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レイン  作者: 天神大河
#02 淘汰の足音―Rejection
11/15

 トラックが出発して程なく、神楽はふと自分の周囲を見回した。

 トラックの荷室の中は、悠紀の持つ通信機器の携帯画面で照らさなければ、暗闇そのものだ。加えて、段ボールや発泡スチロールの箱、家具などが大小を問わず辺りに置かれているため、トラックがゴトゴト揺れ動く度に、足場や身を置くスペースに苦労する。

 神楽と悠紀は、荷室の奥にぽつんと置かれていた食器棚の裏で、どうにか二人ほどが入れるスペースを確保し、身を潜めていた。薄暗い明かりの中、神楽がちらと悠紀の様子を見ると、彼女はC-Iによく似た通信機器の画面に目を向けたまま、画面下に付属されているボタンを左手で手早く操作していた。

「あっ、あの、櫛夜那さん」

 神楽が上ずった口調で目の前のクラスメイトに話しかける。それに対して、画面から目を離さずに、悠紀は応じる。

「何だ」

「肩の怪我、痛くないの?」

 そう言って、神楽は悠紀の右肩に視線を向ける。ピストルで撃たれた彼女の右肩は、応急措置を施していないまま、赤黒い染みだけが制服の右肘にまで染み出していた。更に右手は、荷室の灰色の床にだらりと置かれたまま、ほとんど動いていない。

 神楽の問いかけに、悠紀はぶっきらぼうに返す。

「痛いに決まってるだろ。けど、弾が掠っただけだ。急所も外してる。放っといて大丈夫だ」

「だけど、手当てを――」

 神楽が言い終える前に、悠紀の持つ通信機器から若い男のはきはきした声が聞こえてきた。

『遥だ。今届いたメールで、大体状況は確認した。そっちは大丈夫か、悠紀』

 不意の通信に、神楽の上半身が一瞬震えた。一方悠紀は、先程神楽と話した時と口調を変えないまま、通信機器の先の男――『遥』に向けて応答する。

「少し肩を掠ったが、特に問題はない」

『そうか……ところで、悠紀の側に誰かいるのか?』

 少し警戒した語気を含んだ遥の発言に、神楽は表情を強張らせた。そんな彼の様子をちらと目にした悠紀は、気にするな、と一言口にして、冷静さを欠かさないまま、遥との通信を続ける。

「依砂鷺神楽、おれの学校の同級生だ。おれを助けたせいで、奴らの巻き添えを食ったんだ。とりあえずはこのまま『向こう』まで連れて行こうと思う。どの道それしか選択肢はないも同然だからな」

『それなら、さっきのメールに一緒に書いといてくれよ……それじゃあ――』

『ええ~っ! 悠紀さんが、お、お、オトコ連れてくるんですかあああっ!?』

 遥の発言を遮るように、幼い少女の興奮した声が、甲高い電子音とともに荷台中に響き渡った。不意の出来事に耳を塞ぐ間もなかった神楽と悠紀の二人は、激しい耳鳴りに襲われる。

『つ、つつ遂に、あの悠紀さんにも、は、春が……! 早くマキナやフミカ、あとアキラさんにも教えなきゃ――』

「知絵か。怒るぞ」

 悠紀は不快感を露にした表情で、頭をがりがり掻きながら吐き捨てる。神楽は、頭の中がぐるぐると混乱する感覚を感じながらも、手の隙間から聞こえてくる二人の会話に耳を傾けていた。

『あ~まあまあまあ。悠紀さんスミマセン。それで本題ですが、C.I.D.の通信記録から解析した結果を言いますと、現在悠紀さんはBT10-57ポイントからBT9-45ポイントの間にいる形になりますね』

 まだそこか。悠紀は一言呟くと、小さく舌打ちした。

『わたしたちはこれから、暫時動き出すところなのですが、どうしますか? 現在のお二人の状況を考慮すれば、プランIが一番確実なものになります。UH4-31ポイントで落ち合う形になりますが、問題ありませんかね』

「それでいい。合流するまでには、どれぐらいかかる」

『今からだと大体二時間程でこっちは到着しますので、悠紀さんの現在の移動ペースなどを踏まえると……お昼の12時をちょっと回ったぐらいになりますねぇ』

 知絵の発言を受け、悠紀は画面内に表示されているデジタル時計の時刻を確認する。午前8時58分――約三時間か。悠紀が小さく溜息を吐いていると、遥と名乗る男の声が通話口から聞こえてきた。

