第101話 踏み出す
──修学旅行当日、生徒たちは丘山駅前に集合した。順にやってくる生徒たちを確認しながら、いつもよりも早くに起きた俺は何度目かの欠伸を噛み殺しながら、ようやく見慣れた姿を視界の端に捉えてほっと胸を撫で下ろした。
「おい、遅ぇぞ。ギリギリまで何やってんだ」
「何って準備に決まってんじゃん。自由行動の時センセーにすぐ気づいてもらえるように可愛い服選ばなきゃだったからちょー時間かかってぇ」
「そーゆーのを前日までにやっておくんだよ」
……今日から修学旅行。
世界の重なりってものが起こって今この世は急激に変化する過渡期ってやつなんだろうが、ほとんどの人間たちにとってそれは今は無関係だ。だから普通の教師である俺や、一応生徒ってことになっている鬼村や狗谷木は他の生徒と同じように普通の学校生活を送ることになった。まあ、鬼村たちはともかくクラス持ちの俺が修学旅行の引率しないとか問題だしな。
──時間ギリギリにやってきた鬼村を最後にクラス全員が揃ったのを確認すると、他の先生方としばし情報の共有をし、その後引率する校長からの挨拶やら何やらと予定通り進み、他のクラス同様俺も自分のクラスを率いて駅の中へと進んでいった。
東境までは三時間程。初めて新幹線に乗るという生徒もいくらかいる中、騒ぐ奴らを黙らせつつ俺は全員が席へと着いたのを確認し、注意事項を伝えた。うるさくすんなよ、とは言ったもののどうせ数分数十分もすればすぐにうるさくなる。その時はすぐ注意しに行くまでだ。それが引率の仕事だよ。ひとまず発車の案内が聴こえた車内で、俺は自分の席に座るとほんの少し目を閉じた──。
***
「と、う、ま、さまー!! あともう少しですにゃ! どうにか這ってでもそこから出てくださいにゃ!」
「おえ……んなこと言っても……うぷっ、この道ぐらぐらして、酔うんだよ……ッ!」
「だから言ったじゃにゃいですか! ほらほら、すぐにでも出ないとその道にあらぬ方向へ放り出されて別の場所に出てしまうかもしれにゃいですよ!」
「んなことあんのかよ!?」
──これは今から一週間ちょっと前の、世界が重なる前、初めて俺が天狗会へ行った直後の話だ。
天狗会での結論としては、桃太郎が鬼村を殺そうとすることを支持するようなものだった。天狗も、対妖情報機関も異を唱えない。あいつに味方がいないことに絶望したが……その状況をそのまま放っておくわけにもいかなかった。俺は俺にできることをやるしかない。少なくとも俺は、あいつの味方でいたかったからだ。
だがどうしていいかは具体的にわからなかった。だから、豪鬼さんに会う為に道案内を山猫のくろすけに頼んだわけだが。
盤上界と転外界を繋ぐ道とやらは、今まで俺が通った時には少し具合の悪さは覚えるものの実際に足場が歪んで揺れたりすることはなかった。それがどうだ、最早ジェットコースターを降りてすぐのような酷い酔いを覚えながらおぼつかない足をどうにか動かし、俺は向こう側へと辿り着いた。
「やっと出れたぞ……」
「桃間さま、帰り道も同じところを通ることをお忘れにならにゃいでくださいにゃ」
「帰るまでは忘れさせてくれ……」
乗り物酔いのような気持ち悪さはすぐには治らず、俺はしばし草むらの上に座り込んだ。多分ここは豪鬼さんたちの住む場所からほど近い場所だ。どこを見ても木ばかりでどっちに何があるというのはわからないが、なんとなくこの辺は記憶したつもりでいる。──強い風が吹きザァザァと木の葉が揺れ、森全体が声を上げているように聞こえた。
「しかし桃間さま、今回は豪鬼さまにアポイントメントを取っておりませんから、今ご自宅におられるかはわかりませんにゃ」
「……それでもいいさ。とりあえずすぐにでも話したいんだ。約束を取り付ける余裕なんてない」
「ははぁ、大変ですにゃあ……。しかし桃間さまも運がいいですにゃ。にゃあたち山猫調査会も最近はごたごたとしていてなかなか調査等のご依頼を受けられないでいたんですにゃ」
「ごたごた?」
俺が訊き返すと、くろすけは今まで見たことのないような疲労の色を見せため息を吐いた。
「どうにもこうにも、最近は調査でにゃあたち山猫が出歩いていると人間たちの視線が痛いのですにゃ。今まではその辺の猫になど目もくれにゃかったというのに」
「目立つことしてんじゃないのか?」
「いいえいいえ、どうにも違うんですにゃ。普通の猫を見る目と、にゃあたち山猫を見る目が違うんですにゃ。どうにも……にゃあたちが妖怪であることを察しているとでもいうような。もちろん全部の人間がそう、というわけではにゃいのですが。ここのところ急に勘の良い人間が増えたんですにゃあ」
「………」
──この話を聞いた時、俺にはどういうことか察しはつかなかった。だが……世界が重なったというあの現象以降妖怪を見る人間が増えたらしいということを考えると、その前から兆候はあったのかもしれない──
少し体調が良くなった俺は貧血を起こさないようゆっくり立ち上がると、くろすけが案内する後ろを歩いて豪鬼さんの家へと向かった。が、家から出てきたのは屠鬼さんのみだった。
「ごめんなさいねぇ、あの人今は山二つ向こうのシマまで行ってて」
「シマ……? ええと、どのくらいで戻られますか」
「放っておいたらなかなか戻ってこないかもしれないけれど……」
屠鬼さんはうーん、と唸りながらも着物の帯の隙間に挟んでいたガラケーを取り出すと「ちょっと待ってね」と言って耳に当てた。少しすると「今桃間さんが来てるのよ。帰ってきてくださいな」とだけ言って二つ折りのガラケーを閉じた。
「この辺に電波って飛んでるんですか?」
俺はつい、気になっていたことを口にした。すると屠鬼さんは口元に笑みを浮かべて「電波も念も似たようなものなのよ~」と言った。鬼の言う念の概念を正しく把握していない俺は「はあ」としか返すことはできなかった。
どのくらい待つことになるのかはわからなかったが、屠鬼さんがにこにことした表情のまま家の前で立っている為、俺とくろすけもその横に立って待つことにした。と、その時随分遠くから「────ドン」「──ドン」「ドン」という大きな地鳴りのような音が近づいて来ているのがわかった。
「……何の音ですかね?」
俺が少し口元を引きつらせながら聞くと、屠鬼さんがにこりと笑って「足音よ」と言った。
──────ドン!!!!!!
