第108話 悪夢と両腕
陽一の見る夢が悪夢かどうかはさておいて──味はすんごく美味かった。
とんでもなく空腹だった俺は夢一つ食べただけで大満足。朝起きた陽一に興奮しながら教えると、陽一はちょっと眠そうに目をこすった後で「良かったな」って笑った。
それから俺は毎晩陽一の夢を食べた。どれもこれも悪夢というにはほど遠いもんだったけど、食べれば食べる程俺は力を得た。生まれたばっかのひょろひょろ獏は今や筋肉もりもりって感じ! ……って、別に強くなるわけじゃないけど。でも、前はできなかったことがいろいろできるようにはなった。
陽一と出会ってしばらくした頃、俺は一度姿を消した。向こう側に戻って準備をしてたんだ。そして、高校生になった陽一の前に俺は再び姿を現した。
「──陽一、久しぶり!」
陽の光がいっぱい入る教室の中、窓辺の席で気だるげに座る陽一の机に手を付いて、目を輝かせて顔を覗き込む。
人間の姿をした俺に、陽一は目を白黒させた。
「久しぶりって……お前のこと知らねーけど」
「知ってる知ってる! 前は毎日一緒にいたろ!」
「毎日!?」
「俺、獏! 陽一の夢を食べてた!」
それを伝えた途端、陽一は驚きのあまり椅子から転げ落ちた。それがあんまりにも可笑しくって俺はゲラゲラと笑ったんだ。陽一は痛みなんかわからないくらいびっくりしたみたいで俺を見上げては何度も瞬きをしてた。
──陽一は断片的にだけど俺のことを覚えてた。
俺がいなくなった後、獏っていう妖怪のことはどうやら記憶から薄れてたみたい。それもそうか、関わりが無くなれば妖怪なんてのは忘れられていく存在だから。でも何度も見ていた嫌な夢を誰かに食べてもらっていたことはほんのちょっと覚えてたみたいで……俺と出会ったことで、いろいろ思い出したようだった。
ともかく、陽一の夢のおかげで人間に化けれるくらい力を得た俺は、<夢見家・正路>として陽一と同じ高校に通うことにした。学校っていうのが何だか楽しそうだったから俺も一緒に行ってみたかったんだ。他の妖怪たちの知恵を借りて、狐狸狢界変サービスってのも使って、いろんな人間たちの記憶を書き換えたり必要なものをせっせと準備して、俺は晴れて人間の高校生になったってわけ!
高校生になって陽一と遊ぶ毎日は本当に楽しかった。
小さな獏だった頃はできなかったボールを蹴り飛ばす遊びとか、教室で居眠りしてる陽一の頭に丸めた紙をぶつける遊びだとか、テストで悪い点数取って一緒に廊下で立つ遊びだとか、全部全部楽しかったんだ。
それに、陽一の夢もまたたらふく食べるようになった。
子どもの頃よりも夢を見る回数は減ったらしいんだけど、それでもまだ陽一は桃太郎さんの夢をよく見てた。うんざりしたような顔をして朝学校に来た日にはよく夢の愚痴を聞いた。だから俺は夜になると獏の姿に戻ってまた陽一の家へと行くようになったんだ。
久しぶりに俺の姿を見た陽一は目を丸くして一言「太った?」なんて言った。
「太ってない! 身体がでかくなっただけ!」
「それを太ったって言うんじゃ……」
「陽一の夢をいっぱい食べてやったおかげなんだけど!?」
「あ、ああーそうなんだ」
小さな小窓を開けた陽一に、俺は怒りながらも部屋の中へと入っていった。小学生の頃は弟たちと同じ部屋だったけど、高校生になった今は一人部屋らしかった。あれから弟もまた増えて五人の弟たちは二部屋を使ってぎゅうぎゅうになりながら暮らしてるらしい。陽一の部屋は……一人部屋なのはいいけど、ちょっと狭かった。
「物置だったのをどうにか部屋にして使ってんだよ」
って陽一は言った。狭いけど、弟たちと同じ部屋よりはいいみたい。
「でもこの狭さじゃ彼女も連れ込めなくない?」
