第106話 箱を背負う
修学旅行の二日目、昼の現在は班ごとの自主研修中だ。俺が見回っている場所はいくつかの班がうろうろしている。生徒たちはそれぞれ事前に決めたコースを回りつつ“研修”……いや、遊んでいるわけだが──
「あ! 桃間先生じゃん!」
「マジだ、写真撮ろ撮ろ!」
何故かさっきから俺を見つけては近寄ってくる奴らばかり。別にうちのクラスに限った話じゃない、他のクラスの奴でもだ。この修学旅行という非日常にテンションが上がっているのか普段俺に話しかけて来ない奴らまでわざわざ近寄ってくる始末。別にこっちに来なくていい、お前らはちゃんと決めたコース通り回れ。
「ってこら勝手に撮んな!」
「いーじゃん、ほら先生ももっと笑って!」
何故か笑顔を無償要求する女子生徒共に、無論俺はサービス精神の欠片もなく仏頂面でそこに立つ。写真を撮った女子生徒共はスマホの画面を見ながら何故かキャッキャと騒いでいた。
「先生またね~!」
そう言っていなくなった女子班を尻目にテキトーに手を振ってやる。が、今度は隣のクラスの男子班が駆け寄ってきた。
「桃間先生俺らとも写真撮ろ~!」
「んだよめんどくせーな!」
人懐っこい奴が一人無理矢理俺と肩を組んでくる。何なんだほんと、今までこういう泊りがけの研修だのなんだの何度も行ってきたがこんなことは初めてだ。写真を撮り終えた男子が一人、撮った写真を見ながら不思議そうに言った。
「桃間先生結構話しやすくなったよなー」
「わかる。一年の時なんてマジで近づくなオーラやばかったし」
「んなオーラ出してねぇよ」
「口はずっと悪いけど」
「うっせーなほらさっさと散れ!」
やかましい男子共にしっしっと追い返すように手を払うと、やたらと楽しそうにどこかへ行った。その後ろ姿に自分の高校生時代を重ねる。昔は俺もあんだけ無邪気だったっけか。さっきあいつらも言っていたように近づくなオーラだとか口が悪いだとか……ってのは、昔はそんなに無かった気がするな。
「もう少し可愛げのある性格だったら良かったんかね」
「センセー可愛くなりたいの?」
急に隣へ現れた鬼村に、俺はぎょっとした。
この自主研修中は制服ではなく全員私服を着ている為、鬼村もまた私服なわけだが……。半袖のブラウスにショートのジーンズ、ポシェットを肩からかけ、いつもはしない緩めの三つ編みを二つに結っている。
「えへへ、今日はそこまでキツめのギャルじゃないじゃん? かわい?」
「か……わいいかどうかは置いといて、お前、他の奴らはどこだよ」
鬼村が一緒に行動してるであろう佐嶋と緒方が見当たらない。周りを見渡すも、姿は無かった。
「センセーの姿が見えたから、あそこからあたし一人で急いで来たのー」
あそこ、と言って鬼村が指を差したのはすぐ近くの商業ビルの三階部分だ。多分カフェかレストランかの飲食店が入ってるんだろう。窓際の席に座っている佐嶋と緒方がこっちに向かって手を振っている。たしかこいつらの班は昼飯時にスイーツビュッフェに行くだとか書いてたか?
