表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レイン  作者: 天神大河
#02 淘汰の足音―Rejection
14/15

 黄色いライトに照らし出されたコンクリートの道を歩きながら、神楽はちらと前を先行する男――遥の表情を見つめる。彼は、悠紀と機関銃を同時に背負ったまま、汗一つかかずに前を進んでいた。程なく、神楽の視線に気づいた遥が、左後方でゆっくりと歩く少年に目を向けた。神楽が目を白黒させながら、話す口実を考え出す前に、遥の低くも気さくな声が聞こえてきた。

「そういえば、自己紹介がまだだったな。おれは神森遥(かみもり はるか)っていうんだ。悠紀より一つ年上の、東日本大学一年生さ」

 すると、アキラも彼に続くように、神楽へと身体を向けた。その際に、彼女が持っていた懐中電灯もつられて同じ方角を向き、それにより視界に入り込んで来た強い光に対し、神楽は目を細める。

「あっ、そういえばあたしも自己紹介まだだった。あたしは西沢光(にしざわ あきら)、十七歳でーす。よろしくね、えっと…」

「――依砂鷺神楽、濱第二高校三年生の、十八歳です。その…よろしくお願いします」

 神楽が、小さく頭を下げる。すると、アキラ――光が神楽をまじまじと見つめてきた。どうか、しましたか? 神楽がおそるおそる尋ねると、光は口元をにやけさせながら、声をひそめて話す。

「ねえ、カーくんてさ、もしかしてユウちゃんの彼氏だったりするの?」

 光が、小指を突き出した左の拳を神楽に向ける。対する少年の顔はわずかに照らし出しただけでも分かるほどに紅潮し、神楽自身も全身がみるみる熱くなっていくのを感じた。

「ち、違いますよ。ぼくはただ、櫛夜那さんとは一緒に行動しただけで、そんな…」

「だって珍しいんだもん。普段は無口で男勝りなユウちゃんが、あたしたち以外の人と、ここまで打ち解けてるのって。知絵も言ってたけど、カーくんって、まさかまさか、ユウちゃんの初カレだったり?」

 次第に声を上ずらせながら、光は神楽へさらに顔を近づけた。獲物を狙う猫のように両目を輝かせる彼女に、神楽は目を泳がせつつも、話題を変えるべく声を張り上げる。

「そ、そんなことより、二人はどうしてここに来ていたんですか」

 神楽の問いかけに、遥は顔だけを少年へ向けたまま再度歩を進める。その際に、彼の背中の上にいた悠紀が、眠たげな目を遥へと向ける。

「さっき悠紀と電話した後、おれたちはすぐに集合地点に集まったんだ。けど、悠紀は怪我をしているって言うし、しかも神楽も一緒だってことだったからさ。それで心配になって、知絵たちに頼んで二人の足取りをコンピュータ上で予測してもらって、ここまで来たってわけさ。おかげで、最悪の事態になるところをギリギリ回避できたよ」

 後であいつらに何かご褒美を構えねえと。遥が小さく呟くのを前に、神楽はさらに質問を重ねる。

「それから、もう一つすみません。あの、今神森さんたちの他に、誰か一緒にいるんですか?」

「ああ、この先に仲間を二人待機させてある。おれと光を含めれば、合わせて四人だな」

 えっ、それじゃあ。神楽が怪訝(けげん)な様子で口にする。遥は、ああ、とイントネーションを高くして応じる。

「さっき、政府軍の連中を相手にした時のことか。神楽が気にしてんのは」

 神楽は、はい、と答えてから小さく頷いた。

「あの時は、全員に対処できるとは言ったが、あれはただのハッタリさ。実際はおれと光の二人だけ。暗闇では、状況を把握しづらい分、向こうも存分に警戒して、太刀打ちしてこないと考えたのさ。で、それをより確実なものにさせるために、こいつを使って奴らにさらなるプレッシャーを与えてやった、というわけ」

 遥は、そこまで言って、自身のズボンの左ポケットを目で指し示した。そこからは、赤い携帯状の機器がちらほらと見え隠れしていた。

「そいつは『C.I.D.』っていって、早い話が、C-Iの前世代機だ。一時世の中に流通していたんだけど、すぐに上位互換のC-Iに取って代わられちまった影の薄い奴さ。おれはあの時、その中にある拡声機能を使って、奴らをびびらせてやったっていう――」

