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レイン  作者: 天神大河
#02 淘汰の足音―Rejection
13/15

 コンクリートの側道の上を一歩ずつ踏みしめる度に、乾いた足音が下水道の通る地下トンネル内に反響する。新東京エリア49の地下を縦横無尽に駆け巡るトンネルの中に唯一設置された楕円形の水銀灯は、少年と少女の全身をぼんやりと照らしてはいたものの、数メートルほど間隔が離れている上に、照明の寿命がほとんど切れている箇所もあり、場所によってはほぼ真っ暗になることもあった。

 神楽は、土の色が混じった下水の流れる音を耳にしながら、一メートルほど前をゆっくりと歩く悠紀の背を見つめる。彼女は、少し前のめりになった状態で、右肩の傷口を左手で強く押さえつけていた。そのために、右手に弱々しく握られたピストルが、細く長い指から今にも零れ落ちそうになっている。地下トンネルの十字路に差し掛かったところで神楽はつと立ち止まり、下水から洩れ出るつうんとした刺激臭を和らげるために、制服の袖で口元を軽く押さえながら、低くくぐもった声で口にする。

「櫛夜那さん、なんだか辛そうだけど、大丈夫? 少し休憩した方がいいと思うけど」

 この神楽の発言を耳にした悠紀は、一瞬ちらと彼の顔に目線を向けると、またすぐに前へと向き直った。

「構うな。そんなことより、先を急ぐぞ。目的地までは、まだ遠いからな」

 そう口にした悠紀の顔色には、先ほど政府軍の面々を威圧したときの余裕がほとんどなくなっているように、神楽には感じられた。トラックの荷台を脱出してからは、裏路地や人通りの少ない住宅街を突き進み、ゆうに二時間以上も休みなく移動し続けたため、疲労が極限にまで達しているのかもしれない。

 しかしそれは、神楽自身も同様であった。

 電車内での瀬崎たちの行動、自分たちを始末しようとした政府軍、悠紀の口から語られた『レイン』という存在。朝から立て続けに様々なことが起こり、そこから生じる現実と非現実との葛藤(かっとう)と混乱が、神楽の心身の消耗を早めていることを、彼自身もうすうす感じつつあった。これから、ぼくはどうなってしまうんだろう。こうしている間にも、軍の人たちはぼくたちを探し回ってる。

 もしも、このまま捕まってしまったらどうなる? 濱30エリアステーションを抜けだした時の小田原の様子を、神楽はその場に立ち止まったままゆっくりと思い返す。頭の中に浮かび上がるのは、クラスメイトの少女や、関係ない一般人に平然と銃口を向ける、狂気を含んだ男の姿だった。

 きっと。もしも。櫛夜那さんの言う新東京エリア49からの脱出がうまくいかなかったら? 神楽の思考回路が不安と恐怖に染まっていくのに比例して、彼自身の視界も徐々に(かす)んでいった。

「ねえ、櫛夜那さん」

 神楽の呼びかけに、悠紀は応じない。彼女が応じるのを待たずに、神楽は喉を震わせながら、どうにか声を振り絞る。

「ぼくたち、捕まったりしないよね? さっき、櫛夜那さんが連絡を取ってた仲間が、助けてくれるって」

「つべこべ言うヒマがあるなら、先を急ぐことだけを考えろ。助けがどうとかは、それからだ」

「でも、もし、助けが来る前に、ぼくたちが捕まったら――」

「喚くな」

 獣のように低い声を出し、悠紀が神楽へと向き直る。視線の先の少年が一瞬身体をびくりと震わせると同時に、悠紀は無言のまま、大股で少年へと歩み寄っていった。

 何度も短い瞬きを繰り返す少年の前でつと足を止めると、悠紀は彼を見上げて、左手で制服の襟首(えりくび)をぐいっと掴みあげた。彼女の手をとおして、神楽の白いシャツに悠紀の赤黒い血が付着する。