「お前途中で抜けてきたのか? 飯ちゃんと食えよ。スイーツが飯なのかは置いといて」
「じゃーセンセーも一緒に食べよ♪」
「俺はあとでラーメン食いに行くからいんだよ」
「えー何それじゃああたしもそっち行くー」
「いい! 来んな!」
こいつと二人で行動してるなんてバレたら大目玉だ。俺は再度校長室へ呼ばれるのを想像して頭を抱えた。
「ねーねーセンセ、それでどう? 今日のコーデ良くない?」
「あーはいはい」
「いつものよりこっちの方が好き?」
「………」
俺は顔を抑えた指の隙間から、鬼村を見た。何を期待しているのかそこで一回転して見せては小首をかしげて笑っている。俺はこれ見よがしにため息を吐いた。
「お前が着たい服着りゃいいだろが」
「えーだってセンセーの好みに合わせたくってぇ」
「……お前が着てりゃ、なん、っ、何だって良いっつってんだよ!」
恥ずかしさで顔が熱くなる。それを隠すように顔の下半分を手で覆った。鬼村はにんまりとした顔をして俺の顔を覗き込んでくる。
「センセー」
「………」
「あたしのこと大好きじゃんね」
「うっせ、口閉じろ」
「キスして塞いでくれてもいいよ♪」
「このっ、ばかやろ」
にししし、とイタズラっぽく笑う鬼村は俺から離れると二つの三つ編みを揺らして身体を翻した。
「センセーに免じて今日のところは班に戻ったげる」
「………」
「でもさ、今度は二人でデートしよーね! 約束」
ふふっと笑って鬼村は商業ビルの中へと戻っていった。残された俺は一人そこに立ち尽くし……溜めていた息をまとめて吐いた。
──昨日の夜、あいつから昔話を聞かされた。
生まれてすぐの話はよくわからなかったが、あいつが川の水ん中からなんでかタイムスリップしてきて小さい頃の俺と会ったってことがわかった。まさかあいつが世界を崩壊させようとしてるのを俺が止めてたなんて……未だに信じられねーけど。でもまあ結果としては良かったってことだよな。
というか、考えてもみれば俺が勃起不全かつ無精子症みたいなんになってるおかげで世界が守られてるわけだろ……? なんつー皮肉というかバカげた話っつーか。ってことは俺がこのまま童貞で居続けりゃ世界が守られるんじゃねーの? それって俺のおかげ──
「………」
急に、桃間正義の言葉を思い出した。
──何、今は俺のおかげでお前は守られている。この世界もだ。まあただの偶然ではあるが……礼ならばいくらでも聞こう──
あいつのおかげ?
もしかすると、あいつが何かをしてるせいで俺の身体がこんなんになってるってことか?
じゃあ、俺にかけられた呪いってのは……
道端でぼんやりしていたことにハッとして、俺は慌てて歩き始めた。そろそろ次の場所に移動しよう。途中でラーメン食って、そんで──
地下鉄の入り口へ入ろうとしたところで、妙な男とすれ違った。
茶の癖毛で服装も今時のゆったりしたもので見た目は若い男。東境の風景に溶け込んでいるといっても良い。が、背負っているのは大きな木の箱だった。
「……?」
俺が違和感を覚えて振り返ったのと同時に、そいつも俺の方を向いて目が合った。
「……えっ、陽一!?」
その口から出てきた名は、俺のではなかった、が。
「いえ、人違……ん? 陽一?」
「どうしてこんなとこに……って、あれ、なんか陽一と雰囲気違う? あれれ?」
「もしかして、陽一って、<桃間陽一>ですか」
「えっ?」
「……俺の父、ですけど」
***
昼飯はラーメンを食いに行く予定だった。末の弟から薦められた店で、せっかくだから行こうと思っていたんだ。が、今俺は全くノーマークだった路地裏の下町食堂らしき店にいる。かなり賑やかな街にいたはずなんだけど、この辺は異空間へと足でも踏み入れたみたいに静かだった。
昼を過ぎた時間の為店内はまあまあ空いていた。そんな中俺達が座るのは一番奥の人目につきにくい席。俺の目の前には、先ほどの茶髪の男が座っている。その横の椅子にでかい木箱を置きながら。
「まさか陽一の子どもがこんなに大きくなってたなんてなぁ~。いやぁまあ子どもができたって話を聞いてそれっきりだったから、生まれた姿を見たわけでもないんだけどさぁ」
