第115話 召喚
──大地震により、校内は突然騒がしくなった。
人間たちは叫び、ひどく怯えながら揺れる校舎から広いグラウンドへ向けて列をなして出ていく。私も訓練で決まっていた通り人間の子らを誘導しながら外へと出た。けれどもそこからは私は己が役目に戻ることにした。
──山の子らは、私が守らねばなるまい。
人間たちの群れを抜け、校舎からほど近い場所にある林へと向かう。そこで大樹の姿へと形態を変えようとした時、背後に気配を感じた。
「……山上さん!」
振り返ると、三年担当の女性教員──三舟先生がそこにいた。姿を変えた私のことも、認識しているようだった。
『三舟先生』
樹皮に覆われ口の無い私の声に、三舟先生は肩を震わせたが……私を見つめる目を逸らすことは無かった。
『人間の子らを、頼みますね』
それだけ言って、学校の敷地と外を分ける為の金網を突き破って、林の奥へと向かった。背後から悲鳴は聞こえはしなかった。
三舟先生は視える人間ではなかったはず。先の世界の変動によっていろいろなものが変わりつつある。変わったのは果たして人間だけだろうか。我々自然の神や妖怪たちは今までと同じく存在できるのだろうか。だが、それは我々が決められることではない。生まれた時から消えゆく時まで、我々は、流れに身を任せるままだ。
大地震は広く連なる私の山のあちこちを崩れさせた。
土砂崩れや倒木に喘ぐ動物たちをいくらか救うことはできても、すでに息の無いものたちは私にはどうしようもない。循環は必然だ、しかし彼らの苦しみを思い僅かばかりの祈りを捧ぐ。
──再度揺れる大地。
──動物たちのみならず様々な悲鳴が飛び交う。
私は半透明の霊体となり、叉々山の街並みを見下ろした。
この世の行く末というものがどういうものか、私には興味がない。否、私が手を加えることができないものと知っている。守っていきたいというのは驕りだ。だがそうだとしても、この手は幾許かの奇跡を拾い上げる為にある。自然という美しき現象を後世へ伝える為に。山の神とは、そういう存在として生まれたものだ。
「山神様!!」
子狐の──いや、今はもう立派に大成した妖狐の声が足元から響いた。
『鬼ヶ島のある山が震えている。震源地はあれだろう』
「山神様の山は大丈夫ですか!?」
『無論。もしもこの山が崩れるとしたならば、それは私自身が崩れ去る時』
「今はこの狐も役に立てます、何かお力になれることは……!」
『ならばあの山へ行ってくるがよい』
私はゆっくりと腕を持ち上げ、指を差した。あの、鬼ヶ島がある山を。
『私はここを離れられぬ。しかし、あれをどうにかせねば全ての自然が壊されることだろう。今の其方にならば、まかせられる』
「……山神様は、お人好しですね。だから生贄などというものに選ばれ、そして神なんて永久奉仕の存在に成り果ててしまったんですよ。もっと身勝手に生きればよかったものを」
『こんな私は嫌いか?』
足元で吠えていた妖狐は、私を見上げ──ため息がちに笑った。言葉は無かったが、彼はすぐに大きな化け狐の姿へ変えると叫び震える山の方へと走り去っていった。
『長らく私を覚えていてくれるのは貴方くらいですよ』
***
「──どうして桃間さんたちがあそこにいるのよ! 幻術はともかく、これじゃあ結界なんて張れないじゃない!!」
お嬢ちゃんの声が響いた。
あの子の言う通り、今鬼ヶ島の中心では桃間の男や鬼娘に天狗が、大きく膨れ上がった最古の鬼と対峙している。ようやくあちらさんも戦う体勢が整った、という感じだろう。
「ええやないの、あんたら人間からしたらどうせあの鬼も桃間もいなくていい存在やろ? まあ天狗とあの島に近う寄ってったヘリは結界に閉じ込めたらちょいとクレームも入るやろけど」
「っ……いいわけないわ!」
「ほんまに?」
