。隣にいる犬は怯えたように俺に大きな頭を押し付けている。猿と雉も俺の後ろに控えていた。
「何故お前たちに多くの子どもを作らせたか、は、さっきも言ったろう。種を増やし、熟すことで育った力を我が物とする為だ。私の血を受け継ぐ者が増えれば増える程、私の力が増していくのだ。だがそれも私が再び世に現れる時までのこと」
地響きを伴って地面が揺れ、至る所で地割れが起き始める。島の端は崩れて水の中へと落ちていっていた。いつまでここに立っていられるのか。
「最終的には私の身体となる者を用意せねばなるまい。ゆえに、お前が生まれた。お前の生まれる頃には十分な力が備わるとわかっていたからな。だがそのお前がまた子を成すようであれば力はどんどん流れていってしまう。それは困る。だから、お前に子を成せぬように施した」
桃間正義の身体がゆっくりと宙に浮いていく。俺はそれを見上げながら歯軋りをした。
「……んだよ、お前が神様騙って夢見せてたってのか! 俺の身体も好き勝手しやがって!」
「神と思った方が人間はすんなりと信じやすい。何、私はゆくゆく神と等しいものになる。間違ったことでもない」
「勘違いじじいウザ」
ぼそりと悪態をついた鬼村が、桃間正義に急接近して金棒を振り下ろした。だが、何か壁に阻まれるようにして攻撃は届かなかった。
「……鬼よ。お前たちは確かに悪しき存在だ。だが、それは悪しきものを抽出したからにすぎない」
「はあ?」
「さいこの鬼と呼ばれたあれが、ただの災厄の塊だとでも思っているのか?」
喉の奥で笑う嫌な音が響いた。鬼村も俺も、あいつの言っている意味がわからない。揺れる大地に翻弄されながらも、俺達は崩落していく地面から落ちないように身を寄せた。
「あれはこの世の記憶の全てを持っている、未来の記憶でさえもだ」
「未来の記憶?」
「鬼の身体を切ると零れ落ちるのだ、記憶が、私にはそれが見える。あれは内包する記憶を適宜世界に放出する──調整装置のようなものだろう」
「……?」
「厄も、災害も、豊穣も、奇跡も、正しい位置が刻まれている。これまでと同じように寸分違わず。あれが自然に発露していくのを待っていては誰の何の得にもならん。であれば、私のように力のあるものに使われるべきものだ」
──こいつの言っていることが、何一つわからない。
未来の記憶?
調整装置?
これまでと同じように、って?
今こいつが見ている世界と、俺達が見ている世界は本当に同じか?
──崩壊し始めた鬼ヶ島からは、多くの妖怪たちが逃げ出していった。水面も荒く波打っている。さあいよいよここから俺達も逃げなくては、と思った時、今更ながらに島の周りを取り囲むようにして崖があることに気が付いた。そこに立っている人間たちにも。早くあっちに飛び移っておかないと、このまま俺達も沈んじまう。
「まろん、あっちに飛び移ろう。鬼村! まずはここから逃げるぞ!」
俺がまろんに飛び乗ると、鬼村も崩れ始めた僅かな地面を蹴って跳び上がった。崩れゆく鬼ヶ島から脱出し、辿り着いた先には見知った顔がいくつかあった。土御門に倉橋くん、深山さんも。何と声をかけようかと思った時、土御門が叫び声を上げた。
「──桃間さん! 鬼が!!」
振り返る。
今となってはただの湖となったその水面よりも高い位置に浮上している、桃間正義。
そして半透明な大きな手につかまれている鬼村。
最古の鬼の手……? いや、あれはあの男が動かしているものだ。宙に浮いた手を、自分の分身のように操作している。
「鬼村!!」
叫ぶように呼んだが、鬼村は身動きが取れないようで手の中でもがいている。
「美鬼ちゃん!」
狗谷木が助けようと猛スピードで接近した。──が、もう一つの現れた大きな手によってべしゃりと振り払われ、反対側の岸壁へと追突した。俺は慌ててまろんから飛び降りた。
「まろん、すもも、あんず、今すぐ行って鬼村を助けてくれ!」
しかし、三匹とも微動だにしなかった。ただ俯き、戸惑ったようにしている。
「……もしかして、敵が桃太郎だからか?」
この三匹の本来の主人であるはずの男。どうあっても逆らえないっていうのか。なら、俺が真っ向から叩くしかないか? どうにかして刀を作って──
「不憫でならないな、桃間の子よ」
「!!」
「眷属は言うことをきかず、その上力なく私に立ち向かうこともできない」
「くそっ、煙草と火さえありゃすぐに……!」
「何を言う。お前の持つ妖力はさっき全て私が奪ってやったぞ」
「え……」
桃間正義が、にたりと笑う。
大きな手で鬼村を締め上げながら。
「言っただろう。『お前に集約していた力は全て返してもらった』と。お前に戦うだけの妖力など、毛程も残って無いわ」
……返した?