目の前の──以前俺が豪鬼さんに短期講習として戦いを教えてもらっていた──だだっ広い広場に大きな赤い岩の塊のようなものが降ってきた。物体の急激な落下による風圧が襲い、俺は思わず両腕で顔を覆った。
「ぐっ……何……!」
何が起きたのか、など聞くに値しないことはすぐにわかった。落ちてきたのは、豪鬼さんだったからだ。身体を小さく丸めたようにそこへ着地した豪鬼さんは、ゆっくりと体を起こすとズシンズシンと音を立ててこちらへ近づいてきた。そして、俺を見下ろす。
「──何用だ、己の娘を殺そうとした婿よ」
今まで以上に殺気立った威圧に俺は気圧されながらもその突き刺すような目と視線を合わせた。
「もう、どっかから話は聞いてるんですね」
「当たり前だ。妖怪の噂というものは人間の速さと比べ物にならぬ。まあ、最近でこそいんたーねっとというものによって人間たちのそれも至極伝達の速いものになったが」
「ああ……それは、そうでしょうね」
俺が苦笑いをすると、豪鬼さんは黙って俺を見つめた。こっちが何を言い出すのか待っているんだろう。俺は──即座に腰を折って、頭を下げた。
「……大事な娘さんを危ない目に遭わせてすみませんでした」
俺の視界には、赤鬼の大きく武骨な足先が見える。それを見つめながら俺は続けた。
「ただ、俺はあいつ……美鬼を、何とか守りたいと思ってます。もちろん俺が元凶な以上、俺が距離を取るのが最良だとは思ってます。ですが、美鬼は多分それを望まないでしょう。学校をやめてここへ帰るよう言っても、納得はしないはずです」
「………」
「俺が、俺自身をどうにかして乗っ取られないようにできるなら、もし、豪鬼さんがその方法を知ってるとしたら、ご教授願いたいんです」
「…………顔を上げるがいい、婿よ」
深い息を吐いた豪鬼さんの表情を見る為、俺は折った体を起こした。豪鬼さんの目は先ほどと変わらずに俺を睨んでいるが──もう敵意は感じなかった。
「……己は、お前の望むことは知らぬ。教えられることは無い」
「あ……」
「だが」
豪鬼さんはくるりと背を向けると、先ほど着地して出来上がった陥没地帯まで歩いて行った。
「……俺は戦う術ならばお前に教えられる」
「えっ……と、さらに戦いの訓練をするって話ですか?」
「そうだが、そうではない」
「どういう……」
「お前の得物を持て」
「えっ?」
得物──ってことは、あの刀か。俺はそう思って右手に意識を集中しようとした、が、豪鬼さんが「違う」と首を振った。
「お前のだ」
「……どういうことです?」
「あれは、お前のものではない。借り物ではいつまで経ってもお前の戦いはできない」
「──お前自身の妖力と、お前が選んだ媒介で武器を作れ」
***
……そんなことがあって、俺は自分の妖力と俺が吐いた煙草の煙を混ぜた煙刀を作る練習をした。で、河童との戦いの時に初めて実戦で使ったってわけだ。まあ……結果はイマイチだったけど。今後の訓練でもう少しマシな使い方できるんじゃねーかなとも思うけど、そんな時間果たしてあるのか。あの刀を使っちまう方がラクな気もするが……
世界が重なった後で、あの刀はひとりでに河童の首に付けたチョーカーへと向かってきて突き刺さった。あれには、意思があるってことだ。豪鬼さんも「あの刀は使うな」と言っていた。嫌な匂いがするんだとか。だから俺に自分の武器をってわけなんだけど……それが今後功を奏するのかはわからん。結局俺にできることなんて──。
──車内に響き渡る生徒たちの騒がしい声に目を開け、俺はうんざりとしながらも席から立ち上がった。
「静かにしろってさっき言ったばっかだろうが。他のお客さんも乗ってんだぞ」
一際うるさくしていた男子生徒は俺に睨まれると「先生ごめーん」とふざけた態度でこっちに向かって手を合わせた。ひとまず他に何か異常がないかクラス全員を見て回る。と、急に袖を掴まれた。見れば、案の定鬼村だった。
「あたし新幹線とか初めて。めっちゃ速いね♪」
「はいはいわかったから、ちゃんとしろよ」
「ちゃんとしてんじゃーん。東境着いたらデートしようね♡」
「するわけねーだろ馬鹿」
俺の悪態を聞くと鬼村は何故か満足したのか俺の袖を掴んでいた手を離し、隣の佐嶋とまた話を始めたようだった。
鬼を連れての修学旅行、なんてのは初めてだ。しかも隣のクラスにゃ天狗と来た。果たしてこの五日間は無事に終えることができるのか……少々不安に思いながらも、俺は自分の席へと戻っていった。




