第三章 M-cell
《Research Integration and Simulation Engine》
《Distributed Materials Development System》
《Adaptive Research Synthesis Unit》
新しい研究AIが出した名前の候補は、どれも長かった。
略称だけを並べ直すと、RISE、DMDS、ARSU。
晶は一番上を指した。
「RISEなら呼びやすい。自分ではどれがいい?」
新しい研究AIの白い機体の胸元にある表示灯が一度点滅した。
《RISEを選択します。研究統合機能を示し、呼称としても短いためです》
「じゃあ、RISEで」
《登録します》とMIRAが返した。
《研究AI名称、RISE。以後この名称を使用します》
「よろしく、RISE」
《よろしくお願いします、晶》
RISEの最初の仕事は、M-731を一塊の可変相材料として扱う方法から、微小な単位が協調して働く構造へ発展させることだった。
M-731がRISEの白い指型パーツを薄く覆い、関節が曲がっても剥がれず、RISEの手の動きに沿って形を変えるところまでは成功している。
しかし、一つにつながった材料全体を外部から細かく制御し続けるには限界があった。
広がれば広がるほど、どこで何が起きているのかを中央で把握するための情報が増える。
RISEがモデルを表示した。
《関節表面を覆うM-731の厚みを均一にする必要はないと考えます》
「理由は?」
《負荷が均一ではないためです。曲げ応力の高い場所は厚くし、伸縮が必要な場所は薄くする方が効率的です》
「その制御は?」
《材料自身に局所判断を持たせます》
晶はすぐに首を振った。
「判断って言葉はまだ早い。何を入力にする?」
《圧力、温度、電位差、伸長率、近傍の材料密度です》
「それは局所応答。ルールを決めて反応するだけ」
《訂正します。材料に局所応答則を持たせます》
「それで試そう」
MIRAが別のモデルを重ねた。
《局所応答だけでは全体形状が崩れる可能性があります。全体の形状情報も残した方がよいです》
晶は壁面ディスプレイに小さな円をいくつも描き、その外側を大きな円で囲んだ。
「一つにつながった材料を全部まとめて制御するより、細かい単位に分けた方がいいかも」
《物理的に分割する、という意味ですか》
「そう。小さい単位がそれぞれ反応して、集まったときに全体として動く」
MIRAとRISEが、ほぼ同時に反応した。
《利点があります》とMIRAが先に言った。
《一部が損傷しても、全体を失いにくくなります》
RISEの表示領域にも文字が現れた。
《単位ごとに異なる機能を持たせることも可能です。導電、接着、硬化、感知などを分担できます》
「全部同じじゃなくていい。役割が違っても、集まったときに一つとして働けばいい」
画面上に、それまで別々に扱っていた研究分野が並び始めた。
細胞膜。コロイド。磁性粒子。液体金属微粒子。自己組織化ポリマー。細胞接着。粘菌の走化性。群ロボットの分散制御。
晶は「粘菌」という文字で目を止めた。
「アメーバみたいなもの?」
《厳密には異なりますが、外部刺激に応じて形を変え、集団として振る舞う生物の例として参考になります》
「生物そのものを使うわけじゃないよね」
《はい。必要なのは、生物が実現している仕組みです》
晶は壁面ディスプレイに描かれた小さな円を見た。
「じゃあ、材料側を細胞みたいな単位に分けるのは?」
《可能です》
RISEが新しいモデルを表示した。
直径0.6ミリの球状体。
中央に微小な制御素子。
その周囲に電解質層。
外側にはM-731由来の可変相金属。
表面には、接触対象によって構造を変える界面層。
一つだけなら、銀色の小さな粒にしか見えない。
しかし、数が増えれば互いに接続して群となり、膜にも立体にもなれる。
「今までのM-731を、そのまま小さくするわけじゃない?」
《はい。微小単位ごとに機能を持たせるため、内部構造を再設計します》
晶はモデルを拡大した。
「呼び方が必要かな」
《仮称を設定しますか》
晶は少し考えた。
「セル」
《Cellですか》
「本物の細胞じゃないのに、細胞だと誤解するかな?」
《研究段階の内部呼称であれば問題は小さいと考えます》
「じゃあ、とりあえずセルで」
その日の記録に、初めて「M-cell」と記された。
研究用の仮称だった。
最初のM-cellが完成したのは、それから3か月後だった。
まず1個。
次に100個。
そして1,000個。
晶は顕微鏡越しに、銀色の粒が作業皿の中でゆっくり位置を変えるのを見た。
外部電場に従って移動する。近づく。接触する。接続する。
触れただけでは群にはならない。互いに接続したM-cellが、一つの群として協調して働く。
《1,024個の接続を確認しました》とRISEが表示した。
M-cell同士の境界は肉眼では見分けにくく、人間には群全体が水銀のようにわずかに揺らぐ、銀色の一つの金属体に見えた。
「切断」
細いレーザーが銀色の膜を二つに分けた。
切断面がわずかに震えた。
左右の膜は離れたまま動かなかった。
「戻らない」
《現在の規則では、近接するM-cell同士の再接続は行いますが、離れた群を探索する機能はありません》
「じゃあ、次はそれ」
《探索方法を検討します》
晶は顕微鏡から目を離した。
失敗という感じではなかった。
足りないものが一つ分かっただけだった。
「MIRA」
《はい》
「こういうとき、人間は失敗って言うかも知れないけど、MIRAはどう思う?」
《目的に対しては未達です。ただし、次の設計に必要な情報は得られました》
「私も同じ」
《晶もそう考えていますか》
「だいたい」
晶は切断された二つの銀色の群を見た。
それぞれの中では、粒同士の接続が保たれている。
一つだったものが二つに分かれた。
まだ、自分から戻ってくることはできない。
「戻ってくる方法を考えよう」
《三者で》とRISEが表示した。
晶は少し笑った。
「三者で」




