蛙のシェルティー。
王宮内のサロン――
普段はあまり使われることのない場所に、今日は貴婦人たちが集まっていた。
「ブリジット王妃。今朝の朝刊読みまして?」
「えぇ、読みました。わたくしも皆さまに習ってこのように……」
ブリジットはテーブルの上に一冊のノートを出した。
そのノートには可愛らしい絵が描かれていた。
「スクラップブックとやらを作ってみましたの。」
「まぁ、素敵ですわ。 お色の配色もとても美しいです。この絵は……ブリジット様が?」
真っ黒に塗られた人を模した絵の周りには少し色の入った花々が咲き誇っている。
「えぇ。最近、わたくしの侍女からいただいたの。色鉛筆って言うんですって。新商品らしいのだけれど……」
「とてもいいですわ。『お邪魔虫夫人』の小説にあっておりますもの。」
「そうですわね。出来ればわたくしもその色鉛筆が欲しいのですけれど……どちらで購入できるのかしら。」
「アレット……」
「はい、王妃様。」
ブリジットがアレットを呼び出すと、店までの道のりを詳しく記した地図を夫人たちに渡していく。
「こちらで購入いただけます。」
「えっと……『ル・クシネ』と読むのかしら。」
「はい、看板に肉球の模様が描かれておりますのですぐに分かるかと。」
地図の行き先を見て、夫人たちは目を見開いた。
「ほ、本当にここで合っておりますの?」
王都でもシルベリアン公爵領の街中でもなく、街の外れにちょこんとある王族御用達でもなんでもない、ただの文具店を誰も想像していなかったのだろう。
「えぇ。合っておりますわ。それと……このお店なんですけれど……実は『お邪魔虫夫人』の誕生の場所とも言われているそうなんですの。」
「それは……ぜひ行ってみたいですわね。」
「えぇ、わたくしもですわ!それより本日の小説まさかの展開でしたわね。」
「本当ですわね。まさか……自分の妻とは気付かずに口説いているんですもの。鳥肌が立ちましたわ。」
「わたくしもです……甘い言葉を言っているようですけれど、わたくしにはただの頭のおかしい方にしか見えませんでした。思わず叫んでしまったら、旦那様が『何事だ!?』って駆けつけてきたんですのよ。」
「まぁ、なんて優しいのでしょう。それにしても最後の終わり方……ハスキーが何を話したのか気になりますわね。」
「本当ですわね……これからの展開が気になりますわ!」
ブリジットは紅茶を飲みながらチラリとアレットをみた。
(噂のネタになっているのに……興味はないのね。)
しかし、アレットは興味が無いのか、貴婦人たちにお茶やお菓子を運んでいた。
コレットがアレットとして王妃の元で侍女として働いている頃――
「あら、シェルティー、今日は出勤だったかしら?(また来たの……?)」
「そうだったじゃない。ママったら忘れちゃったの?」
夜蝶の店『アゲハ』にシェルティーが顔を出していた。
(なんだか……いつもと違うような……?)
いつもであれば、会話の裏に含みをもたして話してくるシェルティーだが、今日のシェルティーはそういった言葉を一切感じなかった。
「あら、そうだったかしら……。私も年なのかしらね~。」
アゲハはシェルティーに一瞬視線を送ると、持っていたコップに視線を戻した。
キュッキュッ
コップを磨き上げる音が、やけに大きく感じる。
「ママったら、まだまだ若いじゃない。ねぇ~……それより、今日もアディは来てくれると思う?」
(アディ……?)
