満月の夜①
「じゃあ、行きましょうか……」
翌日――。
コレットはジャッセルが寝たことを確認すると、ひっそり屋敷を出てアンソニーの元へ向かった。
(もう店が閉まっているわね……)
人気のない裏口へ回ると、蝶番が鳴らないよう慎重に扉を開けた。
ギィ……
(ふふっ……なんだか、悪いことしているみたい。)
コレットは静かに扉を閉めると、くるりと向き直った。
その時――
「おい……」
不意に頭上から低い声が降ってきた。
次の瞬間、冷たい刃が喉元へぴたりと当てられる。
「ひぃっ!!」
夜の静けさの中、互いの息づかいだけが耳に届く。
喉がひくりと震え、冷たい刃がわずかに肌をなぞった。
雲に隠れた月が、少しずつ顔を出し、二人を照らす。
「……コレットか?」
「そ、そうよ!だからその剣をしまってちょうだい!」
コレットは両手を挙げながら目を細めた。
「あぁ~すまない。こんな時間に来るとは思っていなかったから。」
アンソニーは慌てて剣を引き、鞘へ収めた。
「ごめんなさい。本当はもう少し早く来る予定だったんだけど、なかなか屋敷を出られなかったのよ。」
コレットは屋敷を出るまでの出来事を思い返した。
『スカーレット。今日は私と一緒に寝てくれるよな。』
『お話を読み聞かせてほしいということですね?それでしたらいいですよ~!』
(一緒になんて……誰が寝るか!)
『読み聞かせか……それもたまには悪くないか?お前にはもう少し純粋でいてほしいからな。』
『そ、そうですかぁ~?』
『では私がよく聞いた英雄伝説のお話をしますねぇ~!』
英雄伝説を読み終えても、ジャッセルはなかなか眠ろうとしなかった。
そして、限界を迎えたスカーレットはホットウイスキーを用意し、半ば気絶するように眠ってもらったのだ。
(手の掛かるおじさんなんて……もうこりごりだわ。)
コレットが顔をしかめると、アンソニーが肩をポンッと叩いた。
「……お疲れ……。それで、今夜来たということは……本当にあそこに行くつもりか?」
「もしかして、昨日の話が嘘だと思ったの!?本気に決まってるじゃない……そのために黒い服も準備してきたわ!」
コレットはトランクケースを開けると、黒く折り畳まれた衣装をひらりと取り出した。
「着替えてくるからちょっと待っててくれる?」
「わかった……」
コレットは三階の自室へ駆け上がり、急いで着替えた。
***
「大丈夫か……」
アンソニーは何杯目かわからないコーヒーを飲みながら、自室に行ったコレットを待つ。
バタバタ
「もう少し静かにできないのか……」
上の階から聞こえてくる、忙しない足音を聞きながら、机をトントンと叩いた。
コレットから連絡がなかった一ヶ月。
その間、アンソニーは一人で情報を集め続けていた。
特に気になっていたのが、満月の夜だけ開くというファンラット国の関所だった。
元々ファンラット国が他の国と交流を持とうとしないことは知っていた。
そんな彼らが、一体満月の夜に何をしているのか……
「気にならないわけがないか……」
カップに残ったコーヒーを飲み干すとタイミングよく、部屋の扉が開いた。
「お待たせ!これでどうかしら!」
「……」
アンソニーは目の前に現れたコレットを見て思わず固まった。
光沢を抑えた黒い生地は首から足先まで身体にぴたりと沿い、余計な装飾は一切ない。
袖や襟元まで隙間なく覆われているため、夜の闇に紛れても目立ちにくい造りになっている。
長い髪は綺麗に一つにまとめられており、顔には黒犬を模した仮面がつけられていた。
「な、なるほど……確かにそれなら目立たないな……」
「でしょ?いつか使うことになるかもしれないと思って、お邪魔虫夫人用のドレスを作った時についでに作ってもらったのよね。まさか、こんなに早く役に立つなんて思ってもいなかったわ。」
コレットはその場でくるりと回る。
(目のやり場に困るな……)
ぴったりしたスーツのおかげで、体の線がきれいに見える。
今までも蜂の衣装やバニー姿を見たことはある。
だが、アンソニーにとっては、これまでで一番視線の置き場に困る装いだった。
「あら……どうしたの?なんだか顔が赤い気がするけど。」
「いや、大丈夫だ。それより早くいくぞ。」
(外にいる方がまだましか……)
アンソニーは、がたっと椅子から立ち上がると、一階に降りて外へと向かった。
その頃、関所の前では――
「シルヴィア!」
「ピグミー!遅くなってごめんね。」
二人の少女は手を取り合っていた。
「今回の収穫は……?」
「ばっちりよ!」
シルヴィアは乗ってきた荷馬車の布をちらりと開ける。
そこには――
「子供たちは予定どおりジャッセルの屋敷の地下へ入れてきたわ。大人はこれだけ連れてきた。」
口枷を付けられた男女が、ぎゅうぎゅうに押し込められていた。
「良いわね!これでいくら稼げるかしら。」
「さぁね!でも上玉が何人かいるから、貴族たちから人気でしょうね。最近は繁殖用の女が不足してるって聞くもの。」
ピグミーはシルヴィアの言葉を聞いて馬車の奥を覗き込んだ。
馬車の中にはドレスを着た若い女性がお互いに身を寄せ合いながら震えている。
「確かに……あれ、絶対貴族じゃないの!?よく、ばれなかったわねぇ~。」
「ふふっ……まぁね!アデラールに『女の子とお茶会がしたい』ってお願いしたら、勝手に集めてくれたわ。おかげで簡単だったわ!」
「あんた……よくやるわね。まぁだから一緒にいて楽しいんだけど。」
シルヴィアは満足そうに口元を緩める。
今回は運がよかった。
爆発事件のあと、シルヴィアは身を隠すため夜蝶『アゲハ』で働き始めた。
その矢先、たまたまアデラールが客としてやってきたのだ。
そして、そのすぐあとシェルティーが店先にきて、アデラールが声をかけた。
二人のやり取りを見た瞬間、シルヴィアはシェルティーになり代わることを決めたのだ。
(こんなすぐに騙されるなんて思ってなかったけど……)
シルベリアン公爵邸にいれば、貴族の令嬢など簡単に近づける。
今までもアデラールは、妻の実家から援助を引き出すためだけに結婚し、その後は森の離れへ追いやっていた。
(あのコレットとかいう女だけは捕まらなかったのよね……)
「ふふっ、そう言ってもらって光栄だわ。少しずつこちらの国にもファンラット国の人たちが入ってきているし……私たちがこの国を乗っ取るのも時間の問題ね……」
満月が二人の笑みを不気味に照らしていた。