「……はあ」
俺と同じくらいの身長の男性、年齢も俺と同じくらいか年下に見える。
だが左目に映る姿は違っていた。
背丈は人間の姿の半分以下の、鼻が長く牙が生えた奇妙な生き物。いや、この姿は……
「あなたは妖怪、でいいんですよね」
「うんそう! 俺は獏。名前は正路って呼んで! それにしても君の様子を見ると妖怪には慣れてるみたいだね?」
「ええ、まあ……ここ数か月の話ですけど」
「へえー! 数か月……って、今って何年? 陽一っていくつになってるの?」
「父は今年五十一? だったかと思います」
「五十一!? うわあおじさんになったねぇ! そうかーそんなに会ってなかったのかぁ。一緒に遊んでた日のことは昨日のように思い出せるんだけどなぁ」
その時注文した料理が席に届いた。この店は中華から洋食から何から何まであって頼むのに時間がかかったが、結局焼き魚定食なんていう東境来て食べるもんか? みたいなのを頼んでしまった。
「さー食べて食べて!」
「あ、はい……いただきます」
この獏の店ではないだろうに何故かそう促されて俺は箸を手に取る。店員はちらりと俺達のことを見てからすぐに行ってしまった。
「……もしかしてここって妖怪の店ですか」
俺はそう聞きつつ先ほどの店員の背中をそっと視た。が、特別何も感じない。
「ええ? 違う違う! 俺がよく来るお店ってだけ! って言ってもそろそろ場所移らなきゃだからここともさよならしなきゃなんだけどね~」
「移る……って?」
焼き塩鯖を食べながら俺が訊くと、正路さんはあんかけ焼きそばを啜りながら話し始めた。
「俺は長いこと旅をしてるんだよねぇ。これと一緒に」
これ、というのは隣に置いてある木箱のことだろう。それが一体何なのか、俺の左目には嫌な感じの空気が視て取れた。
「それは一体……?」
「んー……実はこれ、陽一の家の蔵から盗んできた箱でさぁ」
「──蔵の、箱?」
俺はそう呟いて、すぐに思い出した。
じいちゃんの日記に書いてあった──父さんが桃間に代々伝わる箱をどこかへやった、って話を。
「それは、中身は……」
「鬼の腕だよ」
「!!」
隠すような素振りの無いあっけらかんとした答え。
半笑いの、少しだけ困った表情。
悪い妖怪には見えないが、この男が何を考えているかは、全くわからない。
「いやぁー、この箱すんごく危ないものでさぁ。鬼の腕が何なのかは息子くんは知ってるの?」
「えっ、あ……桃太郎が倒した最古の鬼を、分けて封印したもの、とか……」
「そうそうそうらしいね! って言っても俺は最古の鬼~とかよくわかんないんだけどさ。生まれたのだってここ五十年くらいの話だし」
「はあ……」
あまりにも衝撃的な話に俺は食事の手が止まってしまっていたが、正路さんはぱくぱくと一定のスピードで熱いであろうあんかけ焼きそばとセットのサラダを平らげ、飲み物を喉に流し込んでいた。
「……あの、なんでそんなもんを盗んだんです?」
「殺されそうだったから」
「え?」
コト、と正路さんはグラスをテーブルに置いた。中身の入っていないグラスの口を見つめて、結露で濡れたグラスの表面を親指で撫でている。
「これはね、君たち桃間を殺そうとしてるんだ。すっごく危ないんだよ。俺、陽一も、陽一が大事にしてる彼女も、その子どもも、みーんな守りたかったから」
「それは、どういう」
「……あ! 俺なんか長話しちゃったかも!? ごめんね~呼び止めてこんな話しちゃってさ~。こんなにべらべら喋っちゃったのはこないだのお兄さんぶりだなぁ。じゃ、おつりはいらないから!」
「え」
正路さんはそう言うと千円札をテーブルに置いてさっさと木箱を背負うとあっという間に玄関先まで行ってしまった。俺はテーブルの上をちらりと見て、彼の背中を見つめる。
「おつりはいらないから、って……あんかけ焼きそばのセット、千二百円なんだけど」
──店を出る直前、正路さんの、いや……獏の姿にノイズが走ったように見えた。




