第105話 土御門たるもの
──近隣の川下高校へはこれまでにも何度も行っていたにも関わらず、そこに巣食う妖に気付けなかった。土御門たるもの、どんな些細なことも逃さないよう教え込まれてきていたというのに。
河童という妖怪は、大昔はその辺によくいたらしいけれど最近はめっきり見なくなって絶滅したか形を変えたのではなんて言われていたのに……。結局は姿を隠すのが上手くなっただけだったなんて。まさかその河童が何度も近くまで行ったあの高校に教師として潜んでいたとは夢にも思わなかったわ。しかも、あんな大事件を起こして……。
「……私がもっとちゃんとしていれば」
目の前にある川下高校を校門の外から見つめて、私はその場を離れようとした。
「そないに暗い顔して、折角の可愛らしい顔もったいないわ」
顔を覗き込むようにして視界に入り込んできた男に、私はぎょっとした。そこにいたのは、杏狐様……いや、人型に擬態した妖狐の白井だった。
「なんで貴方がいるのよ」
「今日のお仕事終わってこれから帰ろかな~思うとったとこなんやけど。お嬢ちゃんがしょんぼり一人で校門前に立ってるのんが見えたさかい」
「しょんぼりなんてしてないわよ! 離れてちょうだい!」
「そないに邪険にしいひんでもええやん。うちのこと好きやろ?」
「誤解を生むような言い方しないで! 私が大事にしているのは玉萌杏狐様であって貴方じゃないわ!!」
「中身はうちなんやけど、難儀なお嬢ちゃんやねぇ……。それにしても学校前でどないしたん? 桃間先生やあの鬼の子やったら今日から修学旅行に行っとるよ。あの天狗くんもやねぇ。あ、恵子ちゃんやったらいるけど」
「恵子ちゃん? ……別に誰にも用はないわ。ただ少し見に来ただけよ。この悔しさを胸に刻んでさらに努力する為にね」
「頑張り屋はんやなぁ、倒れへんように気ぃ付けて。ほなうちは今日の雑談配信用の準備でもして帰ろか──」
「何の準備かしら!?」
私はつい、食い入るように白井を見上げた。彼はきょとんとした顔をしたと思ったらすぐにまたいつもの笑顔を張り付けた。
「今噂のすぐ売り切れるお菓子屋はんの限定カラフルボックスクッキー、夕方の五時から販売始まんねん。試食レポしつつみんなとお話ししよかな~なんて」
「五時!? 今は三時よね、お店まではどれくらいかかるのかしら。今から行って間に合うの? もしかしたらもう並んでるんじゃ? このあとここへ車が来るからもし急ぎなら……!」
その時、ちょうど車がやってきた。いつもの樋渡の運転する車ではなくて、白いどこでも見かけるような軽自動車。運転しているのはハルくん──倉橋知春だった。
「ナツメちゃん、おまたせ……って、え!?」
「まあ、彼氏くん?」
「従兄よ!!」
「あなたは妖狐の……な、ナツメちゃんに何か用ですか」
「いいえ、これから帰ろか思たらここにおったさかい声かけただけやで」
「ハルくん、杏狐様はこれから大事なお買い物に行かれるのよ! 間に合わせる為にも私たちで送りましょう!」
「ええ!? いやっ、ナツメちゃんこれから仕事……」
「ハルくん!!」
私がどうにかハルくんを丸め込もうとしていると、隣で大きな笑い声が響いた。杏狐様がするようなお淑やかな笑いじゃない、男の人の笑い声。
「いやー、ははは、ほんまおもろいお嬢ちゃん。でもええよ、うちの代わりに可愛い狐たちが並んでくれてるさかい、うちはそこに合流するだけ」
「そうなの?」
「お嬢ちゃんもお仕事なんやったら頑張ってきて」
そう言って、杏狐様……じゃなかった、白井は車の後部座席のドアを開けて私を優しく押し込んだ。それから開いている助手席の窓からハルくんを覗き込んでにっこり笑った。
「あんたも見かけによらんと随分難儀な生き方してはるねぇ」
それだけ言って、白井は長い三つ編みを揺らしながら歩いて行ってしまった。妖怪らしく転外界の道を通ってさっさと姿を眩ませればいいのに……と、思ったところで「そういえばそれはもうできないんだった」と思い出した。