お嬢ちゃんは顔に似合わない苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、もう一人の調査員だっていう坊やの方を見た。坊やはこれまた何ともけったいな顔をして、お嬢ちゃんに言い放った。
「ナツメちゃん、上から許可が下りた。すぐにでも結界を張るようにって」
「!? それは中の人間諸共ということ!? それに、天狗の方はいいわけ!?」
「天狗側が許可もしたから良いってことなんだろうね」
「そんなの……」
お嬢ちゃんは血が出そうな程に唇を噛むと、目を閉じて長く息を吐いて一言「わかったわ」と言って、左手に持つ結界と幻術の二枚の札を前へ翳すと右の二本指で印を結んだ。
「万物其処に無き物とし全ての感を無の物とす、
悪しき力全てを封じ込め外界へ流れ出ることを此処に禁ず、
──── <結> ────」
無風だったその場所が、
こちら側に向けて突風を放つ。
「……っ!!」
お嬢ちゃんは札と結んだ印を崩さないように耐えていたけれど、坊やの方は荒れ狂う風に腕で顔を覆っていた。
ああ。
まあそうなるか。
──お嬢ちゃんの結んでいた指は弾かれるようにし、結界札は二枚とも消し炭のようになって消えていった。
「どうして……!」
鬼ヶ島からは大きな大きな叫び声が聞こえている。
あの、嫌な耳に残る叫び声が。
「……あの鬼の声、ほんまに嫌やわ」
「ハルくん、もう一度よ! 他の陰陽師に伝えて!」
「やめとき、お嬢ちゃん」
「何故!?」
「その指、次はぽっきり折れるで」
ひょいと指を差した。
お嬢ちゃんは震えた右手を隠すようにし、勘づいた坊やがお嬢ちゃんの手を掴んだ。
「ナツメちゃん、これ!」
お嬢ちゃんの人差し指と中指は血が抜けたように真っ白になっていた。多分、痺れて今は動かすこともできないだろう。それだけ復活した最古の鬼の妖力が強いってことだ。
「印を結ぶくらいできるわ。もう一度!」
「まあそう興奮せんと、島を隠して閉じるよりもっとええ方法があるかもしれへんよ」
「ええ……?」
再度地震が起こる。
ぐらりと体勢を崩したお嬢ちゃんを、坊やが慌てて支えた。
「ほうら……この状況に立たざるを得ないんは人間だけやないんよ」
──オオオオオォオオォォォォォオオオオオオオオ
身の毛のよだつ咆哮が鳴り響く中──鬼ヶ島を無数の気配が取り囲んだ。
***
「でゃあああああっ!!!!」
鬼村が金棒で最古の鬼の手を振り払った。さあこいつにどんな攻撃が通るのかと思案し始めた時、最古の鬼の奥で何かが飛んでいるのが見えた。
「おい、あれ何だよ」
二人への問いだったが、言ってすぐに自分で気が付いた。あれは他の妖怪じゃない、ヘリコプターだ。そう詳しくもないが、多分自衛隊や消防のヘリというわけじゃない。
「なんであんなとこに……というか危な……っ!」
最古の鬼は自分の周りを飛ぶヘリコプターに気づく様子もなく、うずくまっていたその巨体をのそりのそりと立ち上がらせた。その挙動にヘリコプターはどうにか距離を取ろうとしたが、ブン、と振りかざした手がプロペラにぶつかりそうになった。その途端、バランスを崩したようになり、ヘリコプターが下の水面に向けて機体を落下させていく。
「天!!」
鬼村の声と同時に天狗の翼を羽ばたかせ、勢いよく突っ込んでいく狗谷木。機体まではまだ距離があったが、羽団扇を仰ぐと、ヘリコプターは水面すれすれのところで風に煽られるようにして高く浮き上がった。上手く操縦が効いたのか、機体を立て直すとヘリコプターは少し離れて旋回し始めた。
「あんなとこにいたんじゃ危ないっての」
鬼村がそう言うと地面を蹴りヘリコプターのいる高さまで跳んでいった。何をしでかすかわかったもんじゃない。俺は肩の痛みに耐えつつ煙を吐き、すももを肩にのせ、あんずに捕まって鬼村を追った。
──ガシッ、バキバキバキッ!
