お菓子の国のアリス。
「よく来てくださいましたね。ニコレットとアリスティアさん。」
ドレスに着替え、歩くこと数分――
スカーレットは、王宮内にある蒼狼の庭園へと足を運んでいた。
蒼狼の庭園。
エアデール帝国に四つある王宮庭園の一つであり、その名は帝国に伝わる四頭の守護狼に由来する。
はるか昔、まだエアデール帝国が誕生する以前――。
この地を守護していたのは、蒼狼、紅狼、白狼、黒狼の四頭だったと伝えられているのだ。
(まさか、アリスが来るとはね。)
ブリジットとニコレットは顔を見合わせて笑っている。
どうやら、この場を設けたのは二人だったらしい。
「お二人は初めてでしたわね。こちら、リュシアンの婚約者……」
スカーレットはスカートの裾を少しつまみ、優雅に一礼した。
「パラディシア国より参りました。スカーレットと申します。」
ニコレットは一瞬目を丸くすると、扇子で口元を隠してクスクスと笑った。
「パラディシア国は緑豊かな美しい国とうかがっておりますわ。このような綺麗なお方と婚約だなんて、リュシアン様も隅に置けませんわね。(あなた、夫人だったのではなくて?いつの間に王太子の婚約者になったのよ。)」
スカーレットも濃紺の扇子を静かに開き、口元を隠す。
「そんな……エアデール帝国に比べればとても小さい国でございます。そのような国から来たわたくしが、リュシアン王太子殿下の婚約者なんて恐れ多いですわ。(知らないわよ……急に言われたんだから。)」
そんな二人のやり取りを見ていたブリジットは、小さく手を叩く。
「ふふっ……積もる話もございますし、まずはお茶にいたしましょう。」
ブリジットの言葉を合図に、侍女たちが紅茶や焼き菓子を次々とテーブルに並べ始めた。
ふわりと甘く芳醇な香りが庭園の中に広がる。
「ブリジット様の言う通りですわね。まずはお茶にしましょう。」
ブリジットが席に着いたことを確認すると、ニコレット、アリスティア、スカーレット順で腰を下ろした。
スカーレットはちらりとアリスへ視線を向ける。
(なぜ連れてこられたかわかっていないって顔ね……それに緊張しているみたいだわ。)
普段であれば他人の緊張など気にも留めない。
だが、なぜかアリスのことだけは放っておけなかった。
(仕方ないわね……)
スカーレットはカップを静かに持ち上げ、立ちのぼる香りに目を細めた。
「いい香りですね……柑橘系の爽やかな香り……アールグレイでしょうか。」
「あら、よくわかったわね。今日は飲みやすい紅茶にしてもらったの。アリスティアさんも遠慮せずに飲んでね?」
「あ、ありがとうございます。」
アリスは小さく頷くと目の前のカップを持ち上げた。
「あつっ……」
(全く……何をしているのかしら。)
アリスの侍女として過ごした時間は長いとは言えない。
始めは嫌なことも多かったが、いつの間にか妹のような存在になっていたらしい。
スカーレットは手を上げると、寄ってきた侍女に声をかける。
「ミルクを持ってきていただけますか?」
侍女はミルクを持ってくると、アリスのカップに注いだ。
「ありがとうございます。」
アリスは小さく頭を下げ、ミルクの入ったカップに口をつけた。
「おいしい……」
アリスはホッとしたように表情を緩め、小さく笑みを浮かべた。
「ふふっ……そういってもらえてよかったわ。こちらの焼き菓子もどうぞ。王宮の料理人がお茶会のために焼いてくださったの。」
「ありがとうございます。」
アリスは焼き菓子を手に取ると、そのまま口へと運ぶ。
ニコレットも紅茶に口を付けながら微笑んだ。
「ブリジット様のお茶会は、いつ来ても心が落ち着きますわ。」
「そういってもらえて嬉しいわ。」
最初は遠慮がちだったアリスも、次第に緊張がほぐれたのか、少しずつ会話に加わるようになっていた。
それから和やかな時間を過ごすこと一時間――。
「では、本題に入りましょうか。アリスティアさん。」
その一言を境に、先ほどまで和やかだったお茶会の空気は、一瞬にして張り詰めた。
「は、はい……」
アリスは顔をきゅっと結ぶと、ブリジットのことを見た。
「アリスティアさん。いえ、アリスティア。あなたの名前を教えていただけるかしら。」
「アリスティア・スパリエルと申します。」
