第111話 ともだち
──三善さんが防御の為の結界を張るのより早く、化け物の攻撃を鬼村が金棒で防いだ。大きな赤黒い身体から伸びる、何本もの手による攻撃を。
「っ……多分獏は悪夢を撒き散らすことしかできないんだと思う! だから今攻撃してきてるのは、鬼の腕の方!」
鬼村はそう言うと、金棒に巻き付いてこようとする腕を振り払った。犬の咆哮により、ほんの少し鬼の腕達は動きを止める。その隙に召喚した猿は小さな体で駆け寄っていくと、一瞬で体を大きくさせ、化け物を体当たりで後退させた。敵の位置を戻して再度捕縛結界の範囲に入れたものの、化け物相手には効きが悪くなっていた。
「同じ結界を使おうとしても、もうボロボロなんです! 新しい結界を張り直さないと!」
三善さんがそう言って耳に装着しているインカムで他の人に連絡を取り始めた。さっき捕まえた時に全て終わらせなきゃいけなかったんだ、じゃあ、どうする。
目の前の化け物が、大きく口を開いた。
口から、
いや全身で発声した叫びがその巨体を震え上がらせ響き渡る。
イタイクルシイツライオモイウ
ルサイヤメテワレチャイソウカ
ラダガサケテクヤダヤダヤメテ
ナンデドウシテオトウサンオカ
アサンワタシノコトナンテダレ
モミテクレナイサッキカラソウ
イッテルダロアタマノナカデサ
ケバナイデヨクチナンテナイノ
ニクルシイハキソウイタイイタ
イイタイイタイイヤアアアアア
アアアヤダヤダヤダヤダダレカ
タスケテズットイッテルノニジ
ゴクッテコレノコトダッタンダ
カミサマナンテドコニモイナイ
アイツアイツノアイツノセイダ
頭が割れるような叫び。
どれも獏の声じゃないとすれば、これは全部鬼の両腕から発せられる声なのか。
「鬼って何なんだよ……」
両耳を塞ぎながら呟いた言葉は誰にも聞こえやしない、この喚きの洪水の中じゃ。けど鬼村だけは、俺を振り返って何か叫んでいた。聞こえない。この音の中じゃ聞こえない。お前は俺に何を伝えようとしてる?
鬼村の指先が、
空を指差した。
「おいコラ正路ー!!!! お前また太ったんじゃねーのかー!?!?」
──突如降ってきた声。
それに気を取られてか、叫びは止み、獏がゆっくりと頭をもたげた。
「よ……いち、お……れ、ふと、てな……」
長い鼻先が、
空中で狗谷木が抱える誰かに縋ろうとした。
「再度捕縛開始します! 鎖状包囲結界展開!」
「「「<縛>!」」」
三善さんの合図で再度新たに網目のようになった結界が浮かび上がり、化け物を締め上げるようにした。
それとほぼ同時に天狗たちの雷がぐるりと囲われた滝のように落ちてくる。
でもこれじゃさっきとほぼ同じだ。
まだ足りないんじゃ──
「……っ!」
俺の右手が痙攣した。
もしかして、
俺の身体が勝手にあの刀を呼ぼうとしてるのか?
でもあの刀で切れば、
あの獏は──
「……らああああああっ!!!!!!」
鬼村の悲鳴のような大声に体がびくりと反応し、俺はハッとして前を向いた。
跳び上がった鬼村は、
その手の金棒で化け物を真っ二つに裂いた────。
***
半径1キロにも及ぶ程の結界だったにもかかわらず、後に残ったのは人間が一人で抱えられる程の小さな獏の身体だけだった。
獏を乗っ取った鬼の両腕とやらはまるで霧散するかのように、空の彼方へと消えていった。
「ごめんねセンセーのお父さん。こうするしかこの子助ける方法無かったんだ」
鬼村は今、上半身と下半身に分かれてしまった獏を両手で抱えている俺の父さんへと話しかけている。父さんは、どうやら狗谷木がどこかで見つけて連れてきたらしかった。
「……あ、れぇ、よういち?」
うっすらと瞼を開けた獏は、自分の身体を抱える人間を見て安心したように目を細めた。
「なんでいるの……あれ、れ、おれのこと、おぼえて……」
「忘れてたよ。お前のことなんて」
父さんはそう言って鼻を啜った。後ろからじゃどんな顔をしているかまでは、俺にはわからない。
「ああー……おれのからだ、はんぶんになっちゃった……これはどうにもならないなぁ」
「………」
「でもね陽一、妖怪は、死なないんだぜ。知ってる?」
「……知らねぇよ」
「存在をわすれられて、意味を失くして、消え去るときまでは、なんどでも、なんどでも…………はあ……もう一度生まれたら、また陽一のとこにあそびにいきたいなぁ……」
「……俺はとんと夢なんて見てねぇからな、何も食わせてやれねーぞ」
「それでも別に、いーもんね」
父さんの手の中にいた獏が──空気に溶けたように薄れて消えていった。
────『桃間の夢なんてたらふく食ったから、俺、もうお腹いっぱい』
……それからのことは、もう「てんやわんや」って言葉がぴったりなくらい忙しなかった。
後からやってきた対妖情報機関の職員によって聞き取り調査が開始し、俺が最初にあの獏に出会った場所がどこだったかという話に始まり、父さんがあの獏とどういう関係だったか、そして今回の鬼の封印を解いたことについて俺達は本当に関わりが無かったかを何度も何度も聞かれた。
本人不在では憶測でしかないが、封印されていたとはいえ長らく鬼の両腕を背負っていた為に時間をかけて鬼の妖力に当てられたのではないか、というのが東境支部の対妖情報機関や天狗たちの結論だ。
獏が撒き散らした悪夢についてだが、こればかりはあまりにも広がりすぎている為今日明日でどうこうできる問題ではないらしい。天狗の方で近郊に住む獏を招集して対処するらしいが──この辺は明日丘山に帰る俺達には関係の無い話だろう。
父さんがここへ来た原因は半分俺にある。正路と名乗った獏と会ったことを連絡したから。メッセージを送った当初はピンと来てない様子だったが……何故か急に思い出したらしく、たまたま出張で東境近くにいた為近場まで来た、と。何という偶然か──それともどれも偶然ではないのか。
ちなみに俺達がホテルへ戻ったのは……修学旅行生たちの就寝時間が過ぎた後だ。これはさすがに大目玉だろうと思ったが、どうやらあの獏が悪夢を撒き散らし東境の街を引きずり歩いた事件は、『広範囲のガス漏れ事故』ということになっているようだった。俺と鬼村と狗谷木もそれに巻き込まれていた、ということになっている。誰が手を回してくれたんだか。ともかく戻るや否や体調の心配をされ、俺達はその夜夕食のバイキングを食い損ねた腹のまま眠ることとなった──。
『……何で急に獏のことを思い出したんだ? そもそも父さんは妖怪とかお化けとか信じてなかっただろ』
『さあな。大体妖怪なんてのもあいつ以外は見たことなかったから、今も信じがたい……けど、どうやら他にもいろいろいるらしいってのは今日わかったから、信じることにするさ。まあ幽霊は信じちゃいないが。そんなもんいるなら爺さんがとっくに化けて出てるだろ』
『あ、はは……』
『ただ』
『……?』
『ただもう友達のことは、忘れたくないと思ってるよ』
暗い運動公園で、遠い空を見つめながら父さんが言った言葉は──その夜の夢に出てくるくらいには、俺の胸に抜きたくない棘のように残った。
しかし妖怪騒動がこれで終わりではないことを、翌日の新幹線の中で俺達は知ることになる。




