アリスの魔法使いはアレットでした。
「皆様、今週の朝刊小説お読みになりまして?」
「えぇ!まさかの展開ですわね……」
「わたくし……我儘なだけのポメラニアンかと思っておりましたけれど……あんなことがありましたら性格が歪んでしまってもおかしくないと思いますの。」
「そうですわね……わたくしもおなじ境遇でしたらそうなっていたかもしれませんわ……」
「それにしても赤い瞳を持つ国……聞くだけでもゾッとしますね……」
貴婦人たちは、小さく肩を震わせる。
赤い瞳を持つ国――。
幼い頃、母から読み聞かせられた物語にもたびたび登場した、小さくも恐ろしい国。
サロン内が静まり返る。
そんな時、一人の夫人がガラリと変えた。
「聞いてくださいませ。最近ではわたくしの主人もこの小説の虜になっておりますの。」
「あら、あなたのおうちも?わたくしの主人もなの。わたくしが読む前に必ず読んでいるわ。」
「「「この先、一体どうなってしまうのかしら……」」」
***
屋敷から帰る中、
カラカラ――
馬車の走る音が、やけに大きく聞こえる。
あの後、アレットはアリスの手を引くと、そのまま馬車の中へと連れていった。
相手の男が何を思ったかは分からない。
だが、赤い瞳は揺らぐことなくアリスを見据えていた。
(あの男にとって、この子は物でしかないのね……)
二人の間に重い空気が流れる。
そんな時――
「ふふっ……ふふふふっ……」
アリスは顔を伏せながら、急にお腹を抱えて笑いだした。
「ふふ……ふははははははは……」
あまりの光景に、アレットは目を疑う。
(何か変なもの食べたかしら?)
シルベリアン公爵が出てから、何も口にしていないはずなのだが……
「あの顔……みた?」
「あの顔……ですか?」
「そう。あの男が杖を振り下ろそうとした時よ。」
あの時は、振り下ろそうとした勢いを使って、逆に男を吹き飛ばしたのだ。その時杖も一緒にスポンッと抜けてしまったのである。
「傑作だったわ。何も言い返すことができず、呆けた顔をしてるんだもの。あの男のあんな顔初めて見たわ。」
「そう……ですか。」
暗がりだったせいもあるのだろう。
アレットの記憶に残っているのは、男が赤い瞳を持ち、アリスの祖父だったということだけだった。
アリスは目尻に溜まった涙を拭くと、アレットを見る。
「あなた……何も聞かないのね?」
「何も聞かないとは……?」
何も聞かない……と言うよりは、二人の行動を観察していればある程度理解できるからだ。
アレットにとっては感情よりも、事実の方が大事なのである。
「ふふっ……そういうところ、嫌いじゃないわ。」
「わたくしはあくまで」
「「侍女ですので……」」
「でしょ?」
二人の声が重なった。
「ねぇ、アレット。」
アリスは緩んでいた顔を引き締める。
「今まで、ごめんなさい。貴方だけではないわ……ほかの侍女や従者たちもそう……。アデラールの今までの妻達にも悪い事をしたと思っているの。」
「そうですか。でしたら、わたくしではなく直接本人に謝った方がよろしいかと思います。」
「そうね……謝れる人には謝るわ。でも、これだけは言わせて?あなたがあの男を恐れなかった姿を見て、少しだけ自分にも勇気が湧いたの……」
(あれだけで……?)
アレットはアリスの言葉に首をかしげた。
「アデラールが私に興味なんてないことも知っていたわ。あの人の義妹になったのだって、全部あの男が決めたこと。私の意思なんて、一度だって聞かれなかった……」
「私に残されたのは従うことだけだったの。」
(なるほど……ね。)
その言葉を聞いて、アレットは脳内にあったピースがカチャカチャと動き始めるのを感じた。
(帰ったらトニーに会いに行かないとね……)
アレットは正面に座るアリスの頭をポンポンッと撫でた。
「では、その勇気。少しの間、わたくしに預けてくださいませ。」
アレットは小さく微笑むと、アリスの耳元で囁いた。
***
「来たか……」
その日の夜――
コレットは部屋を抜け出すと、トニーの店に顔を出していた。
「あら、そういうあなたも私に会いたかったんじゃないの?アンソニー……」
「まぁ……な。」
男女二人の密室。
本来であれば甘い空気が流れてもおかしくない。
だが、この部屋に漂うのはコーヒーのように苦く、酸味のある空気だけだった。
アレットはアンソニーの持っているカップに視線を向ける。
「コーヒー飲んでる人、マリウス以外に初めて見たわ。」
(マリウス……?)
