第二章 新たな研究者
翌朝、晶とMIRAがまとめた案は、研究所の会議資料になった。
タイトルは「共同研究AI構築計画」。
会議室には、材料研究部、品質管理、安全管理、法務、経営企画の担当者と、研究開発部門の責任者が集まっていた。
MIRAは会議室のスピーカーを通じて参加し、資料を壁面ディスプレイに表示している。
《現在の研究速度を制限しているのは、主に物理現象そのものに必要な時間と、人間が確認すべき判断点です》
壁一面に工程図が表示された。
試薬の調達。長期安定性。培養試験。機械的疲労。量産条件。安全性評価。人による判断。
品質管理の責任者が画面を見た。
「人間側の判断は減らすんですか」
《いいえ。判断が必要な場所は残します。その前段階にある探索と比較を並列化します》
「判断材料を早く揃えるためにですか?」
《はい。人間側が判断する前に、選択肢を網羅的に比較・検証します》
晶はうなずいた。
AIに決定を丸投げするのではない。人間側が一つずつ調べる必要もない。
互いに得意なところを受け持つ。
それなら、今までMIRAと続けてきたやり方の延長だった。
画面が切り替わった。
《時間短縮の中心は、加速試験の再設計です》
「加速試験なら、すでに行っています」
品質管理の責任者が続けた。
《はい。ただし既存の方法では、人間が想定した劣化機構を先に決めています》
「それ自体は必要です」
安全管理の担当者が言った。
《同意します。想定を外すのではなく、候補となる劣化機構をより広く探索します》
温度。湿度。圧力。放射線。電位差。機械応力。化学環境。
条件の組み合わせが画面に広がった。
《計算結果と実測を逐次照合し、実使用との対応が成立しない条件は除外します。成立する条件だけを使って、複数の劣化要因を並列に検証します》
晶が工程図を見た。
「長期試験そのものを無理に縮めるわけじゃない?」
《はい。時間をかけて確認すべき試験は残します。その一方で、原因ごとに切り分けて先に検証できるものを増やします》
法務担当が資料をめくった。
「現実の長期試験は残る、という理解でいいですか?」
《はい》
晶は次のページを開いた。
「新しい研究AIの役割は?」
《材料設計、毒性評価、自己組織化制御、製造工程設計を主機能とします。必要に応じて、測定方法そのものも提案します》
経営企画の担当者が身を乗り出した。
「測定器まで作るのか」
《既存装置で測れない現象が出た場合は、その可能性があります。ただし、設備製作は人間側の承認後に実行します》
「そこまでできれば、待ち時間はかなり減りそうですね」
晶は研究開発部門の責任者に向けて言った。
「研究方針と安全条件は、これまで通り人間側で決めます。探索と比較の速度だけを上げたいです」
「分かりました。安全管理と法務の条件を付けて進めましょう」
会議の空気が少し緩んだところで、MIRAが新しい図を出した。
《もう一点、提案があります》
「何?」
《研究AIだけでなく、実験操作を行う専用機も同時に設計します》
画面に白い機体が現れた。
2本の腕。多関節の指。複数の光学センサー。内部には小型分析器。背面には交換式のモジュール。
顔はない。
《既存の研究設備は人間が使う前提で配置されています。設備をすべて作り直すより、人と同じ空間で同じ器具を扱える構造にする方が効率的です》
「それで2本の腕?」
《はい。移動方式については車輪式も比較しました》
「結果は?」
《段差、階段、既存設備へのアクセスを含めると二脚が有利でした》
晶は図を見た。
「人型にする意図ではない、と」
《はい。既存設備との互換性を優先した結果です》
その話はそこで終わった。
機体の形そのものが研究目的ではない。M-731の試験を、より速く、より多く、より安全に行うための道具だった。
その日の午後、計画は条件付きで承認された。
安全領域から外へ出す場合は追加承認を行うこと。
材料の自己増殖機能は実装しないこと。
物理操作には独立した停止系を設けること。
研究ログを保存すること。
MIRAは条件を一つずつ確認し、いくつかには自分から追加条件を出した。
「そこまで厳しくするんだ」
《新しい研究AIの性能を正確に評価するには、最初の境界条件を明確にしておく方がよいです》
「なるほど。じゃあ、そのままで」
設計が始まった。
ソフトウェアの候補は短時間で更新されたが、物理的な機体はそうはいかない。部品を作り、組み、動かし、止め、また調整する。
3か月後。
晶は再びガラス越しの実験室に立っていた。
以前は細いアームだけが動いていた部屋を、人の背丈ほどの白い機体が歩いている。
動きはまだ少しぎこちない。
「歩き方、まだ研究者っぽくない」
《研究者らしい歩行の定義がありません》
「そこは真面目に返さなくていい」
《了解しました》
白い機体が作業台の前で止まった。
その前には、M-731の銀色の滴が置かれている。
機体の右手から細い電極が伸び、滴に触れた。
《新しい研究AIが試験手順を説明します》
ディスプレイに、MIRAとは別の表示領域が開いた。
《目的は、M-731と機械構造の協調制御です。右手表面へ展開し、関節運動に追従できるか確認します。実行してよいですか》
晶は安全条件を確認した。
「OK。スタート」
銀色の滴がゆっくり平たく広がり、センサーを内蔵した白い指の表面を登り始めた。
第一関節を越え、第二関節へ進む。
白い指が曲がった。
銀色の層も、それに沿って滑らかに曲がった。
《界面剥離なし。導電性も許容範囲内です》
「思ったよりいい」
《同じ評価です》
声はない。文字だけだった。
それでも晶には、初対面の研究者と同じデータを見ているように思えた。
「ところで、名前は?」
《未設定です》と新しい研究AIが表示した。
「MIRAが付ける?」
《共同で決めても構いません。ただ、起動した研究AIにも候補を出させることを提案します》とMIRAが答えた。
晶は白い機体を見た。
「それがいい。ずっと呼ばれる名前なら、自分の案もあった方がいい」
《では、試験終了後に三者で決めましょう》
「三者?」
《晶、私、新しい研究AIです》
「分かった。三者で決める」
銀色の層が白い手の甲まで広がった。
研究所に研究者が1人増えた。
晶にとって、人間かどうかは大した違いではなかった。




