第113話 鬼ヶ島
「これが鬼ヶ島……あるっていうのは聞いていたけど初めて見たわ」
私は切り立った崖の端に立ち、目の前に浮かぶ光景──山頂に鎮座する島──を見下ろした。
──金曜の午後、私は教室で授業を受けている時間だった。急な大地震に見舞われて校内は騒然とし、幼い同級生たちは涙を浮かべていた。ただ、私だけはこれがただの自然災害とは思えずどう外部と連絡を取ろうかと思っていたの。明らかにここのところ頻発している妖事件絡みじゃないかって。先生たちによる避難誘導が行われる中、外へ出ると何故だか空が赤黒く暗くなってきたことに私は嫌な予感を覚えた。グラウンドへ向かって歩いている中、唯一私の身分を知る学校長が私だけ校舎裏へと向かうよう伝えてきた。指示通りに向かった先にはハルくんが……いえ、対妖情報機関の調査員倉橋知春がそこで待機していたの。私を迎えに来た、と。
「この嫌な空は何なのかしら」
「……それに関わるかはわからないけど、大地震と同時に鬼ヶ島に異変があったんだ」
「異変?」
車の中でハルくんは説明をしてくれた。
まず鬼ヶ島とは、庶民のおとぎ話としても有名な<桃太郎が退治しに行った鬼がいた場所>のこと。絵本や人々のイメージとしては海の上に浮かぶ島、かもしれないけれど実際には違う。
最古の鬼がいた鬼ヶ島とは『山の頂上』にあり、そこは大きく地面が抉れてぽっかりと穴が開いたようになっていて、その中央にとてつもなく大きな鬼がうずくまるようにしていた為『島』と呼ばれるようになった。
その場所は完全には転外界と言えない境にあって、ふとした瞬間にこちら側に繋がりやすく、桃太郎がそこへ行けたのも偶然繋がったからだろうと言われてる。
桃太郎が鬼を討ち封印した後、鬼ヶ島は転外界にありながらもこちらから簡単に見えるようになった。力の無い普通の人間の目でも、ね。だから我々陰陽師と対妖情報機関が管理をすることになった。管理、とは言っても鬼ヶ島は実際にはその中心は転外界に位置していて、かつ禍々しい妖力が立ち込めている為に中心部が一体どのようになっているかははっきり認識することはできなかったのだけれど……とにかく、入ってしまっては入界の札無しに帰ってくることはできない為、一般人に危険が及ばぬよう、島の周りにその場所を視えなくさせる為の幻術を施すことになったの。陰陽師は数年ごとに術を掛け直して、対妖情報機関の職員は度々目視で異変が無いか確認をしにきてる、ってとこ。
そこまでは私も知っていた情報。術を掛け直す儀式は再来年行われる予定だったから、私もその時に参加するはずだった。それまでは近づくことも許されていなかったし、見たことも無かったわけだけれど……。
ハルくんが言うには、<転盤の奇禍>が起きて世界が重なった時から鬼ヶ島も言うまでもなく私達がいるこの世界に現れた──けど、幻術自体はきちんと作動していた為にその姿が露わになることは無かったはずだった……にもかかわらず、幻術で見えなくしていたはずの鬼ヶ島がさっきの大地震を境にはっきり見えるようになってしまった、と。
そこに立ち込める禍々しい妖力は目にするだけでも体に影響を及ぼすから、術をかける陰陽師でさえそうそう見ることもなかったわけだけれど、今は誰の目にもその場所は明らかだそう。
「……見て大丈夫なの?」
「今のところ具合が悪くなったり誰かが倒れたって話は聞いてないよ。今はとにかく近場の陰陽師を集めて術を掛け直すことにしたんだ」
「それで私を。……それにしてもこんなにすぐに迎えに来れたなんて、ハルくんは近くにいたの?」
「たまたまね、叉々山市内の『歪み観測点』の調査をしてたところだったんだ」
歪み観測点──度々空間と時間の歪みによって盤上界から転外界へ人間がうっかり落ちることがある場所のこと。人間がたまたま<心霊現象>なんかに出くわすのは、そういう場所のことよ。ただ、『世界が重なって』から、理論上は落ちることもなくなるわけだから、最近は機関の調査員たちがその調査をしている。ハルくんが言うには、どこを調査しても今までそこにあった歪み観測点は一つもなくなっていた、って。
