黒鳥のコレット。
「ママ、遅くなってごめんなさい。」
シルベリアン公爵領の中央都市には、大きく分けて四つの区画が存在する。
南の観光街、東の歓楽街、北の商業街、西の領主街。
コレットはその中でも一番大きい歓楽街へと足を運んでいた。
「おや、コレットじゃないか。今日はもう来ないもんだと思っていたよ。」
「ママ! その名前で呼ばないでって言ったでしょ?」
コレットは店内を見渡した。
「ハハハハ、ねぇちゃん、面白いなぁ~」
「でしょぉ~!? じゃあ、もう一杯飲んでもいい? 喉乾いちゃったぁぁ~!」
「ガハハハハ! 飲め飲め! ママ~、この子にもう一杯なんか作ってやって~」
「はいはーい! ちょっと待ってねぇ~。」
どうやらコレットの声は誰にも聞こえていなかったらしい。
その様子を見て、ほっと息をついた。
「ここでの私はシェルティーよ?」
ママは頼まれた飲み物を作りながら、コレットの話に相槌を打った。
「わかってるわよ~。でも誰にも聞こえていないでしょ~?」
コレットは空いているカウンターに座ると、頬杖をついた。
「そうだけど……もっと気を使ってって言ってるの。」
「はいはい。わかったから。シェルティー、それよりお客さんの相手をしてちょうだい。」
そこで一旦区切ると、ママはコレットの耳に顔を近づけた。
「あそこのお客さん。さっきからあなたを見ているわ。あなた、きちんと化粧すれば化けるのに……いつも勿体ないわよね。」
「余計なお世話よ。そんなこと言うなら……お金返してもらうわよ?」
コレットと夜蝶の館のママであるアゲハには、切っても切れない縁があった。
コレットがまだ"ヴィンテージ・レディーン"と呼ばれていた頃の話だ。
お忍びで歓楽街に足を運んだ時、大雨の中、焼け落ちた店の前で呆然と立ち尽くす人を見かけた。
その光景を見た瞬間、店が火事で焼け落ちたのだとすぐに理解した。
『なに? お貴族様が私に何か用? それとも、笑いに来たの?』
『いえ、何があったのか気になっただけです。』
『そう。それで? 何か得られるものがあったわけ? 何も無かったならさっさとここを離れなさいよ。今私は気が立っているの。何するかわからないわよ?』
『はぁ……でも、今の時点で何もしないですし。大丈夫でしょう? それより、わたくしとビジネスの話をしませんか?』
それから二人は手を組み、コレットはこの館のオーナーとなり、店の切り盛りはアゲハに任せ、焼け落ちた店は再び歓楽街に灯りをともすことになったのだ。
(あの時に比べれば元気になったわね……)
コレットは目の前で楽しそうにお酒を作るアゲハを見て、自分を待っているというお客さんの元へ向かった。
「初めまして、シェルティーです。お隣いいかしら?」
「あ、あぁ~どうぞ。」
見たところ一人で店に来たらしい。
ラフな格好をしてはいるが、立ち居振る舞いからして貴族であることは間違いないだろう。
(こんな顔の人……いたかしら。)
貴族名鑑の内容を思い起こす。
伯爵以上の家々は、家族全員の絵姿まで載っている優れものだ。
そのため悪用を防ぐため、一冊ごとに管理番号が振られている。
もし無くしたりしたら、罰則どころでは済まないだろう。
(やっぱり……見たことないわね……)
もし相手が自分の正体を知っていれば、表情に出るはずだ。だが、男の顔色は変わらなかった。
それよりも、他のことで頭がいっぱいというような顔だ。
(ここは下手な小細工より、自然に聞くのがいいわね……)
「なんだか、元気がないようですが、何かあったのですか?」
カラン、カラン
お客さんの前にある空いたグラスを手元に寄せ、慣れた手つきで氷を入れていく。
コポポポ
この店でしか出していないウイスキーをグラスの三分の一まで注ぐと、マドラーでゆっくり混ぜてから元の位置へ戻した。
周りの音が遮断されたかのように、二人の間に重たい空気が流れる。
「すまない……ちょっと……参っていてね。」
「参っている……ですか? よければ、お話くらいなら聞きますけど……」
「しかし……」
男はちらりと周りを見る。眉間に皺を寄せ、周囲を窺う姿は、警戒心の強い野良犬のようだった。
コレットは自分のグラスにカランカランと大きな音を立てながら氷を入れた。