「『でも』じゃねえよ。助かりたいなら、生き残りたいなら、進むしかないんだ。何を迷う必要がある。さっき神楽が言ってた決意とやらは、そんなにやわなものだったのか」

 紺の混じった悠紀の黒眼は、まっすぐに神楽の顔だけを、鋭く見つめていた。

 違う。あの言葉は、その場しのぎで言ったんじゃない。心から思ったことだ。だけど――彼女の言葉をはっきりと否定できない。

 今もう一度、同じ言葉を言ったら。櫛夜那さんは納得するだろうか。いいや、そもそも自分は、あの時心から、ちゃんと口にできたのだろうか。

 この世界で今何が起きているかを知りたい、と。本当は、知るのが怖いだけなのではなかったのか?

 徐々に混濁していく思考を誤魔化すかのように、神楽は悠紀から静かに目を逸らす。

「目を逸らすな。ちゃんとおれの顔を見ろ」

 悠紀が怒気の混じった声で告げる。対して、神楽は目線を逸らしたまま、口を少しもごもごと動かしてからそのまま口を閉ざした。悠紀は、掴んだ襟首を乱暴に突き放す。その反動で、神楽の身体は後ろに傾き、そのまま腰をコンクリートの地面へしとどに打ち付けた。彼は、その体勢のまま悠紀の顔を上目づかいで見上げた。彼女は、荒い息遣いをしながら、左手をスカートのポケットに入れた。そこから、黒い銃身がちらりと姿を見せる。あらためて神楽を見下ろして、少女は口を開く。

「上等だ。なら、はっきりさせようじゃないか。あんたがこれから、おれたちの敵になるのかどうか。今ここで、答えを聞かせてもらおうか」

 櫛夜那さん。神楽が声に出そうとしたその時、乾いた音と甲高い悲鳴が、ほとんど同時にトンネル内に響いた。神楽が驚く間もなく、目の前の少女は左腕からわずかに血が噴き出しながら、その場に膝を突き、左半身を床に打ちつける。

「櫛夜那さん!」

「やっと見つけたぞ。ドブネズミが」

 はっきりと響く男の声に、神楽は思わず後ろを振り返る。薄暗い闇の中から、白い明かりに照らされて、男――小田原が現れる。彼の背後には、十数人にも及ぶ黒いスーツを着た男たちが立っていた。彼らは全員、黒いピストルを両手に固く握りしめていた。小田原は、右手に持ったピストルから浮かび上がる灰白色の硝煙を見つめながら、不敵な笑みを浮かべる。そんな彼の様子を見た神楽は、背筋を大きく震わせた。

「ああ、神楽くんか。無事だったんだね」

 そう言って、小田原が無垢な笑顔を少年に向ける。えっ? どうして、そんな顔ができるんだよ、こいつは。神楽は頭の中でそう思いながら、小田原の唇が動くのをじっと眺めていた。

「さっきといい、駅でのことといい、君を驚かせてばかりですまなかった。あらためて、今回私どもは、国家転覆に関わったテロリストを、捕まえに来たんですよ」

 小田原は笑顔のままそう続けた。神楽は、そんな彼の言葉を耳にして、震えた声で返す。

「それなら。その前に、櫛夜那さんを。助けてやってくれませんか。彼女、あなたに撃たれて、怪我がどんどん酷くなって、だから」

「その必要はない」

 小田原が、瞬時に歪んだ笑みを神楽に見せる。眼前の少年がはっと目を見開いた様子を見つめながら、口角をぐっと上に持ちあげて小田原は告げる。

「いいかい、神楽くん。私どもは、君を保護しに来たのですよ」

 保護? 神楽がオウム返しに口にする。そう、保護さ。小田原もさらに言葉を重ねる。

「そもそも君は、ただ彼女に巻き込まれただけの一般市民だ。私はあの時、君も彼女と同罪だと見做(みな)したために、ああ口走ったが、あれから上の判断が変わってね。君を無罪放免とし、今後の生活の安泰を保障する――ということになったのさ。不測の事態にきみを巻き込んだ上に、何度も不快な暴言を吐いてしまって申し訳なかった、神楽くん」