「うっせぇな!」
陽一には付き合ってる彼女がいた。俺と遊ばない日は彼女とべったりらしかった。俺としてはちょっとつまんないんだけど、でも陽一が楽しそうにしてるならそれでいっか、って思ってた。
「んじゃ今日からまた陽一の夢をもりもり食べますかぁ~」
「デブになるなよ」
「ならないっての!」
俺がそう言うと、陽一は子供の頃みたいなくしゃっとした笑みを浮かべた。こんな日がいつまでも続くような気がして──でも俺は『桃間』がどういうものかそれからしばらくして知ることになったんだ。
***
「……彼女が妊娠した」
高校も卒業間近となったとある夜、久しぶりに部屋へとやってきた俺に陽一はぼそりと言った。
「妊娠……? すげー! それって父親ってのになるんだろ! 陽一が父ちゃんかー、全然想像つかないや! 子どもってどれくらいで生まれてくるんだっけ? 俺人間の赤ちゃんって見たことな──」
興奮した俺とは真逆に、陽一は暗い顔で俯くようにして座ってた。俺はいつもと違う様子の陽一に、「どうした?」と小さな声をかけた。
「そんなつもり、なかったんだ」
「そんなつもりって?」
「妊娠だよ。子ども作るつもりなんてなかった。いや、別に遊びだったとかそういうんじゃないからな! いつかは結婚だって、したいなとかは、思ってて……でも今じゃ、ないだろ。卒業もまだだってのに」
「それはー……そうなのかな?」
「……でも俺、やめれなかったんだ」
陽一が言うには、避妊具はちゃんと持っていたらしい。使うつもりではいたと。それなのにいざ行為を始めると歯止めが効かなかったと。「若い男の性欲ってそんなもんなんじゃないの?」と、少しは人間のことを知り始めていた俺がそう言ったものの、陽一は真っ青な顔で首を振った。そうじゃない、と。
「今までも何回かしたことはある、でもこんなふうになったことなかった。子どもを作らなきゃいけない、って、急に頭の中がいっぱいになったんだよ。気持ち悪いだろ。なんていうか、誰かの思考でいっぱいになるっていうか……いつもの夢を見る時に近い気がした」
「ふーん……?」
「終わった後はめちゃくちゃ謝ったよ。出した後すぐに冷静になったから。あいつも俺が人が変わったみたいになったのが気になったらしくて……」
「で、結局その避妊具無しでした一回で妊娠しちゃってた、と?」
「そう……それに、そのあとからずっと、嫌な夢を見るんだ」
初耳だった。というのも、ここしばらくは陽一の夢を俺は食べていなかったんだ。半年くらい前から「最近夢をあんまり見なくなった」って言って、陽一が喜んでたんだ。もしかして俺が夢を食べ過ぎたせいで夢見なくなったのかな? なんて思ってたんだけど。だから俺が陽一の部屋に夜遊びに来たのは久しぶりだった、ってわけ。
「嫌な夢って? というかなんで見始めてすぐ俺に言わなかったんだよ」
「……夢は、朝起きたらほとんど忘れちまうんだよ。でも、何となく嫌な夢だったってことは覚えてて。多分毎日毎日同じ夢を見てるから、俺、夢の中で何を言われてんのか気になって……」
陽一は怯えるように肩を抑えると、唇を噛んだ。俺は時計を見た。時刻はもうとっくに日付を跨いでる。
「……でも、昨日急にわかるようになったんだ。そんで今日あいつが妊娠したってはっきりした。もう限界だ。あんな夢見てたら寝不足になる。夢なんて、たかが夢だろ? お前が食ってくれりゃそれでいい。無かったことにしてくれたら、きっと丸く収まるはずだろ!?」
「よ、陽一……?」
大きくなったとはいえ、それでも人間である陽一の身体より小さな俺を、陽一は両手で強く掴んだ。必死そうな表情が俺の目の前いっぱいにあって、俺は、怖くなった。
