白髭屋敷の地下室。
「全く……姉上と来たら……」
「お前も振り回されているんだな……」
マリウスは屋敷内に入ると、急いで地下室へと向かっていた。
「アンソニー殿も……大変ですよね。本当に姉上が申し訳ございません。」
「ハハハ……慣れてきたよ。それに見ていて飽きない。今回のことだってな……」
遠い目をするアンソニーに、マリウスは「確かに……」と小さく頷いた。
――コレットがこの屋敷から逃走した日。
アンソニーはコレットから色々頼み事をされていた。
『ねぇ、トニー。このまま帰ったら逆に怪しまれると思うの。今度こそ殺されるかもしれないわ。』
『お前……なんでそんなに嬉しそうなんだよ……』
話していることは物騒なはずなのに、コレットの顔は満面の笑みで嬉しそうだった。
『ふふっ。だって、こんなに私の小説を楽しんでくれる人がいるなんて思わないじゃない? あっ……!』
何か思いついたのか、さらに口角が上がる。
その顔はまるでイタズラを思いついた子供のような顔だった。
(嫌な予感がする……)
『いいこと思いついたわ!』
アンソニーの心の中の声とコレットの声が重なった。
『アンソニーにお願いがあるの。王城の侍女として働かせてくれないかしら。もちろん私であることは隠すわ! 王族専属の侍女とかでなくていいのよ。掃除、洗濯をする下っ端侍女でいいの。』
(やっぱりな……)
『ねっ? あなたならできるでしょ?』
コレットは両手を顔の前で合わせて、首を傾げる。
(なんだかんだ……この顔に弱いんだよな…………)
アンソニーは頭をガシガシ掻きながら、「わかった」と一言伝えた。
そこから話は思った以上にスムーズに進み……
「まさか、ブリジット王妃まで今回参加しているとは思わなかった。」
「えっ!? 姉上……王妃様まで連れてきていたんですか!? 何やってるんだ……」
二人がコレットのことを話しながら地下に続く道に進んでいるその頃――
「クシュンッ」
「あら、お邪魔虫夫人……まだ体調が優れないのではなくて?」
「いえ、大丈夫です。きっとわたくしのファンの方が噂をしてくださっているのだと思いますわ。」
コレットに案内され、貴婦人たちは塔の前までやって来た。
「こちらが『ラフコリーの塔』のモデルとなった場所でございます。すぐ後ろに崖がありますので……皆様、お気をつけくださいね。」
崖から風が舞い上がり、コレットのドレスを揺らす。
「三十分ほど自由時間にさせていただきます。その間、ゆっくり色々見てくださいませ。もちろん皆さんでお話をしていただいてもかまいません。」
コレットはスカートの裾をつまみ、左足を後ろに下げた。
「それでは……また後ほど……」
それだけ言うと、以前見つけた隠し扉から屋敷の中へと姿を消した。
「きゃあああああ! あれが噂の隠し扉!?」
「本当にあるのですわね。ここも小説の中そのものですわ。」
「えぇ、まるで主人公になった気分ですわね。」
隠し扉の外にいたコレットは、貴婦人たちの話を聞いて自然と頬を緩めた。
そして――
パチン
自分の頬を叩くと、力強く前を見据えた。
「さっ、時間もあまりないし急がないとね……」
ドレスの裾を手繰り寄せ、ヒールを脱ぐと、コレットは地下室を目指して走り始めた。
***
ピチャン、ピチャン
マリウスとアンソニーは、コレットから渡されていた地図を頼りに地下室の奥へと進んでいた。
「うっ……これは……結構きついですね。」
「そうだな……」
薄暗い地下室。
天井からは絶え間なく水滴が落ち、湿った石壁には黒い黴が広がっている。
カビ臭い臭いに鉄錆のような血生臭さが混じり、息をするたび、胸が悪くなりそうだった。
「確か……この奥にもう一つ扉があると言っていたな。」
マリウスの持っているランプの炎がゆらりと揺れる。