 そう言って、小田原は深く頭を下げた。続いて、後ろにいた政府軍の男たちも揃って頭を下げる。神楽は、呆然としながらも、小田原が口にした言葉を、疲労困憊した彼の心の中で何度も響かせた。

 今後の生活の安泰を保障する。

 つまり、自分はクラスメイトの同級生が口にした『すべてを捨てる』覚悟をしないで済む。明日からまた、普通の高校生として生活を送ることができる。東日本大学を受験して、将来の安寧を掴み取ることだってできる。ただ。神楽の中に、一抹(いちまつ)の不安が頭をよぎる。

「あの、それなら櫛夜那さんは。彼女は、これから、どうなるんですか」

 ああ、彼女は捕まるさ。小田原が淡々と口にする。

「彼女――櫛夜那悠紀は、私どもが確保して、罪の重さを自覚させる。まあ、未成年とはいえ、どうせ死刑だろうけどな」

 神楽の目の前に立っている黒いスーツを着た眼鏡の男は、不穏なことを軽々と口にする。小田原は、少年の動揺を(たた)えた瞳を前に、さらに畳みかける。

「さあ、来たまえ、神楽くん。君は、このテロリストから自由になれるんだ。さあ!」

 小田原は、コンクリートに腰をつけたままの神楽に右手を差し伸べた。そんな神楽の心臓は、自分でも分かるほどに激しく揺れ動いていた。心臓から生じた興奮の波は、徐々に彼の身体を駆け上がり、神楽の呼吸のテンポを遅くさせ、苦しげに短い息を吸って、吐き出すことを繰り返す。

「ま、待て」

 神楽の側で、弱々しい声が聞こえてきた。神楽が声のした方を向き直ると、悠紀が身体を前のめりに倒したまま、目線の先にいる同級生に顔を向けていた。そんな彼女の唇はからからに乾き、痛みをこらえているのか歯を強く食いしばっており、その影響で顔全体が歪に引きつっていた。

「神楽、行くな……行っちゃ、ダメだ……」

 悠紀の小さくも澄んだ声が、神楽の頭の中に入り込んで離れない。少年は、自身の混乱と動揺を抑えつけるために強く目を閉じた。そして、そのまま心の中で強く自分に言い聞かせた。彼女の言葉を聞いちゃいけない。このまま、自由を棄てるのか。生きるために、ぼくは。



――この女さえ見捨てれば、ぼくだけは助かる。



 神楽はゆっくりと目を見開きながら、ぱくぱくと口を動かした。

 ぼくには、最初からこんなことに巻き込まれる筋合いなんてなかったんだ。ぼくだって、勉強ばっかりだってよく言われたけれど、本当はまだまだ青春を謳歌したい。瀬崎とも、河波ともまた会って、馬鹿なことをしたり他愛のない話をしたり。今だからできること――それに、全力を注ぎたい。

 ……それで?

 それで、最後に何が残るんだ。人生の幸福? 心身の充実? いいや。ただの虚無だ。誰かに操られた偽りの感情で、そんな美しい理想は絶対に得られはしない。どう足掻いても、それは決して『真実』とはなりえないのだ。

 やっぱり、間違ってる。誰に言うでもなく、心の中で力強くそう思った神楽は、ゆっくりと立ち上がり、その先にいる小田原に向き直る。

「小田原さん、すみません」

 

「やっぱりぼくは、何事もなかったかのように元の生活を送ることなんて、できません。ぼく自身もたった今、やっと分かりました。ぼくは、本当の意味での自由が欲しかった。そのために、ぼくは」

 そこまで言って、神楽は側に倒れている悠紀に身体を向け、しゃがみこむ。

「ぼくは、彼女と行きます。その先に、どんな困難が待ち受けていたとしても」

 神楽は悠紀の華奢な右手を取る。彼女の細く長い指は、ほとんど力無く神楽の手を掴んでいたが、そのつないだ手には確かな温かさがあった。

「あああああっ、ふざけんじゃねえよ、クソガキがああぁ!」

 不意に小田原が、トンネル中に響く大声を張り上げた。神楽と悠紀は、ほぼ同時に身震いし、それにつられる形で手を放した。小田原は、修羅のような形相で二人の少年少女を睨みつけながら、さらに続ける。