歪み観測点が無くなった──その事実からも、世界が重なり、ズレた部分が無くなっていることがわかる。
ちなみに叉々山市内の歪み観測点は全国的に見ても多かったわ。丘山県内で見ると特段多くはないのだけれど、一つの市で見ればかなり多い。異常地帯だったの。だから、対妖情報機関の丘山支部がわざわざ丘山県の県庁所在地ではなく、叉々山市に置かれた……なんて話はいつだったか聞いたけれど。
そんな雑談をしながら、混み合う道路にハルくんが機転を利かせていくつかの小道に入ってどうにか急いで件の山まで来た。私は山へ着くまでの間に桃間さんへと一応連絡を入れておいたわ。ちなみに山の中腹までは車で行けるのだけれど、車を降りてからは舗装のされていない状態の悪い道に足を取られながらようやく<鬼ヶ島>を見下ろせる場所まで来て──
そして私達の目に映ったのは、
山頂にできた大きな穴と、
その穴を埋めるように満ちた水、
真ん中に浮かんだ文字通りの島だった。
「……本当に水に浮かぶ島になってるじゃない。どういうことなの? ただの大穴だったのよね?」
私が疑問を呈していると、隣に急に気配を感じた。
「大地震で地中に穴開いて、地下水が溢れ出したんえ」
「──貴方!」
私の後ろに立ち、同じく鬼ヶ島を覗き込むようにしていたのは闇狐だった。人型ではあるものの、大きな狐耳が頭の上にピンとふたつ立っていて、九本のそれぞれ意思を持ったような大きな尻尾が背後で揺れている。
「異変を感じて近うまで見に来てみたら、うち来た時にはもう水がしみ出しとって、さっきいっぱいになったとこ。あっちゅう間やったわ」
その説明を聞いて、私はじっと鬼ヶ島を見つめる。隣ではハルくんが他の職員に連絡を取ってるようだった。
「……最古の鬼の封印は最後の一つが解かれたって聞いたわ」
ということは鬼の身体が再構築され始めてる、ってこと。本来であれば陰陽師や機関が対策を練って、暴れ出す鬼を止めなきゃいけないところだけど……
歴史上でも、桃太郎──『桃間の初代』以外に鬼と直接戦った者はいない。
なんだったら実際に動いている最古の鬼を見た者もいないのよ。この鬼ヶ島だって見つけたのはあの桃間。大昔の陰陽師たちにも見つけられなかった。最古の鬼が恐ろしく強いということしか私達にはわかってない。何も知らないのよ。
できることと言えば、最古の鬼をあの島から出さないようにするくらいね。
「ナツメちゃん、幻術と結界同時に張ることになったよ。ナツメちゃんの指定位置はあっちだ、急ごう」
「ええ」
「せやったらうちも一緒に行こかな。なんかお嬢ちゃんの役に立てるかもしれへんし」
「い、いいいいらないわよ! どこかへ行ってちょうだい!」
「あら、なんで?」
「隣から杏狐様の声が聞こえると気が散って仕方がないのよ!!」
「そら嬉しいわぁ。なら、もっと近くで囁いてあげよか?」
「やめなさい!! その口縫ってやろうかしら!?」
「ナ、ナツメちゃん……相手はあの玉藻前だから落ち着いて……!」
言い合いながらも走って移動しようとした時、うるさいプロペラ音が上空を通り過ぎていくのが聴こえた。
思いもしない物を目にして私とハルくんは目を丸くする。
「ヘリ……? 自衛隊じゃないわね。もしかして民間のテレビ局? なんでこんなとこまで!」
「今まで機関がかけてた幻術が解けたから、大地震の中継の為に飛んでたヘリがたまたま鬼ヶ島を見つけちゃったのかも。でもまさかこんなとこまで飛んでくるなんて……」
「これから最古の鬼が復活するかもって時にあんな場所飛んでたら危ないわよ!!」
ヘリが鬼ヶ島へと一直線に近づいていく。何を映そうって言うのよ。
──その時、鬼ヶ島中央にある何かが山のようになっている場所で、複数の人影が動いているのに気が付いた。
***
「おいここ、真っ暗じゃねぇか! 何も見えな……あだっ」
「先生ってばオレの背中にキスしないでぇ~」
「しとらんボケ!」
「センセー、ちゅーならあたしにしなよ~」
「するかばかもん!!」
真っ暗闇の中、俺と狗谷木、そして先頭を歩く鬼村の声が響く。
ここは鬼村が開けた空間の中。
