第107話 腹ペコのばく
カランカラン、という音が後ろで鳴って扉が閉まった。あのご飯屋さんに行くのもこれで最後だなぁ。この辺りにいたのはどれくらいだろう。一年くらいのつもりでいたけど、もしかしたらもっといたのかも。それにしても、陽一の子どもと会うなんて夢にも思わなかった。
「よいしょっと」
背中の木箱を背負い直して、俺は西の方角へと歩き出した。あまり同じ場所には長く留まらないようにしてる。この箱が危ないものだから。
俺がこれを背負って歩くって決めたあの日から、陽一には会ってない。
「陽一、元気かなぁ~……」
──陽一に出会ったのは、暑い夏の日だった。
***
獏は弱い。
戦う力のない夢を食べるだけの妖怪だ。
大昔は悪夢を退く為重宝されてた、なんて話を後で聞いたけど。文明が進むにつれて段々と存在が軽視されて、今じゃ大事に扱われることもなくなっちゃったって。そんな「ちっぽけな存在」である俺が生まれたのは今から五十年近く前。生まれる前の記憶は無かったから、死んだ獏が生まれ変わって、ってわけじゃない。俺はその地に新しく生まれた獏だった。
獏としての生き方は生まれながらにしてわかってた。だから右往左往することはない……と思ったんだけど、なんと俺の栄養源である『悪夢』を探すのに苦労したんだ。俺以外の獏がそこを縄張りにして悪夢を食い尽くしてる……ってわけでもなかった。ただただ、悪夢を見る人間が少ないことと、俺の力がまだ弱くて察知するのが苦手だったことが原因だった。腹ペコで動くのも億劫で、さてこれからどうしようかなんて考えていた時だ。
「……変な生きもん」
じりじりみんみんと真夏の虫の声がうるさい中、俺が木陰で涼んでいたところにそいつはやってきた。虫取り網と虫かごを手に、俺をじっと見ている。子どもだ。
子どもっていうのは妖怪を視やすい存在だ。大人になるにつれて隔絶された世界への拒絶反応を強めていくんだけど、まだそれがあやふやってわけ。だから俺はあっさりとそいつに捕まった。
「うわーっ、やめてぇ!」
小さな尾を掴まれ逆さまに持ち上げられると俺は抵抗の叫びを上げた。けど、そいつは一層強く俺の尾を握った。
「すげ、喋ってる。おもちゃかな」
「おもちゃじゃない! 俺は! 獏!」
「ばく? ばくってなんだ?」
「妖怪!」
「………」
そいつは俺の尻尾を掴んだままじぃっと見てきた。その時の俺は子どもの顔くらいのサイズしかなくて、子犬や子猫のように見えたんだろう。このままだとこいつに取って食われる、そう思った俺は力を振り絞って向こう側へと逃げようとした時だった。
──ぐううううう。
腹の音が鳴った。
もちろん、俺のだ。
「なんだお前、腹減ってんの?」
「………」
「しゃーないなぁ。カブトムシの餌しか持ってきてねーけど……」
「そんなもん食べないっての!」
「え? じゃあ猫缶とか?」
「~~~~~っ、獏は夢、取分け悪夢しか食べないんだよッ!!」
「悪夢?」
子どもはぽかんとした間抜け面をすると、俺を掴んだまま立ち上がった。そして虫かごの蓋を開けると俺をその中にぽいと放り込んだ。
「じゃー俺の夢食べていいよ」
「え?」
「毎日やな夢見るんだ」
子どもはそう言って歩き始めた。
家がすぐ近くらしいそいつは、桃間陽一と名乗った。
桃間のことは、生まれて日の浅い俺でも知っていた。なんかこう、すげーやばい奴の子孫らしいってことしか聞いてなかったけど。でも近くにいるとわかった。何かよくわからん力に守られてるって感じがひしひしと伝わってきた。だから俺はこいつには攻撃しちゃいけないんだって肌で感じ取った。
陽一はこそこそと俺を自分の部屋へ持ち帰ると、横倒しにした虫かごの蓋を開けた。俺はそこから這うように出ていく。
「いいか、お前喋る変な生きもんだし、あんまうるさくすっと弟たちとか親父たちに見つかって外に捨てられるからな。静かにしとけよ」
「大丈夫だよ俺別に生きもんじゃないし、妖怪だし」
「はあ? 生きもんじゃねぇってなんだよわけわかんねー」
そんな会話をしていた時、襖が勢いよく開いた。陽一の弟らしき子どもが二人入ってきたんだ。
「にーちゃんまたおれたち置いてカブトムシ取りに行ったんでしょ!」
「ずるい!見せて!」
弟二人は陽一が必死に隠そうとしている俺と虫かごを隙間から手を入れて取ろうとしていた。
「うわああだめ! だめだっての! こら!」
そう言いながらも、一人の弟に脇腹をくすぐられ、もう一人の弟が虫かごを手に取った。虫かごの中にはもちろん何もいない。そして、俺は畳の上にぽつんと座ったままいたんだけど……弟ふたりは俺のいる辺りを見て、首を傾げた。
「……何もないじゃん」
「にーちゃん何隠してたの?」
俺の姿はまだここにある。陽一は俺を認識していたけれど、弟二人には俺が見えていなかった。
