第114話 怨嗟
『桃くん!』
叫び声がしたと同時に、猿が俺の肩へとしがみついてきた。密着している部分の煙を固形化し止血してくれたようで、それ以上血が滴り落ちることはなかった。
しかし俺がすももに礼を言う間もなく、雉が俺の腕を掴んでその場から飛び上がった。──俺のいた場所には、大きな手のようなものが叩きつけられていた。
「……もしかしてあれが、最古の鬼ってやつか」
離れてみてようやく気が付いた。
俺達の目の前には、少しずつ形を成そうとしている大きな鬼がいた。
ただ形は歪で、シルエットは鬼のようというだけでどう形容していいかわからない。だがそれを見て思い出したのは……初めて校内で襲われた時に見た、群がり巨大な体を成した──魑魅魍魎だ。
地面を叩きつけていた手がゆっくりと持ち上がり、まるで蠅を払うようにしてこっちへ勢いよく近づいてきた。
「うわっ!」
あんずに振り回されながらも俺はどうにかその手から逃れた。空を切るようにして通り過ぎていった手を、俺は見つめる。
──あの手には見覚えがあった。
乗っ取られた獏が襲ってきたのと同じ、赤黒い腕が何本も重なりあって手を形成している。でも……全体で見れば異形のそれだが、ひとつひとつを見れば、あれは、人間の腕じゃないのか……?
──オオオォオォォオオォォォォオオオオオオオ
何とも奇妙な、
まるでクジラが威嚇の為に発する鳴音のような、
そんな喚声が鳴り響いた。
……怖いような、それでいて悲しいような。
どういった感想を持てばいいのかもわからずにいると、また鬼は俺を攻撃してきた。両手を伸ばして、俺を捕まえようとしてくる。何とか逃げ切らないと。
「犬!!」
宙に溶けていたまろんは煙を巻き上げ体を作ると鬼に向かって駆け出した。伸びてくる腕の表面を駆け上り、鬼の顔面の前へと飛び出すとつんざくような遠吠えと共に視界を遮るよう煙に巻いた。それが効いたのか、鬼の動きは鈍る。よく見れば鬼はまだ上半身しか出来上がっておらず、その場から動けずにいる。煙からも逃れられずもたついているようだった。
「鬼村と狗谷木は……」
急な攻撃だった為二人がどこへ行ったかわからずに慌てて辺りを見回す。すると離れた場所に狗谷木の後ろ姿が見えた。大きな羽で見えないが、多分、その奥に鬼村もいるんだろう。
「大丈夫か!」
ちょうど煙が切れたのか、地上まであとちょっというところであんずが消え、俺は少しばかり高い位置から飛び降りた。多少足首を痛めたが気にする余裕はない、急いで二人の元へと駆け寄る。
「おい、そっちは攻撃、されたの、か……」
──見えてきたものに唖然とし、言葉が途切れ途切れになる。
狗谷木が地面に膝をつき、その手は鬼村の背をしきりに撫でている。
鬼村は、
地面に四つん這いで
荒い呼吸を繰り返し
その肩はガタガタと震えていた。
「鬼村……? 大丈夫か!? 何されたんだ!?」
俺の問いに顔を上げようともしない。
狗谷木の方を見て状況を問おうにも、何もわからないというように首を振っている。
「おい、鬼村…………っ、なあ……美鬼!!」
──ォォォォオォォオオォォオオオォォォオオオオ
──オオオオォォォォォオオオオオオォォオォオオ
まるでサイレンのように鳴り響く悲しい音。
鬼村は項垂れていた頭をゆっくりと上げて、
その顔を俺に見せた。
俺が初めて見る
鬼村の恐怖に凍った表情だった。
「思い出した……思い出したのあたし……
アレだった 」
***
──ずっと痛かった。
すごく狭い場所にぎゅうぎゅうに押し込められた感覚。
暑くて
寒くて
苦しくて
喉がカラカラで
溺れてるみたいで
早くここから逃げ出したいっていつも思ってた。
箱に押し込められてた時の話じゃない。
もっとずっと前から。
あたしらに名前なんてなかった。
生きているとも思わなかった。
ただそこにあって
何の為に存在してるかわからなかった。
痛い痛いと叫んでいれば、
時々、その痛みは弾けるようにしてどこかへ消えていった。
でもまた痛みは襲ってくる。
何度も何度も繰り返す。
誰かを傷つけたかったわけじゃない。
誰かを呪いたかったわけじゃない。
けどぶつけようがない怨嗟が水底の泥のように溜まっていって、
いつしか言葉も忘れた。
──そんな時だった、あいつが来たのは。
何かよくわからない言葉をぶつけてきて、
何故か突いて噛んで叩いてきて、
あたしらはただ痛みから逃げたかっただけなのに。
そのうちあの鋭い刀の先が、あたしらの身体を裂いた。
身体を削がれて更に痛みを感じたあたしらは叫び声を上げた。
放っといてほしかった。
それなのに。
あいつは、
──緋色の目をしたその男は地面に落ちた一部を見つめて笑ってた。
それからだった。
何度も何度もその刀であたしらの身体を削ぎ落とした。
爪の先、足の先、腕の表面、膝、耳。
身体が大きくて逃げようのないあたしらの身体を面白がるようにして刀を突き立てた。
何でそんなことするのかわからない。
何がそんなに面白いのかわからない。
ただ弄ばれるようにして、そのうちあたしらの身体はいくつかに切り離された。
そして気づけばあの狭い狭い箱の中に押し込まれてた。
狭くて痛くて苦しかった。
でも──それだけなら良かった。
そのうち、箱に押し込められてたはずのあたしらは
何度もそこから出されては
肌を削がれ、
刀の先を突き立てられ、
痛みに叫び声を上げた。
……ううん、叫びたかった。
本当は声なんてものは出なくて誰に助けを求めることもできなかった。
あたしらは生き物じゃなかった。
それでももしこの牢獄から出ることができる日が来るのなら、真っ先にこの男を殺してやろうと思った。
この、
ひどく甘ったるい匂いを放ち、
自分が正義だと高らかに笑う男を。
「殺してやる!!」
──ドンッ
「殺してやる、殺してやる!!」
──ドンッ、ドンッ……!
