シルベリアンの笛吹き人。
ポロン……トゥールルル~♪
真夜中――
シルベリアン公爵邸では、澄んだ音色が窓の外から流れてきていた。
***
「今日は何を食べようかしら。」
コレットは侍女の制服に着替えると、寮内のダイニングルームへ足を運んでいた。
パン、サラダ、オムレツ、スープをトレイの上に乗せていく。
寮内では誰がいつ食事を食べれるか分からないため、好きな時間に好きなだけ食事を取れるバイキング形式となっている。
アレットはトレイを持つと、ダイニングルームをぐるりと見渡した。
「あら、今日は一段と人が少ないのね。」
ガラッとしたダイニングルーム。
いつもであれば、ここで働く人達で賑わっているからだろうか。
まるで別世界に来たのではないかと錯覚しそうだ。
(なんだか……変な感じね。)
アレットが何処に座ろうか、ボーッと考えていると――
「アレット、おはよう」
近くの席に座っていた一人の侍女が声を掛けてきた。
「おはよう……えっと……」
(こんな人いたかしら……)
アレットは……脳内にあるメモ帳をペラペラと素早く捲っていく。
グレーがかった白髪に、赤みがかったブラウンの瞳、子供のような顔立ち。
そして笑うとちょっと大きめの前歯が目に入る。
(これだけ特徴があれば覚えていそうなんだけど……)
だが――
いくら探しても一致する人物は出てこなかった。
「いやだぁ~忘れちゃったのぉ?隣の部屋のピグミーよ?」
「あ、あぁ……そうだったわね。ごめんなさい……名前覚えるの得意じゃなくて……」
「ふふっ……分かるわ!これだけ働いている人がいるんだもの。覚えられないわよね。」
「そうなのよ。それに、入れ替わりも激しいから余計覚えられないのよね。それじゃまた後で。」
アレットとピグミーに合わせるように微笑むと、適当に会話を切って別の席に座った。
(なんだか……おかしいわ……)
ピグミーには顔を覚えるのが苦手で通したが、脳内に貴族名鑑が入るほどの容量を持っているアレットにとって、むしろ人の顔や名前を覚えるのは得意なほうだ。
だからこそ、これだけ特徴のある侍女を覚えていないなんて不思議でならなかった。
アレットはピグミーから離れると、空いている席についた。
「アレット、おはよう……って、どうしたの?そんな怖い顔して……」
「ボロニー……おはよう」
シバとよく一緒にいた侍女、ボロニーの真っ白な髪を見て、アレットはホッと胸を撫で下ろした。
「いえ、なんでもないの。さっき知らない侍女に声を掛けられてね。ピグミーって言うんだけど、あなた知らない?ほら……あそこに座って……」
アレットはピグミーに気づかれないよう、視線だけを動かした。
だが――
先ほどまで座っていたはずのピグミーは既にその場にはいなかった。
「ピグミー?って聞いたことないわねぇ……」
「そ、そう……」
(まさか……幽霊……なわけないわよね。)
その瞬間――
ひやりとした感触が頬を撫でた。
「……!」
ガタガタッ
アレットは反射的に立ち上がると、ダイニングルーム中の視線が一斉に集まった。
テーブルの上にコップの水が散らばる。
「アレット!どうしたの?」
「あはは、アレットが驚いてる!」
アレットは恐る恐る後ろを振り返る。
「ごめんね。そんな驚くと思っていなかったのよ。頬にパンくずが付いてたから取ろうと思って……」
そこに立っていたのは、シバとよく一緒にいた侍女、シーズだった。
(びっくりした……幽霊なんていないってわかってるのに……)
普段から目に見えるものだけを信じているアレットだったが、まさかの出来事が重なって自分でも思っていた以上に驚いてしまった。
「いえ……こちらこそ驚いてしまって、ごめんなさい。」
アレットはこぼした水を拭きながら、先ほどいた小さな侍女のことを考えていた。
(ピグミーね……雰囲気が少しアリスのお祖父様に似ていたわね。)
アレットはピグミーが何者なのか――
パンを口に運んでも、頭の中には『ピグミー』という名だけが残り続けていた。
一方、その頃――
ボルダコリー邸には図体ばかり大きくなった男が、ガゼボの石机の上に突っ伏していた。
「あぁ~あぁ~暇だなぁ……」
「『暇だなぁ……』って、なんでお前がいるんだ。セドリック……」
「暇だから来た……」
マリウスは目の前の男を見てため息を吐いた。
(ここはお前の家じゃないんだが……)
王都の貴族街は領地と同じ並び順をしている。
そのため、ボルダコリー邸とシェアパード邸は隣同士にあるのだが……
(……パドリックに追い出されたんだな。)
目の前のやる気のない男を前にすると、ため息しか出てこない。
「はぁ……そんなところにいたって姉上は帰ってこないぞ?どうせ今頃、『うふふ……なにか匂わない?あの人のあとを追ってみましょ?』とか言って、笑顔で人の後を追ってる頃だろうしな……」
「あぁ~でもあの笑顔も可愛いんだよなぁ。ほら、いたずらっ子な顔するじゃないか?」
「やめてくれ。姉上のそういう話は聞きたくない。」
マリウスはセドリックが座っているガゼボに腰を下ろした。
「はぁ……隣に座るのがマリウスじゃなくて、コレットだったら良かったのにな。」
「悪かったな。姉上じゃなくて……それより、お前に仕事だ。」
毎日のように来るセドリックをどうにか動かせはしないか……
マリウスはここ数日ずっと同じことを考えていた。
そんな時、小説の中からある店の名前を手に入れたのだ。
「ここを見てみろ。」
マリウスがセドリックの前に朝刊を置くと、机の上から頭を起こした。
「ゴールデン商会……?」
「そうだ。この『ゴールデン商会』だ。姉上なら放っておかない店だと思ってな。行けば何か手掛かりくらいはあるかもしれん。」
ガタガタッ
「コレットに会える……」
「いや、そこまでは言っていない。」
セドリックは朝刊を持つと、そのまま走って屋敷の外へと向かった。
「あっ、待て。これを持ってってくれ。」
マリウスは一通の手紙を渡そうとしたが、セドリックは弾丸のようにこの場を去った。
「あいつ……行先わかってるのか……?」
マリウスは小さくなるセドリックを見て肩を竦めた。その手には行き場を失った手紙だけが残った。
「まっ……なんとかなるか。」
一応あんなんでも、シェアパード公爵家の男だ。
それにマグナクーニア皇国の学園に留学できたのだ。
(頭は切れるんだよな……)
マリウスは静かになったガゼボに腰を預けると、天を仰いだ。
誰もいない静かな庭。
丁度いい風がそよそよと鼻先をくすぐる。
(まったく……手のかかるやつだ。)
姉上が絡まなければ驚くほど腰が重いくせに、ひとたび絡めば一直線。
「姉上を捕まえるのは大変だぞ……」
マリウスは何度目かも分からないため息を吐くと、そのまま目を閉じた。
―――――
『シルベリアンの笛吹き人』
作者:お邪魔虫夫人
誰もが寝静まったころ。
どこからともなく笛の音が聞こえてくる。
しかし、その音がどんな音だったのか覚えているものは一人もいない。
なぜなら――
その音を聞いた者は、翌朝には姿を消してしまうからだ。
ポロン……トゥールルル~♪
今日もどこかで笛の音が鳴り響く。
そして、夜が明けた時、一人の侍女が忽然と姿を消していた。




