屋敷の中の肖像画。
「昨日のサイン会……とてもよかったですわね。」
「本当ですわね。わたくしもラフコリーのように、シーツを使って塔から降りてみたいと思ってしまいましたわ。」
「崖の下で王子様が待っていてくださったら素敵ですわよね。」
「「「夢がありますわよねぇ~」」」
貴婦人たちの声が重なった。
「それよりも、王妃様がいらっしゃるなんて驚きでしたわね。」
「本当ですわね。ですが、そのおかげでしょうか。以前は王妃様が雲の上のような存在でしたけれど、少し近づいたような気がしますの。」
「「「わかりますわ~。」」」
「次回お会いした時は、もう少しお話してみたいですわね。」
***
お邪魔虫夫人のサイン会が行われた翌日――
「コレット、王妃様がお呼びよ。」
「はい、今すぐ参ります!」
ブラウンのウィッグと、シンプルな侍女服に身を包んだコレットは、慌ただしく王宮内の廊下を駆けていた。
その姿をみて誰一人『お邪魔虫夫人』と気づく者はいない。
(今頃パドリックは侯爵家へ行っている頃かしら……)
コレットは王城の窓の外へ視線を向けると、小さく息を吐いた。
その頃――
「シルベリアン公爵はご在宅か!」
パドリックは子供のようにいじけるセドリックを連れ、シルベリアン公爵邸を訪れていた。
「なんだ……こんな朝早くに……」
(もう昼過ぎだぞ……)
パドリックはアデラールの姿に思わずため息を吐いた。
それもそのはずだ。
太陽はすでに頭上高く昇っているというのに、目の前の男はガウンを着て、気怠そうに寝癖の残る髪をかき上げているのだから。
見目がいいだけに、そのだらしない姿でさえ絵になってしまうのだが……
(こんな公爵で、領地は回るのか……)
パドリックは静かに額へ手を当てた。
「それで、何しに来た。」
アデラールは、目の前に置かれた水を一口飲む。
セドリックはそんなアデラールの姿を見て、今にも食って掛かりそうな勢いだ。
(頼むから……ことを荒立てるなよ……)
本来であれば一人で来るはずだったのだが、昨夜パドリックが屋敷に戻るとセドリックがエントランスの前で仁王立ちしていた。
その少し後ろにはハンカチで汗を拭く従者が申し訳なさそうな顔をしている。
(捕まったか……)
『兄上。』
『なんだ……?』
セドリックは長い足で近づいてくると、パドリックを見下ろす。
(本当に……図体ばかりでかくなりやがって……)
パドリックは負けじとセドリックを見上げた。
『聞いたぞ。コレットと会ってきたそうじゃないか。なんで、俺を連れて行ってくれなかったんだ。』
『暴れるからだ……。』
『な……俺は暴れたりしないぞ!?』
『いや、つい最近暴れたばかりだろうが。この脳筋が!』
パドリックはセドリックの頭を鷲掴みにした。
だが、セドリックは本当に自分が暴れたという記憶がないようで首を傾げる。
『どうやら……何もわかっていないようだな……そんなだからコレットに逃げられるんだぞ?』
『な、逃げられてなどいない。コレットが恥ずかしがっているだけだ!』
(……本当にそう思っているのか?)
