第109話 膨張
「──ごめん、今修学旅行中なんだ。え? いや俺はちょっと話しただけで……うん、だから……そう……」
耳に当てたスマホへいくらか話しかけた後で、同僚がホテルの部屋から出てきた為俺は慌てて通話を切った。
「桃間先生、どうしました?」
「あ、いえちょっと緊急の電話かと思ったんですけど……大丈夫です」
どうにか笑顔を作って崎田先生を振り返ると、部屋の鍵をかけた彼の横を歩いて夕食会場へと向かった。このあとは生徒たちに飯を食わせ、それぞれの班の班長を集めて再度注意事項を確認し明日の流れを伝えた後は生徒全員就寝。明日はとうとう丘山へ帰る日だ。とっとと終わらせて家でゆっくり寝たいってもんだよ。ホテルましてや職場の人間と寝るっていうのは体が休まらない。
修学旅行三日目の今日は生徒たちが待ち望んだ有名リゾートパークに遊びに行ったもんだからどいつもこいつもはしゃぎすぎて飯前の今すでに眠そうにしてる状況だ。これは就寝時間後の部屋の抜け出し、なんてものは無さそうだな。
「セーンセー!」
俺が夕食会場の前で立っていると、鬼村が駆け寄ってきた。そのまま勢い余って抱き着いてきそうな気がした為、俺は両腕を前に持ってきて抵抗の意を示す。
「おい、こら、いいからさっさと飯食いに行け!」
「センセ、今日あたしと遊べなかったじゃん。ランドめっちゃ楽しかったよ? センセーなんか乗った?」
「乗るわけないだろ!」
「センセー用のお土産に可愛い熊耳のカチューシャ買ったから帰ったら付けてあげるね♪ うさ耳はあたしのなんだけど、うさ耳の方がよかった?」
「どっちもいらんわボケ!」
鬼村の後からやってきた佐嶋と緒方はにやにやとしながら鬼村を置いてさっさと夕食会場へと入っていった。何でこいつを回収していかないんだ、本当に友達か?
「……ん?」
鬼村が急に真顔になって夕食会場の中を見つめた。どうしたのか、俺も気になって同じように中を見たが……特におかしなことは無い。が、鬼村のことだ見ているものが違うのかもしれない。俺はそっと右目を隠して、左目で同じ風景を見た。
世界が重なってからは、俺の左目は一体どこを見ているんだろう。だってそうだろ、あっちもこっちも今は同じ場所にあるんだから。同じものを見てるのに、違うものが見えてるとしたら、それはいつだったか鬼村が言っていた、表と、裏────
「こっちに来てる」
鬼村の言葉通り俺の目にも、赤黒い塊のようなものが遠くからこちらに向かって近づいてきているのが見えた。
──カシャーン!!
中からカトラリーを落としたような音が響いた。それと同時に狗谷木が走って出てくる。
「美鬼ちゃん!」
用件は言わないものの、鬼村は狗谷木と意思疎通が取れたのか一つ頷くと「センセ、早くホテル出た方いいよ」と言ってそのまま踵を返し廊下を走り行ってしまった。
多分、何かまずいことが起きてる。
「すみません、あいつら連れ戻してきます!!」
俺は驚いている先生方に声を掛けて、鬼村と狗谷木の背を追った。
──ホテルから出ると、狗谷木は突風に包まれたと思うと天狗へと姿を変えすぐさま空へと飛び立っていった。鬼村も同じ方向へと走っていく。
「おい! こら、何があったんだよ!? さっきの赤黒いあれか!?」
「センセー視えたのに聴こえなかったわけ?」
「は!?」
足の速い鬼村に並ぶことができず、俺は後ろからついていくばかり。さすがに緊急事態かと俺は諦め、ポケットに忍ばせた煙草を使い犬を召喚すると大きくなった背に飛び乗った。
「ほら乗れ、あのヤバそうな奴のとこに行きゃいいのか?」
走る鬼村に並んで俺がそう言うと、鬼村はひょいと俺の後ろへ跨った。人通りの多い中でかい犬に乗る俺達はどう考えても目立つだろうに、通り過ぎる人間の八割はこっちを見向きもしなかった。まあ二割はぽかんとした顔してたわけだが。
「ねぇセンセ、耳澄ませてみなよ」
「え?」
「いいから」
一体どういうことか、とにかく耳を澄ませてみる。まろんが風を切る音が耳にうるさくて何も聞こえない気がしたが──それは段々と、次第に大きくなって俺の耳に届いた。
──見つけてやる。
──苦しい。
──どこだ、どこだ。
──痛いよう。
──匂いは覚えているぞ。
──全てお前のせい。
──ひどく甘い桃の臭いだ。
──見つけた見つけた見つけた見つけた!
