あくまで作家ですので。
「そろそろ手を離してくれない?」
森の中、コレットはアンソニーに手を握られたまま、出口へと向かっていた。
「ねぇ? 聞いてる?」
アンソニーは歩くのに夢中なのか、コレットの声に気づくことなく、ひたすら前を向いて歩いている。
「ねぇ? トニーってば……!」
「すまない、何か言ったか?」
コレットが急に立ち止まったことで、アンソニーが振り返った。
(本当に聞こえていなかったのね。)
コレットは視線を自分の手首の位置へ向ける。
すると、アンソニーも理解したのか、パッとコレットの手を離した。
「すまない。すっかり忘れていた。」
「『すっかり忘れていた』じゃないわよ! それより、一体ここで何が起きているの?」
誰かが屋敷内に何かを投げ込んでいるのは分かる。
その度に煙が舞っているくらいだ。
だが、誰が何のために行っているのかは理解できなかった。
(助けに来た……って感じじゃなさそうだし……)
「なんか、大人数で助けに来たって感じじゃないし、この家に恨みのある人がやっているのかしら。だとしたらいい迷惑だわ……」
せっかく地下の場所まで突き止めて、何が行われているか小説にしようと思っていたのに……
コレットは小さく首を横に振る。
「……」
そんなコレットを見て、アンソニーは肩を竦めた。
「あっ、トニーは誰がこんなことをしているか知っているの? もしかして、私の落とした小説を拾ってくれたのもトニー?」
「そうだが……」
アンソニーが口を開いたその時だった――
「『塔の上のラフコリー』、まだ終わっていないんだけど、いい出来栄えだったでしょう? ……って、どうしたの? そんな顔して。」
コレットの言葉は鉛玉のように次々と放たれた。
と、同時に、それとは反対にトニーは苦虫を噛み潰したような表情になった。
「お前……捕まってたんだろ? なんでそんなに元気なんだ?」
「……えっ?」
コレットは一瞬言葉を失った。
まさか、そんなことを聞かれるとは思っていなかったからだ。
「元気……? って……まぁ……私は何もされてないからかしら。確かに追いかけっこはしたけど……それだけだったし……それより、早く帰りましょう。小説の続きを書かないといけないのよ! じゃないと……新鮮な記憶が消えていってしまうわ!」
地下室で起きていたこと。
作られていた何か……
赤い瞳……
そのどれもが、コレットにとっては小説の格好の題材だった。
アンソニーは、呆れた顔でコレットを見ると、小さくため息を吐いた。
「はぁ……お前らしいっちゃお前らしいのか。それで……? お前はこれからどうしたいんだ?」
コレットはニコリと微笑む。
「決まっているじゃない。シルベリアン公爵邸に戻るわ。それに、私の考えが正しければ、今頃あの屋敷は鼠でいっぱいよ。」
「ね、ネズミ?」
「そう! 今回の騒動はシルベリアン公爵が原因と思うかもしれないけど……実際は違う……と、言うより関わりはあるけど、あのボンクラ公爵は気づいてもいないと思うわ。まぁ、ここから先は小説を楽しみにしていて?」
「いや、ここで話せよ。」
コレットは悪戯っぽく笑うと、「チッチッチッ」と指を振った。
「だめ! それだけはできないわ。」
「おい、まだ話は――むぐっ……」
そう言うと、コレットは人差し指をアンソニーの唇にそっと当てた。
「だって、私は作家『お邪魔虫夫人』ですもの。ここはやっぱり作品で盛り上げないと……でしょ?」
アンソニーは何か言い返そうと口を開いたが、結局言葉を呑み込んだ。
同時刻――
シルベリアン公爵邸には、数名の男が押しかけていた。
「な、何事だ!」
「お久しぶりですね、シルベリアン公爵。私のことは覚えていますか?」
「お前は……たしか……シェアパード公爵子息ではないか。」
(名前は覚えていないようだが……及第点か……)
シェアパード公爵家は、法務を統括する公爵家である。
その訪問を拒むことは、不文律として許されていない。
もし断るような素振りを見せれば、逆に『何か隠している』と疑われかねない。
パドリックは目を細めて微笑んだ。
「覚えてくださったようで何よりです。今日は聞きたいことがあって参ったのですが――」
アデラールはパドリックの言葉を遮ると、目を釣り上げて怒鳴り始めた。
