第116話 鬼退治
……体が、揺れている。
何か乗り物にでも乗っているような。
けど、それにしちゃふわふわとして温かい。
「なん、だこれ……」
目を開けて見えてきたのは──白い毛と、流れる景色。
「!?」
「あ、センセー起きた!?」
すぐ横を走る鬼村の姿が見えた。それと同時に、俺がかなり不安定な場所に跨り乗っかっているということに気が付く。俺はこの動く何かの動物の毛をしっかり握った。前方を見ると、ピンと立った三角耳が二つ……?
──ワオオオオオオオオォォォォォン………!!!
俺の乗っている生き物から発せられる振動に驚いたと同時に、ハッとした。
「……まろん?」
「あ! ご主人起きたの!?」
いつもの少しブレたような声とは違う、はっきりとした声。俺を乗せて走っているのは、犬だった。けど、声以外にも体もいつもと違う。何だ、これ……実体……?
「ご主人がね! 身体をくれたの! いつものみんな一緒もくもくの煙じゃなくてね、まろんだけの!」
「え?」
「すももとあんずもだよ!」
その途端、急ブレーキをかけたようにまろんが立ち止まる。俺は振り落とされないよう首にしっかりと捕まった。ふと辺りを見回せば、少し離れた場所には見上げれば首が痛くなるほどに大きく膨れ上がった鬼がいて、そこに狗谷木や、今さっきまで横にいた鬼村、そして新に体を得た猿と雉が攻撃をしていた。すもももあんずも、どちらも煙の時とは違う実体があり、そのせいか威力も上がっているように見えた。
──ワオオオオオオオオオオオオン!!
もう一度まろんが咆哮する。その音は最古の鬼に覿面に効くようで、鬱陶しそうに耳らしき部分を抑えていた。すももは怒り狂ったように叩き、鬼の一部を引き千切っては遠くへ投げ飛ばしている。あんずは攻撃をしようとしてくる鬼の軌道を逸らす為に強い風を起こしていた。
俺が血を媒介にしてこいつらを召喚する、ってのはどうやら成功したようだ。
「……はは、やっぱ俺なんかいなくたってお前らがいりゃ十分だな」
「何言ってるのご主人! ご主人がいないとまろんたち戦えなかったよ!」
俺を乗せられるだけの大きな体をしているまろんだが、ハッハッハッハッとまるで子犬のように嬉しそうに舌を出して息をするとこちらを振り返った。
「だからご主人は、身体早く治そ!」
「え? いや、治すって……」
そうだ、俺は血を大量に流し過ぎたせいで死にかけてたんだ。今だってまだ、傷も塞がっていないわけでどちらにしろこのままじゃ──
「──桃間さん、ちょっと失礼するわね」
「へっ?」
急に隣から聞こえた知らない声に俺の心臓が跳ね上がった。ふと横を見るとそこに立っていたのは、肩までの焦げ茶色の髪を揺らす整った服装をした女性……だが、誰だ?
「お会いするのは初めてよねぇ、兄とは会ったみたいなんだけれど」
「兄?」
出血のせいでまだ身動きの取れない俺は、まろんの背にしがみつきながら女性を見ていることしかできなかった。女性は慣れたような手付きで俺のシャツのボタンを三つ程外し、持っていた何かを自分の掌に塗ると、襟ぐりから手を突っ込んで俺の傷口を撫でた。
「痛っ……!?」
「痛いのは最初だけよ。安心して」
「一体何を──」
女性は何かを俺の肩の傷口に塗り広げると、シャツに突っ込んでいた手を抜いて、血だらけになった手を持っていたハンカチで拭き始めた。
「私は鎌埜由香、あの偏屈なかまいたちの妹よ」
「あ……!」
にっこりと笑った彼女の身体が、急に風に靡くように揺れたかと思うと、その姿は小さなかまいたちへと変化していた。優しそうな顔付きはそのままだったが、尾の先はするどい鎌の形になっている。
「私の持つ薬は大抵の傷を治すことができるの。便利でしょう? ほら、もう桃間さんの肩の傷も塞がったわ」
「ええ……?」
血が抜けたせいでまだ身体はだるいものの、俺はゆっくりと体を起こすと半信半疑で自分の肩を触った。──確かに指でどこを触ってももう傷の痕すらない。
「とは言っても、私は傷を治すことしかできないの。失った血までは取り戻せないわ。でも桃間の身体は治りが早いって聞くし……とにかく今は安静にしてないとね」
「そうだぞにーちゃん、命は大事にしな。すげー力持ってるったっておめーも人間だろうが」