『合流ポイントには、おれとアキラ、ハクアの三人で向かう。アオイさんからの指示だ』

 分かった。悠紀がそう応じる中、神楽は目をはっと見開いた。『ハクア』――この名前は、昨日耳にした記憶がある。どこだっただろう。神楽が思考を巡らせる前に、遥が発言する。

『とりあえず、現状としてはそういう訳だ。また何かあったら、逐一連絡してこいよ。おれたちもすぐに対応する……頑張れよ』

「怪我人に言う台詞じゃねえだろ、それ。じゃ、また後でな」

 悠紀は、少し柔らかな口調で告げると、通信を切った。そのまま、彼女は自分の隣に座っている少年に向き直る。神楽は、そんな悠紀の直視を受け、咄嗟に目線を彼女の喉元に移す。

「話が決まった。おれたちはこれから、この新東京49エリアから脱出する」

 そう口にする悠紀の言葉を受け、神楽は二、三秒ほど両目を白黒させてから、どうにか言葉を振り絞る。

「そんな……これから脱出するって、いくら何でも」

「分からないか? おれたち二人は、政府軍の連中からマークされてるんだ。二度と元の高校生生活には戻れない。あんたがこの先、奴らの目を掻い潜りながら生きていくには、もうおれたちと一緒に進むしかないんだ」

 淡白な悠紀の返答を耳にした神楽は、少しの間をおいて深く息を吐く。そのまま右手を顔に当て、両膝の間に頭を沈めた。嘘だろ。そう呟く彼の瞳は、得体の知れない恐怖感を幾重にも映し出していた。

「そうしょげるなよ。『あれ』がおれたちの世界の実態なんだ。ほんの一個でも、ほんの少しでも、全体と違うものがあれば、徹底的に排除する。それが、たとえ人の心だったとしてもな。そう気がつくことができただけ、まだ幸せな方さ」

 悠紀は、目の前の少年を見つめながら、どこか自信を感じさせるような口調で発言する。対する神楽は、顔に当てていた右手の親指と人差し指の隙間から、悠紀の顔を目にすると、弱々しい口調で問いかける。

「櫛夜那さんは、何か知ってるの? この世界のことも。みんながどうしておかしくなったのかも、全部」

 神楽の目先にいる少女は、真顔で大きく頷いた。

「だったら教えてよ。櫛夜那さんには、世界がどんな風に見えているのかを」

 ……分かった。少し間をおいてからそう答えた悠紀は、神楽と同じように両膝を立てる形で座り直し、首だけを彼に向けて語り始めた。

「まず、おれたちの生活を支えているC-Iは、知ってはいるよな」

 神楽は、両膝から頭を起こし、隣の悠紀へ顔を向けて応じる。

「うん」

「三年前から普及しだした最新携帯通信機器だが、その名前の由来は知ってるか」

「それは……確か『コンプレスト・インフォメーション』だった、かな」

 神楽が、昨日の昼休みの出来事を思い返しながら、少し言葉を上ずらせて答える。彼の答えを聞いた悠紀は、二度短い瞬きをして、神楽の顔に向き直る。

「そうだ。和訳するなら『圧縮した情報』という意味になる。大量のツールとネット環境を仕込んだ上で、より小さくなった通信機器の特徴をそのまま表したものだ。だが、そいつは政府にとってそんな単純な代物じゃない……奴らは、C-Iを媒介にして、おれたち人間を『支配』しようとしているのさ」

 この言葉を受け、神楽は悠紀の発言を反復する。支配?

 そうだ。悠紀は目線を正面にある食器棚へ向け、言葉を続ける。

「『画一化』――そう言った方が正しいのかもな。どういう目的かは分からないが、政府の連中はC-Iをとおして国民のほぼ全員を洗脳して、その人間本来の人格や個性、尊厳を潰し、あるべき未来を奪った。さんざん奪い尽くして、空っぽになった人間には『服従』という選択肢だけが残される。そうして、否応なしに奴らの思い通りに操られるマリオネットにされる。これが現実だ」

 神楽は、目の前のクラスメイトの少女の発言に衝撃を受けた。洗脳? マリオネット? そんなことが、あり得るのか? 政府がぼくたち国民を洗脳して、操り人形にするだなんて。正直な話、とても信じられない。神楽がそう強く感じる中、彼の脳内に犬飼の言葉が、幾度も繰り返し反芻される。

――今、この世の中はあの女のように『従属』することのみに生きている人間がほとんどだ。

――そんな連中が世の中を操り、蹂躙する。自分が生きる意味も考えずに、だ。悲しいものだな。

 そういえば、犬飼さんも彼女と同じことを言っていた。あの人も、何かを知っているのだろうか?