そしてその後、布団を被るようにして寝入った陽一の夢に入り込んだんだ。
夢の中では陽一がそこにぽつんと立っていて、
そこへ、
手が、
手が、
手が、
いくつも群がっては陽一の身体を締め上げていた。
──捧げろ。
『食ってやる』
──捧げろ。
『肉を噛み千切り骨を噛み砕き』
──それを私のものとする為に。
『ここへ押し込めた苦しみを理解させてやる』
──お前が背くというのなら、
『頭が割れそうなこの痛みを植え付けてやる』
──私がお前の身体を乗っ取って、
『酷く充満する甘い香りはどこへ行っても嗅ぎ取れる』
──その小さき命を余さず頂いてやろう。
『お前たち一族一人残らず食い尽くしてやる』
輪唱のように、言葉が後から後から響いてくる。
一体何人が喋ってるのかわからない。
それでも、夢を知る俺にわかることが二つあった。
一つは、
夢の中で陽一に話しかけている声があること。
もう一つは、
……夢の外から話しかけている声があること。
見ていただけなのにもう腹は一杯。
気持ち悪さすら覚えるほどだけれど俺は大口を開けた。
太い牙で夢の肉を突き刺し、
甘さと苦さと吐き気を舌で味わい、
欠片さえ逃さないように啜った。
全て食べ尽くして目を開けた時、部屋の上に位置する小さな窓の外には朝陽が染み出していた。
──ただ、何度食べてもその夢は陽一の寝床へ這い寄ってきた。
日に日に体力が擦り減り、目の下にクマを作り始めた陽一に俺がどうしていいかわからなくなった時だった。
「親父から蔵を任されることになった」
寝入る直前の、ぼんやりとした口調で陽一は俺に教えてくれた。前にも聞いたことはあったけれど、桃間は長男が代々蔵を受け継いでいるらしい。中にあるものの管理なんてめんどくさいし、桃農家を継ぐのだってめんどくさい、三つ下の弟の方が細々とした仕事は合うに決まってるって陽一はよく言っていた。でも、渋る陽一に蔵の鍵は渡ったと。
俺は何となく嫌な予感を覚えて陽一を揺さぶり起こした。
「っ、なんだよ……!」
「その蔵! 俺をそこに連れてって!」
「はあ!? 今何時だと思って……」
「いいから!」
俺のあまりの剣幕に陽一は訳が分からない様子だったけど、静まり返った家をこっそり抜け出してふたりで蔵へと忍び込んだ。
中に入ると、埃っぽい空気が充満していて陽一はしかめっ面をしていた。俺はというと──
「……絶対これだ」
仰々しくも棚の上に置かれていた大きな木箱を見つめて、愕然とした。
「ねぇ陽一、これって」
「んー……なんか親父曰く、すげー大事な箱なんだとよ。中身が何なのかは知らねーけど、とにかくこれを代々守ってるとかなんとか。あ、あとあっちの刀も……」
陽一が指差した先にある布の掛けられたものを見つめ、俺はもう一度目の前の箱を見た。
刀の方は俺にはよくわからなかったけど、とにかくこの木箱はどうにかしないといけないような気がした。
「これ、開けてもいいの?」
「え? あー……開けるなとは言われてんだけど……」
俺は箱を手にして、蓋に手をかけた──その瞬間、全身の毛がぞわぞわ立ち上がり、吐き気が込み上げてきた。
俺の中にある小さな恐怖心が膨れ上がって抑えの利かないものになる。
そしてそれと同時に
『壊したい』
『殺したい』
っていう暴力的な気持ちが俺を飲み込もうとしてくるのがわかった。
これはやばい箱だ。
これは誰も開けちゃいけない箱だ。
人間も、
妖怪も、
──細い干からびた両腕が箱の中から出てきて俺の腕を掴んだ。
「……っ!!」
恐ろしくなって木箱から手を離す。蓋は開けなかったはず。けど、中身の方から俺に伝えてきたんだ。
中身は、度々陽一の夢で見た<最古の鬼>って奴の腕だ。多分、夢の中で陽一を掴んでいたのはこの鬼の手だと思う。
