甘い言葉は事件の始まり。
「エアデール帝国の街中――
ここでも、サロン同様とある話題で持ち切りだった。
「ねぇ?読んだ?」
「読んだ、読んだ!」
道行く女性の手には丸まった新聞が握られている。
今までに見たことのない異様な光景に、一人の男は思わず後ずさった。
「な、何が起きているんだ!?」
「お前……知らないのか?今話題の作家がいて、朝刊に小説を載せてるんだよ。」
男は何も知らなかったのか、女たちの間で話題となっている朝刊小説へ視線を送る。
「お邪魔虫夫人……?」
「名前からインパクトあるだろう?一度聞いたら忘れられねぇ。」
その間も周りからは色々な話が降り注いだ。
「また奥様が失踪ですって……」
「何人目!?」
誰かの言葉に、誰かが反応する。
しかもそれが友人同士というわけではない。
行き交う人たちが歩きながら話に参戦しているのだ。
「五人目よ……!」
「皆どこに行っちゃったのかしら。」
「無事だったらいいのだけど……」
「本当よねぇ~、続きが気になるわぁ~!」
次から次へと変わっていく会話。
これが現実だと知ろうとする人はほとんどいない。
だが――
似たような事件は、すぐそこまで迫っていた。
「それより見た目が綺麗な男ほど毒があるというのは本当ね。」
「そうそう、最近この辺りでも人がいなくなっていると聞くし……気をつけないとね。」
***
カラン、カラン
「ごめんくださーい!」
夜会が終わってから一ヶ月――
コレットは久しぶりに、シルベリアン公爵領の町外れにある小さな文具店へ足を運んでいた。
「あ、あなたは……」
「久しぶりね。トニー……だったかしら?」
トニーは彼女を見て目を丸くした。
それもそのはずだ。
目の前には、お茶の間を騒がせている作者が、満面の笑みで立っているのだから……。
「お邪魔虫夫人ではないですか!」
「あら、覚えていてくださったのね?」
「それはこちらのセリフです。今や知らぬ者はいないというほど人気のあなたに覚えてもらえるとは、光栄です。」
「まぁ、それは嬉しいわ!」
目の前にいる女性がお邪魔虫夫人だと気づく人はほとんどいないだろう。
そのくらい今日の見た目は、地味でどこにでもいるような町娘だった。
(以前と雰囲気が違う気がする。)
トニーは一度咳払いをすると、お邪魔虫夫人へ視線を戻した。
「それで?今日はどういったご用件で?」
「作家道具を調達しに来たの。それと、いくつかあなたにお願いしたいことがあってね。」
「私に……ですか?」
「えぇ。ちょっと話が長くなると思うから、先に以前買ったものと同じものを購入してもいいかしら。」
お邪魔虫夫人が来たのは今回で二回目――
普段であれば何を購入したのか覚えている方が難しいのだが、この方の場合は違った。
トニーは戸棚から、以前お邪魔虫夫人が購入したインクやペン先、原稿用紙などを取っていく。
「あら、言っていないのに覚えているのね?」
「えぇ……まぁ……全てのお客さまを覚えているわけではございませんが……」
そして、一通り商品を出し終えると、お邪魔虫夫人と視線を合わせないようにしながら袋に詰めた。
「今回のお代は三百五十バウですね。」
「あら、結構いったわね……」
「ご購入いただいている量が多いですからね。作家様は大変ですね。」
「ふふふ。でも、趣味のようなものだから……」
「趣味であれだけ人気が出るとは……凄いですよ。」
彼女は袋から硬貨を取り出そうと手を入れた。
その瞬間――
袋が破け、硬貨が机の上に広がった。
チャリン……
不快な高い音が脳内に響く。
「……あら、今日貰ったばかりなのに……」
彼女は眉尻を下げ、小さくため息を吐くと、一枚一枚丁寧に拾った。
しかしその傍らで、トニーは机の上に転がった金貨を見て、思わず息を呑んだ。
(おいおい……一般家庭なら数ヶ月間は暮らせる額だぞ……作家というのはそこまで稼げるのか?)
お邪魔虫夫人の持っている金貨へ視線を移す。
(名前はあれだが……すごいお方なんだな……)
しかし、そこには先ほどまでの楽しそうな顔をした彼女ではなく、真剣な面持ちをしたお邪魔虫夫人が金貨越しに反射して見えた。
***
「どうか……されましたか?」
トニーは不思議そうに首を傾げた。
「え、えぇ……なんでもないの。ただ、この金貨。なんだか……少しくすんで見えるのよね……」
(それに……なんだか軽いような……)
「はぁ……」
コレットは金貨を手に取ると、陽の光に当てながら食い入るように見つめた。
「それに、音がいつもより高かったような気がするのよ。」
「……音、ですか……?私には分からなかったですが……」
「そう?試しにもう一度落としてみるから、目をつぶって聞いてみてくれる?」
コレットは、袋から硬貨が落ちた時と同じ高さまで持ち上げる。
そして、トニーが目を閉じたのを確認すると、金貨を持っている指を広げた。
カラン
先ほどの高い音とは違う、低い音が店内に響く。
(やっぱり……いつもより低い……?)
別に鑑定士という訳ではない。
だが、これまで伯爵令嬢として金貨に触れる機会は多かった。
「……確かに……言われてみれば、さっきとは音が違うような気がしますね。」
「でしょう?」
コレットは金貨をじっと見つめる。
(まさかね……)
昨日、仕事が忙しい時間に、突然侍女や従者が集められた。
『お前たちはいつも頑張ってくれているからな。特別給金を渡すことにした。』
『『『……えっ!?』』』
突然のことに思わずその場にいた全員が動きを止めて口を開いた。
『なんだ?おかしいか?いらないならいいんだぞ?』
もっと喜んでもらえると思っていたのだろう。
だが、今までのアデラールやアリスの態度を知っている者からしたら、「はい、そうですか」と信じる方が難しい。
室内が静まり返ると同時に、アデラールの目尻がつり上がっていくのが見える。
その時――
『う、嬉しいです!!ありがとうございます!』
誰かの声が室内に響き渡った。その声を皮切りに侍女や従者たちはアデラールに感謝の言葉を伝えていく。
『ふん、素直に初めから喜んでいればいいものを。それと、だ。お前たちには不便を強いていたからな。少しルールを変えることにした。』
アデラールはそこで一旦区切ると口角を上げた。
その顔に、侍女たちは頬を染める。
(まぁ……見た目だけはいいものね……)
『今まで買い物以外で外に出ることは禁止していた。だが、今後はいつでも外に出ていいこととする。』
『と……いうことは、家族に会いに行っても?』
『構わん……』
『夜中に歓楽街に遊びに行っても……?』
『構わん……』
『賭博に行ってもいいんですか?』
『構わん。だが、羽目は外しすぎるなよ?』
今まで「待て」を強いられてきた者たちにとって、この言葉は甘美な言葉にしか聞こえない。
(何も起きなきゃいいけど……)
そして――今に至る。
(起きちゃうかもしれないわね……)
コレットは舌を出すと、持っていた金貨を舐めた。
「な、何してるんですか!?」
急な行動にトニーは目を丸くする。
「やっひゃり……ふへはくはひ……」
「な、なんて?というか汚いですよ?」
コレットはトニーの言葉に返すことなく、一枚ずつ手に取っては机の上に落とした。
カラン
チリン。
澄んだ音の中に鈍い音が混ざる。
コレットは一枚一枚確かめ終えると、小さく息を吐いた。
「……これ……偽物だわ……」