「今の話、すべて信じろとは言わない。ただ、この国の実像は、神楽が考えているほどキレイなものじゃないということは、知っておいた方がいい」

 そこまで言って、悠紀は長い溜息を吐く。ふと、隣に座っている神楽へと顔を向けると、彼は少し目を伏せ気味にしつつ、顔を小さく左右に動かしていた。急に耳にした現実に、少なからず戸惑っているようだ。

 無理もないか。悠紀は、心の中で誰にでもなく呟く。

 ほとんど話したことのないクラスメイトから、こんな取り留めのない話を真実だと聞いて、ぜんぶ鵜呑みにする奴はまずいないだろう。悠紀自身も、このことは承知の上だった。

「今の話だけど、櫛夜那さん」

 神楽がゆっくりと、乾いた唇を動かす。

「櫛夜那さんが言ったことが、もし事実だとしたら、その……政府は、どうやってぼくたちを洗脳しようとしているんだろう? この国の人口だけで考えても、一億七千四百万人はいるのに。いくらC-Iを媒介にするって言ったって、国民のほぼ全員を操るのは現実的に考えても無理があるんじゃ」

 そう問いかける神楽の額から、一筋の冷たい汗が静かに流れ出す。それを制服の袖でさっと拭うと、彼はあらためて悠紀へ顔を向ける。彼女は、左手に持った自らの通信機器を、床の上で小さく一回転させて答える。

「C-Iをはじめとして、公共の電波やテレビ、ありとあらゆる場所から人間には聞こえない、特殊な音を発信しているんだ。二十四時間、四方八方から絶え間なくターゲットの脳内へ音を発信し続けて、常に洗脳を行っているんだ。あっちへ進め、こう言われたらこう喋れ、一時間後にはこの場所にいろ、って具合にな。神楽もさっき聞こえたろ。電車内で響いたあの甲高い電子音、あれがそうだ。不特定多数の人間に強力な命令を促すときに、あのプログラム『レイン』は初めて肉声を出すのさ」

「『レイン』?」

 『レイン』――その単語を耳にした神楽は、悠紀の発言を反復する。

「さっき話した、音を使って人間を操る仕組みを、政府の奴らはそう呼んでいるのさ」

 悠紀がそこまで言い終えると同時に、トラックの速度が急速に落ちていき、程なく停車した。神楽は、荷台の周囲をきょろきょろと見回しながら呟く。

「見つかったのかな。あいつらに」

「さあな。信号で止まっただけかもしれないし、あるいは検問かもな」

 悠紀が、不敵な笑みを顔いっぱいに浮かべる。その表情には、怪我をしているとは感じさせないほどの余裕があった。

「いずれにせよ、今の状況はおれたちに不利であることに変わりない。とりあえず落ち着け」

 悠紀に促され、神楽は不安な気持ちを抑えきれないまま、隣に座る少女へ向き直った。

「音で人間を操るだなんて……まだ信じられない」

「言ったろ、信じる必要はないって。ただ、音を使って人間を操ろうとした例はある。例えば、第二次世界大戦時のヒトラー。演説のときにワーグナーの音楽を使って、自らの講演に演出を加えることで、聴衆を強く惹きつけたらしい。他にも、照明や演説のパターン、講演時間など洗脳を進める要因はいくつかあったようだけどな」

 悠紀がそこまで言ったところで、荷台中に低いエンジン音が響き出し、トラックがゆっくりと動き出す。どうやら信号か何かで一時停止しただけだったようだ。神楽は、小さく安堵の溜息を吐く。