シェルティーが話をしているときは、なるべく聞かないようにしている。そのため、アゲハは誰のことを言っているのかわからなかった。
「あぁ~!公爵様のこと?あらやだ。あなた……あの人のこと好きになっちゃったってわけ~?でもやめておきなさい。ああいう男には裏があるんだから~。」
「ふふっ……そこがいいんじゃない。せっかくの玉の輿よ~?こういう時はもらえるだけもらっておかないと~。」
(やっぱりなんだか変ね。)
いつもであれば男に興味を示すことのないシェルティーがやたらとシルベリアン公爵の話を持ち出す。
(ママって呼ぶのもなんだか変だし……)
二人の時は『アゲハ』と呼び捨てにするシェルティーだ。
何か裏があるのか……アゲハは小さく息を吐いた。
(でも、見た目はどう見てもシェルティーなのよね……)
背格好も、ドレスも、それにアクセサリーまで。
どれをとっても一級品のシェルティーを真似しようとする方が難しい。
(こういう時は知らないふりをしておくのが一番ね。)
「そうよね。向こうもあなたのこと気に入っていたみたいだし、お店が開いたら来るんじゃないかしら?もう少し待っていたら?」
「じゃあ、もう少し待たせてもらおうかしら。」
「何か飲む?」
「ん~……どうしようかな……じゃあ、ウイスキーをロックでちょうだい?」
「ウイスキーね。わかったわ。銘柄はなんでもいいのかしら?」
「高級なやつでお願い~。」
(こういう時は決まってコーヒーなのに……)
シェルティーが仕事以外で飲むことはほとんどない。だが、これ以上突っ込まないと決めた手前、アゲハは何も言うことはなかった。
それからしばらくして――
カランカラン
「いらっしゃいませ~。」
アゲハは扉の前まで行くと、男の顔を見た。
男は周囲を見渡し目当ての者がいないか探している。
「その……シェルはいるだろうか。」
「シェル……あぁ、シェルティーですね?でしたらそちらにいますよ?」
アゲハがシェルティーがいる方へ身体を向けると、男は安堵した様子で歩き出した。
そして――
男はシェルティーの後ろへ回ると、そっと抱き寄せた。
「シェルティー……会いたかった。」
「アディ……」
シェルティーは公爵の腕に軽く手を添えた。
「昨日起きたらいなかったから……あれは夢だったんじゃないかと心配になったんだ。」
「クスッ……幽霊かなにかだと思っちゃったの?私なら……ちゃんとここにいるでしょう?」
アゲハは二人のやり取りから目を背けた。
(なんだか……見てはいけないものを見ている気分ね。)
そして何事も無かったかのように、カウンターの中に入ると、おしぼりとコップを用意した。
「シェルティー、もし良ければあっちの端を使いなさい。その方がこちらの方も落ち着いて飲めるでしょうし……」
「そうね……アディ、あちらで飲みましょ?」
シェルティーは公爵の腕から抜け出ると、彼の手を取り席へと向かう。
(いつもならアイコンタクトがあるのに、今日はないのね。)
いつものシェルティーなら、このタイミングで必ずアゲハへ視線を送る。
それが『隠れ部屋を使いたい』という合図だからだ。
アゲハは二人が座ったのを確認すると、首を傾げた。
「まぁ、そういう気分じゃない時もあるわよね。さっ、開店準備しましょ。」
アゲハは今までのことは見なかったことにしようと、そのまま開店準備を始めた。
一方、その頃――
「そろそろあの男を何とかしたいのよね。」
「あの男……って?あいつか……?」
「あいつ以外に誰がいるのよ。ねぇ、トニーも協力してくれない?」
「きょ、協力?お前の話にいい記憶はないんだが……」
「えぇ、そうだったかしら。それに、私のおかげでお客さんも増えたでしょ?しかも高貴な方ば・か・り!」
「いや、それはお前のおかげというよりブリジット様のおかげだろう?」
「そんな、硬いこと言わないでよ。ねっ?とりあえず、今度はここに行って欲しいの。」
コレットは一枚の紙切れを出した。
「ここって……」
「ふふっ……そういうこと。じゃ、明日待ってるわね。」
コレットは返事も待たず、ひらりと手を振って店を出て行った。
(全く……今度は何を企んでいるんだ……)
チリンチリン
扉に備え付けたベルが軽やかな音を立てた。
トニーはコレットが出ていった扉を見つめ、深いため息を吐いた。




