コレットの湖。
侍女の仕事も終わり、皆が寝静まった頃、コレットは部屋の窓に足を掛けていた。
部屋の灯りは消え、月明かりがコレットを照らす。
「ふぁ~……あら、出掛けるの?」
コレットは肩をびくりと震わせ、声のした方へ振り返った。そこには、先ほどまでベッドで寝ていたはずのシバが、上体を起こして目を擦っていた。
「シ、シバ!? 起きてたの!?」
「ふふっ……気づいていないとでも思った? あなたが夜な夜な出掛けているのなんて侍女全員知っているわ。」
「えっ……!?」
まさかの言葉に目を瞬く。
「まぁ、こういうのって本人が一番気づかないものよね。でも、安心して。私たちはあの二人に言うつもりはないから。それに、外出がオッケーになったにもかかわらず、ここから出るんだもの。何か意味があるんでしょ?」
コレットは何も言い返せずにいると、「ふふっ」と笑い声が聞こえてくる。
「……ごめんなさい。」
「無理して話してほしいわけではないわ。でも、これだけは覚えておいて。侍女たちは皆あなたの味方よ。ここに来てから何人も侍女がいなくなっていたの。でも、あなたが来てからぴたりとそれが止まった。理由は分からないけどね。」
何人も侍女がいなくなった。
ただ解雇になっただけかと思っていたが、シバの話を聞く限りそういう訳ではないらしい。
「それだけじゃないわ。外出もできるようになった。きっとあなたのおかげなんでしょ?」
シバは首を傾げる。
(何もしていないんだけど……言いづらいわね……)
「一番大きいのは、お嬢様が少し落ち着いたことね。あなたが来る前は事あるごとにクビだなんだと騒いでいたから。」
「そう……なのね。」
「えぇ、だから気をつけて行ってらっしゃい。月明かりはあるけど、夜は危ないんだから。」
シバは大きな欠伸をしながら手を振ると、そのままベッドに寝転がった。
いつものあまりやる気のないシバの行動が、今はとてもありがたい。
「感謝するわ……」
コレットはシバの背中に小さく呟くと、そのまま窓から外へと飛び出した。
***
「……っていうことがあったのよ。」
「はぁ……それは良かったですね……」
それからしばらくして――
コレットはトニーの文具店に来ていた。
偽金問題のとき、コレットがトニーにお願いしたことの一つだ。
『私が夜中に訪ねた時に部屋を一つ貸してほしいの。』
『へ、部屋ですか!?』
『そう……見たところ、二階が住居になっているようだし、部屋を貸してくれるだけでいいの……お願いします。』
コレットが深く頭を下げる。
しかし、簡単に「はい、いいですよ」とは言わなかった。
それもそのはずだ。
『その、ここに住んでいるのは私だけですし、夜中に女性を部屋へお通しするなど……誤解を招きます。』
『私は気にしないから大丈夫!』
『いえ、私が気にするんです!』
トニーは人好きのする笑顔を顔から消すと、モノクル眼鏡を取り、長い前髪をかき上げた。
『あら、そっちが本当の顔?』
『はぁ……それだけはお前に言われたくない。お邪魔虫夫人……いや……』
トニーは話を区切ると目を細めた。
『コレット・ボルダコリー。今はシルベリアンだったか……』
『やっぱり……気づいていたのですね。でしたら、わたくしのことも調べていらっしゃるのでしょう? 社交界で何と呼ばれているかも。』
『……ヴィンテージ・レディーンだろ?』
トニーは少し視線を逸らした。
どうやらこの言葉の意味を知っているようだ。
『ふふっ……』
『何がおかしい。』
『いえ、何でもないのです。ただ、わたくし自身"ヴィンテージ・レディーン"という言葉を気に入っていますので。もちろん"お邪魔虫夫人"もですが……。』
トニーは口をあんぐりと開いたまま固まった。
まさか「気に入っている」と言うとは思わなかったのだろう。
普通であれば、人を貶めるような通り名を付けられれば、外に出ることすら嫌になるはずだ。
貴族社会ならなおさら――
だが、コレットにとってそれは逆効果だった。
『わたくし、恋愛を見るのは楽しいですけれど、したいとは思わないのです。でしたら、お邪魔虫夫人として小説を書いている方が良いのですわ。それに……人間観察ほど面白いものはありませんもの。ねぇ……』
コレットは手で口元を押さえると、そのまま目を細めて微笑んだ。
『トニーさん。いえ、アンソニー・ラブルドール様。』
トニーの瞳がわずかに揺れる。
(ふふっ、さっきの仕返しよ。)
『ここではお互いトニーさんとお邪魔虫夫人でお願いいたします。』
"お互い踏み込みすぎない関係で"
コレットの言葉に、トニーは小さく頷いた。
そして、現在――
「それで? 今回はどこに行くんだ?」
「ん~……色々気になることはあるんだけど、まずは金貨を何とかしないといけないわね。最近、誰かここを訪ねてきた?」
ここで頼んだことのもう一つが、お邪魔虫夫人のことで尋ねてきた人がいたら教えてほしいということだった。
小説を通して、偽金貨については話している。
(そろそろマリウスが気づいてくれてそうだけど……)
「いや、まだ誰も尋ねてこないな。貴族であれば顔を知っているから分かると思うんだが……」
「そう……今後もし変わった動きがあれば教えてちょうだい? 今日は夜蝶としてのお手伝いの日だから、歓楽街に行ってくるわね。」
「……夜蝶……? お前、そんなところにまで潜り込んでいるのか?」
「ふふっ……こう見えて化粧の腕は逸品なの。顔を変えれば誰も気づかないわ。それに私のお店は身体を売るところじゃないもの。」
「ならいいが……無理だけはするなよ?」
コレットは「はーい!」と手をひらひらと振ると部屋の中へ入る。
スリットが大きめの濃紺色のドレス。胸元にはダイヤがちりばめられ、腰から裾に向かって銀色に染まっていた。
「これなら……今日はこのウィッグね。」
棚に置かれていた数種類の白銀のウィッグから一つを選ぶと、それに合わせた化粧を始めた。
「さっ、仕事の時間ね。」
コレットは鏡の中にいる自分を見つめると、妖艶に微笑んだ。
鏡の中に映っていたのは、侍女アレットではない。
そこにいたのは、妖しく微笑む艶やかな夜蝶だった。