嫌な音が鳴った。
鬼村がヘリコプターの機体につかまり、力を入れた音だった。
「ちょっとー! 危ないから帰んなよ! 死んじゃうよ!?」
窓越しに中の人間にそう言うが、聞こえているとは到底思えない。というかこんなに近くまで来るとプロペラの回る音で俺の耳がやられそうだ。
「鬼村! 別の場所に移動させられないのか!」
俺が叫ぶと、鬼村は肩を竦めて見せた。そこに狗谷木が飛んで近づいてくる。
「オレが注意してあげよっか」
にんまりと笑う狗谷木。そしてしばしの間黙り込む。多分、あの頭に直接話しかけるやつを今ヘリコプターの中にいる人間にやってるんだろう。何を言ったのか、ヘリコプターは大人しくここから離れていった。……完全にどこかへ行ったわけでもないが。
鬼村はヘリコプターから離れるとそのまま滑空していき最古の鬼の頭へと金棒を突き立てた。金棒は頭にめり込んだものの、決定的な一撃とはならなかったようだ。しかも、金棒ごとまた鬼村を取り込もうとしている。
「おい、早く離れろ!」
「ん、もー! 最悪!!」
──ブチブチブチッ、と音を立てながら金棒を引き抜くと鬼村は頭から飛び降り、最古の鬼の頭部から下半身にかけて割って裂くように金棒を振り下ろした。肉の寄せ集めのようになっているその体は簡単に裂けたが、反対に修復も簡単なようでミチミチと音を立てながらくっつき始める。
「こんなんどーやって倒せばいいっての!?」
鬼村の投げやりな声を聞きながら俺はまた鬼ヶ島の地を踏んだ。解除したわけじゃないが、あんずはふわりと空気に溶けていった。
「くそ……つーか、倒さなきゃなんないのか? この鬼って……攻撃されたから、俺も戦わなきゃと思ったけど……」
「倒さなきゃだと思うよ」
俺の隣まで降りてきた狗谷木が答える。その表情はどうも呆れたようなものだった。
「さっきあっちにいるうちの親父から言われたんだけど、この島ごと鬼を結界に封じ込めようとしたらしくてでも上手くいかなかったんだって。しかもこの叫び声、これを上げる度にこの外側で大地震が起きてるんだとよー」
「じゃあ、黙らせねーとってことかよ」
「それだけじゃないんじゃないかなー。こいつは桃間先生ってゆーか桃間全部を恨んでるんだろ? だったら今ここで先生殺したところで他の桃間の人間も殺しに行こうとするわけじゃん?」
「はあ……!?」
俺が驚いていると、大きな影が俺達の上へと降ってきた。最古の鬼が俺達を踏み潰そうと足を上げたんだ。俺は肩に乗っていたすももに指示を出して巨大化させ、その足を受け止めさせた。ただ、受け止めるのでギリギリだ。狗谷木がそこへ雷を一つ落とした。かなり大きな。目の前で雷鳴が轟き、俺は顔をしかめる。焦げたようになった足はぐらつき、そこへ鬼村が金棒でホームランでも打つかのように横から叩いた。
「……そーだよ、今ここで殺さないとこの鬼は桃間の血を受け継いでる人間を全部殺すまで暴れ回る。だって誰が自分を刻んで封印した奴かわかんないんだもん。同じ匂いのする人間は全部殺すよ」
鬼村が嫌な補足をしてくれたおかげで、俺は諦めがついた。こいつは殺さなきゃならないらしい。それならともかく俺へ攻撃が向いている間にどうにかしないと──
──ボタボタッ
「……っ、あ、れ……」
ぐらり、と視界が回転した。急に目の前が真っ暗になって音が遠のく。
召喚していた三匹の気配も一瞬にして消え去った。
気づけば俺は地面に這いつくばっている。
なんだ、
なんで、
あ……
うっすら開けた目に、ようやく景色が映った。
地面に、俺の血が大量に落ちている。
血を流し過ぎたんだ、そりゃ貧血にもなるってもんだよ。
貧血、っつーか……
このままじゃ失血死、ってとこか。
おいおい笑えねーだろ今死ぬって。
まあそりゃ全然何の戦力にもなってなかったかもしんねーけどよ。
こんなんで煙草も吸うなんて無理だし、刀を出したところで握れもしねぇな。
でも
『やだセンセ……ねぇ………… 一樹!!』
必死に名前呼んでくれるこいつを放っといてあっさり死ぬのは……かっこわりぃよなぁ。
「……媒介になるようなもんが、ありゃ……何だっていんだよな」
ぼそりと呟いて、地面に溜まった自分の血を掴むように拳を握った。
──煙草の煙でもいいんならよ、俺の血だっていいはずだろ?
──召喚してくれ、犬、猿、雉。
遠のきそうになる意識の中で
俺は温かい体温を感じた。