それに気づいたアゲハは、じっとコレットの作る飲み物へ視線を送る。
グラスには五個の氷、ウイスキーが三分の一。そして炭酸水が入っている。
刹那――
アゲハはカウンターを出ると、一つの扉の前へと向かった。
客の相手をしていた夜蝶たちも、さっと立ち上がり、客から扉が見えない位置へと座り直す。
そして何事も無かったかのようにまた話し始めた。
その姿は躾の行き届いた軍犬のようだ。
コレットは全ての行動を見届けると、隣の男の手を取り、彼の耳元に口を近づけた。
「お客さまがよければ……邪魔が入らないところで二人でお話しをしませんか? 今日は特別ルームが空いておりますの。シェルティーはお客さまと秘密の関係になれたら嬉しいのですけれど……」
男は頬を赤らめると、こくこくと頷いた。
(なんだか、お父様みたいね……すぐ騙されそうだわ……)
コレットはその男の手を取ったまま立ち上がらせると、アゲハが扉を開けている部屋へと向かった。
***
「グ、グス……ぼ、ぼくは……大変なことを仕出かしてしまったんだ……」
あれから一時間――
コレットは隣で泣き続ける男を慰めていた。
この一時間でわかったことといえば、この男の名前ぐらいだろうか。
名前はパグール・ブルドルク。
王族御用達のブルドルク商会を経営していて、最近男爵の爵位を賜ったばかりの新興貴族だ。
(仕事じゃなかったら、放って帰ってるわね……)
「パグール様? 話してみたらすっきりすることもあると思いますの。もしよければ、話せるところだけ話してみませんか?」
「で、でも……」
「安心してくださいませ。ここの声は外には漏れませんし、ここには私とパグール様だけ。他の人は誰も聞いていませんわ。それにお酒の席ですもの。私もお酒を飲んでおりますし、明日には忘れておりますわ。」
安心させるように微笑むと、パグールは小さく頷いた。
「そう……だな……。実は……」
そして、グラスの中に入っていたウイスキーをぐいっと全て飲み干すと――
ガシャン
グラスを机に叩きつけた。
「父に内緒である男と取引をしたんだ。元々こちらにも得になる話だった。」
コレットは静かにパグールの話に耳を傾ける。
「亜鉛鉱石を知っているかい?」
「亜鉛鉱石……ですか?」
コレットは首を傾げた。
「とある地域でしか取れない物なんだが、これが中々に厄介でね。それ単体で使うことが難しく、買い手がなかなか見つからなかった。そのせいで若い者たちは外に出稼ぎに行くか、町から出ていくしか無かった。」
パグールは苦しそうに目を伏せる。
「そんな時だった。ある男が現れたんだ。」
「『亜鉛鉱石を採掘してほしい。今の価値の倍を支払う』ってね。」
(なるほど……亜鉛鉱石ね……)
亜鉛鉱石の価値は低い。
偽金貨を作るつもりなら、倍額で買い集めても採算は合う。
「最近、お邪魔虫夫人という作家の小説で偽金貨の話が出回ってね。その件である人が家へ訪ねてきた。」
(パドリック辺りかしら……)
「もちろん、父は何も知らないから首を横に振っていた。だが……その男の名を聞いた瞬間、父の顔色が変わったんだ。」
「それは、お二人ともその亜鉛鉱石に関わっていたということ?」
「いや、父は違うと思う。名前には反応していたが、亜鉛鉱石の時は本当に知らないという顔をしていたからね……もし、知られたら……僕は一体……」
パグールは顔を青くして震えていた。
それは父に見つかったらと思う恐怖なのか、悪事に手を染めていたことへの恐怖なのか分からない。
だが、とある男に恐怖を抱いているのは間違いないだろう。
(巻き込まれただけなんだろうけど……何もできないわね。)
コレットはパグールの肩に手を乗せると、慈愛に満ちた表情で微笑んだ。
「それは……大変でしたわね。許してくださるかは神様しかわかりません。ですが、今日だけはお酒を飲んで忘れてしまいましょう?」
「そうだね……シェルティー、付き合ってくれるかい?」
「もちろんですわ。」
コレットはパグールのグラスにウイスキーを足してから、自分のグラスにもウイスキーを注いだ。
そして二人は、明け方までグラスを傾け続けた。
(偽金貨に一歩近づいたわね。あとは……その男を探すだけ。)
コレットは昇り始めた朝日を背に、静かに館を後にした。