「その割には使い方分かってなかったから、最初無駄にデカい声出しちゃってたけどね」

 おい、それ言うなよ。遥が、唇を尖らせながら光を(たしな)める。対して彼女は、いいじゃない、と一言もらしてからあらためて神楽へと視線を移す。彼女の左手は、小さなミニスカートのポケットから取り出された桜色のC.I.D.を握っていた。

「ハルくんのお話はともかく、あたしたちはこれを使って、仲間と密に連絡を取り合うようにしているの。ユウちゃんも、あたしたちの大切な仲間の一人。だから、さっきあの男が暗闇の中でピストルを乱射しようとしていた時に、ユウちゃんやカーくんが巻き込まれる危険があったから――」

 殺した。光はあえてその言葉を呑みこんで、神楽へとはにかんだような笑顔を向ける。

「とりあえず、二人とも無事でよかった。ありがとう、カーくん。あたしたちの代わりに、ユウちゃんを守ってくれて」

 細められた目で光から見つめられ、神楽は、小さく首を左右に振る。違う。ぼくは――そう言いかけた時、遥が二人へ言葉を投げかけた。

「着いたぞ、二人とも。出口だ」

 遥が目配せする先を神楽が見つめると、うっすらと白い光が、森の中の木漏れ日のように薄暗いトンネル内に差し込んでいた。下水独特の臭いに混じって、雨が降る時に微かに香る湿った土のような匂いを、神楽は鼻から息を吸うことをとおして、全身で感じ取る。十数分前まで政府軍の男たちから逃げ回ってきた神楽の心身に、強い安心感が沁み入ってきた。

「さて……ごめんよ、カーくん」

 光の声を耳にした神楽が彼女へと向き直る前に、彼の視界は突如として黒い闇一色へと変貌(へんぼう)した。

それだけでなく、鼻や口から吸い込む空気が薄く、生ぬるいものとなり、吐き出すと熱い息の感触が顔の下半分に伝播(でんぱ)する。神楽が、自身の頭に黒いポリ袋を被せられたことに思い当たったのは、袋に吐いた息が湿り気を帯び、その部分が頬へ不快に張り付いた時だった。

「おい、な、何をするんだ…!」

 神楽が、袋越しに声を上げる。精いっぱいに大声を発し続けると、袋の内部が少年の唇の周りにみるみる密着し、(かえ)って息苦しさを増していった。神楽は顎の下に両手で爪を引っかけ、袋を引き剥がそうとするが、自らの顔にぴったりと()まったそれはまったく微動だにしなかった。さらに、今度は額を強く締め付けられる感覚。痛い、痛い。袋越しにもごもごとした声で口にしながら、神楽は額へと両手を伸ばす。すると、一つの大きく強張った手が、少年の両手を一箇所にまとめ上げた上で強く押さえつけた。

「悪いな、神楽。ここから先はおれたちにとってトップ・シークレットの領域だ。せっかくの外だが、もうしばらくの間両目の自由は我慢してもらうぜ。窮屈だろうが、神楽がここで堪えていてくれれば、おれたちもこれ以上乱暴な手出しはしない。…約束しよう」

 そう口にする遥の言葉が、神楽の耳にいやに冷たく響いた。

「あっ、しまった」

 そう素っ頓狂な声を上げたのは、神楽の背後で、彼の顔に被せたポリ袋をビニールテープでぐるぐる巻きに縛っていた光だった。そのまま、彼女は右手で袋をぐいっと引き上げる。そこから、赤みがかったピンク色に紅潮した神楽の顔の下半分が露出し、それと同時に、彼自身の息によってほのかに熱気を帯びた唇が、新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。

「ごめんごめん、息をしづらくさせちゃってたね」

 取り繕うように言葉を添える光の声を耳にしながら、神楽は二、三度深呼吸を繰り返し、ゆっくりと息を整える。視界が未だ暗闇に慣れない中、神楽はきょろきょろと顔を左右に動かしながら問いかける。

「…だけど、ここまでする必要なんて、あるんですか」

 そこまで言ったところで、不意に神楽の左肩に鈍痛が走った。視界が見えない分、それ以外の感覚が敏感になっているのかもしれない――頭の中で原因を分析していると、悠紀のか細い声が聞こえてきた。ぼそぼそとした口調ながら、はっきりとよく通った声であることに、神楽は感嘆する。

