安らぎの場所。
「ちょっと読んだかい!今日の小説」
「読んだ、読んだ!いやぁ~まさかの展開だったね。」
「ポメラニアンが捕まったと思ったらお茶会に参加だってよ。いや~私も王妃のお茶会に参加してみたいもんだねぇ~!」
「ははは、何言ってるんだい。私たち平民には無理な話さ。もしお茶会なんてあったら……お茶もお菓子もお腹に入らずに終わっちまうよ。」
「ははは、そりゃお茶会じゃなくなるね~」
王都の町中では今日も『お邪魔虫夫人』の話題で持ちきりだった。
「そういや、お貴族様向けにサイン会とやらをやってくれたんだろう?平民向けにもやってくれないもんかねぇ~」
「いや~そんな簡単なものでもないだろ?だが、確かにそうだね~。この辺りでも舞台になっているところでもありゃやってくれる気もするが……」
「どんな人が書いているのか、一度会ってみたいもんだねぇ。」
「案外、私たちのすぐ近くにいたりするかもしれないよ。」
「ははは、それなら毎日でも会いに行っちまいそうだね~。」
「「「違いないねぇ~」」」
数分前、『お邪魔虫夫人』本人が馬で颯爽と駆け抜けていったことを、この場にいる誰も知る由もなかった。
***
「ここに来るのも随分久しぶりな気がするわね。」
コレットは王妃に頼んで休みをもらい、久しぶりにシルベリアン公爵領の町はずれへ来ていた。
目の前にぶら下がる小さな看板を見上げる。
文具店『ル・クシネ』
看板に書かれている肉球の絵が何ともかわいらしい。
コレットはいつものように扉を押すと――
カラン、カラン
「いらっしゃいませ~。」
ベルの音と一緒に、少し低い声が出迎えてくれた。
「久しぶりね。トニー」
トニーは本から顔を上げると、コレットを見て目を見開いた。
「お前……王宮にいるはずだろ?」
王宮からシルベリアン公爵領までそれほど遠いというわけではない。
馬車であれば二時間くらいで着くし、馬であれば一時間ちょっとで来ることができる。
「ふふ……驚いた?今日は、ブリジット様にお時間をいただいてね。ちょっとこっちに用があったから……」
コレットはカウンターの奥の席に座ると、トニーがコーヒーを入れている姿を眺める。
紅茶とは違う、ほのかに酸味と苦味が混じったコーヒーの香りが店内に漂っている。
コレットは、この文具店の香りを意外と気に入っていた。
コトン
トニーはコーヒーと砂糖、ミルク、そして少し甘めのクッキーを数枚テーブルの上に置いた。
「やっぱり、これよね~。」
コレットは慣れた手つきで砂糖を二杯とミルクをカップの中に入れると、スプーンでコーヒーをゆっくりとかき混ぜた。
「それで……?今日は何しに来たんだ?確か、アリスとも会ったんだろ?リュシアンの婚約者スカーレット。」
いたずらな笑みを浮かべるトニーに、コレットは顔をしかめる。
「さすが、情報が早いわね。スカーレットになりたくてなったわけじゃないわ。だから、その話はやめてちょうだい。」
「なんだよ。普通なら王太子殿下の婚約者なんて喜ぶところだろ?」
「嫌よ。めんどくさい。それに、これでも一応公爵夫人なのよ?相手に隙を見せるようなことは絶対しないわ。」
「そうか。じゃあ何しに来たんだ。」
トニーは自分専用のカップにコーヒーを淹れるとコレットから少し離れて座った。
たった四席しかないカウンターだからか、そこまで遠くはないが……声も聞こえてちょうどいい距離感だ。
「久しぶりに夜の街に繰り出そうかなと思って。」
「いや、公爵夫人が夜の街を歩くなよ。」
「バレなきゃいいのよ!バレなきゃ。」
コレットは虫を払うように手を数回振るうと、空いている方の手でコーヒーをぐいっとあおる。
「酒じゃないんだからもっとゆっくり飲めよな。」
「はいはい、時間があるときはゆっくり飲むから~!」
しかしコレットは聞く耳を持たないまま、慣れた足取りで二階へ上がり、間借りしている部屋の中へと入った。
ボフンッ
そして、小さめのベッドに身体を沈める。
「ふぅ……落ち着くわね。」
今住んでいるところに不満があるわけではない。
だが何はともあれ……
「広すぎるのよね……」
王妃専属侍女だからか知らないが、広々とした部屋。
煌びやかな装飾。
大人三人は余裕で眠れるであろうベッド。
『元伯爵令嬢なのだから慣れているものなのでは?』と思うかもしれないが、貴族の全てが慣れているわけではない。
「目はチカチカするし……その点ここはなんだか安心するわぁ……スゥースゥー」
コレットはいつの間にか夢の中へと旅立って行った。
その頃、一階では――
「あいつ……何しに来たんだ?」
アンソニーはシンクに入ったカップを洗いながら先程現れたコレットのことを考えていた。
(まさか、あいつが王妃専属侍女になるとはな……)
ふと、以前リュシアンへ頼み込んだ日のことを思い出す。
『リュシアン、頼みがある。』
『お前からの頼みごとは珍しいな。』
リュシアンはニヤリと笑った。
今思えばあの笑い方は含みのある笑いだった。
『ここで働きたいと言う奴がいるんだ。下っ端で構わない。むしろ下っ端がいいらしい。身元はしっかりしていると俺が保証するし、よければ雇ってくれないだろうか?』
『へぇ……ここで働きたい奴ねぇ。それは俺も興味があるな。それで?名前は……?』
『あぁ~……っと……』
アンソニーはリュシアンから視線を逸らした。
別にやましいことがあるわけではない。
だが――
(言いづらいな……)
『なに、名前も言えないような奴なのか?それでは信じることは難しいだろ?』
リュシアンもわかっていて聞いているのだろう。
だからこそたちが悪い……。
アンソニーは小さく息を吐くと、ボソボソと呟いた。
『コレット・シルベリアンだ。』
『ん?聞こえなかったぞ?今なんて言ったんだ……?』
わざとらしく耳に手を当てて近づけてくるリュシアン。
(あの顔……絶対に楽しんでやがる……)
アンソニーは一度目を閉じて深呼吸すると、先ほどよりも大きな声でリュシアンに聞こえるように話した。
『コレット・シルベリアン公爵夫人だ!お前も知ってる『お邪魔虫夫人』本人だよ!』
リュシアンは驚くことなく静かに口角を上げた。
(もともと知っていたな……)
今までも、報告へ行く頃には、リュシアンはすでに何が起きたのか把握していることが多かった。
というよりは、それだけ周囲のことをよく見ている男と言った方がいいだろうか。
(離れから出ないくせに……)
一つ伝えるだけで、その先を次々と予測していく。
今回のことだって、気付いていたんだろう。
『わかった。では、母上に話して王妃専属にしてもらおう。』
『母上って……ブリジット様か!?いや、下っ端でいいんだが……』
この時にはもう、アンソニーの言葉はリュシアンの耳に入っていなかった。
『……これは面白くなってきたな。もっと面白いものが見られそうだ。』
アンソニーは洗い物を終えると、カウンターに戻り一冊の本を出した。
しかし、心は二階にいるコレットへと向かう。
「あの二人……似ているんだよな。」
似ていないところは、行動力があるか、ないかといったところくらいだ。
リュシアンだってあの謎の病気がなければ今頃外へ出ている頃だろう。
「それにしても……降りてこないな?」
それからコレットが一階に降りてきたのは、二時間後のことだった。