金棒と俺の刀をしまっているところしか見たことが無かった為、そう広くもないと思っていたのだが──歩き始めてからもうすでに五分程が立っている。
「広すぎないか……?」
「別に広くはないんだけどー、時間も歪んでるからちょっと広く感じる的な?」
「なんだそれ」
歩いている方向はすでによくわかっていないが、狗谷木と鬼村の声と気配を頼りに進んでいる。と、急に鬼村が「あ!」と声を上げた。それと同時に俺の前を歩く狗谷木が立ち止まる。俺はまた顔をぶつけないようにと少しばかり仰け反った。
「あったあった、それじゃ出るねー」
「お、おう」
鬼村がどこかに手をかけ、そしてまた引き戸を開くようにしてそれを開けた。
真っ暗な場所から外に出るんだ、さぞ明るい光が差してくるに違いないと一瞬目をつぶりかけたが──鬼村が開けた戸の向こうも、そう明るい場所ではなかった。
出てすぐに空を見上げた。赤黒く沈んだ色の空。そういや新幹線の中で地震が起こった時も、外が暗かった気がする。こんなんなってたってことか。それに妙に既視感を覚える。なんだこれ……いや、そうか、初めて妖怪を見た時と似てる。最初の頃は、空気に色がついてたように見えたんだ。あれと似ているんだ。
そして辺りを見渡せば……
「……なんだ、ここ」
俺達は鬼ヶ島へと続く道を歩いてきたんだ。
だから、ここは鬼ヶ島と呼ばれる場所なわけで……
だと言うのに。
段ボール、
金庫、
棚、
ガレージ、
衣装ケース、
いろんなしまっておくものがそこかしこに山のように積み重なっておいてある。
「なんだこりゃ……ガラクタの、寄せ集めみてーな」
そう言いつつ、俺は今出てきた場所を振り返った。
そこにあったのは斜めに地面へ突き刺さったようになっている押し入れの戸。
「どういうことだよ」
俺の呟きを聞く様子もなく鬼村も狗谷木も振り返らずに歩いて行ってしまっている。俺は慌てて二人の背中を追った。
「おい、このガラクタは一体なんだ!? ゴミの不法投棄か!? 鬼ヶ島のイメージと違い過ぎるだろ」
俺が叫ぶとようやく鬼村が振り返り、困ったように腕を組んだ。
「んなこと言ったってあたしにもわかんないってば。あたしが初めてここに来た時からあれもそれもぜーんぶあったし、で、あたしはあの押し入れの中だけなんでか好きに使えたから荷物入れにしてたの」
そう言って鬼村は先ほどの斜めに地面に突き刺さっていた押し入れの戸を指差した。
「お前が初めてここに来た時ってもしかして、生まれた時の話で言ってたやつか? だったらそんなん……百五十年も前ってことだろ? その時から金庫やらガレージやらが積まれてるって、おかしいだろ」
その時、ぐにゃりとしたものを踏んだ。俺は思わず「うわっ」と声を上げて飛び退く。何か生き物を踏んだと思ったんだ。そこにあったのは──生きて動く肉の塊だった。
「何だこの気持ち悪いの……!」
見れば地面の至る所に肉塊らしきものが散らばって落ちている。それらはねちねちと音を立てながら必死に自力で動こうとしていた。
「センセ、あたしらまずいタイミングでど真ん中に来ちゃったのかも」
鬼村はそう言うと、いつの間にか持っていた金棒を両手で握って鬼の姿へと変貌した。狗谷木も背中から生やした翼を大きく動かし、羽団扇を手に握っている。俺は取り出した煙草を噛むようにして、その先に火を点けた。召喚した三匹の煙が一瞬にして俺を守るように巻き付く。
嫌な空気が、俺達を取り囲んでいる。
それはまるで、何かの胃の中にでもいるような──
────ドッッッ……
ぶつかるような感覚が、肩に走った。
まるで映像をスローモーションで見ているかのように、景色がゆっくりと動く。
鬼村と狗谷木が俺に向かって何かを叫んでいて、
俺は何故か後ろへと倒れ掛かる。
「……っ!!」
どうにか踏みとどまって、足に力を入れた。
倒れずに済んだもののぐらりと眩暈がして上体は前へと傾いた。
パタタタッ……
何かが垂れ落ちる。
真っ赤な何かが。
「センセ!!」
鬼村の声で意識がはっきりとする。
燃えるように熱く痛む俺の肩からは、
真っ赤な血が滴り落ちていた──。