「何だぁ、そのクッソつまらねえ友情ごっこはよう。見ていて反吐が出るぜ。女に気に入られようと必死なガキが! 調子に乗るんじゃねえよ!」

 そう早口で言い捨てて、小田原は神楽の額に一メートルほどの至近距離から銃口を向けた。まずはお前からだ。一言そう呟いて、男は引き金を引いた。

 神楽も、ほぼ同時に、反射的に身体を右に傾けるが、銃声が辺りに響いた瞬間、声にならない声を出しながら再びその場に倒れこむ。左肩先に激しい痛みを感じ、右手で軽く押さえる。そのまま、自分の手のひらを顔へと向けてみると、赤い血がべっとりと粘り気を帯びて付着しているのが見て取れた。

「なかなか悪運が強いな、お前。だが、それもそこまでだ。次は確実に殺してやる」

 小田原が、あらためて少年に銃口を向ける。神楽は、そんな小田原をきっと睨みつける。彼なりのささやかな反抗を目にして、小田原は眼鏡のブリッジを右手でぐっと眉間まで引き上げた。そんな彼の表情は、少年のその姿に対する侮蔑(ぶべつ)を交えた嘲笑(ちょうしょう)そのものだった。

「なんだその目は。おれへのせめてもの抵抗のつもりかよ。なめんな。そんな可愛い猫みたいな目で見られても、別に怖くも何ともないぞ、神楽くんよぉ」

 そう言って、小田原は神楽の前にしゃがみこむ。そのまま、彼の左頬に右の拳を食らわせた。神楽は、悠紀の側に倒れこむも、すぐに小田原へと顔を向ける。

「なあ、さっきおれが、お前を保護するって持ちかけた時、本当は嬉しかったんだろう? そりゃそうだ。温室育ちの坊やには、ハードな世界なんて不向きだなんて、いやでも理解できてるもんなあ。依砂鷺神楽くぅん?」

 その一言を耳にした神楽は、頬の赤痣をくっきりと浮かべながら、歯を強く食いしばる。悔しい。小田原の尊大な態度にも、そして、そんな彼の言葉を真っ向から否定できない自分にも。心の中でそう感じていると、少女のか細い声が耳に入る。

「神楽、だい、じょうぶか」

 神楽は、隣に倒れこんだままの悠紀に顔を向ける。そんな彼女に、神楽は小さく頷いて応えた。

「良かった」

 一言そう言って、悠紀は神楽に不器用な微笑を浮かべた。神楽の心に、不意に罪悪感が湧きあがる。ちっとも良くないよ、櫛夜那さん。ぼくはきみを裏切ろうとした。あの男の誘いに乗ろうとしたんだぞ。だから、こんなぼくに綺麗な笑顔を見せないでくれ――。

 刹那、神楽の視界に黒いピストルの銃身が見えた。先ほど悠紀が取り出そうとしていたそれは、全身を露出させたまま冷たいコンクリートの上に無造作に置かれていた。神楽は、それに手を伸ばす。おや。小田原がにやにやしながら彼の様子を眺めているのにも構わず、神楽はピストルを両手で握りしめ、そのまま小田原の長身の身体へと向き直った。ピストルを小刻みに震わせながら、どうにか固い引き金に指を添える。これが今の自分にできる、櫛夜那さんへの償いだ。神楽はそう感じていた。

「ははっ、なかなかの傑作だな。政府軍の中尉であるこのおれに、ピストルを向けるのか。面白い、撃ってみろよ。そしたらお前も、この女と同じく、あの世行きだぞ。よく後ろを見てみろ」

 そう言われて、神楽は小田原の後ろに控える男たちに目線を投げかける。彼らの銃口は、神楽たちを集中的にマークしていた。もしぼくがここで撃とうとしても、その前にやられてしまう。彼らの握る銃が、小刻みな震えさえも見せずに狙いを定める様子を見て、神楽はそう直感する。彼の口からは、歯と歯が小さな衝突を繰り返す音が、カチカチと短いリズムを取っていた。

