第110話 進行する嘆き
辿り着いた運動公園は、夜ということもあるが一部の貸出グラウンドが今日はちょうど休みで借りられない日だったらしく目立った人の姿は見当たらなかった。とはいえ運動公園全体としてはあまりにも広い為、俺のいるところからは見えない場所に利用客がいる可能性は否めない。今からここにでかい妖怪が来るっていうのに。
「ここで……本当に良かったのか?」
そう呟くものの、じゃあ他に良い場所があったかというと……広い海上まで出られればいいかもしれないが俺が無理だ。雉に捕まって飛ぶのもどれだけの時間形を保てるかわかったもんじゃない。そして狙いが俺である以上、最短で来れるここ以外に候補はない。とにかく、被害を最小限に押さえられるように何か手を──
その時、黒板を引っ掻くような嫌な音が響き渡り、俺は耳を抑えた。
「!? 何だ……!?」
何かの攻撃か、と思ったもののただ不快感を感じる程度だ。何が目的かわからない。隣に座っている犬は『ご主人大丈夫?』と首を傾げている。こいつには何の効果も無いようだ。
一体何が起こっているのかわからず辺りを見回していると、林がある方の奥から人影が一つ二つ見え始めた。
「……もしかしてあなたが桃間さんですか!?」
そう声を掛けてきたのは、黒いスーツの男。夜には目立たない格好だが……近づいてくるとその頭は少し伸びた髪を後ろで縛っていて口にピアスもしている為、印象はかなり濃い。が、その後ろを歩いてきた二人は同じ黒スーツなもののそこまで目立つ容姿じゃない。お堅い職についていると言われても納得するくらいの男性たちだ。
「はい……あなたたちは?」
「私たちは対妖情報機関東境支部より派遣された陰陽師で、今回は大型の妖捕縛の為こちらへ来ました。ちなみに今は結界を張る前に、一般市民の避難誘導をしているところです」
「避難誘導?」
俺は見た目とは裏腹に丁寧な言葉遣いをするその男に驚きつつ訊き返した。
「この金切り札を燃やして人間の嫌悪する音を発生させ、結界部分から追い出してるんですよ」
男は墨で何かの文字が書かれたお札をこちらへ見せてきた。以前土御門が見せてくれたお札にも似ている。まあ、お札なんて見せられても全部似通って見えるが。
「すみません名前がまだでしたね、私は三善といいます。叉々山支部から『桃間の末裔が数日東境へ出向くから何か起きてもすぐ臨戦態勢を取れるように』なんて言われていましたけど、本当にこんなことが起きるなんて。ここまででかい妖騒動は久々ですよ、あははは!」
「俺のせいでなんか起きるかもって思われてたのか……」
確かにここ数か月桃間絡みで面倒事が何度も起きていたわけだから、警戒されていても文句は言えないか。
「それにしてもあの機関もちゃんと東境支部ってあるんですね」
「ありますよ! 本部は境都と言えど国の中心は今や東境なんですからこっちに本部を置いてもいいくらいで!」
急に怒ったように早口になる三善さんに、なんかめんどくさいアレコレがありそうだなと苦笑いをした。俺と三善さんが話している後ろでは、他の陰陽師の男たちが「あれが噂の……」「桃太郎ってあんな感じなんだ……」とひそひそ声で喋っている。
「いや俺は桃太郎じゃないですから!」
反論すると、男二人は気まずそうに目を逸らした。三善さんも苦笑いで俺にぺこりと頭を下げている。
避難誘導とやらが終わったのか、運動公園一帯に響いていた嫌な音は気づけば聞こえなくなっていた。それと同時に男性二人は別々の方向へと駆け出していく。三善さんも少し行った先まで走っていくと、そこに立ってさっきのものとはまた別のお札を手にして構えた。
「桃間さんは私の後ろへどうぞ!」
「! あ、はい……!」
俺とまろんは慌てて三善さんの後方へと向かい、そこで止まった。気づけば遠くの空が赤黒く光っている。もう目視できるほどにあの妖怪が近づいてきてるってことだろう。
「あの妖は深宿辺りで発生して、その後少しずつ身体を大きくしながらこっちへ近づいてきています。私達陰陽師で半径1キロ程度の結界を張り、ここまであの妖が来たと同時に捕縛します」
「半径1キロ……でかいな。それで捕縛して、あとはどうするんですか」
「協力してくれる天狗の攻撃によって抑え込みますが……あのでかさで果たして効くのか。それにあの禍々しい気、あれは一体……」
「……鬼、らしいです」
「鬼!? その情報は聞いてないな……」
三善さんは敬語ではなくなると焦ったような表情で俺を振り返ったが、また前を向いた。俺は言うべきか迷ったものの、このまま黙っているのもどうかと思い口を開いた。
「あの妖怪、昨日初めて会ったんですが、元はもっと小さい獏だったんです。しかも<鬼の両腕が入った箱>を背負って多分三十年以上旅をしてたらしくて……で、その鬼の両腕にどうやら乗っ取られた様子です」
「獏があそこまで大きくなるのも、大昔に消えた鬼の両腕がその辺ふらついてたなんてのもびっくりポイントではあるんですけど…………はあ、詳しいことはまた別の者がお話を伺うと思いますよ。その為にもあの妖を生け捕りにしたいところではありますが……」
近づいてくる赤黒い影の見える部分がどんどん大きくなってきた。先ほどから聴こえていた叫びも今やびりびりと全身を震わせる程だ。近くなればもっといろいろな声が聞き取れると思っていたが……近くなればなるほど、何を言っているかわからない。
何体かの天狗がそいつの周りを飛び回って声を掛けているようだが、返事をしている様子はない。意思疎通は取れない状態だろう。
その時、赤黒い化け物の奥から一つ影が飛び出してきて──それは俺と三善さんの間に落ちてきた。
──ズシン……!!!