「って、たしかお前の弟だよな?」
アンソニーがコーヒーを見つけたのはたまたまだった。
仕事で眠れない日が何日か続いた時、商店街を歩いていてたまたま見つけたのがこのコーヒーだった。
甘いものがあまり得意ではないアンソニーにとって、コーヒーは甘さを中和してくれる他に、眠気を覚ましてくれる飲み物としてちょうど良かった。
「そうよ。あの子も色々動いてくれていると思うけど……あっちにはパドリックが付いているでしょうし大丈夫でしょう。」
アレットは適当に話を切り上げると、アンソニーの隣に座った。
アンソニーは、抽出したばかりのコーヒーをカップに入れるとアレットの前に出す。
彼女はミルクと砂糖を入れると、スプーンでコーヒーを混ぜた。
「お前がアンソニーと呼ぶってことは、そっちの仕事ってことだろ?」
「そっちがどっちかは分からないけどね……まぁ、間違ってはいないわ……」
コレットはふっと表情を消すと、コーヒーを一口飲んでからゆっくり話だした。
「最近……偽金貨と別で人がいなくなっているということは知ってる?」
「あぁ……知っている。」
「じゃあ、侍女や従者が姿を消したと言う話は?」
(そんなの聞いたことあったか?)
今までこの辺りで聞いた話は、子供たちばかり。
朝刊小説にも書いてはあったが、てっきり子供を侍女や従者に変えているだけだと思っていた。
「まさか……」
「やっぱり、あなたも知らなかったのね。そのまさかよ……」
コレットはカップをソーサーの上に戻すと、これまであったことを話し出した。
「シルベリアン公爵邸ではこれまでに何人もの侍女や従者がいなくなっているわ。それだけじゃない、私以外の元公爵夫人たちもね……」
「それは本当か……?」
シルベリアン公爵が五人の令嬢と結婚したことは王族に仕える者として理解していた。
だが『消えた』というのは初耳だ。
「えぇ、本当よ。現に、私も離れに追いやられているもの。それが大きな証拠でしょ?」
「私は離れだったけど、他の人たちが離れだったとは言い難いわ。かと言って出戻った人もいないはず……」
アンソニーはコメカミに手を置くと、トントンと叩きながら記憶を探った。
「……確かに聞いたことがない……。」
もし出戻っていれば貴族の名前も戻るし、何より夜会やお茶会の話題に上がるはずだ。
それだけ令嬢の出戻りは、貴族社会ではすぐに噂になる。
アンソニーはコーヒーを一口飲むと肩を竦めた。
「それで?俺に何をさせたいんだ?」
「あら、やっぱり話が早いわね?『笛の音』を調べて欲しいのよ。」
「笛の音?って……あれは幻じゃ……」
「ないわよ……?裏路地で話を聞いてみたけど子供以外にも何人か聞いている人がいたもの。」
「おまっ……そんな危ないところまで?」
「ふふっ、大丈夫よ。慣れてるから。それで調べてくれるの?くれないの?」
慣れてるって……
(何やってるんだ……)
アンソニーは深く息を吐き出してからうなずいた。
「わかったよ……調べればいいんだろ?」
その瞬間――
コレットの顔がパッと花開く。
「よかったわ!じゃ、ここを訪ねてくれる?ここに行けば私の知り合いに会えるはずだから。じゃ、おねがいね~!」
コレットは言いたいことだけ言うと、グイッとコーヒーを飲み干しお店を出た。




