第四章 加速する研究
半年後。
M-cellの試験が始まって6か月が過ぎ、研究所の一角は以前とは別の場所のようになっていた。
実験室は4室に増えた。
人間用の分析室。RISEが動かす自動実験室。長期試験専用室。そして、シミュレーション結果をすぐ実物で確かめるための小型試験室。
4室は24時間稼働していた。
人間が帰宅しても止まらない。
ただし、人間を待たずに勝手に結論を決めることもなかった。
夜の間に候補を増やし、朝になると晶たちの画面に「判断待ち」が並んだ。
その朝は187件だった。
「多い。優先順位は?」
晶はコーヒーを置いた。
《安全性、情報価値、次工程への影響で順位付け済みです》
「じゃあ上から」
1件目。M-cellの外殻に微細な亀裂が出る条件。
2件目。2万個以上を接続したときの通信遅延。
3件目。生体模擬組織に接触した際、表面の界面形成が一部遅れる問題。
晶は3件目で止めた。
「これは先にする」
《理由を記録します》
「生体接触は性能より安全を優先。2万個の遅延は動作を遅くすれば済むけど、界面形成の遅れは待ってくれない」
《優先順位規則に反映しますか》
「候補に入れて。品質管理と安全管理の担当者にも見てもらう」
《了解しました》
こうしたやり取りが、日に何度も続いた。
研究速度が上がるほど、人間側の判断が減ると思っている研究員もいた。
実際には逆だった。
判断する回数は増えた。
ただ、一つの判断に必要な調査時間が大きく減った。
MIRAとRISEが、選択肢と根拠と不確実性を揃えて持ってくる。
人間側は、どの不確実性を許容し、何をやり直すかを決める。
研究の形そのものが変わり始めていた。
加速試験も変わった。
従来なら、温度を上げ、湿度を上げ、一定時間後の劣化を見る。
RISEは、まずM-cellが壊れる原因を分解した。
界面層の変性
金属相の偏析
電解質の蒸散
制御素子の疲労
M-cell間通信のずれ
それぞれに別の加速条件を設定し、シミュレーションと実測を往復する。
実使用1年に相当すると確認できた条件だけを次へ進める。
対応が崩れた条件は捨てる。
速くするために乱暴にするのではなく、時間のかかる現象を細かくほどいて、並行して調べる。
《劣化機構C-17について、30年相当の推定範囲を得ました》とRISEが表示した。
「実測は?」
《実時間6か月までの範囲では、予測値と一致しています。誤差幅は4.1パーセントです》
「まだ6か月しか実測していない。30年先まで正しいとはまだ言えない」
《はい。現時点で実測により確認できているのは6か月までです》
「分かってる」
《念のためです》
「そこ、MIRAに似てきた」
《MIRAの評価規則を一部継承しています》
「性格も?」
数秒、表示が止まった。
《性格の定義が必要です》
「やめとこう。長くなる」
MIRAが《同意します》と返した。
M-cellは、1万個の群で切断後に再集合できるようになった。
銀色の薄い膜を中央で二つに切る。
左右が少し縮む。
端にいるM-cellが近傍の電位差と濃度勾配を読み、同じ識別信号を持つM-cellを探す。
細い突起が伸びる。
触れる。
接続が広がる。
境界が消える。
膜がほどけて接続が解かれる。
初めて完全に個々のM-cellに戻ったとき、実験室にいた全員がしばらく黙った。
「もう1回」
晶が言った。
《同条件で再試験します》
二度目も戻った。
三度目も戻った。
10回目まで結果は同じだった。
安全管理の担当者が腕を組んだ。
「生き物みたいに見えますね」
「見えるだけ。今はまだ違う」
晶は銀色の膜を見たまま言った。
「外から決めた規則で動いてる。エネルギーも外部供給。増えない。目的も作らない」
MIRAが続けた。
《生物の定義には複数ありますが、現状のM-cellを生物と分類する根拠は不足しています》
「じゃあ何が足りない?」
晶の独り言に、MIRAがすぐ答えた。
《定義によって異なります。代表的には、代謝、恒常性、自己複製、適応、進化、刺激応答、境界、情報継承などです》
「自己複製は入れない」
《既存の安全条件と一致します》
「進化も勝手にはさせない。でも、代謝と恒常性は使えるかもしれない」
RISEが新しい案を開いた。
《周囲からエネルギーを受け取り、内部状態の維持に使う機構であれば設計可能です》
「生物をまねる、じゃなくて、生物が使ってる仕組みを借りる」
《その表現が適切です》
その日、M-cell研究の中に新しい研究系統が追加された。
研究目的の欄には、こう記された。
『非生物材料による生命機能の再構成』
M-cellは生物ではない。だが、研究はすでにその境界を見始めていた。