さっきの、顔面つかまれた時に感じた力が抜けた感覚はそういうことだったのか。
じゃあ、俺にできることってなんだ。
「──桃間さん、ここは我々が対処します」
茫然としていたところで聞こえた声に俺は顔色を明るくした。深山さんだ。対妖情報機関であればきっと何とかなる。力の強い陰陽師ってのもいるわけなんだから。あの手から逃れるくらい鬼村だって。
「深山さ──」
「総員配置について! 上からの許可を待たずにここで再度結界を張ります! 目標は桃間一代目らしき男と赤鬼!」
……結界?
桃間一代目、と、赤鬼?
「いや、違う待って、待ってくれ! 鬼村はどうなるんだ!? 結界って……出られなきゃ困るだろ!?」
「桃間さん、一刻を争う時です。あの男が何を考えているかわからない以上、被害が拡大する前に鬼諸共ここで閉じ込めておかなければ……」
「んな馬鹿なこと言ってんじゃねえよ!!!!!」
崖っぷちに立ち二人をぐるりと囲うようにした陰陽師たちの手にはお札、そして何を意味するのか指先は文字を描くように動き始めた。すぐ傍に立つ、土御門も例外なく。
「……ナツメちゃん、これが終わったら絶対病院に行こうね」
倉橋くんの震えたような声が聞こえた。土御門は返事をしない。その指先は震えていた。
何なんだこれは。
何でこんなことになってんだ。
ポケットの中の使い物にならなくなった煙草の箱をくしゃりと握り潰した。
「なんで、俺は何もできねーんだよ……!!」
***
「私の身移しのつもりだったあれは、今や何の力も無くなった。不要な存在だ。気にする必要もない」
桃太郎がそう言った。
色の薄い大きな手であたしを鷲掴みにしながら。
「……この手、最古の鬼の手じゃん。見た目は違うけどさ。なんであんたが使えてんの」
「それはもちろん私が食ってやったからだろう。力の権限も私に移ったわけだ」
「それに……これ、何? みんな急に止まっちゃって、動いてるのはあたしらだけ。あんたが何かしてんの?」
あたしらを取り囲んでる人間も、妖怪も、みーんな固まっちゃってる。ここから見えるセンセーも必死にそうに叫んだ姿のまんま。でも、あたしの身体は動かせる。まあ捕まってるから動き回るとか無理だけど、手握ったりとかね。
「お前の意識に入っているのだ。簡単に言えば、夢の中に入るようなものだろう」
「ふーん?」
「ここには時間の感覚は持ち込まれない、こちらも都合よく動ける。だが……これが鬼にさえ通用するようになった今、お前たちの存在は以前とは変容しているとはっきり言えるな」
「前はできなかったってこと?」
「お前たち自身が理解していたことだろう、これまでの神や妖は、自然的な現象存在だ」
あたしたち鬼や妖怪の身体が、変わった、ってこと?