「落ち着いて聞いてくれ、神楽……おれたちの本部の場所は、誰にも教えられない決まりなんだ。たとえおれのクラスメイトであってもな。すべては、おれたちが『勝つ』ために――怪我人に対してあんまりな対応だとは分かっているが、本部に着くまで我慢してくれ」

 悠紀の言葉を聞いて少しの間をおいて、神楽は小さく頷いた。分かった――ぽつりとそう呟くのが、遥たちに見て取れた。すろと、光がふんっと鼻を鳴らして声高々に口にする。

「いやあ、やっぱり初対面のハルくんより、彼女であるユウちゃんの言葉の方がカーくんには効くんだねえ。お互いに通じ合い過ぎて妬けちゃう」

「いえ、違いますから!」

「違うに決まってるだろ!」

 神楽と悠紀が、同時に叫ぶ。その瞬間、はっとした様子を見せ、二人は顔を赤くしながら俯いた。

「何だよ、さっきから黙って聞いてたら、ったく…」

 悠紀が恥ずかしげに口ごもる。対して神楽は、口をへの字に閉じたまま黙り込んでいた。先を急ぐぞ。遥は、微笑を浮かべながら陽気に声を上げた。光も、神楽の両手を手に取る。

「カーくんも、行くよ。車まで少し歩くから、それまでカーくんはあたしに掴まりながら、一緒に移動しようね」

 は、はい。神楽はあたふたとしながら、光の左手首を掴む。オッケー、それじゃ行こうか。光はそう言って、ゆっくりと歩を進める。神楽も、彼女の後に続いた。

「――それにしても、ハルくんっていまいち言葉足らずな所があるよね。だから彼女できないんじゃない?」

 大きなお世話だっ。光が口元をにんまりさせながら問いかけてくる内容に、遥は声を張り上げて応じる。そんな彼らの足は、下水道と地上を繋ぐ階段に足を踏み入れようとしていた。


 光の手首を少し強く掴みながら、何十歩か進んでいくと、神楽の視界に白っぽい光が広がった。さらに、微かに雨音や車の走る音が耳に入ってくる。どうやら、自分は外に出られたようだ――あらためてそう実感していると、短い電子音が小さく響き、乾いた音が一瞬聞こえてきた。神楽は思わずびくり、と身体を大きく震わせる。そこに、遥の口から洩れる含み笑いが、緩やかにボリュームを上げながら神楽の耳に入り込む。

「心配するな、おれたちの車の音さ。周りに政府軍の奴らはいねえよ。……さっきのですっぱりと、諦めてくれたらいいけどな」

「こら、ハルくん。カーくんを無駄に煽っちゃだめでしょ、まったく」

 遥は相変わらず、くつくつと笑い声を出しながら、足音を遠ざからせた。それに代わって、光が神楽の左手首を振り解き、そのまま彼の背中をゆっくりと押す。

「さあさ、カーくん、こっちこっち。…よし、ちょっと足を上げて、そのまま車に乗って」

 光の指示通りに、神楽はゆっくりと右足を上げて、そのまま前方に踏み下ろす。すると、ざらざらとしたアスファルトの感覚とは対照的に、つるつるとした感触が、靴底を通して伝わってきた。さらに、左足を素早く上げて、前へと伸ばす。ごつん、と額が何か堅いものにあたったが、それにも構わず神楽は頭を屈めながら、両足を揃える。どうやらうまく車に乗り込めたようだ。腰を柔らかなマットの上に置き、神楽がほっと胸を撫でおろしていると、悠紀や光の二人とは異なった甲高い女の声が、右前方から喧しく耳に入ってきた。

「ちょっと光、どうしたのこの子。…怪我してるじゃん。悠紀も」

 横三列に及ぶ黒い大きめの自動車の中で、二列目の右側に腰を下ろす彼女は、そう口にするやいなや、先ほど自身が口走った三人の人物の顔を目まぐるしく見て回る。三列目の左の席に座った左肩を怪我している少年、彼の側で外に立ったままの光、そして女自身の隣に座った悠紀。彼らの状況をうまく把握しきれないまま、光が神楽の背後から女へと声をかける。