「ところで、だ」

 悠紀がずい、と神楽へ身体を近づける。神楽は、思わず半身を後方へ引き、口を真一文字の形にした。そんな彼に構わず、悠紀は続ける。

「さっきも言ったが、おれたち二人は、これからこの新東京49エリアから脱出する。それと同時に、今まで見知ってきた家族も、友達も、全員がおれたちの敵になる。だから、ここから先はすべてを捨てる覚悟が必要になる」

 目の前のクラスメイトの発言を聞いて、神楽は息を呑んだ。新東京49エリアからの脱出。それがどういう意味を持つのかを、あらためて認識させられる。悠紀は、そのまま左手でピースを作り、神楽の前に差し出す。

「神楽、今あんたには二つの選択肢がある。おれと一緒にこの世界に戦いを挑むか、それともどうにかこの都市に残る方法を見つけ出して、元の生活を取り戻すか。そのどっちかだ」

 悠紀は、真顔のまま瞬きをせずに続ける。

「神楽、あんたはどちらを選ぶ?」

 語気を強めた真剣な問いかけに、神楽は乾いた唇を一度舐めてからゆっくりと言葉を返す。

「それは……今はまだ、はっきりどちらとは言えない」

 神楽の言葉に、悠紀は口から小さく息を吐く。ただ――目の前の少年が、さらに言葉を続ける。

「ただ、一刻も早く元の生活に戻ることができるとしたら、ぼくはその、どちらでも――」

「甘いな」

 悠紀は、左の手のひらを冷たい床の上に置いて、眼前の少年の発言を一蹴する。神楽が次の言葉を探るその前に、少女は濃紺色の瞳を神楽へと続ける。彼女の目つきは、虚構を一切受け入れるつもりはないと言わんばかりの鋭さを湛えていた。

「そんな半端な気持ちで、元通りの生活がちゃんと返ってくるなんてことはあり得ない。しかも、国民のほぼ全員が『レイン』によって政府の操り人形と化している今の時代だ。神楽、はっきりと答えを言え。あんたの答えと今後の状況次第では、おれはお前を敵として認識しなければいけなくなるからな」

 悠紀の棘のある言葉に、神楽は二の句を言えずに、ゆっくりと口を閉ざす。

 もう迷いは、許されないのか。神楽は心の中で重々しく呟いた。

 先ほど悠紀が口にした選択肢を、神楽は再び思い返す。これまでの生活を取り戻す方法を探すか、それともこの世界に戦いを挑むか。どちらも、決して楽な道のりでないことは火を見るより明らかだ。だけど、どちらかを選ぶしかない。二つの相反する選択肢が、神楽の脳内を目まぐるしく駆け回る。

 そんな時、悠紀が不意に甲高い呻き声を上げ、右肩に素早く手を当てた。神楽が反射的に顔を向ける。

「どうしたの、櫛夜那さん!」

 肩が。そう弱々しく口にする少女の右肩に目をやると、薄明かりの中に浮かぶ傷口から赤黒い血が滲み出しており、その周囲には肉を抉り取ったような跡がわずかだが見て取れた。

「どうしよう、どうすれば」

 神楽があたふたと目線を左右へ動かす。学校の救命講習で学んできた心臓マッサージや人工呼吸、止血の仕方の記憶が、神楽の中で幾度もフラッシュバックしては泡のように弾ける。加えて、銃で撃たれた人間を初めて見たことも相まって、どのように処置をしてやればいいのか分からない。

 こんな時に、ぼくはなんて無力なんだ。神楽は唇を強く噛みしめる。そんな彼の目元には、うっすらと涙が浮かんでいた。

「神楽、落ち着け」

 悠紀が荒い息混じりに口にする。さらに、彼女はそのまま続ける。

「何度も言っただろ、掠っただけだから平気だって」

「でも、櫛夜那さん」

 それに――悠紀が、強い語気を込めた言葉で、神楽の発言を遮る。

「どうやらこの先、いちいち泣き言も言っていられなさそうだからな」

 悠紀の発言に、神楽は困惑する。何のことだろう。そう思っていると、トラックのエンジン音が急に小さくなって行くのが聞き取れた。神楽ははっとしたように顔を上げると、小さく辺りを見回す。そんな彼の様子を見て、悠紀は左手側に置いていた通信機器に目を向ける。画面上には、詳細な地図が一面に表示されており、地図の中心にある小さな赤色の円が短い明滅を繰り返していた。

