第103話 薄れた記憶
人間は生まれてすぐに意識を持ってることの方が少ない。けど、妖怪や八百万の神様たちはそうじゃない。最初から意識と呼べるものがあるし、なんだったら人間の赤ちゃんみたいに自分で身動きの取れない身体、なんてものは持っていない。だから生まれたての時のことをみんなずーっと覚えてるもの。って言っても妖怪も神様も誰も彼もが長生きだからわざわざ思い出すこともそうそう無いし、何だったらたくさんの時の流れの中で忘れちゃうことだってある。
あたしも、ほとんど忘れてた。
……忘れるようになってた、のかもしんない。
──これは、遠い遠いあたしの記憶。
暗がりの中、何が何だかわからない場所に押し込められていて、息を吸うのも吐くのも苦しいのが永遠に続くように感じた。
その時はその状態を言葉にすることはできなかった。
でも、今のあたしだったらこう言う。
『気持ち悪い』
『頭痛い』
『身体が引き千切れそう』
『誰かがずっと耳元で叫んでる』
『狭い暗い怖い』
『早く、早くここから出して』
って。
今思い返しても、「どこから出してほしいわけ?」なんだけど。
その次に来る記憶はすごくあっけなかった──。
無機質な、ざらつく匂いのする場所で小さなあたしは目が覚めた。
身体を横たえていたのは湿った土の上で、周りを見ると大きなガラクタがたくさん積み重なっていくつかの山を作ってた。
「……?」
どれもこれも見たことのないもので、あたしは不安に思いながらも立ち上がった。まだ頭の片側が痛むような気がして手で押さえたけど、別に痛みは感じなかった。
歩いても歩いてもガラクタが落ちてるばっかで、景色が全然変わらない。どこに行けばいいのかわからない、あたしがどこから来たのかもわからない。でもそのうち、変な声が聞こえてきたわけ。
“──鬼さんコチラ”
優しいような、それでいて意地悪そうな。
そんな声があたしを呼んでいる気がした。
声のする方へ行っていいのか迷ったけど、そこでじっとしてるとまた嫌な悲鳴があたしを捕まえに来そうで怖くなって歩き出した。
どれだけの時間が経ったのかはわからない。
ただひたすら歩いていくと気づけば森の中で、そのうち大きな川に出た。
周りには何の気配も感じなくて、でも誰かがずっと見ているような気がして怖かった。気づけば声は静かになってて、次にどこへ行けばいいのかわからないあたしは川のすぐそばに座り込んできらきら光る水面を見つめた。天気は良くて、小さなあたしの姿が鏡みたいに良く映った。
そこにあるのは、
轟轟と燃えるような色の肌に、
額から生えた小さな角が二本。
それがあたしの姿だった。
初めて見る自分の姿に、あたしは自分のほっぺや角をぺたぺたと触ってみた。これが自分、っていう不思議な感触に少しの間茫然としてた。けど、すぐにそうもしていられなくなった。
川べりに手を置いて身を乗り出していたあたしは、雨で草が濡れた後だったのかずるりと音を立てて手を滑らせた。そのまま川の中に身体をドボン。……さっき大きな川、とは言ったけれど、それでも小さなあたしの足が届くくらいの深さのはずだった。それなのに、あたしは深く、深く、底なんて見えない川の奥深くへと落ちていった。
もがいた。
遠くなっていく水面に助けを求めるように手を伸ばした。
けど、そのうち別に苦しくもなんともないことに気が付いた。
温度のわからない水の中、急に底の方が明るくなった。
振り返ってみたけれど眩しくてあたしは目をぎゅっと閉じた。
『──目覚めてすぐなのに悪いね、小さな鬼さん』
水の中全体に響き渡るような声は、あの叫びと違ってあたしの耳に優しかった。
『まずは君に大事なことを教えよう。一つはこの世で桃太郎と呼ばれている者のこと』
「……ももたろ?」
『本来の役割は、分離していた世界がとある振動によって混ざりつつあるのを保護する目的でもたらされたものだったんだ。けれどもね、どういうわけだか予測できない動きをしてしまって。まあ一種の──いや、いいか』
「?」
『こほん、とってもわかりやすくお話を聞かせてあげよう。
この世がとっても綺麗になるように、我々──もとい、神様たちはとびきり力のある桃をぽとりと川に流した。
桃には
“厄除け”
“子孫繁栄”
“延命長寿”といった様々な祈りが込められていた。
それが川から海へ、そして全ての大地に広がって、この世はより良くなるものと思っていた。完璧な計画に神様たちはにっこり!