「観念するんだな」

 小田原はそう言って、ピストルを持った右手を無機質な天井へと向ける。それと同時に、背後に控えていた男たちの指が引き金に添えられた。そして、その体勢で小田原が口にする。

 やれ。

 その瞬間。地下トンネルの天井に設置されていた水銀灯の白い灯りが一斉に消え、辺りに暗闇が広がった。何だ。どうして急に、トンネルのライトが落ちたんだ。政府軍の男たちの困惑の声だけが、トンネルの中で乱反射する。小田原は、そんな彼らの混乱を抑えようと早口で口走る。

「うろたえるな、おそらく近くの変電所の電源が何かの理由でダウンして……」

「全員、その場から動くな!」

 小田原の発言を、メガホンでも使っているかのような男の低い大声が遮った。神楽も、思わず両手で耳を塞ぐ。

「な、何者だ! 姿を見せろ!」

 小田原は、暗い闇の中きょろきょろと顔を左右に向けながら、どこへともなく声を張り上げる。小田原のこの問いから程なく、男の声がトンネル内に木霊する。

「今ここにいる政府軍の人間全員に告げる。今すぐに、持っている武器をすべて地面に置いて、両手を上げたままゆっくりと後退しろ」

 淡々と告げる男の声は、先程の大声とは打って変わってボリュームが小さくなり、その分話す言葉が鮮明に響いた。

「おれたちには、今この場でお前たち全員を射殺する用意がある。大人しく引き下がれば、命だけは助けてやる。もう一度だけ警告する、軍の人間は今すぐに、武器を捨ててこの場から立ち去れ」

 男の声がそこまで言ったところで、しばし沈黙が流れた。十秒ほど下水の音が流れるだけの状況が続いた後、最初に口火を切ったのは小田原の低く野太い声だった。

「ここまで来て下がれ、だと? ふざけるな! 今更こんなところで、のこのこと引き下がれるか! おれの未来を、クッセエどぶの中に捨てろって言うのか。冗談じゃない! 許さん」

 そう口にする小田原の剣幕に、神楽は思わず固唾を呑む。やっぱり、この男は恐ろしい。そして、その根底に見え隠れする男の欲の深さに、心の中で溜息さえ漏れた。その瞬間、パン、と銃声が響いた。すぐ近くで、ぼろぼろとコンクリートの破片がこぼれ落ちる音を聞きながら、神楽と悠紀は暗闇に慣れ始めた視界の中で、ぼんやりと、しかし激しく揺れ動く黒い人影を目にした。

「おれの邪魔をする奴は全員死ね! 死ね! 死んでしまええええ!」

 小田原がそう叫び声を上げた瞬間、銃声が爆竹のように何発も連続して発生する。神楽は反射的に、両手で頭を押さえてその場に伏せる。やがて銃声が止み、代わって何かが地面に倒れる音がした。つい今し方まで喚いていた小田原は、不気味なほどに静かだった。再び戻って来た一瞬の静寂を、姿も分からぬ男の声が打ち破る。

「今この場においては、おれたちの方が優勢だ。上の奴らに言っておけ。おれたちは、お前たち政府軍が人間を一方的に支配する限り、永遠に存在し続けるとな。ところで、こんな場所でこれ以上犠牲を増やすことは、あんたらの名誉に関わるだろう? 汚い下水道トンネルで兵士を全滅させた上官なんて、そうそういるもんじゃあないぜ」

 男が軽快な口調でそう言うと、すぐに(やかま)しい電子音が辺りに響く。みたび聞いた電子音に混じって、何人もの足音が同時に、一斉に移動する音が聞き取れた。少しの間鳴り響いた電子音が止んだ後も、徐々に遠ざかる足音だけは反響し、やがてそれも聞こえなくなった。