ここ盤上界はもう転外界と重なり合ってしまった。
あの大事件の名は、<転盤の奇禍>と定められた。盤上界と転外界が混ざり合った現在の世界のことを何と名付けるかはまだ議会で討論中、らしい。
<転盤の奇禍>後に今まであちら側が視えていなかった人間たちも妖が見えるようになってきているようで、それに伴って事件は増えつつある。
今日の任務も『大量発生した管狐の対処』だとか、『街を出歩いている季節外れの雪女の説得』だとか──本当に厄介ごとを増やしてくれたものだわ。
あの事件については発生原因についてはっきりと確定していなくて、私達のような末端の陰陽師には話は降りてきていないわ。今後も世界はこのままなのか、元に戻るのか、それもまだ……。
「……ナツメちゃん、少し窓を開けようか?」
動き出した車内でバックミラー越しにハルくんと目が合う。彼は私の返事を待たずに、私が座る席の窓を半分ほど開けた。
「考え込んでる顔してるよ、少しリラックスした方がいいんじゃないかな」
「ええ、わかってるわ」
目を閉じ、ゆっくりと息を吐いて、窓の外を眺めた。景色の流れはあまり早くない。ハルくんは私を乗せる時は安全運転だから。機関の他の職員に話を聞くと、場合によってはかなり荒い運転をすることもあるみたいなんだけれど……そんなの想像つかないわね。ハルくんはいつも優しいもの。
「──に、しても……何故私があの汚い猫を飼わなきゃいけないの!?」
「うわっ、どうしたの急に」
「河童と手を組んでたっていう猫股よ! 以前私が行った奴らの根城以外にも拠点がいくつもあって組織を作ってただなんて知ったこっちゃないけれど……『猫股が面倒事を起こした罰』としてあいつらを『一次的に契約させて使役することにした』なんて……しかもそれを全部土御門がやる!? こんなの押しつけじゃないの!! 私が任務に失敗したとでも言いたいの!?」
「まあまあ……上が直接そう言ったわけじゃないんだから」
「直接じゃなくても状況を見れば誰だってそう解釈するじゃない!」
「そうは言っても使役できる妖が増えれば土御門だってこれからまた力を付けることができるかもだし」
「だからってあんなに汚いドブ猫を! 五十年も使役するなんて勘弁よ!」
「あはは……」
大きな声を出すと少し気持ちがすっきりしたわ。ハルくんにはつい我慢せずに何でも言ってしまうのよね。私もそろそろ大人になって落ち着かなきゃいけないっていうのに。
──今日の現場まではあと三十分程で着くかしら。ここ最近寝不足だったから、少し、眠らせてもらおうかしらね。
***
『──力の無い貴方にはこの家を継がせないことになりました』
冷たくそう突き放されたのは、僕──土御門知春が十歳の頃だった。
物心つく前から積み重ねてきた厳しい修行の成果も敢え無く、僕は陰陽師を名乗れるだけの力を身に着けることはできなかった。例え、あと十年修行を積み重ねたとしてもそれは程度の知れるものだということは、僕も、そして他の誰もがわかっていた。
けれど、僕に家を継がせない判断を現当主である母にさせたのは、『力の無い息子』ではなく、全く別の理由だった。
分家である倉橋家に、夏を感じ始めたばかりの先月、女の子が生まれた。
出産の際、土御門が懇意にしている産婆さんが取り上げたようでそこでその女の子には膨大な妖力が備わっていることがわかったらしい。衰退の一途を辿っていた土御門からしたら大喜びなことだった。
そして、その子を土御門の養子とすると母は言った。
「……妻は身体が弱く、子どもも一人しか望めないんです! 大事な一人娘ですよ!」
本家へと呼び出された倉橋の叔父は、顔を真っ赤にして母に怒鳴った。その場に居合わせた僕はただただ、胃が痛む思いをしていた。