「ああ、二人ともちょっといろいろあったみたいでさ。彼は、ユウちゃんのクラスメイトで、名前は依砂鷺神楽っていうの。よろしくお願いね、ルイちゃん」

 光の声を聞いた神楽は、自身の前方にいると思われる甲高い声をした女性――『ルイ』と呼ばれる人物へ、ぺこりと頭を下げた。

「お、お世話になります…」

 そんな神楽の様子を目にして、ルイは小さく溜息を吐いてから、自身の真後ろに座った小柄な少女へと顔を向けた。

「仕方ないか…ねえハクア、すぐ後ろのトランクに置いてある救急箱取って」

 神楽の隣に座る『ハクア』と呼ばれた少女は、こくんと小さく頷くと、腰まである銀色の髪を翻し、トランクから茶色い木箱を迷うことなく手に取った。小さな両手でそれを持ったまま、ハクアが前に座るルイへと差し出すと、彼女はやや乱暴に救急箱を受け取り、すぐに箱を開けて薬と包帯を取り出した。薬品の匂いが、車中に広がり、神楽の鼻腔を刺激する。

「うわ、応急処置がまったくない…」

 悠紀の右肩を目にして、ルイが思わず声を漏らす。彼女の言葉を聞いて神楽は、小さく唇を噛みしめる。やはり、無理を言ってでも、自分にできる処置をすべきだったのではないか――そんな後悔の念がじわじわと神楽に押し寄せる。すると、乾いた音が立て続けに彼の耳に入り、そこに遥の声が畳みかける。

「よし、全員乗ったな。詳しい事情は移動しながらハクアたちに話すとして、とりあえず出発するぞ」

 そう言って、彼は手元の鍵を差しこんで、黒いボディをした自動車のエンジンを起動させる。後ろに座った神楽と悠紀の二人にちらと視線を向けてから、遥は両手のハンドルを強く握った。


 車が動き出してから程なくして、神楽の左肩に何かがそっと置かれた。神楽は、傷口にそれが触れるのを避けるように、素早く後退する。そのまま、彼の背が柔らかいマットでできた座席を軽く揺らす。

「ちょっと、きみ、……神楽くんだっけ? あんまり抵抗してんじゃないわよ。ほっといたらきみも悠紀みたいに、傷口が化膿し始めるようになるわよ。もっとも、このまま治療しなくてもいいってことなら、話は別だけど」

 座席越しに、ルイと呼ばれた女が神楽へまくしたてるように声を上げた。ちょっと、ルイちゃん。光の声が小さく車内に木霊する。彼女の口調は、ルイの言動を窘めているようだった。そして、数秒ほどの沈黙を経て、神楽は口の中に溜まった唾を一気に呑み込んで、ぼそぼそと口にする。

「ルイさん…でしたよね? 櫛夜那さんは、その、怪我は……大丈夫なんでしょうか?」

「はっきり言って、そうでもないわね」

 ルイは、何の躊躇も見せずに答える。彼女の発言を耳にした神楽は、頬を紅潮させながら、(せき)を切ったように口にする。

「櫛夜那さん、そんなに悪いんですか。もしかして、命に関わるほどですか。彼女が撃たれたのに、ぼくは――」

「静かにして、気が散る」

 ルイが今までの甲高い声とは裏腹に、低く尖らせた声で神楽を威圧する。目隠しをされた状態ではあったが、彼の身体は蛇に睨まれた蛙のように硬直する。

「確かに、悠紀は出血も酷いし、傷口も化膿し始めてる。でもね、大事な神経とかには傷ひとつ付いてないし、特別命にも別状なし。下手したら一生肩から先が動かなくなっていたところを、まさに奇跡と言っていいかしら」

 とりあえずは全治一ヶ月、ってとこね。ルイは、深く息を吐きながら口にした。良かった。神楽もまた、小さく安堵の溜息を漏らす。

「対して神楽くんは、ただの掠り傷ね。一週間も経てば、傷口も塞がってきて痛みもほぼなくなる。別に大袈裟に騒ぎ立てるほどでもないわ」

 ルイは、神楽にちらと視線を流しながら淡々と口にする。後部座席で背をシートに密着させながら、彼は耳を少し赤くさせた。ルイは、悠紀の右肩に外科用の小型の剪刀(せんとう)を近づけ、灰白色の刃を制服の間に挟み込む。そのまま、器用に切り込みを入れて傷口の周辺部をはだけさせながら、ルイは後ろに座った少女に顔を向ける。