続けてそう言ったのは、同じかまいたちの姿をした妖怪。多分こっちの目付きが悪いのは、鎌埜由定さんの方だろう──俺に刀の鞘を作ってくれた。
「……ありがとうございます。でも、何でおふたりがここに?」
「なんでってなぁ! 俺だってこんなとこに来たくなかったよ!! あんなやべー鬼なんて聞いてない! でも、やるっきゃねぇだろ!?」
「ええ?」
と、その時至るところから小さな化け狐達が最古の鬼のいる方へ走り出していった。空を見れば見たことない妖怪までいくつも飛んでいる。
「この世がこんがらがっちまって俺達だって逃げ場がない以上、あの暴れん坊に好き勝手されちゃたまんねぇんだよ! それに、人間にだって被害が及ぶのはこっちだって困るんでね! せっかくの仕事がパーになっちまう! つーわけで……俺の亡骸は拾ってくれよなぁーー!?」
かまいたちは半分泣きながらそう言うと、小さな身体で鬼に向かって走っていった。あんなにも小さいのに本当に大丈夫だろうか、と思ったが、そこらへんにいる狐や他の妖怪を踏み台にして跳び上がり、その尻尾の先の鎌で鬼を切り裂き攻撃している。思った以上に血気盛んなようだ。
「兄はもう長いこと誰かを切るようなことしてきませんでしたから、力が有り余ってるんでしょうねぇ。さ、桃間さんはこちらで休んでいましょ。私がいれば傷を負ってもすぐに直せますから」
「まろんもご主人と一緒にいるよ! 何かあってもすぐ逃げれるように!」
妹のかまいたちがひょいとまろんの頭に乗ると、まろんは両耳をぱたぱたと動かした。俺はそいつらのやりとりと見つつ、また目の前に広がる妖怪たちの戦う様子に放心した。今までに何度か妖怪と戦ったが、今日のは特別と言ってもいい程現実感がない。まるで映画でも見ているようだ。……俺には全く無関係の。
いや、一番関わりがあるはずなのに。
あの鬼が悲鳴を上げながらも攻撃したい相手は、俺だ。いや、俺というか……桃間、だ。見たところこちら側がかなり押しているものの、あの鬼は何度でも再生する為終わりは見えない。どうするのが正解なんだ? あの鬼を……桃間正義はどうやって倒した?
まだだるい自分の身体をゆっくりと動かして、俺は右手を見つめた。
やはり、あれが必要だ。
ポケットに入れていた煙草は今やくしゃくしゃになり俺が流した血で湿気っちまった。使い物にならない。煙を出せない以上、武器を作ることもできない。
「……まろん、一応聞いておくが桃太郎は刀であの鬼を切って倒したんだよな?」
「うん! えいえーい! って、切ってたよ!」
「そうか……じゃあやっぱり、その刀で俺がやらなきゃ、この戦いは終わらないんだよなきっと」
「その刀?」
俺は右手に意識を集中した。鬼村がいつも隠してくれている刀だ、多分さっきここへ来る時に通った空間のどこかにあったんだろう。今日はあの時みたいに勝手に出てくることはなかったが……念じて現れた物体を俺は確かに握った。今こいつを使わないで、いつ使うって言うんだ。
「俺の得物ではないですけど、勘弁してください豪鬼さん」
今この場にいない鬼へ謝罪を呟きつつ、俺は鞘から引き抜いた刀を握り、まろんの首にしがみついた。
「まろん! 俺は動けないからお前が頼りだぞ! 最古の鬼に向かって走ってくれ! まずは移動できないよう足を切り落とす!」
「わかった!」
まろんが駆け出すと、その頭に乗っていたかまいたちは小さな悲鳴を上げてまろんの頭頂部の毛にしがみついた。
「桃間さん! 無理はだめよ!」
「俺はこいつに乗ってるだけなんで……無理してないですよ」
とはいえ重たい刀を片手で握るのはしんどい。だが、移動中に身体を起こすのは危険だろう。他の妖怪たちの攻撃がうっかり当たるなんてことも有り得る。
「センセ!? 何してんの!?」
鬼村の声が聞こえた。見ればちょうど最古の鬼の足元に飛び降りてきたところらしかった。
「こいつを切る! この刀なら、消滅させられるだろ!」
俺はそう叫んで、まろんが跳び上がった瞬間に身体を起こし、両手で握った刀で鬼の右膝を切った。
──ォォァァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!