前に天が人間に近くなってきてるとか言ってたのはそういうことなのかな。世界が重なって、あたしらの存在も人間みたいに変わっちゃった……でもそれって具体的にどーゆーことなんだろ。
「……つーか、あんたがあたしの意識ってのに入ってきてまで話したいことって何? みんなに聞かれたくないことがあるからこんなことしてんじゃないの?」
「ははは、別に話がしたいわけじゃない。ただ邪魔をされるのも嫌なだけだ。
……これから私は何百年と時間をかけて練り上げた妖力と、そして手に入れた鬼の力によって神へと変貌するだろう。
この世界は私の意のままに作り替えていくことが可能になる。
しかし、
そこにお前がいるのは危険だ。
お前が生を捧げたあの男は最早桃間の力とは関わりが無くなった。
今後この世に散らばる桃間の力も全て私が吸い上げよう。
がしかし、お前が私に近づき災厄を増殖させるという万一のこともある。
いくら私が神となろうともお前のその悪しき性質は消せぬ。
災厄を増殖させれば世界自体が死滅してしまう。
死滅した世界ではいくら神になろうとも無益だ。
ならば、芽は摘んでおく方がいい」
「へぇ……イイコト聞いた。じゃーやっぱあたしはさっさとあんた殺しとかなきゃだ」
「本当に話を聞いていたのか? 私はお前の意識に入り込んでいる。ここではお前は、腹を捌かれるのを待つ小魚にすぎない」
「ねぇあんたって──悪夢は見たことある?」
『 美鬼さん!!!! 』
──深い紫の煙が充満し、数多の妖怪の形が桃太郎に襲い掛かった。
***
自分の無力さに膝が震えて倒れそうになった時だった。
ぞわぞわとした感覚が背中を駆け巡り、急に暗くなった空に俺は振り返った。
「なん……だ、あれ」
大きな大きな風船。
いっそ飛行船とでも言っていいくらいの。
だがそれは、喋り始めた。
「桃間さん! 美鬼さんの意識にあいつが入り込んでます! 今なら効果抜群ですよ!」
「なっ……お前、獏の夢子か!?」
声で判断をしたが、あの風船が獏とは納得できない。でもよくよく見れば長い鼻も、短い手足も、飾りのような尻尾も目視できた。
「今まで食べたものを吐き戻すなんてちょっと行儀が悪いですが、どうやらこれなら私にも戦えるようなので……! あとでどなたかお腹いっぱい悪夢食べさせてくださいねぇー!!」
そう叫んだ途端、膨れ上がった獏は一気に内部の空気を噴射するように紫色の煙を口から吐き出した。最初はぼんやりとしていたがその煙は段々と形を変えていき、恐ろしい牙を持つ大ヘビや虎、大きな躯体の熊、さらには翼を羽ばたかせる憤怒の表情の天狗、言うのも恐ろしい程の大量の虫やムカデにサソリ、大きな一つ目を持った大男など……嫌悪するような恐ろしい生き物や妖怪や幽霊といったものが桃間正義と鬼村の元へと一直線にぶつかっていった。
「あれは、鬼村は大丈夫なのか……?」
「あの鬼は大丈夫だろ」
すぐ隣で聞こえた声に俺は少々驚いた。いたのは小さなかまいたち──刀鍛冶屋の方のだろう。
「だがありゃ目くらましにすぎねぇ。ほら、今の内におめーもやる気だしな」
そう言ってかまいたちが俺に差し出したのは……刀の、鞘だ。
「……これでどうやって」
「これ持って、ここから中身を引き抜くイメージで刀を作んだよ」
「でも俺はもう妖力が残ってないって、あいつが」
「ばーーか!! お前の妖力なら、ここにたんまりあんだろが! こんなでけーもん血だけで召喚できるかよ!」
かまいたちはそう言うと、ぺちぺちと犬の足を叩いた。まろんは俺の肩に甘えるように鼻を押し当てると、そこに座り直した。
「ご主人、まろんは最初に大事な約束をした桃太郎のこと、攻撃できないんだ。すももとあんずもだよ」
「ごめんね桃君。あの桃君のことが好きだから……ってこととは違うの。決まりだから」
「……それでも、この御身は貴方様のものです。今貴方様がお使いになれる、唯一の武器ですわ。どうぞ、貴方様の思うままに」
身体を小さくした猿は俺に飛びついてしがみつき、雉は羽の先で俺の肩を撫でた。
「お前たちの身体を使う、って……それって、その後はどうなるんだ?」
俺の流した血で召喚した三匹、その体を、形を変えて武器にしたとしたら──その後は?