だから……陽一の夢の外から声を掛けてきたのは、ここに封印されてる最古の鬼。
「……正路?」
陽一が俺の名前を呼んで不安そうに見てきた。俺は箱を持ち上げて、ぎこちなく陽一を振り返った。
「陽一、俺、陽一のおかげで生まれてこれた」
「えっ? ああ……そう、だったな」
「陽一のおかげで腹いっぱいになれたし、陽一のおかげで楽しい遊びいっぱい覚えた」
「………」
「陽一が楽しくしてりゃ嬉しいし、陽一が彼女と幸せになればいいと思ってる。だから、」
「陽一も、陽一の子どもも、誰かに殺されるとこは見たくない」
──それからのことは、実はあんまり覚えていない。
わかっているのは俺はそこから木箱を持ち出して、そして無理矢理寝かせた陽一を部屋に戻した後、最後の夢を喰らったということ。
陽一が今後一生夢を見ることのないように、夢と意識を繋ぐ橋を噛み壊したんだ。これでもう陽一は夢を見ないし、陽一の近くにいる限りこれから生まれてくる陽一の子どもも、夢を見ないはず。
そして、陽一の夢っていう記憶と強く結びついていた獏は、陽一の記憶の中から消え去った。
──俺は鬼の腕が入った木箱を背負って、その地を離れた。この箱は、とにかく危険だった。これがすぐにでも勝手に動いて悪さをするってことは無いんだけれど、それでもこれに触れたものをおかしくさせるだけの力はあった。だからあのままあの蔵に置いていたら、いつか陽一の気が触れて生まれてきた子どもを殺してしまうんじゃないかと思った。それか、夢の中で聞いたもう一つの声が、何かしてくるような気もして……。
恐ろしいことが起こらないよう、木箱をどこか遠く離れた場所に置いてこようと思った。でも、良い場所は見つからなかった。どこへ行ってもその地に住む妖怪たちに拒否されたから。それに、すぐ誰かに見つかるような場所もダメだった。誰かがこの箱を開けて鬼の腕の封印を解いて、もしくは鬼に操られて、陽一たち桃間の一族を殺しに行ってしまうような気がしたから。だから、俺は結局その箱を背負ったまま歩き続けることにした。
風の噂で陽一が桃間の家を勘当されて、高校卒業後は北界道に渡ったと聞いた。俺は安心した、とにかく生きていてくれればそれでいいと思ったんだ。そしてなるべく陽一がいる方には行かないように気を付けた。
そうしてこの三十三年間、歩き続けたんだ。いつまでそうしていればいいのかはわからない。でも、俺がそうしている限りは、絶対、安全だと、思っていたんだ。
あ んぜ ん だ と。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
急激な身体の重みに、膝から崩れ落ちた。
東境の夏は長い。
暑さにやられたんだと思った。
暗くなり始めた人通りの少ない路地裏で、俺は木箱を背中から下ろして隣に寝転んだ。
「もっと早く涼しいとこへ移ってればよかった」
そう言っていると、ふいに冷たい空気を感じた。
うっすら目を開ければ木箱から漏れ出る妖気が視える。
悍ましい程のそれが、今はとても冷たく心地良いようにすら感じられて──
「もう、いいかなぁ」
開けた箱の中には、何度も剥がした痕のある封印札が貼られた鬼の両腕があった。両腕、なんて言うと二本がぽんと置かれているような想像をするかもしれないけど、実際には
何本も
何本も
何本も
何本も
折り重なるように潰し合うように絡み合うようにして固まった、
そんな奇妙な物体が箱に押し込まれていたんだ。
そしてそれに巻き付けるように貼られた封印札を俺の指先が引っ掻くようにすると、それはあっさりと簡単に剥がれ落ちていった。
鬼 の 腕 が 俺 の 首 を 絞 め た 。