「であれば、うちの息子と交換しましょう。私にも子は一人しかおりません。それに息子の歳も十になり、手のかかる時期は過ぎているかと思います。家の手伝いでも、何でもさせたら良いでしょう。力こそないですが、気立ては良いようですから、貴方たち夫婦にとっても良い息子となるのでは?」
母の言葉を受け、叔父は僕を見た。きっと怒りに震えていることだろうと思い僕はすぐに顔を上げることはできなかった。けれど、恐る恐る見たその表情は──怒りとは真逆の色を浮かべていた。
──結局、母の命令に背くこともできず倉橋家は土御門家に女の子を、土御門家は倉橋家に僕を養子に出すことにした。
そうは言っても小さな赤ん坊をすぐに土御門家が引き取ることはなかった。首が座り、一人でその場に座ることができるようになるまでは、倉橋家で育てることになったから。
僕はと言うと、養子行きが決まってからは一切の修行が無くなり、普通の同年代の子たち同様、勉強をするのみになった。その時には通っていた学校の中でも友達やグループというのがすでに形成されきっていて遊ぶ相手もいなかった為、その頃から僕は倉橋家へと通うようになった。いざ一緒に暮らすようになる時までに、少しでも、慣れる為に。
倉橋家に生まれた女の子──『ナツメ』ちゃんは、すごく感情豊かな子だった。
よく泣き、
よく笑い、
よく僕をじっと見つめた。
叔母さんが夕食を作る間は僕がナツメちゃんの相手をした。ゆりかごを揺らしたり、抱き上げたり。おむつを替える時だけは、「将来ナツメが気にするかもしれないわ」と言って叔母さんがやって、僕は見ないように言われていた。僕にとっては妹も同然なのに気にするとはどういうことなのか、よくわからなかった。
倉橋家で過ごす時間は、僕にとってかけがえのないものとなった。けれど、そのひと時はあっという間に終わりを告げた。
一歳も迎えていないナツメちゃんは、正式に土御門の養子となった。
ナツメちゃんが土御門となり、僕が倉橋となった後、一時はナツメちゃんとの交流は絶たれた。まだ立つこともできなかったもののナツメちゃんに陰陽師としての修行が課されたからだろう。叔父や叔母──いや、お父さんやお母さんは何度もナツメちゃんが元気にやっているか手紙で聞いていたけれど、返事は無かった。古めかしい土御門家は、電話もメールも受け付けていなかったから、手紙でしか連絡を取ることはできなかったというのに。
けど、転機は訪れた。
ナツメちゃんが二歳になった頃、僕は土御門家に呼ばれた。土御門ではなくなった僕は中学受験をしないことになり、時間を持て余していたところ彼女のお目付け役をすることになったんだ。と、いうか……ただの遊び相手だったわけだけど。それでも小さな彼女と遊ぶ時間は楽しかった。それに今日はこんなことをした、という報告はお父さんとお母さんを喜ばせた。その反応が、僕も嬉しかった。
ナツメちゃんは僕に懐いてくれて、遊ぶ時も、お昼寝も、お風呂に入る時でさえも僕を掴んで離さなかった。さすがに中学に入ってからはお風呂はダメになったけれど。
──そして僕が十五歳、ナツメちゃんが五歳になった時それは起きた。
正式に土御門の名で陰陽師となるナツメちゃんの祝いの儀を執り行うことになり、本家、分家、多くの人間が土御門の家へと呼び寄せられた。僕や父母も例外ではなく参列した。儀式中のナツメちゃんは五歳とは思えない程に大人びていて、お父さんもお母さんも、呆気に取られていた。僕は普段から彼女を見ていた為そこまで驚くこともなかったけれど……それでも、天性の才のようなものを感じて自分とは違うのだと改めて事実を突きつけられた。だから、僕は土御門ではいられなかったんだ、と。
儀式の後は宴会が行われた。主役であるナツメちゃんは大人たちが飲んだくれて騒ぐ様を見て気分を悪くしたのか外へと出て行き、僕もそれを追った。やっぱりまだ子どもなんだから、こんな時は遊び相手にならないと、って。けど、広い土御門の家の中で僕は彼女を見失ってしまった。
