茶色の豆が道しるべ。
「マリウス様。こちら、本日の朝刊です。」
「あぁ、ありがとう。」
マリウスは従者から受け取ると、ページを一枚捲った。
「なんだ……このタイトルは……」
―――――
「おやゆび侍女」
作者:お邪魔虫夫人
ラフコリーは屋敷の中に入ると、いつもと違うことに気がついた。
「なんだか……小さいおうちね……」
外から見た時は何も思わなかった。
けれど、中に入ると、廊下も天井も、飾られた絵画さえ窮屈に感じる。
自分が大きくなってしまったのか。
それとも家が小さくなってしまったのか。
視界の端では、赤だけが何度も揺らめいている。
屋敷全体がこの世のものでもないように思えて――
(ここはどうなっているの……?)
ラフコリーは肩を震わすのだった。
『赤い花の中にある茶色の豆が道しるべ。』
誰が口にしたのかも分からない。
ただ、その言葉だけが、ラフコリーの胸に残った。
続く。
―――――
「茶色の豆ってなんだよ。」
マリウスはしばらく紙面を見つめたまま固まり、やがて朝刊小説をぽんと机へ放り投げた。
何か意味がある言葉なのだろうが、何を言っているのかさっぱり分からない。
貴婦人たちになぜこの作品が人気なのか、マリウスには理解できなかった。
物語といえば、「英雄王の伝説」か「お姫様の恋物語」がほとんどだ。
しかし、お邪魔虫夫人の小説は、そのどちらにも当てはまらない。
「もう少しわかりやすく書いてくださいよ……」
マリウスは頭をガシガシ搔くと、深く背もたれに身を預けた。
一方、ジャッセル侯爵邸では――
「旦那様、お掃除終わりましたぁ~!」
「そうか、そうか。よくやったな、スカーレット。お菓子をあげよう。」
コレットは今日もスカーレットとして、ジャッセルに振り回されていた。
「ありがとうごじゃ……ございますっ!」
「ぐっ……噛んだスカーレットも可愛いな……さぁ、こちらに来なさい。」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべるジャッセルにゆっくり近づく。
その姿は警戒心をむき出しにしたチワワのようだ。
(早く……ここを出るためよ。)
「旦那様は忙しいんですねぇ……お疲れなのではないですか?」
「なんだ、心配してくれるのか?」
スカーレットは目を丸くしてから、ふっと表情を緩めた。
「もちろんです!旦那様が倒れたら、このお屋敷のみんなが困っちゃいますからぁ!」
「……」
二人の間に沈黙が流れる。
(しまった……つい、本音が……)
「えへへ……」
スカーレットは愛想笑いを浮かべながらチラリとジャッセルを見る。
すると――
「ふっ……ふっ……ふはははははは」
ジャッセルの笑い声が執務室に響き渡った。
急な笑い声に、スカーレットは首を傾げる。
「た、確かに……その通りだ。私が倒れては、この屋敷どころか領地が回らなくなってしまうな。」
「そうです。だから、旦那様には元気でいてもらわないとですねっ!」
胸の前で両手をぎゅっと握りしめる。
(可愛らしい仕草って難しいわね……)
「ククッ……そうだな。」
ジャッセルは涙を拭いながら片目でスカーレットを見る。
「お前は……他の侍女たちとは何か違うな……」
「……へ?」
(普通だと思うけど……)
「見ていて飽きん。」
「お、お褒めに預かり光栄ですっ!」
「ははっ……褒めてはないんだが……まぁいいだろう。」
ジャッセルは立ち上がると、近くにあったソファーに腰を降ろす。
そして、空いている所をポンポンと叩く。
(座れってことかしら……)
「せっかくだから私の話に付き合ってくれ。」
スカーレットはジャッセルの隣に腰を下ろし、微笑んだ。
(これはチャンスね……)
「私で良ければ……お話くらい相手になりますよ?」
「まっ、そんな大した話ではないんだがな……」
ジャッセルは葉巻を取り出し、火をつけて口にくわえると深く息を吐き出した。
「最近、仕事を任せていた侍女が一人消えてしまってな。」
(……来たわね!)
「それは……大変ですね……他の人ではダメなのですか?」
「あぁ、それも考えたんだが……あいつには大事な仕事も任せていたんだ。それに……私はあいつのことを愛していた。」
「……いや、今も愛している。」
(愛とかどうでもいいから先に進めて欲しいわね。)
「そ、そうなんですね。」
ジャッセルはゆっくり煙を吐き出す。
「あぁ、常に従順で、私が疲れた時はいつも寄り添って話を聞いてくれた。今のお前のようにな。」
「は、はぁ……」
「それでいて頭が良い。事業や領地経営が回らない時、私に的確な助言をくれるんだ。自分の息子よりしっかりしていたよ。」
スカーレットは、ラベイユ・ドールでのやり取りを思い返す。
(確かに……あの息子じゃ役に立たないわね。)
「書類の整理も、人の配置も、取引先との話も……気づけば全部あいつがやっていた。」
愛人だからといって、そこまでの仕事を侍女に任せるなど間違っている。
(親が親なら子も子ね……)
スカーレットは心の中で小さく息を吐いた。
「それで、いつ消えてしまったんですか?」
「この間、王都で爆発事件があっただろう。」
王都での爆発事件は新聞の一面に載っていた。それに至る所で噂話になっていたほどだ。
(知らない方が不自然よね)
「えぇ、人ずて聞きました。怖いですよね……」
「あの事件の後から連絡が取れない。」
「あの事件の後……って!?結構経ってるじゃないですか。でも……ここから王都って離れていますよね?」
ここはファンラット国の隣に位置する領地。
急いだとしても、馬車片道三日、寝ずに馬を乗り継いだとしても一日はかかるだろう。
なぜそんなところに侍女がいたのか……そっちの方が不思議である。
「あぁ、ちょっと用事を頼んでいたんだよ。と、言っても彼女の案に私も乗っただけなんだがね。」
「……案ですか?」
普通の侍女が、侯爵に意見を出すことなどほとんどないだろう。
でもここではそれが『普通』なのかもしれない。
「そうだ。内容は秘密だがね。」
ジャッセルは葉巻を灰皿へ押し付けると、どこか誇らしげに笑った。
「彼女には五年ほど、シルベリアン公爵家で働いてもらっていたんだよ。」
(……五年か……)
五年前ということは、コレットがシルベリアン公爵家に嫁ぐ前からという事になる。
(もしかすると……もしかするかもしれないわね。)
そして、アデラールの妻たちが次々と姿を消した時期とも重なる。
地下室。
偽物の貨幣。
シルベリアン公爵家。
そして――消えた侍女。
バラバラだった出来事が、少しずつ一本の線で繋がり始めていた。
(まずは……シバを探し出さないとね……)
「旦那様の愛されている方が……見つかると良いですね。」
「あぁ、そう願っているよ。」
スカーレットは笑顔のまま頷き、ジャッセルからもらったお菓子をぱくりと口へ運ぶ。
(甘い……)
その甘さとは裏腹に、彼女の頭の中には、次に追うべき人物の名だけが鮮明に浮かんでいた。