「この辺りは、市街地の大通りのど真ん中だ。信号もそう多くない。神楽。ここ最近SSLが浸透してきて、渋滞もほとんど緩和されてきたこの大通りで、引越しのトラックがわざわざ止まる理由が何か、分かるか」

 神楽は、数拍ほど間を置いてから小さく頷いた。悠紀の言いたいことが、彼には容易に想像できた。その答えは、できれば起きてほしくはなかった、最悪の状況そのものだ。神楽の返事を目にして、悠紀は自らの通信機器をスカートの左ポケットに仕舞い、代わりに黒いピストルを左手に強く握る。そのまま、荷台の出入口へと顔を向けた。

 やがて、トラックが音もなく静止し、間もなく荷台の両開きのドアが外に向かって開け放たれた。その先には、引っ越し業者の服を着た若い男と、壮年の男が無機質な表情をして立っていた。おそらくは、この引越し用トラックを所有する業者の人間だろう。神楽は、恐怖感に支配されつつある頭の片隅で冷静に分析する。

「目標、発見」

「目標、捕捉する」

 そう言って、二人の男はトラックの荷台に足を踏み入れた。じりじりと足を近づける男たちを前にして、悠紀は左膝を床に付け、右手でピストルを軽く支えながら、はきはきと口にする。

「ごめんな。神楽」

 えっ。不意の発言に、神楽は思わず悠紀に目線を向けた。クラスメイトの少女は、肩まであるセミロングの黒髪を左右に揺らしながら続ける。

「あの小田原とかいう政府の犬が言ったことさ。『お前も、おれと同じ犯罪者だ』ってヤツ。あれは、今朝電車の中でおれを助けた時に、神楽自身も奴らから不穏因子として認識されたことを言っていたのさ。つまり、あんたはおれの巻き添えを食ってこんな目に遭っている、ってことだ。だから神楽、本当に――」

「櫛夜那さん」

 神楽は静かに立ち上がると、荷台の中で家具や段ボールを避けながらゆっくりと近づいてくる男たちへと顔を向けた。

「正直ぼくは、まだどちらを取るか迷ってる。櫛夜那さんが言ったように、もしかしたら敵として対立することになるのかもしれない。だけど、ぼくはもう、失いたくないんだ。大切な、友達を」

 そこまで言ったところで、神楽の脳裏に瀬崎の姿が浮かび上がる。瀬崎とともに一緒に浮かび上がる記憶は、すべて楽しい出来事ばかりだった。神楽は、そんな記憶を再び埋めていくかのように、頭を小さく左右に振る。

「ぼくは、この世界で今何が起きているかを知りたい。真実を、この目で見たい。だから櫛夜那さん、今はきみと一緒に居させてくれ」

 神楽の力強い言葉に、悠紀は小さく頷いた。そんな彼女の紺の混じった黒い瞳は、引越し業者の男たちへと照準を定めていた。そのまま、悠紀はピストルの引き金を引く。

 乾いた音が荷台中に響くとほぼ同時に、若い男の右の太腿に弾丸が命中する。さらに、少女は矢継ぎ早に次を構え、二発目を発射した。壮年の男も、右膝を両手で押さえながらその場に(うずくま)る。

「今のうちだ、ここを出るぞ」

 悠紀はそう言って立ち上がり、彼女から見て左後方に立っていた少年に顔を向けた。神楽も、彼女に倣って後方から歩を進め、荷台から外へと脱出する。数十分ぶりに目にした大通り、ビル群の景色は、もはや神楽にとっては憂惧(ゆうぐ)の象徴であり、無意識に両手が小さく震えた。神楽は、両腕を前後にぶんぶんと振ることでそれを抑え、大通りを横切って悠紀の後を追いかける。

「神楽」

 後ろにいる神楽に顔を向けないまま、悠紀が告げる。

「これからおれのことは、名前で呼べ。『悠紀』だ。いいな」

「えっ、そ、そんな、いいよ、櫛夜那さん」

 神楽は、悠紀の発言に少し耳を紅潮させながら返す。対する彼女は、小さく息を吐きつつも、足を進めるのを止めようとはしなかった。

 何気なく、神楽はちらと大通りの周囲を歩く人々に目を向ける。彼らの表情には、普段目にするありふれた感情とはまったく異なる不気味さがあるように、少年には感じられた。




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