「っ、!?」
なんらかの攻撃かと思った三善さんが振り返ったものの、落ちてきたそいつに気が付いた俺は怒声を上げた。
「もうちょっと静かに降りてこれねぇのか!」
「えーセンセーひとりで寂しいかと思って急いで来たんじゃん~」
鬼村は立ち上がると、金棒を地面に突き立て、そこに体重を預けるようにしてだらしなく立っている。姿はもう人間ではなく、袖の短いTシャツとショートパンツから覗く真っ赤な肌と額にある大きな二本角は鬼であることを知らしめる。こいつが見える範囲にいる陰陽師たちは少したじろぐようにしていた。
土御門も最初は鬼に対して良い印象は持っていなかった。鬼がどういう存在か知った今、この人たちの反応もまあ当たり前のものなんだろうとは俺もわかる。こいつはあまり歓迎されない存在なんだろう。
「……センセーなんか変な顔してるけど。ダイジョブ? 緊張してんの? それともお腹減ってる?」
「んな冗談言ってる場合かよ! 陰陽師の人たちが来たけど、お前の方ではどういう状況だったんだ!?」
「んー、とりあえず捕まえてみよっかーみたいな感じだけどー……どうせ無理じゃんね」
鬼と化した獏が、目の前に迫りくる。
「これのどこが、獏なんだよ……」
小象のようだったまだ愛らしさもあった形が、
ガスでパンパンになったように膨れ上がり、
赤黒い色は血に塗れたように見え、
身体や口から噴出する気体は、
寒さと吐き気を覚える。
象や馬の嘶きのような叫びが、空を震わせた。
「<縛>!!」
三善さんが声を発したのと同時に、陰陽師たちの持つ札が光り直線で結ばれ、その中にいる化け物はバチバチと音を立てて動きを止めた。
高く低く頭に響く叫び声を上げ、啼いている。
「動きが止まった……」
眩い光に包まれるそいつの上に十人近い天狗が飛んでいるのが見えた。そいつらが手に持つ羽団扇を空へと向けると、いくつもの雷が落ちてきた。
「っ……!!!!」
雷の光が辺り一面を覆ったと同時に、地面を割るような音が鳴り響く。目の前に落ちた雷撃に俺はつい目を閉じ耳を塞いでしまった。全身がヒリヒリと痛む。
「すげぇ…………けど」
恐る恐る開けた目に映ったのは、
まだバチバチと静電気を身に纏ったものの、獲物の様子を窺うかのように丸い二つの目をこちらに向けている姿。
「これ、効いてんのか?」
「多分効いてないんじゃん?」
鬼村の返答に冷や汗が流れた瞬間、結界を突き破って化け物が動き出した。
***
──時は遡り、まだ鬼に乗っ取られた獏が桃間一樹達の元へ辿り着く前。
東境に近い天狗たちが集結し、桃間のいる東南東へと進行する獏を追っていた。狗谷木天もその天狗集団の中にいたわけだが、どうにも乗り気ではないようだった。
「西の天狗どもも妙にプライド高くてめんどくさいとこあるけどさ~、こっちの都会の天狗ってのもなーんかインテリぶっててちょーやりにくいんだけど~」
項垂れつつも、年若い方である狗谷木天は天狗たちの後方を飛んでいた。
とてつもなく大きな妖の出現と天狗集団の空を往く行進は、重なった世界において未だ妖怪が見えない者たちは何ら変わらない日常行動を送っていたものの、一部の視える者、視え始めた者たちにとっては恐怖の対象でしかなかった。
「オレたちのこと視える人間、ここ数日でもかなり増えた気がすんな。……もうそこまで来てるってことなんかな」
その時ふと、下に見える地下鉄への出入り口に見知った姿がある気がした。
「んん~……あれ?」
天狗の列を抜け、狗谷木天は滑空していく。
大きな得体のしれない存在を見つめぽかんと口を開けていたその男の目の前に、天狗は降り立った。
「桃間先生! ……かと思ったけど、そっくりのおっさん??」
そう言うとスーツ姿の壮年の男の前で首を傾げて見せた。男は目を丸くして天狗姿の狗谷木天を見つめている。
「あれれ、オレのことも視えてる?」
狗谷木天がどこかはしゃいだようにして男の前で手を振って見せたが、はっとして手を止めた。
「もしかしておっさん、先生の親父さん!?」
「!?」
「あーだから顔も似てんだ! じゃあもしかして、アレっておっさんの知り合いの獏!?」
狗谷木天が進行する大きな物体を指差すと、男は何度か瞬きをして口を開いた。
「……獏? あれが、正路なのか?」
男──桃間一樹の父、桃間陽一が困惑した表情を浮かべると、狗谷木天はにんまりと笑って彼を担いだ。
「うわっ!?」
「ちゃんと安全飛行で行くからしっかり捕まっててよ! おっさん!」
「なっ、空……飛んで……!?」
突如として東境の空へと浮かび上がった体に、桃間陽一は顔を青くした。がしかし、上空から見る赤黒い獏の全体像を見て、息を呑んだ。
「……何やってんだ、お前」