「悠紀の方は私が看てるわ。ハクアは、神楽くんの処置をお願い。薬塗って包帯巻いとけば、ひとまずは大丈夫だから」

 ハクアは、小さくこくん、と無表情で頷くと神楽の胸に軽く手を触れた。華奢で線の細い小さな手を、神楽はすんなりと受け入れる。

「先ほどは失礼しました」

 神楽の耳に、今にも消え入りそうなささやき声が耳に入った。いえ、そんな。神楽は反射的に応じる。ハクアは、そんな少年のブレザーに右手をかけ、ボタンを器用に外しながら続ける。

「神楽さん、ですね。これからお怪我をされた左肩の処置を行いますので、今しばらくの間ご辛抱下さい」

 は、はい。神楽は、眼前の明るいとも暗いともつかない闇を前に、彼女の口調と同じように丁寧な返事をする。やがて、ハクアは神楽の藍色のブレザーと白いシャツを難なく脱がせ、黒い半袖のスポーツシャツに手をかけた。そこで、神楽が思い出したように言葉を洩らす。

「櫛夜那さんは、今どうしていますか」

 少年の声を受け、ハクアは悠紀たちへと視線を移す。そこでは、ルイが悠紀の肩の傷口に、薄茶色の薬品をそっと塗っているところだった。真剣な表情で額にうっすらと汗を流しているルイに対し、悠紀は両目を閉じて静かに寝息を立てていた。あらためてハクアは、自らの髪よりも淡い色をした白銀の瞳を、無表情のまま神楽へと向ける。

「悠紀さんは、ルイさんの治療を受けながらお休みになっています。よっぽどお疲れになっていたんでしょう。――神楽さんも、今のうちにお休みしておくことをお勧めします。わたしたちの本部に着いてから、いろいろ大変かと思いますので」

 終始抑揚のないハクアの返答を聞き、神楽は口元に笑みを浮かべた。

「そうですか、…ありがとうございます」

「わたしたちの仲間を助けるのに、感謝を受ける()われはありません」

 そう言われれば、そうだな。神楽は、今の自身の発言の軽率さを反省すると同時に、ささやき声ながらどこか説得力を感じさせる彼女の言動に少なからず()かれていることを心の奥底で自覚する。そんな彼の耳に、遥の声が入る。

「今日は珍しくお喋りだな、ハクア」

 そんなことありません。ハクアは、即座に返事をする。感情のこもっていない彼女の返事を耳にした遥は、現在車を走らせている六車線の国道上で車線変更をかけるべく、方向指示器を軽く下げると、バックミラー越しにハクアの姿をちらと捉え、快活な口調で話す。

「そうか? 割と無関心というわけでもなさそうだったけど」

「そう言われれば、さっきハクア自分から話しかけてたよね。もしかして、ハクアも…?」

 遥の言葉に便乗するように、光が助手席から後方に顔を覗かせる。そこで、ハクアと悠紀の顔を交互に見つめ、神楽へと視線を定める。神楽は、前方から自分をじっと見つめる視線を感じ、額から一筋の冷たい汗を流した。

「誤解しないでください。光さんが何を考えておられるかは測りかねますが、わたしは、彼に対して何の感情も抱いてはいません」

 私はただ、ルイさんの指示に従っているだけです。ハクアはそう言って、神楽のスポーツシャツをぐいっと(まく)り上げる。露出した神楽の細い色白の体躯に構わず、ハクアは彼のシャツを、神楽の隣に乱雑に置くと、左手に持った小さな円柱状のケースの蓋を開けた。そこから、透明な液体を右手の人差し指で(すく)い取ると、ほとんど出血が止まっていた神楽の傷口にそれを塗っていく。神楽は、左肩から与えられる痛いとも冷たいともいえぬ刺激に、反射的に歯を食いしばる。弾丸が掠った細い線状の跡をじっと見つめながら、ハクアがか細い声で口にする。

「皆さんがどうして、あなたに強い関心を示すのか、わたしにはよく分かりません。わたしは神楽さんを嫌いとも、好きとも思いませんが……」

 ただ――ぼんやりとハクアの言葉を聞きながら、神楽は肩からの刺激を感じる一方で、うとうとと眠気も覚え始めていた。闇の中で、しぱしぱと瞬きを繰り返す中で、ハクアの声が聞こえてくる。

――ただ、わたしは、あなたが羨ましい。

 そう口にする彼女の言葉の奥底に、神楽は形容しがたい悲しみがあるように感じた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