ナツメちゃんを見つけた時、彼女は庭で他の分家の子どもたちに囲まれてうずくまっていた。
「こんな奴が土御門になれるんだったら、おれだってなれたはずなのに!」
「父ちゃんが言ってた! 女が当主になってから本家はふんぞり返ってるって!」
「どこに行ってもこいつの話ばっか、おれらだって修行に耐えてきてるってのに!」
小さな子どもたちの、無垢な悪口。
彼らの細い足が、ナツメちゃんを蹴り飛ばしていた。
「……っ、ナツメちゃん!!」
僕は慌てて駆け寄り、小さな彼女の身体を覆い隠すように抱きしめた。土御門に追い出された僕がナツメちゃんを庇っているのが気に食わなかったのか、彼らの暴行は止むどころか苛烈になっていった。
背中を蹴られ、
頭を蹴られ、
それでも僕はナツメちゃんに当たらないよう耐え続けた。
「出来損ないのゴミくずが!」
幼いながらに考えた、一番僕を貶す悪口だったんだろう。それでも僕は悔しくてその言葉を放った方へ顔を向けてしまった。
その時、強く僕の顔が蹴られた。
世界が徐々に真っ赤になっていき、ぼやけていった。
僕の名をたどたどしく呼ぶナツメちゃんの声だけが頭に響いていた。
──その後騒ぎを聞きつけた大人たちによって暴行していた子どもたちは連れていかれ、僕は病院へと向かった。
僕の片目は子どもたちの暴行により、外傷性視神経症を患い、大幅に視力が低下してしまった。今や眼鏡が無いと何も見えないくらい。もう片方の視力も、悪い方に引っ張られて悪化していった。
けど悪いことだけではなかった。
それをきっかけに傷を負った片目だけ、転外界を視る時や妖や人の気を視る際、詳細に感じ取ることができるようになったんだ。今の調査員として働く上ではかなり使える目となってくれている。それを良かったと思えたのは怪我をしてから三年以上経ってからだけれど。
──ナツメちゃんは、この時のことが心の傷になっている。襲われたことじゃない、僕に怪我を負わせてしまったという負い目がだ。怪我をしてから何度も何度も「もっと強くなってハルくんを守るから」と言われたものだ。その度に僕は苦笑いをしていたんだけれども……結局、ナツメちゃんは本当にこの言葉を胸にさらに厳しい修行にも耐え続けた。
赤ん坊だった頃、表情豊かだった可愛らしい女の子は……今や厳しい目付きをした仕事一筋の子になってしまった。
僕だけが原因、というわけではないけれど。それでも僕はせめて彼女が年相応の女の子らしくいられるよう少しでもサポートを──
「──くん、ハルくん!」
「えっ?」
急に話しかけられて僕は我に返った。信号は青だ、無視したわけじゃないようだ。
「ちょっと通り過ぎたわよ!? どこを見ているの!?」
「あ、あれれほんとだ。ごめんごめんすぐUターンするから」
ナビを見ると、目的地だった場所から遠ざかっていっている。ぼんやりしていたことに僕は反省した。
「もう、しっかりしてよ。……それとも連日の対応で疲れてる?」
「あははは、まあ疲れてはいるけれど……ナツメちゃんは寝れてるの?」
「……大丈夫よ、今少し眠れたし。これぐらい平気だもの。残業代はがっぽり頂くけれど」
これぐらい、とは言うけれど、多分全然寝てないんだろう。まだ小学生だっていうのに夜中も呼び出しがあることに慣れ過ぎている。今日は早くに任務を終えたらすぐ家に帰してあげないと。
「──さあ、着いたよ」
車を停めると、バックミラー越しにナツメちゃんを見た。一息吐いて窓の外を見ると目付きが変わる少女。まだたった十二歳の彼女をそんな表情にさせてしまう現実に僕は目を閉じたくなる。けど、外へ出て後部座席のドアを開けると出てきた勇ましいまでの彼女に僕は笑ってしまった。
「十五分で片付けるわよ!」
「それじゃ僕はその間に近辺の調査を済ませようかな」
──僕の代わりにいずれは土御門の当主となる彼女。
──僕は、そんな彼女をこれからも支えていきたい。