あたしの拳が、何かを叩いてる。
強く握りすぎたせいでいつの間にかネイルは剥がれてた。
「お前は絶対に許さない! あたしらをおもちゃにした! お前を絶対許さない!!」
ドンドンと叩くうちに、
温かくてぬるりとしたものが拳についた。
あたしの赤い肌に馴染むような色の──
──ォォォォオオオオオオォオオォォオオォオ
あたしじゃない叫び声が鳴り響いた。
「……もういいのか?」
センセーの息が、
あたしの額にかかった。
「…………セン、セ?」
目が熱い。
滲む視界の中に、
引き攣った笑みを浮かべるセンセーがいた。
「お前はほんと、馬鹿力だよ」
いつもの悪態をつくみたいにそう言って、センセーはあたしを抱きしめた。
温かい。
痛くない。
苦しくない。
あたしは今、生きてる。
あたしはもうアレじゃない。
「……センセ、肩、濡れてる」
「そりゃ、そうだろ……」
身体を離したセンセーの肩は、白いシャツが、真っ赤に染まってた。
さっき攻撃を受けた時にできた傷、
すももちゃんがしがみついて血を止めてたはずなのに、
今は血が溢れ出してて、真っ赤っか。
「あたし、あたしが、叩いたから、血、いっぱい……」
「お前が戻ってくれれば、なんてことねぇよ」
「戻る……?」
センセーは、またあたしをぎゅっと抱きしめたと思ったら、
今度は力いっぱい引っ張った。
センセーの手だけじゃない、見れば横に立ってる天の手もあたしを掴んでた。
振り返ってようやくわかった。
あたしの身体は、再構築しようとしてる<最古の鬼>の手に握られて、身体が同化しようとしてた。
「狗谷木ぃ! もっと力入れろ……!」
「やっ、てるっ……てぇのー!!」
必死に鬼の手から引き剥がそうとしてる二人。
あたしは、動きの鈍っていた下半身にどうにか力を入れて、蹴り飛ばした。
「……ッ!!」
鬼の皮膚と癒着したようになってたあたしの身体はどうにかそこから逃れると、地面にべしゃりと落ちた。痛かったけど、下敷きにしちゃったセンセーの方が痛いと思う。
「センセー大丈夫!?」
あたしは慌ててセンセーから降りる。傷口が気になったけど、触るのはやめておいた。
「はーっ、はーっ……痛ぇっつの……」
「あ、あ……わああああああん……! ごめんねセンセぇ……!!」
「ぎゃっ! んな強く抱き着くな……!!」
センセーが怒ってくれることに嬉しくってあたしは涙が出た。よかった、センセー生きてる。あたし、この人のことをあのクソ野郎だと思って殴っちゃった。
あたし、
桃太郎のことは、誰かから聞いた程度の『正義ぶって鬼を封印した最悪な野郎』くらいにしか思ってなかった。でも、どっかでは殺したいくらい憎いクソ野郎だとも思ってた。それはあたしがそう思ったからだったんだ。あたしがあの男に嬲り殺しにされて、何度も封印を剥がしてはあの刀で削ぎ落とされたからだったんだ。
今なら最古の鬼のあいつへの恨みも、
あたしが一緒に詰め込まれてた『両腕の箱』の子たちの恨みも、全部わかる。
けど
「けど、この人はあいつとは違う。絶対殺させないんだから!」
肩を庇う先生を背に、
横に並んで戦う覚悟を持った天と共に、
あたしは両脚の再構築を終えた鬼に向かって金棒を構えた──。