「……へ?」
陽一はようやくそこで、俺が本物の妖怪だと信じてくれた。
***
暗くなった夜、学習机が三つと布団が所狭しと並ぶ部屋の中、陽一はひそひそ声で俺に言った。
「いいか、俺が変な夢を見たらちゃんと食べてくれよ」
「変な夢? 悪夢なら食べてもいいけど~」
「いいからお前が悪夢と思わなくても食えっての!」
すでに寝入っている弟二人を起こさないよう、けれどしっかりと、陽一は俺に向かって言い聞かせるようにした。悪夢を見れば俺だってすぐさま食べるさ。腹ペコなんだし。そう思って布団に入り込んだ陽一の枕元で身体を丸めた。
陽一が夢を見始めたのは、寝入ってすぐのことだった。
妙な匂いを感じたけれど、俺は陽一の身体の中に頭を突っ込んで夢を覗き見た。そこにあったのは──なんかやたらと古めかしい小僧が、刀ででっけー妖怪を叩き切ってるとこだった。周りには犬に猿に鳥がいて、とにかくえんやこらと戦っている。どこかぎこちなく。今なら例えることができる、それは、そう、人形劇! まるで人形劇みたいにそれぞれの登場人物たちが動いているんだ。一体こりゃなんだと思って俺はじぃっとそれを覗いてた。その人形劇は、桃太郎ってやつが恐ろしく強い鬼を倒して世界が平和になったっていうことを伝えたいらしかった。
『これのどこが悪夢だってんだ』
俺はため息を吐きながらもその夢の行く末を見つめた。夢の最後にどこからか声が聞こえてきて、
──お前たち桃間の先祖はこのように猛き存在だったのだ。これを心に刻み、桃間の為生きるがよい。
そんなことを言って夢は終わった。
次の朝、俺が「あんな変な夢喰えるかよ」と陽一に言ったら、陽一は俺を両手で持ち上げて前後に勢いよく振った。
「食べてくれよ! あんな夢もう嫌なんだ!」
「ええ!? いやいやあれは悪夢でもなんでもっ……おえっ……たかが可笑しな物語っていう程度の……おええっっ! やめろ! 振るなぁ! 俺を下ろせ!」
「俺にとっちゃありゃ悪夢だ! だって考えても見ろ! 桃太郎がご先祖様ってダサすぎる!!」
「はああ!?」
俺を揺らすことをやめない陽一に耐えかね、掴んでいる手に噛みついた。
「痛っ!」
うっかり陽一を攻撃してしまい、それによって俺の全身は雷に打たれたみたいにビリビリと痛みを感じた。そうだった、桃間に攻撃しちゃやばいんだった。手の隙間からずるりと落ちると、俺は枕の上に転がった。
「うう……で……なに? ご先祖様がダサい?」
「もっとさ、かっこいい武将とか! 剣豪とか! なんかそーゆーのが良かったんだよ! 桃太郎なんて絵本でしか出てこねーじゃん! そんな奴がご先祖様って、友達にも自慢できねぇよ!」
「………」
俺はぽかんとしたまま陽一を見つめていたが、一階から母親の声がすると陽一は慌てたように布団から飛び出していった。今日は学校とやらがあるらしい。陽一は俺の存在など忘れたように朝ご飯を食べ準備をすると、家を出て走っていった。
その後陽一から聞いたのは、最近になって桃太郎についての夢をたくさん見るようになり、最初は気にもかけていなかったらしいけれど、どうやらそれが本当の話らしいとわかったと。陽一が信じるまで何度も何度も見せられ、挙句桃太郎が倒した鬼が最古の鬼と呼ばれるものだとか、蔵には大事なものがたくさんあるだとか、代々桃間の長男が何やらすごい力を受け継いでいるだとか、そんな話を頭に叩き込まれたと。
毎日毎日わけのわからない夢を見させられ、いい加減うんざりしていた陽一は学校の図書館にあった本の中で『夢を食べてくれる妖怪』がいることを知ったんだとか。それで、毎晩寝る前にその妖怪に夢を食べてくれと願っていた、と──
「てことは、もしかして俺が生まれたのは陽一のおかげってことなのかな」
「……そうなのか?」
陽一はなんのこっちゃわからんって感じだったけれど、多分そうなんだろう。桃間はすげー力を持ってるって言うし、その力のおかげなのか獏である俺が生まれたんだと思う。思うだけだけど。
「そっかー……そこまで強く願って俺が生まれたってんなら、俺が陽一の夢を食べるしかないよなぁ」
「食べてくれんの!?」
またもや弟たちの眠った暗い部屋の中で、俺と陽一はひそひそ声で会話をしていた。俺までひそひそする必要は全くなかったけれど、ついつられちゃうんだよね。
「じゃあ頼むぜ、獏!」
「まかせてよ!」
──と、息巻いたものの。
悪夢でもないものを食べたら俺の腹ってどうなっちゃうんだろ? なんて思った。けどだからと言って食べないわけにもいかない。そろそろ本気で空腹死しそうなんだ。
その夜も寝入った陽一の身体ン中に頭を突っ込んで夢を覗き見た。昨日とは違ったけど、桃太郎さんとやらが出てくる夢だ。俺は──
──身体の二倍にも三倍にもなった大口を開けて、それを喰らった。