「どうやらこの先から風が流れているようですね。」
慎重に奥へと進んでいくと――
「ここだな……」
鉄でできた頑丈な扉が、行く手を阻むように現れた。
二人は一度深く息を吐き出す。
この先で目にするものが、想像を絶するものであることは容易に予想できた。
意を決し、扉を開けようと手をかけた。
その瞬間――
「ハァ、ハァ! トニー、マリウス。待ってぇ!」
後ろから、高すぎず、低すぎない何度も聞いたことのある声が二人の耳に届いた。
「……姉上。」
「……コレット。」
二人の声が重なる。
「私も一緒に行くわ!」
(今、塔にいたはずじゃ……)
「どうしてこちらに?」
マリウスは、いるはずのないコレットを見て首を傾げた。
「それはもちろん……」
「ネタ探しか……」
「ネタ探しですか。」
「ふふっ、二人とも息ぴったりね。」
「でも、ちょっと違うわ。」
コレットはふっと笑みを消すと、二人を押しのけて扉の前に立った。
「私の友人がここにいるの……待っててって約束したから……」
コレットの言葉に二人は顔を合わせる。
(こいつ……本当にコレットか?)
「姉上……頭を打ったんですか?」
「ちょっと、失礼じゃない……?」
(マリウスの言いたいことも分かるが……)
アンソニーはマリウスとコレットを交互に見た。
顔もそこまで似ておらず、髪色も違う。
コレットはこの国では珍しい赤い髪色。
マリウスはキャラメルのようなブラウン。
性格も似ているようで似ていない。
(逆にそれがいいということか。)
「ふっ……」
アンソニーは二人のやり取りを見て思わず噴き出した。
「なんですか?」
「なに?」
二人は勢いよくこちらを振り返る。
(こういう時ばかり揃うんだな……)
「いや、なんでもない。そろそろ進まないか? コレットの友達も待っているんだろ?」
「そうね。他にもシルベリアン公爵領の子たちがいるはずよ……」
コレットと出会ってそこまで長いわけではない。
だが、いつの間にか彼女の近くにいるのが日常になっていた。
(なんか……いいな。こういうのも。)
地下室の重苦しい空気が、コレットが来たことで薄れているのが分かる。
「さっ、進みましょうか。」
「はい。」
「そうだな。」
ギィー
コレットが扉を開ける。
刹那――
扉の中から、花と血の混ざった、なんとも言えない匂いが外へと流れてきた。
三人はその匂いに、思わず顔を顰める。
「前より酷くなっているわね……」
「これは結構きついですね……」
アンソニーとマリウスは持っていたハンカチで鼻と口を覆った。
しかし、コレットだけは迷うことなく奥へと足を踏み入れる。
コツン、コツン
「シバ! お待たせ。迎えに来たわ。」
地下室に、コレットの声と足音だけが虚しく響く。
「シバ?」
返事はない。
ピチャン、ピチャン
しんと静まり返った地下室には、水滴が落ちる音だけが響いていた。
「……おかしいわね。前はもっとうめき声とか聞こえていたのに……」
コレットの表情から笑みが消える。
「姉上……」
マリウスがランプを掲げ、辺りを照らした。
そこには――
鎖だけが床に転がっていた。
誰の姿もない。
「……やられたわ。」
コレットは鎖を見つめたまま、静かに呟いた。
その呟きは、静まり返った地下室へと虚しく溶けていった。
一方、その頃――
男を連れたパドリックは王城へと向かっていた。
「くっ……くくっ……くははははははっ!」
「何がおかしい。」
「いや、なに……全てあの方が言った通りになったと思ってな。」
ガリッ
「うっ……」
男はそれだけ話すと、喉を押さえて苦しみ出した。
「おい、何をしている!」
パドリックは男に近づくと、背中を強く叩いた。
が、しかし……
「だめだ……死んでいる……」
男は、すでに息絶えていた。




