黙れやがれくださいませ。
「今週の朝刊小説読んだ?」
「えぇ、今日から新章に入るようね。タイトルからして笑ってしまったわ……」
「「「ポメラニアン番の公爵夫人!!」」」
「きっとこれって……」
「お邪魔虫夫人のことよね……」
「これからどうなるのかしら……」
「「「続きが気になるわねぇ~!」」」
***
「そういえば……あの女、今頃何してるのかしら。」
「あの女……ですか?」
翌朝――
作品を書き終えてからいつの間にか寝てしまったコレットは急いで本邸に戻ると、アリスの元へ向かった。
「そう……あの地味女よ。そろそろ根を上げて乗り込んで来ると思っていたのだけど……」
「はぁ……乗り込んでくるんですねぇ……」
ここに来てからわかったことがある。
アデラールには、コレットの前に婚約者や妻が何人もいたということだ。
しかし、わかったのは“いた”ということだけで、その人たちがどこの誰なのか、なぜ別れたのかまではわかっていない。
「そうなのよ。何でも離れ暮らしが嫌なんですって。それにわたくしに暴力を振るったりするのよ?最悪だと思わない?」
「はぁ……」
アリスの言葉に、アレットは短く息を吐き出すことしか出来ない。
(住めたところじゃないものね……食べるものもないし……)
離れと聞けば聞こえはいいが、着いてみれば藁が置いてあるだけの物置小屋だ。
貴族令嬢には荷が重いだろう。
(私だって……胡椒がなければ今ごろ……)
コレットは身体をブルっと揺らした。
(……まぁ、何とかなったと思うけど)
それよりもその前の奥様たちがどこに行ったかの方が気になる。
(ハスキーとポメラニアンにはとことん私の作品のネタになっていただかないと……)
アレットは手を止めず、アリスと視線を合わせないようにしながら、さり気なく言葉を投げかけた。
「それは、大変でしたね……前の奥様は一体どちらに?」
「それは……」
アリスはそこで一旦区切ると、視線を逸らしてふふっと小さく笑う。
「まっ、いいじゃない。そんなこと……それよりも今日の夜会のことを考えましょ?」
(取ってつけたような敬語のことも考えて欲しいけど……)
アレットは言葉を飲み込むと、アリスの顔に化粧を施していく。
「そうですね。では、目をつぶってくださいませ。」
「せっかくの夜会だから派手にしてちょうだいね。」
「承知いたしました。」
アレットは化粧を取り出し、チラリとドレスを見た。
(今日は深紅のドレスなのね……)
赤いドレスには大きなスリットが入り、胸元は開放的なデザインとなっている。
歩くたびに太腿や谷間が覗き、目のやり場に困ってしまう。
(まるで夜の蝶が着るみたいね……酒場で男たちをもてなす女性が着ていそうだわ……男性はこういうのが好きなのかしら……)
「ふふっ……そんなに見たってあなたには似合わないわよ?」
(こっちから願い下げだわ……)
アレットはアリスの言葉に反応することなく、そのまま化粧を続けた。
ファンデーションを顔全体に塗ると、目尻にグレーのアイシャドウを乗せていく。
「ちょっと……それ、濃すぎない?」
アリスは鏡でチラリと自分の姿を見ると、不安そうに顔を顰めた。
「いえ、このくらいの濃さがあってこそ……このドレスが映えるかと……」
「でも……浮いているようにしか見えないのだけれど……」
「いいですか?化粧はすぐに終わらないのです。重ねていくのにも順番というものがあるのでございます。ですから黙れやがれくださいませ……。」
「えっ……!?」
(しまった……つい、本音が……)
コレットは何事も無かったかのように微笑むと、アリスの顔をクイッと持ち上げた。
「ほほほほほ……このまま目元を完成させましょう。」
1本の細い筆を持つと、黒い液体の入った瓶に筆を入れた。
これはアレットが自分の侍女としての役割を手に入れるために作ったお手製化粧品の一つだ。
離れの近くに落ちていた木を燃やし、炭になった物を乳鉢でゴリゴリと細かく砕いた。
そこに香油と糊を混ぜたら完成だ。
「そ、それを使うの?」
「はい、もちろんです。お嬢様。今回は妖艶なアリスお嬢様となられるのですから、このくらいしなくてはならないかと……」
アレットはヘラで少し伸ばしてから筆に黒い液体をつけた。
「目をつぶっていてくださいませ。」
アレットの有無を言わさぬ一言に、アリスも目を瞑る。
そして、筆を目元に当てると、一息に線を引いた。
(いい感じね……)
アレットはアリスから身体を離し、顔全体が見える位置に立つと、左右の目を交互に見た。
「アリスお嬢様。一度目を開いてくださいませ。」
アリスはアレットの言葉にゆっくり目を開けると、鏡越しにもう一度自分の顔を見た。
「なんだかいつもより目が大きいような……」
アイラインを引くだけで、目元の印象はぐっと変わる。
目も一回り大きく見えるのだ。
だが、アリスはそのことに気づいていなかった。
「はい……まだこちらは途中ですが……これからもう少し妖艶な女性に仕上げていきましょう。」
二重になるように細く糊のついた糸を目頭にのせ、分かりにくいように金のラメをまぶたの上に散りばめていく。
「完成……?」
アリスは我慢ができないのか、首を横に倒した。
「いえ、まだです。顔を動かさないでくださいませ。」
アレットがアリスの顔の位置をグイッと戻すと、今度は小さめのスプーンを取り出した。
刹那――
ボォォーー!!
アリスの部屋に赤い小さな炎が灯る。
「な、なに……!?」
「化粧をするために大事な工程です。怖いのでしたら黙っていてください。」
アレットは炎をスプーンに近づけた。
そして、熱くなったことを確認すると、今度はアリスのまつ毛にスプーンを当てる。
「ふぅ~上手くいったわ……」
すると……先程まで下がり気味だったまつ毛が、くるんと上を向いていた。
それから、黒い液体を一本一本まつ毛に塗っていけば、目元は完成だ。
(これが一番大変なのよね……)
コレットは黒い液体が肌につかないよう、慎重にまつ毛に塗っていく。
「ここまで来ればあと少しですよ。」
仕上げに頬に濃すぎないチーク、ドレスと同じ色の紅を唇に乗せた。
「はい、完成です。目を開けてくださいませ。」
コレットの言葉を合図に、アリスは恐る恐る目を開けて、鏡の中の自分を見つめた。
「えっ……と……?これ……わたくし、なの?」
「そうです。さすが私ですね。芸術的ですわ。」
綺麗にできた化粧に思わず賞賛を送ると、アリスがすかさずツッコミを入れる。
「それはわたくしのセリフでしてよ。それより……あなたも準備していらっしゃい。ドレスはそこのものを使って。くれぐれも地味にするのよ?」
アリスは自分の顔に満足したのか、自分の顔から視線を逸らすことなく、ドレスを指さすと、アレットに着替えるよう指示を出した。
その先には――
流行から少し遅れた、首元が隠れるタイプの赤みがかったブラウンのドレスが一枚ぶら下がっていた。
(なるほどね……)
アリスの引き立て役でしかないらしい。
「承知いたしました。」
アレットは口角を上げて微笑むと、ドレスを手に取ってそのまま部屋を後にした。
(せっかくだし……楽しんじゃいましょ。)
「わたくしはアディと先に行くから、あなたは後から来てちょうだいね?」
扉越しにアリスが何かを言っていたが、アレットの耳には届いていなかった。