考える時間など、微塵もない。
笑った三匹の身体が、徐々に真っ赤に変わっていく。
そうしてそれらが交わり液体へと姿を変えると、鞘の中へと収まっていった。
「──さあ、お前の手に馴染む刀を作り出せ」
かまいたちの言葉に従って、鞘を構えた。
柄を握るイメージを浮かべる。
手の中に生みだされる質感。
強く握ると、赤い刀を引き抜いた。
「桃間さん! 結界が出来上がるまであと十秒も無いわ!」
土御門の叫びと同時に、化け狐の姿をした闇狐が俺を咥え宙に放り投げるとその背に乗せた。
「かっこええとこ見してや、先生」
宙を駆け抜け、鬼ヶ島があった場所の上空へ急接近していく。
桃間正義は群がってくる大量の悪夢を鬱陶しそうに払い除けているが、消えた端から増えていくそれに動きが鈍っている。
「鬼村!!」
鬼村を掴んでいる大きな手を、真っ赤な刀で叩き切った。手は脆くあっけなく消え去っていく。落ちていく鬼村を追うようにして闇狐がその背で受け止めた。苦戦して動きの鈍っている桃間正義へも攻撃をした方が良かっただろう。刀で身体の一部でも切り落とせば……そう思ったものの、人の姿をしているこいつを、どうしたって切る気にはなれなかった。
「もうすぐここは結界が張られる! 急いで向こうまで行くぞ!」
俺が命令するまでもなく、闇狐は猛スピードで宙を駆けた。俺の後ろに座る鬼村は、落ちないようにする為か俺の胴体にぎゅっとしがみついている。
──オオオオオォオォォォォオオオオオオオオオ!!!!!!!!
大地の揺れと共に喚声が後ろから響く。
まるで最古の鬼の悲鳴のようだが、これは桃太郎のものなのか?
一体何が起こっているのか振り返ろうとしたが、
とんでもない風圧が襲ってきて俺達は辿り着いた崖の上へと体を放り投げられた。
「うぐっ……!! くそ、何なんだ……」
痛みに耐えつつ今起きたことを把握しようとする。振り返った先に見えたのは、歪んで向こうが透けて見える<最古の鬼>のような化け物の姿だった。
「しかも、とんでもなくでけぇじゃねぇかよ……」
最古の鬼は島の上に載る程の大きさだったが、今や島周りの水をも覆い尽くす程の大きさだ。馬鹿でかい化け物が、大声を上げて叫んでいる。
「……そうだ、結界は!?」
はっとして周りを見回したが、そこに立っていたはずの土御門が見当たらない。他の陰陽師たちも、その場に座り込んでいた。結界を張るのは失敗したのか。
「うっ……」
土御門の呻き声が聴こえ、後ろを振り返る。俺よりも遠くに飛ばされていたらしい。
「ナツメちゃん!!」
慌てて這い寄るように土御門の元へと向かった倉橋くんが、土御門の手を握った。土御門の意識はあるが、二人とも焦ったようにしている。もしかすると、手が動かないのかもしれない。
「……こんなん、どうすんだよ」
立ち上がれない程の大地震の中、
俺達を見下ろすようにどんどん膨れ上がっていく化け物。
あれはもう恐ろしい最古の鬼でも、正義の味方の桃太郎でもない。
陰陽師たちの結界も使えない。
ここにいる多くの妖怪たちでも太刀打ちできるものじゃない。
青々とした空が透けて見える、
この世界そのものと言えるような、
簡単に俺達を踏み潰して殺してしまえる存在に
どうしたらいいのかわからなくなった。
『──だから言ったでしょ、僕が絶対食べるって』
声が聞こえた。
その途端に、鬼ヶ島の周りに張っていた水が大きくうねり天へと昇っていった。
それはまるで水龍のような形を作ったかと思うと、
大きく口を開け、
頭から化け物の姿を呑み込んだ。
──ザパァァァァンッ……!!!!!!!!
大量の水飛沫が俺達に降り注ぐ。
誰もがずぶ濡れになる中で、揺れていた世界はしんと静まり返った。
誰も声を上げることはできない。
ただ、
今や大量にあった水も、
中央の不法投棄のようなガラクタが積み重なった島も、
全てが無くなっていた。
「……終わった、のか」
俺のぼんやりとした声に反応するように、俺の手の中にある鬼村の手が、ぎゅっと握り返してきた。
「終わったんじゃん?」
こんな時までそんな軽く言うのかよ、とすぐには言えなくて──いつものように笑いかけてきた鬼村を見て、俺は全身の力が抜けていった。