セドリックの顔には、一片の疑いすら浮かんでいない。
パドリックは思わず空を仰ぎたくなった。
(……仕方ない。このまま一人で動かれる方が厄介か。)
パドリックは一瞬考えてから、
『はぁ~……そこまで言うなら……明日一緒についてこい。ただし、もし暴れたりしたら今後一切連れて行かないからな。お前を騎士団に預けるぞ?わかったな?』
騎士団に入れば、最低でも五年は抜けられない。
そうなればコレットと次に会う時は恐らく別の男と結婚しているか、どこかに行っているだろう。
セドリックもそれはわかっているのか、目を伏せると『それは嫌だ……』と小さく呟いた。
(子供か……)
『わかった……いや、わかりました。明日ですね。準備をしておきます。』
『変なものは持っていくなよ?』
『変なものとは……?』
『一週間前にばらまいただろ?貴族街中に……』
パドリックは馬車の中で自死した男のこと、そして帰宅前にマリウスが話していたことを思い出した。
コレットが脱出した日、貴族街のあちこちでドンッドンッと大きな音が鳴り響く事件が起きていた。
幸い、誰一人として巻き込まれた者はいないが――
(あれがなければ……さらわれた人たちはまだ地下にいたかもしれない……)
そう思うと、複雑な思いが胸に残る。
『あれはコレットを助けるために仕方なく……』
シュンッと落ち込む姿はまるで怒られた犬のようにも見える。
だが、それは兄であるパドリックに通用しなかった。
『やりすぎなんだ。そもそもコレットがそんなことをして喜ぶと思っているのか?だったら、お前はコレットのことを何もわかってはいない。ふっ……本当にコレットを妻にしたいというなら、もう少しあいつのことを知った方がいいぞ。なんだかんだあいつの周りには色々な男がいるからな……。』
『コレットを好いている奴が、他にもいるというんですか!?』
パドリックはアンソニーとリュシアンのことを思い出した。
アンソニーはコレットの相棒のような立ち位置にいるし、リュシアンも会えてはいないが気にかけているのは言葉の端々から伝わってくる。
(……こんな面白いこと。誰が教えてやるか……)
ほんの少し焚きつけてやるくらいが、今はちょうどいい。
パドリックは含みのある笑みを浮かべた。
「……さぁな。」
(これが起爆剤にでもなってくれればいいが……)
そして現在――
セドリックは、名前だけでもコレットの旦那であるアデラールを見据えている。
(感情はむき出しだが……まだ手を出さないだけましか……)
殴りかかりそうな拳を自分で抑え込んでいるセドリックを見てホッと息を吐いた。
「では……本題に入らせていただきましょうか。この家にアリスティアという方はいらっしゃいますか?」
「……アリスティア?いや、聞いたことがないな。」
アデラールは顔色一つ変えない。
本当に知らないのか――
知っていて隠しているのか――
もし後者であれば、かなりの演技力だ。
「そうですか……。では言い方を変えましょう。最近あなたの奥様の実家、ボルダコリー伯爵家に貴族街の屋敷を一つ譲っていますね。」
「あぁ、もともと我が家で管理していた屋敷だ。ボルダコリー伯爵家には世話になっているから譲った。」
「なるほど……。そうでしたか。」
パドリックは一つ頷く。
「では、もう一つお聞きします。実はその屋敷ですが……白髪で赤い瞳を持つ老爺が住んでいらっしゃったのですが、ご存じではございませんか?」
「いや……知らんな。そもそもあの家は、父の代から我が家で管理していたのだが、私は一度も行ったことがないんだ。父には愛人がいたからな。その女を住まわせていたのかもしれん。」
「愛人ですか。では、その愛人ですが、このようなお顔をされていませんか?」
パドリックは、胸元から一枚の絵姿を取り出した。
これは、屋敷のダイニングルームに置かれていた絵姿を模写したものだ。
アデラールは絵姿を手に取ると、ちらりと目を通し、従者へ渡した。
「似た女ならこの家に侍女として住み込んでいるぞ。」
アデラールは連れてくるように従者に指示を出した。
それからしばらくして――
絵姿によく似た女性が侍女の姿で現れた。
***
従者から「部屋を出るな」と言い渡されてから、しばらくすると――
従者は血相を変えて戻ってきた。
その手には侍女の制服が握られている。
「どうしたの?そんなに慌てて……」
「アリスお嬢様。今すぐこちらへお着替えください。」
「えっ?どういうこと?」
従者はアリスの腕の中に侍女の制服を押し付けると、何一つ説明することなく部屋の外へ出た。
アリスは事情を聞こうと扉を開けるが、びくともしない。
「着替えるまでここから出ることは許されません。今すぐ着替えなければ旦那様があなたをこの屋敷から追い出すと仰っていましたよ?いいんですか?住む場所もお金もないですよね?」
(何をそんなに焦っているのかしら……?)
アリスは小さく息を吐くと、侍女の制服へと着替える。
黒を基調としたロングスカートに白いエプロン。
スカートだと動きにくいと思いがちだが、見た目とは違い、意外なほど動きやすい。
(これ、動きやすいわね……)
着替えが終わって、扉に近付くと、扉を押さえている従者に声をかける。
「着替え終わったわよ。」
すると、待っていましたと言わんばかりに扉が勢いよく開いた。
従者はアリスの手首を掴むと、有無を言わせず応接室へ向かった。




