侍女の名人。
リュシアンと話して数日――
コレットは馬車を何度か乗り換え、ジャッセル侯爵領へと来ていた。
「いい所を借りたわね。」
コレットは目の前にある小さな店を見つめた。
レンガ造りの店は、小さいながらもしっかりした造りをしている。
看板には見慣れた肉球のマークと『ル・クシネ』の文字。
以前と違うのは、ペンやノートではなく、カップの絵が描かれていることだろうか。
「カフェ……ということかしらね。」
コレットは、扉に手をかけるとゆっくり引いた。
カラン、カラン
「いらっしゃい……」
カウンターの向こうから聞きなれた声が耳に届く。
「って、コレットか。」
「あら、失礼ね。私もお客様よ?」
アンソニーは持っていた本をぱたりと閉じると、立ち上がって棚に置かれているカップを一つ取り出した。
「……そうだったな……好きな席に座ってくれ。」
コレットはぐるりと周囲を見渡すとそのまま店内を歩き出した。
カウンターが六席に、二人掛けのテーブルが二つ。
(空いている席って……お客さんいないじゃない。)
アンソニーの前にある椅子へと腰を掛ける。
すると――
香ばしいコーヒー豆の香りが鼻腔をくすぐった。
「コーヒーでよかったか。」
「えぇ、ありがとう。それで……早速本題だけど……」
アンソニーはコーヒーの入ったカップをコレットの前に置くと、壁にもたれたまま、腕を組む。
「あぁ、聞いている。」
「そう?なら、話が早いわね。それで、ジャッセル侯爵の女性の趣味ってわかる?」
「女性の趣味?」
アンソニーは眉間に皺を寄せた。
「そんな顔しないでよ。怖いじゃない。」
コレットはいつものようにコーヒーにミルクと砂糖を入れてグルグル混ぜてから、カップを口に運ぶ。
「うん、やっぱりこの味ね!それで、話の続きだけど、そろそろシバたちも限界なのではないかと思っているの。だから、使えるものはすべて使ってジャッセル侯爵領のお相手をしようかなって……。」
塔から逃げた時からそこまで時間は経っていないが、シバたちが初めに連れ去られてから、すでに二ヶ月以上は経っている。
体力的にもそろそろ限界だろう。
(それに……ずっと安全だなんて保証はないわ。)
コレットはカップを持っていた手をグッと握りしめた。
アンソニーは、コレットの手を見つめると、少し考えてから額に手をあてた。
「ハァ……どうせ何か言ったところで、やめるつもりはないんだろう。」
コレットは首を傾げて微笑んだ。
「ふふっ……よくわかっているじゃない!」
「そこまで詳しくはないが、雇っている侍女のタイプならわかるぞ。何人か囲っている女性もいるようだ。」
「そう?私も侍女として入る予定だったし……それを教えてほしいわ。」
アンソニーはコレットの顔をじっと見つめた。
「お前とは真逆の女性だな。目が大きくて、唇が厚めの可愛らしいのかタイプらしい。なんとか合格してるのは背丈と体型くらいか。」
コレットの身長は百五十八cm。
決して小柄というわけではないが大きいわけではない。
「……体型?」
「あぁ……」
アンソニーは頬を掻きながら目を逸らした。
「その……出るとこでてる女性がタイプなんだそうだ。」
(出るとこ出てる……)
その言葉にコレットも思わず顔を赤くした。
「ちょっと!やめてよ。あなたがそんな反応するから、私まで顔が熱くなっちゃったじゃない。」
「……は?俺のせいかよ……まぁ、とりあえずそういうことだ……」
アンソニーは、壁から身体を離すと、コレットのカップにコーヒーを継ぎ足す。
「そう……そうなのね。でも、逆に良かったかもしれないわ!」
「……は?」
アンソニーは眉間に皺を寄せ、いつもより低い声で言い放った。
「だってそうじゃない。背丈を変えることは難しいけれども、顔はいくらだって変えられるもの。助かったわ!それで、この部屋をまた……」
「三階を使え。二階は共有スペースだ。わかったな?」
「話が早くて助かるわ!ありがとう。」
コレットは、トランクケースを手に持つと、そのまま奥の扉へと向かった。
「コレット……」
「なに?」
コレットは足を止めて振り返る。
しかし、アンソニーはこちらを見ようとはしなかった。
ポタ……ポタ……
二人の間に、コーヒーの抽出音が響き渡る。
(なんなのよ……)
アンソニーはコーヒーが落ちる瞬間を見つめるだけ。
コレットは小さく肩を竦めると、再び扉に手を掛けた。
その時――
「……気をつけろよ」
(ふふっ……素直じゃないわね。)
その一言に、コレットはふっと笑みをこぼした。
「えぇ。ありがとう。」
コレットは扉に手をかけると、足早に三階へと向かった。
***
三階の一室――
部屋の中にはベッドと鏡台。それに衣類などがおけるよう棚が設置されていた。
「思ったより広いわね!」
コレットは、トランクケースをベッドの上に置くと、蓋を開けた。
中に入っているのは少しの着替えと、化粧品。
そして、原稿用紙やペンなどの『お邪魔虫夫人セット』だ。
「トニーのおかげで、スムーズにいきそうね。」
コレットは鏡で肌の調子を確認すると、今日使う化粧品を取り出していく。
(ふふっ……これ試作品なのよね。)
王妃専属の侍女になってから、シルベリアン公爵家にいる時より時間が出来たコレットは、新たな化粧水を作ろうと空いている時間に動き回っていた。
「うんうん、いい感じじゃない。」
今回目をつけたのは薔薇の花だ。
ブリジット王妃が、湯船に薔薇を浮かべていた姿から発想を得たのである。
それから庭園に落ちた薔薇を譲ってもらい、少しずつ実験を重ねた。
そして出来上がったのがこの化粧水だ。
ただ花を煮出すだけではなく、煮出した『湯気』を集めた化粧水。
「これを使うようになってから、透明感が増したのよね。香りもいいし、お肌ももちもちだし……」
肌へ十分になじませるように、手のひらで優しく押し込んでいく。
モチッモチッ
コレットの頬が、手に吸い付くように、引っ張られる。
(この感覚止められないわねぇ。)
それから入念に化粧水を塗り終えると、いつも通り乳液、化粧の順で、作業を始めた。
「目はぱっちり大きめがいいんだっけ……」
アンソニーの話を思い返しながら丁寧に化粧をしていく。
「リップはオーバー気味に、塗っているか分からないくらいの色にしましょう。」
鏡を見て変なところが無いか確認してから、栗色のウィッグを被った。
「うん、完璧ね!!」
栗色のウィッグは肩までの長さで緩くウェーブがかっている。
いつもは前髪がないことがほとんどだが、今回は幼く見えるように前髪を作り、ウェーブで顔の輪郭を隠した。
「これなら気付かれなさそうね。」
そこにいたのは、誰もコレットとは思わない幼さの残る令嬢だった。
コレットは鏡に向かって満足そうに頷いた。
それからコレットはトランクケースを閉じると、一階へと降りた。
「……」
アンソニーに声をかけようと店内を覗く。
しかし、いつの間にか店は若い女性客で埋め尽くされていた。
「トニーさんって、おいくつなんですか?」
「彼女とかいらっしゃるんですか?」
(顔は良いし、放っておかないわよね。)
お客さんが、アンソニーに振り向いてもらおうと必死に話しかけている様子を見て――
(邪魔しない方がいいわね。)
コレットは気づかれないように、そっと扉を閉めた。
(……行ってきます。)
心の中でそう呟くと、裏口からこっそり出て、ジャッセル侯爵邸へと向かった。