けれどもねぇ、
その桃は一人の人間に拾われてしまった。
そんなに美味しそうに見えたのかねぇ。
とにもかくにも、その桃を拾った人間は持ち帰ってそれを夫婦で食べてしまったのさ。
桃には子孫繁栄の力が込められているから……まあ、ざっくりと言ってしまえば人間に与える効果は精力増強剤ってなとこだね。
夫婦は強制的とも言える力によって子を授かった。
そうして生まれたのが桃太郎だ。わかりやすい名付けに思わず唸ったよ。
さてさて、それでこの桃太郎、なんと桃の力を全てその身に引き継いだのさ!
神々は「まあ自発的に動いてくれるならそれでもいいか」って最初は思ったんだけれどもね。どうにも……思った通りにはいかなかった。
彼は自身の力を過信し、
あろうことか
この世が鬼と呼ぶ災禍を封じることにした。
自身の力を正義と呼び、鬼を悪としてね。
正義も悪も揺るぎないものではないというのに。
──まずはこれが大事なことの一つ目。桃太郎さんのお話でした」
光の中の声はそこまで言うと一瞬黙って、それからまた話し始めた。
『鬼を封じ込めた後歯止めが効かなくなった彼は、大変なことを起こそうとしていてね。我々としては、うーん……看過できなくなったわけだ。もうこりゃダメだってね。更には最初の揺れによって世界が混ざる──いや、重なることも回避は完全にできなくなった。
だから、リセットすることにした。
君が──そのリセットの鍵。
これが大事なこと二つ目だ』
“リセット”なんて言われてもピンとは来なかったけど、それでもあたしはその声と話してるうちに自分が一体何なのかはわかってきた。あたしは……
『──君は、桃の力を宿す人間と掛け合わせることでできる災禍の爆弾だ。言うなればウイルス。君はその身に様々な災害災厄疫病といった小さな種を持っていて、桃の力はそれを爆発的に増殖させる。桃の力を持つ人間は、桃太郎がたくさんの子孫を増やしたおかげで今やその辺を歩いていれば保持者にぶつかるくらいだ。計画はあまりにも簡単。これには神様たちもにっこり! ……とは言え、だ』
声の主はまた少しの間黙り込んだかと思うと、まるで内緒話をするみたいにあたしに語り掛けてきた。
『そのリセットっていうのがどうにもつまらない幕引きなわけだよ。わかる? こちとら時間かけて育ててきたっていうのになーにそのあっさりな掌返し! 頭に来るってなもんさ! だからね──私は君に賭けてみることにした』
「……?」
『計算上、最後に全ての桃間の力を宿す彼はきっと何かを引き起こすきっかけになるに違いない。いや、きっかけが彼か君かは定かではないけれど……
ともかく、これが一体どんな事象を生み出すのか私には皆無だ。
けど、だから良い。
さあ行っておいで小さな鬼さん』
突然、川底が渦を巻くようにうねり始めた。あたしは泳いで逃げようとしたけれど、光の渦に引き寄せられるよう──あたしの身体は引きずり込まれた。
『……盗み聞きをしている子もいるみたいだけれど……それもまた面白いことになるのかもしれない』
***
目を開けたら、もうそこは川の中じゃなかった。
あたしの身体は水に濡れてないし、見知らぬ場所に立ってた。
生き物の姿は見えなくて、鬱蒼と茂る木々もなくて、見たことのない建物の横を歩いた。道の端に等間隔で並ぶすごく高い棒は一体何なのかわかんなくて、見上げては目を丸くした。──今にして思えば、それはただの電柱だったわけだけど。
「あら、随分小さいけれど迷子かしら?」
声が聞こえてあたしは咄嗟に振り返った。
けど、
その声の主はあたしが顔を見せるとみるみるうちに顔色を青くした。
つんざくような悲鳴。
あたしの元いた場所で聞いた声に似ていて、怖くなって逃げだした。
多分、鬼のあたしの姿を見てその人はびっくりしたんだと思う。
とにかくここから逃げないとって思って、小さなあたしは視界の端に見えた『変な洞窟』に隠れることにした。その洞窟は穴がたくさん開いてて、外から中を見ようとすれば簡単に見られるにもかかわらず、あたしはその中に入って自分の身体を抱え込んでガタガタと震えてた。
恐ろしい場所から逃げられたと思ったら、知らない場所にいて、それから川の中で変な神様と喋って、今度は見たこともない場所に放り出されて。……目まぐるしく変わる環境にあたしは涙が出そうになった。
ここから逃げたい。でももうあの痛くて苦しい場所には戻りたくない。どうしたらいいのかわからなくて泣き出しそうな時だった。
「……あれ?」
不思議そうな声が聞こえたの。