痛みによる悲鳴か、先程までとは違う鬼の叫び声が響き渡った。
右膝から下が、どすんとそこに倒れる。さっきまでならそこから再生する為に断面が引き合うようにしてうぞうぞと近づいていったが、今は違う。そこに落ちてそのままだ。
右膝から下を失った最古の鬼は、がくんと体勢を崩すように身体を傾けた。俺はすぐに左膝も切り落とす。肉塊と共に血飛沫が散った。
「まろん、次は腕だ! 跳べるか!?」
「跳べるよ! でもまろんよりあんずの方がいいかも!」
そう言うとすぐに滑空してきた大きな鳥の影が、俺の肩を掴んだ。
「!?」
振り返ると、そこにいたのは雉だ。煙の時とは違い、羽の一枚一枚が良く見え、そして足の鋭さに感心した。
「……俺の肩、傷口綺麗になったばっかだから穴開けないでおいてくれよな」
「開けるわけがありませんわ。大事な桃様のお身体ですもの」
そして急激に高度が上がっていき、俺はウッと息を詰まらせた。あんずの羽ばたく音と重なるように、隣に飛ぶ狗谷木が並んだ。
「桃間先生傷塞がったん!? だいじょぶ!?」
「だいじょーぶじゃねぇよ……狗谷木、こいつの動き止めてくれないか」
「へへん、動きを止めるくらいならチョロいもんね!」
こちらに向かって伸びてこようとしていた腕に、狗谷木が特大の雷を落とす。それに合わせて細長い狐のような妖怪たちが腕を縛るようにして絡みついていた。
「そのままぎゅっと縛っててくれよな……ッッ!!!」
──ザン、と音を立てて鬼の左肩から切る。太く長い腕が落下していくと、重みで地面が陥没した。痛みに暴れる鬼の右腕が空を裂くようにして振りかぶってきたが、握り直した刀を振り抜き、右肘から先を切り落とす。
──アアアアアアアァァァァアアアアアアアアア!!!!!!
──ォォオォオオオオオォオオオォォォオオオオ!!!!!!
ズシン……と、大きな音と砂埃を上げながら、最古の鬼の身体が倒れていく。足も、腕も、再生はしない。今は最後の攻撃手段、あの口から鳴り響く激しい振動のみ。
あんずが滑空し俺が地面へと足を付けると、すぐ横にまろんが並んで歩き俺の身体を支えた。
俺はふらつく足取りで悲鳴を上げる最古の鬼へと近づいていく。
「……消滅すれば、もう、泣かなくて済むんじゃねーのかな」
俺は重い刀を持ち上げると、
鬼の首へと振り下ろした。
一太刀で切るには大きすぎたが、
そこへズシンズシンと音を立てて大猿がやってきた。
「桃くん、これ、取っちゃえばいいんだよね?」
猿が鬼の頭と胴体を掴み、
首が半分裂けたところからぶちぶちと音を立てて切り離した。
──悲鳴は聴こえなくなった。
「終わった、のか」
隣に腰を下ろしたまろんに寄り掛かるようにして、俺はその場に座り込んだ。
目の前に転がる大きな鬼の顔はこちらを向いている。
その目は開いたままで俺を見ているようにも、そうでないようにも思えた。
「センセーあっさり片付けちゃったじゃん」
近くまで来た鬼村が声を明るくしてそう言う。
いや、でもこれはあっさりなんて軽く言える話じゃない。
そもそも、俺が意識を失っていた間に他の奴らがあのでかい鬼と戦ってくれてたおかげだ。俺がその間に死んでたらどうにもならなかったわけだろ。
「みんなありがとな……」
安心感から重い刀はもうすでに手放していた。
大量の血に塗れた刀は赤く、刃の輝きはもう見えない。
みえない。
よな?
「あれ……?」
刀にべっとりとついていたはずの血は綺麗に拭き取られたかのように一切ついていなかった。
不思議に思って俺はそこに落ちている刀を覗き込む。
先程まで赤黒くおどろおどろしかった空は元に戻り、
雲の隙間から太陽の光が差し込んでいた。
それが刃を照らし、
眩しさに一瞬顔をしかめた時だった。
「 ご苦労だった、桃間の子よ 」
刃に映る男の姿を、俺の目が捉えた。