 人の気配がしなくなったトンネルの中で、突如薄く黄色い閃光が発生する。神楽と悠紀はその眩しさに思わず目を閉じる。やがて、神楽はかすかに瞼を開けてちらと黄色い光を再度見つめる。最初は小さい円の形をした光が、辺りに反響する足音と共に、神楽の眼前で少しずつ大きくなる。神楽は、左手に持っていたピストルを再度、光の方角へと構えた。

「おいおい、落ち着け。ピストルを下ろしてくれ。おれたちは、敵じゃない」

 そう口にする男の姿が、光が徐々に大きくなってくるにつれて、神楽の瞳にはっきりと映る。左手に懐中電灯を持った若い男は、神楽と悠紀の一メートルほど前まで歩みを進めたところで、つと立ち止まる。神楽は、持っていたピストルを左手に持ち替えて、ズボンのポケットへと仕舞うと同時に、改めて男の姿を凝視した。赤と白のチェックを基盤とした長袖の上着と紺色のTシャツを纏い、ベージュ色のジーンズを履いた、神楽より少し背が高い男だ。彼は、太い眉と大きな目をバランス良く配置した端正な顔立ちで二人をしばしじっと見つめると、そのまま背後を振り返り、右手で小さく手招きする。

「おい、アキラ、こっちだ」

「分かったーっ」

 男の呼び声に呼応したのは、若い女の声だった。返事が聞こえてからすぐに、男より若く見える童顔で小柄な女が、二人の前に現れる。かすかな化粧に、ヘソのすぐ上までの丈をした黒いシャツと、太ももを半分露出させたダークグレイのミニスカートを纏った彼女は、両手に拳銃を握ったまま、コンクリートの地面に倒れこんだ悠紀に目を向けた。女ははっと目を見開き、少し姿勢を屈める。

「酷い怪我……ユウちゃん、ごめんよ。遅くなって」

 そう言って、アキラと呼ばれた女は目元にうっすらと涙を浮かべた。遅くなって、ごめんね。小声でそう呟く彼女の姿は、衣装や化粧から溢れ出る大人の雰囲気をほとんど感じさせず、むしろ神楽より幼くも見えた。

「見たところ、悠紀の方が酷い怪我だ。悠紀はおれが背負って、車まで運ぶよ。『ハクア』だけじゃなく、『ルイ』も連れてきて、正解だったかもな」

 男は言い終えるやいなや、悠紀の身体に手をかけ、そのまま器用に自身の背中へと彼女を背負い込んだ。神楽が男の背を見ると、一メートル以上はあるだろう、黒く大きな機関銃がちらと見て取れた。悠紀の身体に、固い機関銃が無造作に突き当たる。

「遥、銃が邪魔」

 悠紀が小さな声で口にする。そんな彼女の表情は、落ち着きと安堵を湛えた、穏やかな笑みだった。

「文句言うな。少しの辛抱さ。ところで、きみは介抱なしでも何とか立てるか?」

 遥と呼ばれた男が、神楽に顔を向けて告げる。あっ、はい。神楽は声を裏返らせながら答え、ゆっくりとその場から立ち上がる。その際に、少し肩がちくりと痛んだが、さして障害を感じるほどではなかった。

「大丈夫そうだな。よし、じゃあ移動しようか」

 遥はそう言って踵を返す。その際に、懐中電灯を持った手が一瞬、その場に仰向けに倒れた小田原の亡骸を映し出した。頭部に幾つもの銃創を浮かべた政府軍中尉の遺体は、赤い鮮血と脳の一部を顔中に散らばらせ、憤怒に満ちた表情を神楽たちに向けたまま、白目を剥いて事切れていた。

 うわあっ。神楽の口から甲高い悲鳴が漏れる。それに呼応するように、唐突に吐き気が込み上げ、彼は反射的に口元を右手で押さえた。あんまり見ちゃだめよ。そう言いながら、アキラが神楽の背中をさする。ありがとう。神楽は一言だけ答え、戻しそうになるのを必死にこらえて前を向いた。そのまま、ゆっくりと一歩、また一歩と歩を進める。そんな彼の心の内には、どうしようもない罪悪感が顔を覗かせつつあった。



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