「私は何もしていないぞ! 準王族である私を疑うつもりか?」
(分かりやすいな……)
その間も、パドリックは表情を変えることなく話を続ける。
「とんでもございません。むしろその逆です。あなた様も騙されている可能性がございます。」
「な、なんだって!? 騙されている? 誰にだ!?」
たった一言。
それだけで、アデラールの怒鳴り声が落ち着き、こわばっていた表情が緩む。
その一挙手一投足は、事件への関与を強く疑わせるには十分だった。
だが――
(だからといって……こいつをここで捕まえられるわけではないんだよな……)
侍女や従者。
そして領地の子供たち。
いなくなった者は多いが、アデラールが主犯だという証拠はどこにもない。
「そちらについては、まだ調査中のためお伝えできません。」
「そ、そうか……」
「はい……分かり次第お伝えいたしますので……先にお話だけ聞かせていただいても?」
パドリックは目尻を下げて、柔らかな笑みを浮かべた。
その柔らかな笑みに警戒心を解かれたのだろう。
「わかった。」
アデラールは短く応えると、パドリックを応接室へ通した。
「それで、聞きたいこととは何でしょうか?」
「最近、この辺りで失踪事件が相次いで起きております。そちらについてはアデラール殿下もご存じでしょうか?」
「あぁ、知っている。」
『殿下』と呼ばれたことで、気をよくしたのか、アデラールは椅子に座るなり足を組み、横柄な態度を取り始めた。
現国王にはリュシアンしか子供がいない。
そのため、アデラールは継承権第二位の準王族となる。
(こいつを王族とは認めたくないが……)
パドリックは心の中で舌打ちをしながら、話を続けた。
「最近、噂でアデラール殿下のもとでお仕事をされている方々も消えているとかいないとか……実際どうなのでしょうか?」
パドリックが周囲を見渡すと、そこには赤い瞳に近いブラウンの瞳をした者や、コレットのように赤い髪色をした者が仕事をしているのが見える。
(あれが……ファンラットの者か……)
「あぁ~、そんなこともあったかもしれないな。アリスに侍女が足りないと言われたんだ。」
(アリス……? ポメラニアンのことか……?)
パドリックは、『お邪魔虫夫人』の小説の内容を思い浮かべる。
(ここで知っている素振りを見せない方がいいか……)
「失礼ですが……アリスとはどなたでしょうか?」
パドリックは首を傾げた。
「なんだ。そのようなことも知らんのか?」
「申し訳ございません。貴族名鑑には登録されていないようですから……」
その言葉を聞いて、アデラールははっと息を呑み、パドリックから視線を逸らした。
「あ、あぁ~アリスは間違いだ。そうだ……アレットだった。」
(自分の妻の名前も覚えていないか……)
パドリックは今出た名前をノートに書き写していく。
「アレットですか……そのような名も存在していないようですが……」
「そんなはずはない! きちんと調べてもらえれば分かるはずだ。」
「そうですか。もしかすると貴族名鑑の登録名が間違っている可能性もございますし、一度調べてみましょう。」
「そうしてくれ。」
アデラールの短い返事に、パドリックは頷いた。
「承知しました。では、話の続きですが……侍女が足りないと言われた際、アデラール殿下は何をされたのでしょうか?」
「金を渡した。それで新しい侍女を探すようにな。」
「その時の従者の顔は覚えていらっしゃいますか?」
アデラールは周囲を見渡し、従者を探す。
「いや、覚えていない。ただチカチカするような目の色をしていたのは確かだが……」
(そこまで無頓着とはな……)
「そうですか。色々教えていただきありがとうございました。参考になりました。」
「もう、いいのか?」
パドリックが立ち上がると、アデラールは目を瞬いた。
もっと色々聞かれると思っていたのだろう。
だが、パドリックは自分で追い詰めるようなことをしない。
「えぇ……十分話は聞けましたので……あぁ、それと……最近、とある作家が話題でしてね。よければアデラール殿下も読んでみてください。それでは……また何か分かりましたら報告に参ります。」
(種は蒔いたぞ……コレット。)
何も知らないアデラールは、パドリックの背中を見ながらニヤリと笑った。
それは勝利を確信した笑みだった。