──ごめんね、陽一。
重なり合う声。
俺は全身鳥肌が立った。
だが、一つだけ聞き覚えのある声……
「獏の、正路さんだ」
「何? 知り合いなの?」
「知り合いってか、知り合ったっつーか……いや、そもそも俺の知り合いじゃないんだ。俺の父さんの知り合いで」
「センセーのお父さん? ……よくわかんないけどさ、あれ、桃間を探してる鬼の声だよ」
「は、鬼?」
慌てて振り返ると、険しい顔をした鬼村の顔がすぐ傍にあった。その顔は怒っているようではなく、どこか苦しそうな……。
「どっかの誰かが最古の鬼の封印を解いて、身体を乗っ取られてるってこと。センセーが言うんなら、その獏が封印を解いたってことかな」
「桃間を探して、身体を乗っ取られて、って……じゃあなんだ、あれは俺を狙ってこっちに来てるってことか!?」
「そう、だからセンセーは人気の少ない方に逃げて」
鬼村はそう言うとまろんから飛び降りそのままスピードを上げて走り去っていった。
「逃げてって……どこに逃げろっつんだよ」
急な運動と緊張によって速く打つ心臓を宥めながら、俺は現在地を地図アプリで確認した。ただでさえ人が密集している東境にいるってのに、どこへ行けば人が少ないってのか……
「──近くに、運動公園があるな」
画面に表示される地図を指先で拡大して、大体の敷地面積を把握して唸る。今からこっちに向かってやってくるあの化けもんがこの運動公園よりでかけりゃ終わるが……これに賭けるしかないだろ。
「まろん、あっちだ! めちゃくちゃ広い公園まで向かってくれ!」
『広い公園!? おっきな滑り台とかあるかなぁ~!』
「遊ぶ時間があればいいけどな」
まろんが強く地面を蹴って空高くまで跳び上がる。視界が開けて、目的地が遠くに見えた。埋立地の端に位置する運動公園、だからすぐ傍は海だ。月明かりが反射している水面を綺麗だなんて思っていると、急落下していく感覚に肺が潰れるような心地がした。
「……もう少し、安全運転でいけないか」
『公園! 公園! 早く行こご主人!』
「早く行きたいのは俺もだけど、着いた頃には気絶してるかもしんねーぞ……」
***
ホテルから結構離れた場所まで走ってきたあたしは、ビルの上に座って迫りくる敵を眺めてる天に並んだ。
「天、センセーはこの運動公園にいるって」
あたしがスマホの画面を見せると、天は首を直角になるくらい傾げながらそれを見つめて「オッケー」と指で丸のサインを作った。かと思うと、それから少しの間黙った。あたしには聴こえないけど、どこかへ念を飛ばしてるようだった。
「……誰かに連絡取ってんの?」
「こっちの天狗たちにね。天狗は天狗であれをどうにかしようと躍起になってるみたい。この辺の陰陽師とかも動いてるって」
「大捕り物じゃん」
「でもさぁ、あれって鬼だよね? 鬼って封印解いたら<鬼ヶ島>に戻るもんなんじゃないの?」
そう言われてあたしは眉間に皺を寄せた。センセーみたいに。
「……だと思うんだけどね。今までに河原が封印を解いた時だって、その場で鬼が暴れることなんてなかったし。バラバラにされてる以上、一旦身体を一つにまとめる為に元いたところに戻ると思うんだけど……他とは違う封印のされ方だったのかな。それか封印を解いた獏が何かしたか」
「獏ぅ? あれってもしかして獏なの?」
天狗の面で半分表情の見えない天だけど、その口元からは疑ってかかる様子が伝わってきた。
「あたしだってあんなでかくてやばそーなの獏だと思えないけどさぁ、センセーがそう言うんだもん」
「何あれ、桃間先生の知り合いなん?」
「っぽいけど、よくわかんない。知り合ったとか言ってたけどいつの話? て感じ。それに……」
「それに?」
──あたしは、夢子ちゃんから聞いていた話を思い出してた。
『前に言ってた桃間と関わりのある獏の話! 覚えてます?』
『その獏、どうやら今は東境の方にいるらしいですよ~』
──多分、あれがそうなのかもしんない。となると、桃間の夢を食べまくってた獏ってことだから……
「桃間の一族って昔から、あたしら鬼はもちろんだけど妖怪が攻撃できないようになってたじゃん」
「だねー、みんな何かすげー力で守られてるっていうか~。破邪の力とかだっけ? 悪意を持った奴だと全然近寄れないみたいな。……ん? でもオレ桃間先生には攻撃できたじゃんね!」
「それね。まあ、センセーが何でか例外ってのはまた後で考える話としてさー……あの獏、多分なんだけど……センセーのお父さんの夢めっちゃ食べてたっぽいかもなんだよね」
「うええ? そんなんできんの? 桃間に攻撃できないのに────あ」
天は気づいたように口元を抑えた。あたしはそれを見て、それから近づいてくる赤黒く肥大化した妖怪を見た。
「夢を食べる、が攻撃じゃないから上手くいってたとして、夢を食べるのと桃間を食べるのがほぼイコールだったら? 夢と一緒に桃間のなんかヤバイ力も一緒に吸ってたってことじゃん?」
「うわぁ……もしかして、だから今あんなことできてんの?」
あんなこと。
何十倍にも何百倍にも膨れ上がった獏が、
口と全身から瘴気のように広範囲に悪夢を吐き出してのそのそと歩いてきてる。
あれを浴びた人間はしばらくは悪夢から逃れられないかもしれない。
夢だから気にしなくてもいいわけだけどー……あまりにも続く悪夢は体力をすり減らすって言うし、死に直結する場合もあるかもしんない。あまり楽観視はできないんじゃないかな。
「でもまずは、あのデカブツをどうにかするところからじゃんね」
──あたしは戸を開けて金棒を取り出した。