(スパリエル……)
スカーレットはいつもと同じように、頭の中で貴族家の系譜を思い返した。
「なるほど……スパリエル伯爵家の血を引いていらっしゃるのですね。」
アリスはこくりとうなずいた。
「はい。今は没落してもうありませんが……」
スパリエル伯爵家が没落した理由は、継承者を失ったためだった。
スパリエル伯爵夫妻は長らく子宝に恵まれず、ようやく授かった娘も成人を迎える前に国を去り、そのまま戻ることはなかった。
「もしかして、あなたが……?」
ブリジットは首を傾げた。
スパリエル伯爵家が没落したのは十年前。
当時、アリスはまだ四歳。
(年齢が合わないわね。)
「いえ、私ではありません。私の母が駆け落ちして……生まれたのが私です。」
「「「駆け落ち!?」」」
三人の声が重なった。
貴族の間では政略結婚がほとんど。恋愛結婚できることはほぼない。
「はい……その時に家に出入りしていた商人と……その、恋人関係になったようで。気づいたときには私を身ごもっていて……。それが家に知られることを恐れた母は、商人とともに家を出たそうです。」
(なるほど……)
つまり、その商人の父親こそ、以前アリスを「孫」と呼んでいた老人なのだろう。
だが、一つ分からないことがある。
「駆け落ちするほどの仲だったというのに、なぜシルベリアン公爵家にいたのかしら。」
今まで黙って聞いていたニコレットが声を出した。
「……それは……」
アリスが口ごもった。
庭園内が静まり返り、さらさらと木々を揺らす風の音だけが響き渡った。
「お祖父様に言われたからです……。」
「お祖父様?」
「はい。父は私が小さいころに事故に巻き込まれて亡くなりました。父の死後に知ったのですが、父はファンラット国シャンシラ公爵家の血を引く者だったのです。」
どうやら、祖父本人が公爵というわけではないらしい。
(国の外へ出ることを許されていたということは……本家ではなく、傍流の出だったのかしら。)
「ファンラット国の人はあまり国の外へ出ないと聞いていたわ。」
「はい……ですが、父は違いました。閉鎖的な国があまり好きではなかったから商人になったのだと言っていましたから。」
「それで?その話がシルベリアン公爵家に行くことと何か関係があるの?」
ニコレットは答えを急かすように促す。
(あれね……小説であらすじだけ読めば満足するタイプの人だわ。)
「申し訳ございません。父が亡くなった時、どこで嗅ぎ付けたのか、祖父が現れました。そして、母にシルベリアン前公爵へ近付くように言ったのです。その時、まだ生まれたばかりのドルディーとドルダムを母から奪って……ドルディーとドルダムは父の目を受け継いで赤かったので、ファンラット国に連れていかれたのだと思います。ですが、私は母に似たので……母についていくよう言われました。」
「それでシルベリアン公爵家にいたのね。」
「はい……」
「「「そういうことね……」」」
ブリジット、ニコレットもここまで聞けば何があったかわかったのだろう。
それ以上のことを聞こうとはしなかった。
そんな時――
「それで……?あなたはこれからどうするの……?」
ニコレットはアリスに尋ねる。
「どうするって……私はすでに捕虜の身では……?」
「それを決めるのはあなたではないわ。でも、ここまでの話を聞いて、女をコケにするような男……」
ブリジットとニコレットはぱたんと扇子を閉じて、目を細めた。
その目には光が宿っていない。
「制裁を加えてやらないと気が済まないわね。」
冬でもないはずの庭に冷たい風が吹きあがった。
冷たい風が頬をなで、熱を帯びていた思考がゆっくりと冴えていく。
スカーレットは話を頭の中で整理した。
どこからどこまでが計画だったのかはわからない。
もしかすると、アリスの父親が商人としてこの国に入り込んだこと自体が計画だったのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
だが、一つ言えるのはこの国にはファンラット国と通じている誰かがいるのは確かだ。
(ますます……面白くなってきたわね。久しぶりに、アゲハに会いに行こうかしら。)
スカーレットはこれからのことを考え、皆にばれないように一人微笑んだ。




